第2話 牢番と悪女
「何故わたくしがこんなところにいるのかあなたは知っていて?」
わたくしが尋ねると、あまり賢そうではない男が答えた。
「お嬢様はここがどこかご存知で?」
「牢…かしら?」
「では、どんな方が牢に入るかもご存知でしょう?」
「ええ、ええ、そうね。罪を犯したものが入るところですもの。ところでわたくしの罪をあなたは知っていて?」
「王族の方への不敬罪と聞いておりますが」
「不敬罪…私の記憶が確かならば王族の方へ不敬を働いた覚えはないのですけれど」
伯爵令嬢であるわたくしミネルヴァ・シャルマンは頭をうんと捻って考えてみる。
うん。
やっぱり覚えがないわ。
「いえ、私はただの牢番なので詳しくは知らないんですけどね。何でも第一王子の婚約者のご令嬢を侮辱するようなことを仰ったのだとか。第一王子がそれを聞いて大変なお怒りようだったのは知っているのですがね」
「あら…まさか侮辱だなんて。ありのままの事実を言っただけですのに。最近の方は何でもネガティブに取りすぎではなくて? しかもあの自称王子の婚約者のお方はまだ王族でも何者でもないというのに、王族不敬罪として王子が勝手に処断なさるなんて職権濫用もいいところですわね。もし陛下がお知りになったら…」
そこで私は一旦言葉を切った。こんな顛末になった原因は大体予想がつく。兼ねてより骨抜きにされていた自称婚約者のあの脳内お花畑娘に唆されての所業に違いない。
まだ婚約破棄の手続きも済ませていないというのに、早まって自称王子の婚約者を名乗るあの娘も娘だが、自らの行動の責任と結果を考慮しない王子も王子だ。
婚約破棄の件は予期することはできたので、前向きに検討中だったというのに。何が王子にこれほどの兇行に走らせてしまったのだろう。
それにしても。
ニタリ。
思わず口元に歪んだ笑みを浮かべずにはいられなかった。何事においても冷静であれと言うのが我がシャルマン伯爵家の家訓であると言うのに。
無能だと思い込んでいた王子の思いがけない反撃のおかげで、わたくしの身体は何故か喜びに打ち震えていた。
昔から顔を見るのも嫌だった。善人顔をして周囲の者に善行を施しているつもりの偽善者。笑顔で自分の理想論を押し付けてきて、汚いことは自分でやらないただのわがまま暴君。わたくしの大嫌いなタイプだった。
それでも。
わたくしを婚約者として選んだのだから、見る目だけはあったのだと思い彼を害するつもりはなかったのというのに。将来的には彼を傀儡としてこの国に君臨し、民には善政を敷く心づもりでさえあったというのに。
そちらがそのつもりならば、わたくしも受けて立ちましょう!
そしてわたくしは独り牢の中で突如として湧き上がってきた解放感に酔いしれる。
もう、人に合わせる必要は無い。
この国を滅ぼす口実が今まさにできたのだから。
「ふふふ…あなたそんな格好をしているけれど、実は執事のカークでしょう?」
「お嬢様の慧眼には参りました。上手く化けたつもりだったのですが」
「まだまだ甘いわね。間抜けな牢番の演技は出来ても、我が一族特有のどす黒いオーラがダダ漏れでしたわよ」
「お褒めに預かり光栄です」
「さて。牢から出ましょうか。わたくしは自由になったのだわ!」
我がシャルマン家は偉大な古の黒き魔女シャーリー・シャルマンの血筋。一国を滅亡させるほどの力を持つ魔女に古代の王家は立ち向かいそしてその絶大な力の前に敗れ去った。しかし、何もかもが消滅する寸前、聖女であった王母が命を賭して聖なる封印魔法を発動したため魔女の力はシャルマン家の中に封印され、王国は今日まで生き長らえたのだ。王家は代々シャルマン家から花嫁を迎える事で永年の封印の綻びを修整し、見護る役目を担っていた。言い方を変えるならば、シャルマン家の代々の花嫁たちを生贄にすることで、封印という名の呪いをより強固にし、シャルマン家の強大な魔力を手に入れ利用することができたとも言える。
徐々に甦ってきたこの記憶は、この身体を流れる古の魔女の血の記憶である。まさに封印が解けかかっているのだろう。古の魔女の魔力が全身を駆け巡っている。脳内お花畑娘と王子の愚行のおかげでこの血の封印は最早解かれたも同然!
ちなみに脳内お花畑娘はどうやら聖女の末裔のようだけれども、人間との婚姻を繰り返した為に聖女の力が随分と薄まっているので今のわたくしの敵にはなり得ない。
この時をどれほど待っていただろう。
「黒き魔女は遥か昔。長き間に渡り伝え聞いていた封印の意味も技も薄れ。今宵とうとう綻びて黒き魔女は自由になった」
それは歌うように。全身の血が喜び踊っているのを感じる。
わたくしが触れた瞬間に牢の鍵は音もなく砕け散った。カークは牢番の変装を解くとわたくしの前に跪いた。その姿は執事でさえなかった。
「さぁ、早速滅ぼしましょう。我が一族の血を長きに渡り封印し、罪深きことに利用し続けた憎きこの国を」
「旦那様たちも心待ちにしておられます」
「あら。お父様達の血の記憶も戻ったのね」
「旦那様たちはより薄き血なれば。お嬢様のように直接封印されてはおりませんでしたし、更には此度の王子は封印の力が弱かったようでして」
「そのようね。王子が間抜けで本当に助かったわ」
「お嬢様、今のお言葉はまさに王族不敬罪では…?」
「あら、面白いことを言うのねカーク。存在しない王家なのに王族不敬罪なんて適用されなくてよ」
牢から出たわたくしとカークはよく手入れの行き届いた王宮の庭の真ん中でダンスを踊っていた。
わたくしがさっと手を上げただけで、明るかった空を覆うように四方から黒い雲が集まってきた。稲光を発しながらそれは不穏な空気を漂わせる。
「月明かりのない素敵な夜だこと!」
続いてわたくしが地面を蹴り上げると、黒い雲からは雨ではなく大量の赤い火の塊が降ってきた。
絶え間なく火の雨が降り注ぐその光景はまさに絶景。目の前の王城は一瞬にして業火に包まれる。赤い火の雨は地獄の業火。どんな物質も一瞬で溶かすほどの高熱ゆえ、熱さすら感じる暇もないだろう。
そうしてわたくしたちが踊り終わる頃にはすっかり一面が焼け野原となっていた。野原と呼べる指標すらないそれは何も存在していないただの黒き地だ。
わたくしは手に持っていた種を1つ地に埋めた。
「次の世は良き世界になるといいわね」
種の芽が出るまでには長き時間がかかるだろう。そうして芽吹き大きくなった木の元にいつしか小鳥が1羽住まうことになるだろう。小鳥が啄み地に落とす種で木は増えるだろう。そうしてできた森には様々な生き物や精霊たちが生まれ集うに違いない。
全てのものが笑顔で暮らせる世界とは言わない。そんなものは実現不可能だ。ただ、生まれてきた命がそこで生きたくなるような世界であればいい。
古代ここに在りし大きな国はその存在の維持のために人間以外の全ての命を犠牲にしていた。そうして成り立ったものの上にあぐらをかいていたのだ。命の源である森を焼き、幾筋もの川に毒の混じった水を流し多くの命を苦しめた。そうして集めた呪いの様な魔力で維持されていた魔導王国。
わたくしは全てを無に帰すために遣わされた滅びの黒き魔女の末裔。
「では参りましょうか。再生の女神ミネルヴァ様」
「その呼び名は少し恥ずかしいわね。滅びの魔女の方がかっこいいわ」
「では滅びの魔女ミネルヴァ様」
「あら、ふふふ」
わたくしは差し出されたカークの手を取り一歩踏み出した。
今度こそ使命が果たせてよかった。
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