24.無色透明
制作計画で決めた『限界本数』は、20体。
これで思うような仕上がりに到達しなかった場合は、今回の計画は終了とする。そんな取り決めだった。
10体まで思うような手応えを得られなかった。
徐々に追い詰められる創作メンタル。力んで向き合っている様子を見た弟子の花南が、懐かしいハマナスの丘まで連れて行ってくれた。
そこで触れた柔らかな思い出。すこし甘くて酸っぱい、それはハマナスの実、ローズヒップの匂いに包まれるような時間だった。
再度、自分で課したテーマに挑む。
もう弟子とは呼びたくはない。信頼する職人ふたりが、設計通りのベースオブジェを次々と仕上げて届けてくれる。
最初の10体同様、いや、より一層無心に切子作業に潔は臨んだ。
迷いはなかった。いつもの精神に戻り、職人人生のすべてを集約させる想いを研ぎ澄ませ立ち向かった。
それでも、だった――。
11体目、やはり折れた。最後の最後、先細る尖端にて慎重に時間を掛けてゆっくり丁寧に切子を刻むが、折れた。
12体目、おなじだ。13体目……。14体目、15体。
おなじことが繰り返される。
折れた瞬間に無言で静止している潔を見つけた者たちが、愕然とした顔をしてそこにいる。
オーナーの杏里も潔の様子が気になるのか、ここ最近はまめに工房へ様子見にやってくる。
13体目、尖端に丁寧に刻んでいる時。『これは行けるか』という確信が初めて訪れた。これまで以上に繊細に刻む中、尖端へと近づくことができた。だがポキリと折れた。
ため息をついて一時『次はどのような力加減で挑むか』と黙々と考えていると、そばに彼女が立っていたのだ。
『あの、親方。大丈夫ですか』と。いままで見たことがないほどの青ざめた顔でそこにいる。逆に潔がびっくりしたぐらいだ。
「杏里さん。どうしたんですか。私なら全然、大丈夫ですよ」
「あの、花南さんが言っていたような『怖いお顔』ではなかったんですけど。その、あんまりにも無表情すぎて。真剣に制作中の時も、失敗してもおなじお顔で『無』といいましょうか。親方の心がどこかに行ってしまったように見えて怖かったんです……」
「そ、そうなんですか。いえ、夢中になっていると思っていただければ――」
「あまり思い詰めないでくださいね」
思い詰めてなんていないのに? 彼女のほうが顔色が悪くて心配になる。
花南がそんな杏里の様子に気がついて、そっとそばに付き添って事務室に連れて行ってくれた。
そんなに――? オーナ女史をそこまで心配させるほどの姿になっているのかと、潔としてはそちらのほうが驚愕だった。
15体目の時には、樹社長が工房に来ていた。
またぽっきりと尖端がひび割れ折れて潔の集中力が切れた時、彼は泰然とした様子でそこにいた。さすが、その風格は四代目社長さん。
「杏里が心配していたものだから、気になって来てしまったんだ」
「そうですか。大丈夫ですよ。富樫と花南もおなじことを言っていませんか。弟子ふたりには、私のいまの姿勢も気持ちも通じていますから、彼らから伝えてもらったはずですが」
先日、杏里があまりにも案じてくれた日。付き添った花南が『物作りをする者が入り込む世界と姿だ』と説いてくれたと報告を受けている。
富樫も花南も、思う制作に入り込むと寝食を二の次にする傾向がある。富樫は精巧な技術に対して、花南は創作芸術に対して。それぞれ向き合う素質は異なるが、己の信念を芯に吹き竿を持つと『無』になる。彼らもそれを体験しているからこそ、いまの潔の入れ込みようは我を忘れて『無』になっていることを理解してくれている。
ただ花南がぽつりとこぼした。
『さすが親方。無になる姿も師匠クラス。私はまだあそこまでにはなれない』――と。
そして花南も富樫も口を揃えた。
『杏里さんの気持ちがわかる。畏怖を抱く』。
富樫に至っては『達観しすぎて気味が悪いです。褒め言葉です』とまで言い切った。
そんな自分の姿を鏡でも置いて見てみようと思ったが、『ふと気が抜けて鏡に目線をやった瞬間に、その姿は消えているはずだ』、『親方自身がそれを見ることはない』と弟子のふたりは言う。
相棒で一番弟子の富樫だからこそ言い切ってくれた『気味が悪い』。
樹社長もその姿を目の当たりにしたのだろう。だが彼は動揺はしていない。
「それ、見せてもらってもいいかな」
何度やっても尖端で折れてしまう十五体目。それを樹社長へと潔は差し出す。
成人男性の彼が手にしても、両手に収まらない長さ。
細長い円錐で無色透明のオブジェには、根幹から細かい切子を様々なパターンで入れ込んでいる。
「素晴らしい。渾身の作ですね。どこに目線をおいても異なるパターンになっている切子図案。観る人を飽きさせない。でも親方にとっては完璧ではない……ですかね」
根幹から切り込まれている模様を、樹社長がゆっくりと目線を移動させて眺める。最後は折れて鋭利に割れているガラス尖端へと視線が止まる。
「もし、最後の一体もおなじ結果だったらどうされるのですか」
誰もが避けてきた質問を、彼だからこそズバリと仕向けてきた。
「どうもしません。それが結果だと決めています」
「そうですか。親方がそこに気もちを定めているならいいんです」
そっと、尖端が割れ折れたオブジェを返してくれる。
「杏里にも、あまり案じないよう伝えておくよ」
妻があまりにも心配するので、夫も『親方の様子』を確認しに来た。
そして夫さんは『大丈夫そうだ』と判断してくれたようだった。
なんとなく……。『男』としての気もちが通じてるように思えた。
そう、これは潔が『男』として向き合っていることなのかもしれない。
自分は亡くした妻に対してしか『男』になれなかった者だ。
いま自分は『男』になっている。『夫』よりも『男』に。
おなじ男である樹社長には、杏里より通じたのかもしれない。
妻が亡くなったことをわかっていながら、『手放す』ことから目をそらしてきた男が、初めて妻との決別に向き合っている。それがどれだけ思い詰めることなのか、一点の曇りも宿したくないほど精神統一するために、どれだけ誠心誠意でありたいことか。妻を見る男の気持ちにならないとわからないだろう。
そんな想いにも気がつき、潔は気もち新たに16体目に挑む。
残り、あと5体になった。
花南と富樫には『余計に製造しない。20体目を潔に渡したら、そこでオブジェ製造を終了させる』と命じている。
どうあっても20体目で結果を出す所存。
16体目も尖端で折れた。
気もちを保って、17体目を手に取る。
ここで弟子ふたりに委ねていた最後の1体、20本目のガラスオブジェが届いた。
あと3体。しかし17体目、18体目も尖端で折れた。
同じところで折れる。最後の最後に刻みたい切子図案に辿り着かない。
近づけそうで近づけない。
19体目も尖端で折れた。
それでも全て、迷いなく金槌を振り下ろし、粉々にして無かったことにした。
最後、20体目に挑む。
「おなじところで折れるということは、もうそこまで極めているということですよ。あと少しだから大丈夫ですよ」
最後1体になって、富樫が『最後はもっと慎重に』と声をかけてきた。
「15体目以降、ずっとおなじ尖端で……。だいたいおなじところで……」
富樫は希望的観測を述べてくれたが、花南はいまある現状を力なく呟くだけだった。
最後、20体目に挑む――。
無色透明の円錐オブジェ。1.5メートルほど。幹のあたりの切子はなんども刻んできた分、今まで以上に磨きがかかる複雑な図案を大胆に描いていく。
徐々に細くなる尖端にも繊細な図案を丁寧に刻む。
最後、1センチ手前までデザインしている切子図案をグラインダーで削って丁寧に、慎重に――。あと8センチ、尖端に届けば『君に届く』。君が願ったガラス職人の集大成を、届けることができる。
『姉のこと、義兄のこと、壮絶な死を遂げた航の実の父親のこと、たくさんの嘘をついてきたことを思ってガラスを吹いた。でもそんな想いを混ぜて吹いたガラスは割り砕いた。師匠の教えだったから』
花南がそう教えてくれたように、潔も10体目ぐらいまでは、若くしてこの世を去った妻の笑顔や立ち姿を思いながら切子を刻んでいた。
ハマナスの丘から帰ってきてからは『無』だった。
いまも『無』だ。心にはなんの色も入ってこない。崇高な『透き』だけだ。
まるで自分が機械になったように。でもこの『切子』を操れるのは、技巧を得た『遠藤潔』という職人、自分だけだ。
ずっと聞いてきたガラスの音が耳に飛び込んでくる。
小さな音だ。でも鋭い。一瞬の、物質が壊れる音が――。
20体目、決めていた最後の1体の尖端。そこも折れた。
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