13.美しい男たち

 瀬戸内の海の色をそばに感じながら、料亭での時間はゆっくりと流れていく。

 最初からそのつもりだったのか、到着の喉潤しだったお茶のひとときは、かなりの間をとられている。

 その間に花南とゆっくり語り合うことができた。お互いの溢れた気持ちも涙も落ち着いたころに、お食事がはじまる。


「うちのホテルでも和食をお選びだったようですけれど、今日も和食でよろしかったんですか」

「もちろん。もう洋食の年でもないし、おなじ和食で、料理人が異なるとどうなるのか体験するのもいいよね」

「そうですね。今日は、三男で料理長をされている弦さんが手がけてくださっているはずです。航の叔父様ですね。いまは料亭で出される懐石と、元祖的なお茶席の懐石はわけて考えられるようになっているんです。今日は昼食なので茶懐石により近しくおもてなししてくださると聞いています。最後に、金子の社長自らお茶を点てにきてくださるそうです」

「うわ、贅沢だね。楽しみだ」


 やがて『折敷おしき』が出てくる。

 正方形のお膳に、一汁一菜。ひとくちのご飯と、汁物、向こう付けの皿にはほんの少しの刺身が盛り付けてあった。

 刺身の皿はガラス皿だった。透明な長方形の皿には漆黒のラインで『業平菱なりひらびし』の模様が描かれている。和で伝統の模様を用いながらも非常にモダンなものだった。

 ガラス職人として目がそこに釘付けになっていると、その向こうにいる花南が照れくさそうに笑っている。


「えっと、向こう付けのお皿。私のお手製、ですね」

「え! 花南が造ったものなのか」

「はい。山口工房の製品を、私のものも含めてよくご購入くださるんです。こちらでお食事をして、自分の製品に出くわすとちょっと照れるんですよね」

「おお! さすが花南!」


 潔は思わず、行儀悪いとわかりつつも、美しく刺身が盛り付けられているガラス皿を両手に取る。そしてマジマジと眺めてしまった。


「この漆黒のラインは……、さては、キルンワークのガラス棒で融着させたのかな」

「そうです。透き(無色透明)の皿をベースに、キルン用の細い黒ガラス棒を並べて模様をつくり、電気炉で融着させました」

「そうか。こんなモダンなものも、伝統的な和に溶け込めるんだな。素晴らしい」

「ありがとうございます。遠藤親方にそういっていただけると、すごく嬉しい」

「いや、キルンにしても、精密な柄に整えてる。繊細だ」


 今日も『食とガラス』のマリアージュに潔は興奮をする。

 その後も、椀盛わんもり、澄まし汁、焼き物、箸洗い、八寸――とメニューが進行していく。どこかに必ずガラスが使用されている。どれも山口工房のものだと、花南も嬉しそうだった。昨夜、潔が倉重リゾートホテルで体験したようなことを、弟子の花南も体験している。あの頃のように、素の無邪気さを思わす彼女の笑みに、潔も心がほぐれる。

 また娘と楽しむ静かな食事。お父さんの仕事を通して娘と語り合う……。そんな体験をまたさせてもらっている。


 海の幸、山の幸で彩る『八寸』の盛り付けに彩りは、芸術だった。そこに食があり、食器がある。四季の旬を目で楽しむこと、料理人のこだわりが心地良い。


 湯桶・香の物まで進んで、お腹もほどよく満足してきたころに、湯気が立つ茶釜が運ばれてくる。部屋の片隅に茶道具も備えられた。

 やがてこの離れに仲居以外の人が訪ねてくる。


「失礼いたします」


 着物姿の男性が厳かな仕草で襖を開け、正座にて入室。


「本日はご来店いただきまして誠にありがとうございます。責任者の金子つとむと申します」


 金子家長男で、現在料亭の主人。航の伯父で、実父の兄。着物の彼が、正座のまま恭しいお辞儀にて、ご挨拶をしてくれる。

 礼儀作法が必要な場に慣れていない潔は恐縮しきり、戸惑い、思わずお嬢様育ちである花南へと視線を向けて頼ってしまった。

 だが花南はなんの気負いもない様子で、いつもの笑顔のまま、彼女も膝をお兄様へと向けてそっとお辞儀をしている。


「金子社長、お兄様、ご無沙汰しておりました。本日は急な申し出でしたのに、素晴らしいお席をご用意くださいまして御礼申し上げます」


 楚々と正座でお辞儀をする花南。そんな彼女を見て潔は初めて痛感するのだ。もともと『品のある子』と大澤夫妻に、大澤の姑さんが言っていてだけあって、やはりこの子も家柄あるお育ちなのだと――。

 なので潔も急いで正座に直り、見よう見まねでお辞儀をする。


「はじめまして。小樽でガラス職人をしております遠藤と申します。本日はたいへん素晴らしいお食事をご用意くださいまして、ありがとうございます」


 着物の上品な男性が、にこりと静かに笑む。

 その面差しの奥に、潔は『航』を感じた。血の繋がり? いや『遺伝』というほうがしっくりした。


「花南さんから常々伺っておりまして、いつかお目にかかれることがあればと願っておりました。思ったより早くその時が訪れ、本日のご来訪を心待ちにしていましたよ。料理長の弟も、遠藤様がいらっしゃると知り、張り切っていましたから」

「急遽お願いしましたのに、ここまでのお心づくしに感動しております」

「遠い小樽から、瀬戸内まで来てくださったのですから、旅の良き思い出にしていただきたい一心、それだけです」


 金子家長兄の勉は、潔とそんな会話を交わしながらも、茶道具を優雅な仕草で手元に揃えはじめる。


「その思い出のひとつになりましたら幸いです。本日は私がお食事最後の『濃茶』を点てさせていただきます」

「ご主人自らのお手前、恐縮です。工房から滅多に出ない生活をしてきましたので、今回の旅は『初体験』ばかりです。楽しませていただきます」

「堅苦しい作法は気になさらず。気を楽にしてお楽しみください」


 そうして着物の彼が茶釜に向き合った。

 座敷片隅の茶室になったような畳の位置へと、花南と移動する。

 ふたり並んで正座をするが、『おみあし、崩してもかまいませんよ』とご主人が優しく微笑んだので、足を崩そうとした。だが、隣の花南が茶道らしい和柄のポーチをそばに置いた。

 作法を自然とこなす花南がピシッと姿勢を正していたので、やはり潔も倣うことにした。


「花南、それって……。茶道の時の持ち物入れ、だよね」

「そうですね。子供の時に習っていましたし、姉や母のお下がりとか、夫と一緒に選んだものとかいくつも持っているんです。男性には男性向けのものがありますよ」


 ああ、やっぱりこの子、お嬢様で社長夫人なんだと潔は今更ながらに感じることになる。

 だが潔は興味津々で、花南のお茶用の小物を見させてもらう。

『これが帛紗ふくさ、これが懐紙かいし、これが菓子切り、扇子も必要――』などなど、説明付きでひとつひとつ見せてくれる。

 その間に穏やかな微笑みを常に口元に湛えてる勉が、静かに流れる動作でなつめの蓋を帛紗で撫で、小さな茶杓も同様に拭い、それぞれの定位置へと備え、茶を点てる手順を進めていく。


 着物の男性が静かに静かに流麗な所作で支度する姿に、潔は釘付けになる。


「美しいですね」


 思わず出たひと言に、着物の彼が動作を止めずに潔に答える。


「おそらく、親方がガラスを吹いている時とおなじ心境なのでは……と、勝手に思っているところです」


 ハッとさせられる。無心になって人のための茶を点てる。潔もそう。無心になって人が使う物になるようにガラスを吹く、切子を入れる。


「私は花南さんがガラスを吹く姿にもそれを感じたことがあります。きっと、お師匠さんである遠藤さんも、おなじなのではないでしょうか。花南さんは常々、小樽の親方から教わったことは私の基礎だと話してくださっていましたから」


 潔が投げかけた言葉が、あっという間に潔に返ってきた。

『美しい』。無になるよう、技に向き合う。それは『美しい』。初めて言われ、初めて……自分で認められる気になれた。

 その向き合いが、自己的だったのではないかと思うことがよくあったが、それしか出来ないから目をそらしていたところがある。

 だが『そこに向き合うことだけで、その思いに真摯であるならば、それは美しい』と教えてもらった気になったのだ。


 それからはもう。目の前の男性から目が離せなくなる。自然と正座でいたくなる。おもてなしに、凜とした姿勢で受け取りたい気持ちになる。

 出てきた和菓子も春らしく美しく、じっくり眺め、花南と一緒に舌鼓をうつ。


 漆黒の茶碗で丁寧に点てられた濃茶。黒と鮮やかな深緑のコントラストも美しい。


 茶道を嗜む花南に教わりながら、潔も茶道にならってお抹茶を味わう。

 飲み干した後も、茶碗を軽く眺めることも作法の一つ。できれば感想を述べるといいと花南から教わる。そんな作法に驚きつつも、そこは潔も工芸家、同じ職人としてしげしげと眺め、素直に素材や技巧について質問をする。それに対して着物の彼が丁寧に説明してくれる。


「素晴らしいです。陶芸はできませんから、なおさらに感銘を受けます」

「切子職人さんにそこまで感銘くださっていたこと、作り手の職人さんにお伝えいたします」


 また新たな興奮だった。堅苦しいものだと思っていたが、物を作る職人として、とても楽しい時間だった。


「楽しんでいただけましたでしょうか」

「はい。茶道に興味が湧きました。小樽に帰ったらお稽古ができるところを探そうと思います」


 その返答に花南はおろか、主人の勉も面食らっていた。


「お、親方ったら。ほんとにどうしちゃったんですか」

「え、うん……。世の中にはまだまだ知らないことがあって、楽しいことがいっぱいあったんだなと。ありがとう花南。そして勉さん……。素晴らしい体験をしました」

「えーー。親方が、茶道って……。えーー!」

「そんなにおかしいことかな」


 花南が『親方じゃない。遠藤親方ぽくない』と慌てふためいていたが、長兄の勉は満面の笑みを浮かべている。


「嬉しいですね。私のお点前で、茶道に目覚めてくださるだなんて」

「ご主人の姿が美しくて、美しくて。男として憧れました」


 またまた花南が目を丸くしている。そんな無邪気に興奮する親方は遠藤親方じゃないとまた騒いでいる。とうとう静かさを保っていた勉が『あはは』と声を立てて笑い出した。


 美しい着物姿の男性。洗練された仕草に作法。静かなおもてなし。料理人のセンスと技巧がつまった季節の和菓子。そして同じ工芸家としてリスペクトを刺激する陶芸で生まれた茶碗。なんという世界に出会ったことかという興奮だった。


 そして自分には見えなかった姿を、掬い上げてくれる人々との出会い。


 また『娘』のおかげと思ってしまう……。


 花南とご主人との和やかな会話を濃茶と共に楽しんだ。

 食事はこれにて全て完了となった時、また部屋の襖が開いた。今度は落ち着きある着物の女性が静かに入室する。

 勉がその女性を紹介してくれる。


「妻です。母の跡を継いで、女将を務めております」


 春らしい柄の着物を着こなしている女性が『いらっしゃいませ』と正座でご挨拶をしてくれる。

 そんな彼女のそばには、仲居が二名ほど付き添っていて、彼女たちが大きな木箱をそっとそっと室内へと搬入させる。


 そこで主人の勉が、潔へと告げる。


「倉重花南さん作の『螢川』です」


 弟子が金賞を受賞した作品が、ついに目の前にやってきた。

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