死があなたを赦すまで

@yomouyo

第1話   ボクの…願いは…

──敗けた…。


ここまで来て──…敗けた。


 うつ伏せに倒れた自分の身体から、血が生命が流れ出ていくのが分かる。


 しかし、それももう感じなくなってきている。生暖かい血が冷たい床に冷やされて、体温と感覚を奪っていく。


 撃たれた傷の焼ける様な痛みは慣れたのか、それとも最早そんな余裕はないのか感じなくなっていた。


 最早指の一本すらまともに動かせない、瞼を閉じているのか開いているのかから分からない。何も、見えない──。


 それなのに耳だけは未だにその機能を失わずその声を拾っていた。


「分かったか?これが現実…いや、運命だ」


 廊下に床にそして、あの『扉』に反響していつも以上に響く低い声。


「風香。お前はこの為に、生み出された。いや、生み出した」


そうか…そうだったのか──


 忘れていた、いや忘れようとしていた過去に教師から聞いた言葉を思い出して驚くほどあっさりとそして深く納得していた。


『この世の存在には全て意味があります』


 なんの授業だったか…確か午後の授業だったと思う。時間が余ったからといいて雑談とも独り言ともいえるような口調で彼は語りだした。


『それがあるから他の何か、或いは誰かが存在する物と、誰かが必要としたから生み出された物。例えば空気と水は前者』


 クラスメイトは一応は授業なので眠気に耐える事に精一杯だったり、適当に聞きながしていたけどボクは真面目に聞いていた…と思う。


『空気と水があるから生物は生きていけるのでは無くて、空気と水があるから生物は命は生まれた』


『後者は例えば椅子。疲れたから座りたい。けれども丁度良いものは探しても中々見つからない。例えば丁度良い切り株とかあったとしても外にあるし動かせない。だから木を加工して作った。こんな感じ』


 必要だから…生み出す──いや作り出した…か。ボクもそうなんだろうか?


『お前はあの2人とは違う』


 見下す、としか言いようの無い冷め切った声。


『出来損ない』


 吐き捨てするようにこちらを呼ぶ声。


『お前、生まれてくるんじゃなかったな』


 嘲笑いながら蹴り飛ばされたまま蹲っていると、胸ぐらを掴まれ、またも嘲笑しながらかけてきた言葉。


 父親の声を脳裏に、教師の声を耳に聞きながら考えていた。


 そうか、ボクにも存在する意味はあるのか…そう思い、それを支えに生きてきた。


 あの二人の様に優れた何かが無くても。今は認めて貰えなくても。存在する意味はあるんだ─と。


 それなのにいつ…いや、何故忘れてしまったんだろう?


 そうか…忘れたかったのか。誰もボクを認めてはくれないから。かけられる言葉は否定のもものだけだったから。


 その言葉を抱える事にもよりかかる事にも、意味なんて無いと分かったから。

 

 だけども今は違う…こいつは父親はボクを必要としている。


 その為にこの時の為に生み出し育てたのか。


 この場で殺す為に。


「さてと、まだ生きているな?」


 どうやら引き摺られているらしい。ズルズルという音が聞こえてくるし、アイツの声が近くに聴こえる。


 動け…払い除けろよ。コイツに、河池(かわち)の汚い腕を払い除けんだ──『何を望む』


 今までに聞いた事も無いような地鳴りを思わせる様な声…?が響く。


 その声は全てを拒絶する様なのに、何故だろう…とても心地よく感じる。柔らかな日差しを浴びて微睡に浸っている様な…とても安らぐ声。


『何を望む。何を差し出す。その代価は』


「望み?差し出す?代価?そんな物は決まっている!」


 謎の声に対してなのか、ただでさえ大きい川地の声がいつもより大きく叫ぶ様な調子で返す。


「差し出す代価はコイツ!風香っ!我が子だ!我が子の体!生命!風香の全て!」


 用済みとばかりにを投げ捨てるかのようにボクの腕を離す。


 ガチャ──


 耳元で、金属性の何かが落ちたような重たい音がした。


『良いだろう』


「う…」


 ボクの声どころか音にすらなっていない呻めきが喉の奥から溢れるがきっと誰にも届いていない。


 いつもそうだ、ボクの声は誰にも届かない…泣き声も──叫びも。


『ではまず、代価を受けとろう』

 

「っ…!」


 その瞬間、今までに味わったことの無い苦痛が押し寄せて来た。


 全身を上下に引きちぎられる様な痛みと頭から足までを握り潰されるかの様な痛みが同時に、口から内臓を引き出され全く別の何かを詰め込まれていく。そんな相反する感覚が全身を駆け巡る。


 この体に残った全ての血が沸騰したかの様に全身が熱く、内臓から凍りついていくかの様に全身が冷たい。


「グッ…ガ…」


 ボクはいま叫んでいるのか、呻いているのか、それとも…?いや、そもそも…生きているのか?


 『代価。確かに受け取った』

 

 どれぐらいの時間だったのだろう、数分?それとも数秒?…


 その声と共に全ての苦痛がまるで嘘の様に引く。それどころかむしろ…力が、いや生命が漲っていく様にすら感じる。


 聞こえる。脈打つ心臓の音が。


 聞こえる。呼吸の音が。


 見える。血に染まった床が。


 感じる。流れ出して冷めた血の冷たさが。


 動く。指先が。


 今なら…立ち上がれる!


『では望みは…何を欲する』


「そんな物は…!そんなの物は決まっている!!」


 立ち上がるが、同時にとてつもない違和感を感じる。


 なんだろう…全身がとてつもなく軽い。今ならどこへだって行ける。なんなら空さえも飛べるんじゃあないかとすら思える。


 今さっきまで死にかけていたのに…?いや、迷っている暇はない。視線を動かして状況を把握する。


 幸いな事に河池はボクに背を向けまるで銀行の金庫室の様な大きな扉に対してその両手を突いていた。


 そしてボクの足元には──拳銃が転がっていた。


 距離としては数歩程度。けれども、河池の注意は完全に扉へと向かっている。


 どうやらさっきからの声はこの扉の奥から響いているらしい。ならば…この、拳銃を…

 

 ズシリとした重みと生温い鉄の温度が手のひらに伝わり、その存在を主張する。


 軽く息を吐き、右手でグリップを掴み人差し指を引き金へと指をかける。


 震えを抑える為に左手を添えて照準を合わせる。狙いは…頭部。


 今自分がやろうとしている事を認識しながらもボクは驚く程に冷静だった。


『言え、望みを』


「この!扉の!」


 パァン!!


 命を奪おうとするにはあまりにも軽い乾いた音が響き両手に痺れるような衝撃が走る。


 ──────


「…外したな、風香」


 ゆっくりと振り向きながらこちらを睨む河池。


 弾丸は掠める事すらせずに、扉へとまるで飲み込まれるかのように向かっていった。


 そう、それが何故か見えた。


「恐れ故に態と外したのか?それとも、純粋に腕前の問題か?まあ、そんな事はどうでも良いがなっ!」


 素早くボクの腕を掴み捻り上げながら引き寄せると膝蹴りを腹へと打ち込まれ体がくの字に折れ曲がる。


 拳銃が奪われた…そう思う間も無く──


 パァン!!


 背中から右胸にかけて焼ける様な突き抜ける様な痛み!


「良い加減分かったか?お前は敗者!出来損ない!勝てないんだよ!!誰にも!!それが運命だ!!」


『代価は受け取った。さあ、望みを言え!早く!!』


 時間が惜しいのか、声は急かす様な調子に変わった。


 …望み?ボクの望みは─


 何故そうしようと思ったのかは分からない。けれども何故か分かった。


 叫ばなければならない。願いを。望みを。


 大きく息を吸い込み、全身に力を込める。


 いつもは、誰にも届かなかった。迎えを願う声も、助けを呼ぶ叫びも──


 いつもは誰にも届かなくても──


 今この瞬間だけは…


 ──届け…いや、届かさなければならない。届け!!

 

「望むのは!!この扉の!!「───っ!!」」


 振り返り叫ぶ河池の声に被せるように、割り込むように、掻き消すように…ボクは──叫んだ。


 ボクの望みを。


 全身から力が抜け膝から崩れ落ちると同時にボクの意識は途切れた。


 その時に浮かんだのは…


 あぁ、マスター…。

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