第30話 暴走機関車の車掌は泣いている

「菫さんとは、連絡は付いたんですか?」

「一応この場所にいるとは伝えたんだけど、あっちからの返信はないね」

 ジャングルジムと、小さな滑り台に、二・三個あるベンチと、数本の街灯。そんな、決して狭くは無いが広くも無い公園の真ん中で、俺とルナは恵美達を待っていた。

 恵美の心の中に入り込む。それがどんなことか分からないが、やはり菫さんには来て欲しいと思っている。

 俺とは違い、ずっと恵美と一緒にいたのだ。俺よりも恵美のことを知っているだろうし、菫さんも切実に、恵美のことを助けたいだろう。

 しかし、彼女にメッセージを送っても、返信は未だこない。ブロックされていたら、もう俺から彼女に連絡を取る手段はない。

 夜の公園にて、数本の街灯が光を出している。その周りに蛾などが集まっていて、雰囲気は少し不気味だ。こんな時間に、この公園に来る人もいない。

 ただ、魔族は来るようだった。

 公園の入り口から、歩いてくる女性が見える。姿は、魔族のままだった。

「逃げるなんて、酷いじゃん」

 しかし、気分は少しだけ冷静に戻ったみたいだ。

 そこにいるのは、ここ最近見ていた恵美だと感じる。

 明らかに人間ではない、その姿を除けば、だが。

「来ましたね」

 恵美の横には、黒い穴とその中の赤い双眸そうぼうが見える。

 魔族としてはそんなに強くないと知ったとはいえ、やはり相対すると少し怖い。

「……なるほど、サキュバスか」

 そのセリフには威圧感があった。

 まるで、サキュバスくらいの相手なら想定内だというような、デーモンの威圧感が。

「…………」

 対してルナは、デーモンに対して何も言わない。こちら側のアクションとしては、長い金髪が、風に揺られて靡くくらいだ。

 その姿が、普通に怖かった。

 私こそが格上の魔族だという風格があった。

「今度こそ貢物にさせてもらうわ、紗智」

 ルナに事前に言われた作戦では、恵美の精神の隙を作るため、少しの間俺は、恵美と戦わなければいけないらしい。

 レッサーデーモンはどれくらいの強さかとさきほど聞いたところ、ライオンより力は弱いらしい。

 それは果たして、答えなのだろうか。

 ライオンより力は弱いらしいが、それで言うと俺の力はライオンよりメチャクチャ弱い。

 そして、俺と恵美の頭脳は大体、どっこいどっこいくらいだろう。

 ……これ、大丈夫なのだろうか。

「貢物……、って言われてもね」

 黒い穴から、デーモンの体が出てくる。

 なるほどこれは、見た目はかなり強そうだった。二メートルほどの身長で、体は真っ暗でムキムキ。首は無く、二つの赤い目のすぐ真横に肩が来ていた。

「ウォォォォォォ!」

 そのデーモンが、吠えた。

 どうやらそれが戦いの合図だったようで、ルナは翼を一度羽ばたかせた後、とんでもない勢いでデーモンに突っ込んだ。

 俺は恵美を見る。

 あちらもどうやら、やる気みたいだ。

「行くよ、紗智」

 ルナはデーモンの攻撃が俺に届かないように、恵美とは距離を取り戦うと言っていた。

 つまり、咄嗟には助けに来てくれないということだ。

 本当に一対一の闘いとなる。男の闘いなら、それくらいやってみせろと、ルナに試されているのかもしれない。

 恵美が地面を蹴った。そのまま、猛スピードで俺の下に突っ込んでくる。

 俺はそれを、ボディで受けた。

 そういう作戦なんじゃない。

 単純に反応できなかっただけだ。

「うぐっ……!」

 なんとか当たる寸前にお腹に力を入れることは出来たが、逆に考えるとそれしか出来なかった。

 ちなみに俺に、格闘技の経験などない。

 小学生の頃に少しだけ、水泳をしていたくらいだ。運動も、人より少し得意くらい。

 脳内に、力不足の文字が浮かんだ。

 そんなことを考えている暇はなかった。

「どうしたの、紗智。えらい、従順じゃん」

 お腹にタックルをかまされた俺は、地面に背中から激突していた。肺の中から空気が漏れ「かはっ」という息が漏れる。

 そして恵美は、倒れた俺に馬乗りになっていた。

「なっさけな。女子に跨られて」

 彼女らしいといえば彼女らしい、下品な悪口だ。

 それを聞いて、逆に冷静になれたかもしれない。

 別れる時まで、恵美の悪口はよく聞いていた。そう考えれば、彼女の対処法に関して、俺の右に出るものは中々いないだろう。

 力不足じゃなく、存外、ハマり役かも。

 根拠のない自信が、俺の内を満たした。

 まだ死ぬなよという、体からの警告なのかもしれなかった。

「ここで俺のこと殺しちゃったら、デーモンに貢げないんじゃないのか?」

 精神の隙を作れと、ルナに言われている。

 どうやればいいのかよく分からないが、とにかく彼女の心を揺さぶればいいのだろう、多分。

 跨られると、彼女の顔の後ろから夜空が見える。公園の街灯のせいで、余り星は見えない。

「それは、そうだよ。だから、口答えできないようにここで痛めつけとくの」

 恵美の手には、とても長い爪が生えている。

 それをちらつかせて、俺のことを脅すつもりらしい。

「ってことは、俺を殺せないってことだろ?」

 ただ、殺されないということが分かっているなら、俺はかなり強気に出れる。

 俺が死にさえしなければ、ルナを一人にはしないから。

「まぁ、そうだけど……。あんたにも痛覚あるでしょ」

 恵美はそう言って、右手の爪を俺の左足に突き立てた。

 サクッと、土に爪が刺さった音がする。

 爪が土に刺さった。つまり、爪が俺の足を貫通した。

「いっっ……!!」

 正直、想像を絶する痛みだ。

 本当に、誇大なしに、今までの人生で一番痛い。

 さっき、死にさえしなければ大丈夫だなんて言ってたけど。

 今すぐ撤回してその爪を抜いて欲しい。

「アハハ! めちゃくちゃ痛そうじゃん! 無茶するからこんなことになるんだよー?」

 恵美は俺の上で笑っている。とんでもないサディストだこいつは。

「はっ? い、痛そう? どこが……? こんなの、ルナと喧嘩した時と比べて、屁でもないよ……!」

 口から出した言葉は戻せない。

 俺はどうせなら虚勢を張り続け、恵美を錯乱させつづけることにした。

 痛い。とてつもなく痛い。自分の太ももの中に、麻酔も何も無しに串のようなものが通ってるんだ。痛いし、冷たいし、何より異物感が本当に気持ち悪い。

 ただ、ここで止めてしまえば恵美を救えない。

 これを我慢すれば、恵美を救えるかもしれないんだ。

「何? まだそんな余裕あるんだ。へー」

 彼女は、突き立てた爪を動かす。爪は指の先に付いているのだから、動かすことなんて造作もないだろう。

 動かされるこっちは、たまったもんじゃないが。

「う、あっ……!」

 異物感が増す。指に棘が刺さるのでも嫌だった俺が、今や太ももが鉄串のようなもので貫かれている。人生、何があるのか分かったもんじゃないなぁと思う。

 というか、恵美の心を錯乱できている気がしない。

 彼女は、俺が挑発する毎に元気になっている気さえする。

「ほらほーら! そろそろ出血し過ぎて感覚無くなってきたんじゃない!?」

 こんなにはしゃいでいる恵美、いつ振りに見ることやら。

 いや、これは逆に言えばチャンスなのか? だってこんな恵美、いつもの恵美っぽくないもんな。

 これは、上手に心を揺さぶれているということでいいのだろうか。

「な、なぁっ……、恵美……」

 痛みに呻きながらも、こちらから攻撃をしかけてみることにする。

「なーに、紗智?」

 彼女は尚も、俺の太ももに突き刺した爪で遊ぶのに、執心していた。

 積み木でいつまでも遊んでいる、赤ん坊の様だ。

「どうしてお前……、ぬいぐるみ、捨ててなかったんだ……?」

 あのデーモンは、俺の体を掴めなかった。なぜか指が俺の体をすり抜けていった。

 その謎が俺は未だに、分からないでいた。

「ぬいぐるみ? ぬいぐるみって、なーんのぉ?」

 恵美はブレーキの壊れた機関車だ。このまま放っておけば、彼女のボルテージは上昇し続けるだろう。

 だから、その高いテンションに、とっておきの冷や水をぶっかける。

「俺が、誕生日に、渡したぬいぐるみだよ……」

 その言葉を聞いて、やっと思い出したのだろうか。

「誕生日、ぬいぐるみ……?」

 爪を動かす恵美の手が、止まった。

(紗智さん、今です)

 頭の中に文字が浮かぶ。これは正真正銘、ルナのテレパシーだ。

 動きが止まった恵美の頬に、俺はそっと触れた。

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