第13話 自分は人を幸せにできない

 あれからしばらく時間が経っても、ルナは俺の部屋で俯いていた。

 こういう時に、なんて声をかけていいのか分からない。

 恵美は、俺の元カノだ。今、こうやってルナを傷つけてしまったのも、俺のせいだ。

 ――やはり、俺は人を不幸にしてしまうのだろうか。

「……迷惑、でしたか?」

 ルナは俯きながら、独り言を呟く様に言った。

「……そんなこと、ないよ」

 やっぱり、なんて言ったらいいのかは分からない。

 でも、こんな上っ面だけの言葉じゃ、人の気持ちを変えられないことは知っていた。

「でも恵美さんは、紗智さんが迷惑してるって……!」

 上げた顔は、とても悲しそうだった。

 それでも泣いていないところが、気丈だ。

 誰が、こんな顔にさせたのだろう。

「恵美は関係ないよ」

「………………」

 沈黙が続いた。

 結局のところ、自分がどうしたいのか、それが分からなかった。

 ルナと恵美が自分にとってどんな存在なのか。それが分からなかった。

「……恵美さんとは、なんで別れたんですか」

 しばらくすると、またルナの方から喋りかけてくる。

「俺、から振った。彼女に、耐えきれなくて」

 それを聞いたルナは、しばらく黙り込んで、そしてもう一度俺に話しかけた。

「やっぱり、あっちに問題が?」

 それはどこか、ルナらしくない言葉だった。

 彼女が人のことを悪く言うのには、違和感があった。

「ち、違うよ。……恵美は、悪くないんだ」

 ルナの目が鋭くなった。その顔つきには、見覚えがある。

 最初に彼女と会ったとき、四年前のあの日の。ルナはそんな顔をしていた。

「なんで、あの人のことを庇うんですか?」

「え……?」

「別れてるはずじゃないですか。好きじゃないから、別れてるはずじゃないですか。なのになんで、まだその人のことを好き、みたいなことを言うんですか……?」

 彼女は、自らを傷つけながらそれを喋っている様に見えた。ただ、それを言うことで自分を守っているようにも思えた。

「わ、私は! 私は紗智さんのことが好きです! そこに、昔から知ってるとか、前付き合ってたとか、そんなこと……。そんなこと言われたって、困ります!!」

 せきを切ったようにルナから言葉が出てくる。中には俺に向けているのか分からない言葉もあった。

 少し暗い部屋では、彼女の髪は鈍く輝いている。

「……ごめん」

 何がごめんだ。そんなこと、自分でも思っていた。どの口がごめんなんて言っているのか。全部、自分の不手際が招いたことだ。

 あの時、恵美を強く拒絶していれば、ルナはこれだけ悲しんでいない。

 恵美を、強く拒絶する?

 そんなことした先に、誰かの幸せがあるのだろうか。

 誰かを不幸にした先に、誰かの幸せがあるのだろうか。

 その先で果たして自分は、笑えるのだろうか。

「……私も、ごめんなさい。こっちに来る時に、紗智さんの過去にどんなことがあっても、何も言わないって誓ってきたんです。……でも、私には無理でした」

 どうしてか、彼女は微笑んだ。

 その笑みが、自分に向けたものなのか、それとも彼女自身に向けたものなのかは、分からなかった。

「……今度こそ、窓から帰りますね」

「ん……。分かった」

 帰ろうとする彼女の背中を、引き留める資格は自分にないと思った。

 お互いがお互いを傷つけた。

 窓の外から飛んでいく彼女の後姿を視線から外して、俺は勉強へと向かった。

 やっぱり、今の自分では人を幸せにすることが出来ない。もっと立派な人間にならなければ。そのために、俺は勉強をしている。

 ペンを持つ手が震えるのを、必死に抑えて文字を書いた。

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