鬼と私と鬼
私は走る。
背後を振り返らなくても泣き出したくなるような威圧感が私を追って来ているのがわかった。
もはやこれが夢であろうとどうでもいい。
決して捕まってはいけないのだと理性ではなく本能が叫んでいた。
迫る圧迫感に耐えかねて石畳の道を外れて脇道に入る。
幾つもの分岐を過ぎて走っているのに、嫌な感覚は私を見失うどころか少しずつ近づいて来ている。
「なんでっ、何が起こってるの!?」
すでに息も絶え絶えで足ももつれる寸前だ。
どれだけ走っても背後の気配を振り切れる気がしない。
(……)
迫り来る恐怖に涙が溢れそうになった時、耳の奥に囁くような声が聞こえた。
残念ながら内容は聞き取れず、私は藁にもすがる思いで大きな声で問いかける。
「なに!?」
(……っ)
「だからなんて言っているの!?聞こえない!!」
(……此方だ)
集中すると少しずつ声が鮮明になり、その声が私を呼んでいるのだと理解できた。
不思議と声の方角はよく分かった。
この先、真っ直ぐのところから私は誰かに呼ばれている。
声の主に心当たりなどない。
けれどこのままでは必ず追いつかれる。
本当の意味で藁にも縋るような思いだった。
声の方へと私は必死に走る。
それよりもなお早く背後の気配は近づいて来ている。
振り返ってはいないけれど、振り返れば手を伸ばされると届く距離にいるような気さえする。
(此方だ。急げ)
「分かってるって!」
私は必死に走り、そしてついに開けた場所へとたどり着いた。
中央には一際大きな大木が一本。
その周囲はまるで誰かにくり抜かれたかのように、綺麗な円状に木々が消えている。
背後に迫る気配に押されて止まりそうになった足を動かし中央の木の元へ向かった。
「どこなの!?」
(此処だ。時間がないぞ)
声がするのは目前の大樹の近く。
いや、大樹そのものから声が響いているようだった。
しかしあたりを見渡しても誰もいない。
人がいないどころか虫も鳥も生き物の気配一つすらない。
ただ根本に一本の古びた木製の杭が刺さっているだけだ。
その絶望に思わず振り返ると、先ほどの鬼が鬼気迫る表情でほんの数秒程の距離にいた。
(杭を抜け!!)
先程までとは比べ物にならない程大きな声に私は考える間もなく従った。
ただ必死で転がるように杭の前に跪き、杭に両手をかける。
「クソッ、それに触るな!!」
背後から聞こえる鬼の声。
しかしその言葉を言い終えるよりも早く私は動いていた。
「な、なにっ!?」
けれど私はすぐさまそれを後悔することになる。
引き抜いた杭の根本から溢れ出したのは赤黒いドロドロとした煙。
そして身の毛が弥立つ寒気と圧迫感。
それはもはや恐怖ですらなく、ただひたすらの絶望だった。
私が腰を抜かしたまま震えながら背後へ後退ると、先程まで追いかけてきていた鬼の足に背が触れた。
あまりの衝撃で忘れていた背後の鬼を思い出し体を震わせたが、振り返って見た鬼は私に視線を送ることすらなく次第に人型へと変わる煙を睨んでいる。
「やってくれたな、小夜」
赤黒い霧は私の名前を呼び、そして腕を振るうと霧が消えてその姿がはっきりと見えた。
灰色の乱れ髪、左右で長さが違う二本の角、赤い虹彩は野生的な眼光を放ち、鍛え上げられた上体を風に晒す、正しく『鬼』だった。
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