第5話 新しい人生(1)

 それから1週間後、牧夫は病院にいた。けがは順調に治り、あと数日で退院となった。


 牧夫は退院を楽しみにしていた。だが、無職なことに変わりはない。再就職しなければならない。早く決めなければ生活が厳しい。過去のことを消すことはできないけど、努力しなければ。


 牧夫は窓から大阪の景色を見ていた。新世界の通天閣が見える。今日も多くの人で賑わっている。次に来れるのはいつだろう。再就職を決めて、仕事が安定したらまた行きたいな。


「牧ちゃん、久しぶりやね」


 誰かの声に気付き、牧夫は振り向いた。そこには、純一がいた。小学校時代の同級生だ。純一は卒業後、和歌山の実家に引っ越していた。


「純一くん!」


 牧夫は驚いた。まさか純一が来てくれるとは。牧夫は立ち上がり、抱き合って再会を喜んだ。


「自殺しようとしたってニュース聞いて、すっ飛んできたんよ」


 純一は、朝のニュースで牧夫が自殺を図ったと知って、大阪にやって来た。少し遅れたのは、梅農家をやっていて、忙しかったからだ。


「ごめんね。こんなことしちゃって」


 牧夫は謝った。自ら命を絶とうとして、みんなを騒がせてしまったことを悔やんでいた。また頑張って生きよう。再就職しよう。


「自分の命は大切にな」

「わかった」


 純一は笑顔を見せた。何とかして牧夫を励ましたい。立ち直ってほしい。また頑張ってほしい。


「牧ちゃん、梅農家の手伝いしてみんか?」


 突然、純一は提案した。ここ最近、農家の高齢化や死去によって減って、人手が足りないという。


「えっ!?」


 牧夫は驚いた。まさか、こんなところで仕事をしてくれと言われるとは。


「牧ちゃんは工場に勤めとったし、社長だったから力あるでしょ? その力があったらできると思うで」

「そうかな? 社長としてあんなことしたけど」


 牧夫はパワハラのことを引きずっていた。どうせパワハラのことでまたクビになるんだ。結局自分はいつもそうなんだ。それを一生背負って生きていかなければならないんだ。


「気にすんな。全てを忘れて僕の所でひっそりと暮らそうや」


 純一は肩を叩いた。パワハラのことも知っている。みんな承知している。そんなこと気にしないと言っている。だから、今までの過去を全部忘れて、ここでのんびり生きよう。


「じゃあ、いい方向に考えとくわ」


 牧夫は戸惑っていた。これで本当にいいのか。長年住んだ大阪を離れることになるけど、それでいいのか。


「ありがとう」


 純一は病院を後にした。純一は牧夫は和歌山に来てくれると信じていた。一緒に梅農家を手伝ってくれると信じていた。


 牧夫はその様子をじっと見ていた。大阪を離れて和歌山に行ってもいいのか? それで本当に自分の罪を償うことができるんだろうか? 牧夫の心は揺れていた。




 その夜、牧夫は大阪の夜景を見ていた。今まで当たり前のように見てきた大阪の夜景。今日も美しい。通天閣は色で明日の天気を伝えている。和歌山の梅農家に行けばもう見られないかもしれない。


「どうしたんや、牧さん」


 太郎だ。牧夫のことが心配でやって来た。


「今日、小学校時代の友達がやって来たんや」

「ふーん」


 太郎はそのことを知らなかった。純一のことすら知らなかった。


「和歌山で梅農家しないかって」

「そうか」


 太郎は考えた。まさかこんなところから来てほしいと依頼があったとは。社長だった牧夫は人脈が広いな。


「どうしようかなって思って」


 牧夫は考えていた。今までの人生を全てリセットして和歌山で人生を1からやり直そう。でも、太郎はそれを認めてくれるだろうか。牧夫は不安だった。


「いいじゃないの。今までの過去を全て忘れて、農業をしながらスローライフを送るのもいいよ。心の傷もいやせるだろうし」


 突然言われたが、太郎はその考えに賛成だった。離れ離れになるのがそんなに辛くなかった。新たな旅立ちをする牧夫を歓迎していた。


「そうかな?」


 牧夫は疑問に思っていた。こんなことで心の傷をいやせるんだろうか。1からやり直しても自分の罪は一生残る。心の傷もいやすことはできないだろう。


「きっとそうだよ。行ってみなよ」


 太郎は肩を叩いた。新しい人生を送ろうとする牧夫を応援していた。


「・・・、うん、伝えておく」


 牧夫は決意した。退院したら、和歌山に向かい、梅農家になろう。それまでに、何かやり残したことがあれば、やっておきたい。




 次の日も、牧夫は病院で目が覚めた。色々あったけど、あと2日で退院だ。色々あったけどもうすぐ新しい生活に入る。今日は雨が降っている。昨日は快晴だったのに。この時期の天気は変わりやすい。


 ナースが牧夫の病室にやって来た。ナースは朝食の載ったワゴンを押している。朝食を届けに来たようだ。


「朝食です」


 ナースは牧夫に朝食を届けた。ナースは笑顔を見せた。


「あ、ありがとうございます」

「あと少しで退院ですね。よかったですね」


 牧夫はお辞儀をした。ナースはワゴンを引いて、病室を出た。


 朝食を食べながら、牧夫は考えていた。今朝、純一に話そう。退院後、梅農家を手伝うと話そう。もう迷いはない。和歌山で新しい人生を歩もう。


 朝食後、牧夫は1階の公衆電話に向かった。純一はどんな反応をするんだろう。結局、過去のことが尾を引いて見送りになったらどうしよう。またここで探さなければならない。もう自分にはいい仕事が見つからないだろう。


 牧夫は電話をかけた。10秒後、誰かが電話に出た。純一だ。


「もしもし、純一くん?」

「はい」


 純一だ。純一は朝食を食べてのんびりしていた。


「牧ちゃんだけど、梅農家の手伝いをしようかなと思って」

「そうか、決めたんやね。ありがとう」


 純一は嬉しかった。牧夫が来ることを望んでいた。


「退院したら直にそっちに行くから。待っといてね」

「うん」


 牧夫は電話を切った。退院したら、大阪を巡って自分の半生を考えよう。そして、生まれ育った大阪の風景を目に焼き付けておこう。


「結局大阪を離れるんだね」


 誰かの声に気付き、牧夫は後ろを振り向いた。太郎だ。牧夫の電話を後ろで聞いていた。太郎は寂しそうだ。あいりんで出会い、今まで一緒に頑張ってきた。それももうすぐ終わる。今までありがとう。


「うん」

「ずいぶんお世話になったな」


 太郎と牧夫は握手をした。今までありがとう。和歌山に行ってもまた戻ってこい。


「ああ。今までありがとな」

「どういたしまして」


 太郎はお辞儀をした。牧夫は誓った。いつかまたこの大阪で会おう。何年後でもいい。その時は定職に就いて、安定した生活を送っていてほしい。

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