第6話 嫌いなはずなのに ―③
オシャレなカフェで一休み。
向かい合って座るボクと先輩。
そして、ボクの隣の椅子に置かれた、袋から不気味な顔を出す緑の宇宙人。
ボクは何ともいたたまれない気持ちでホットコーヒーをすすった。
その光景を見て、先輩がクスクスと笑う。
「いつまで笑ってるんですか?」
「だって、このお店でそのぬいぐるみはシュールだからっ」
「ちょっと、先輩だってこのぬいぐるみ変だって思ってるんじゃないですかっ」
「可愛いとは思うけどね。ただ似合わないなって」
「この恨み、忘れませんからね?」
「いいよ」
「え」
先輩はフラペチーノのタンブラーを握り込んだ。
いつものにこやかな表情だが、その目はどこか遠くへ――いつか先の未来へと向けられているような感じがした。
「わたしのこと忘れないのなら、なんだっていい」
「そ、そうですか」
まったく、不意打ちだ。
ついさっきまでおふざけモードだったのに、急にそんな儚げな表情をするなんてずるすぎる。
それにしても、そっか……。
やっぱり先輩も、いつか訪れる別れの日を意識しているんだ……。
先輩にはドッペルゲンガーとしての段階が進んだことは黙っている。
それでも、いずれは別れの日が来ることは恐らく変わらない事実。
先輩もそう分かっているのである。
先輩は一度ボクに優しく微笑むと、握り込んでいたフラペチーノを口へと運び――
「ぶへっ」
――むせた。
えぇ……ここで?
せっかく珍しく先輩が格好良く見えていたのに……。
どこまでも決まらない人だ。
「大丈夫ですか?」
「ごめんごめん。これが思ってた20倍くらい不味くて~」
先輩が恥ずかしそうに苦笑しながら、口元を紙ナプキンで拭い、フラペチーノを指先でつついた。
「それ、なんですか……?」
「えへへ、飲む~?」
「飲んでほしそうな顔してますね」
「うん! ぜひとも!」
先輩のタンブラーを拝借し、一口。
「うえっ、まっずいですこれ!」
最初に頭がクラッとするほどの甘さが襲ってきたかと思いきや、すぐに謎の苦さや酸っぱさが追いかけてきた。
一体何を入れたらこんな味になるというのだろう。
「透子スペシャルだよ。ほらここってチョコソースやミルクとかのトッピング入れ放題じゃん。だからつい張り切ったんだけど……なんだか変な味になっちゃった。反省反省~」
「深く反省してください。そして店員さんに謝罪してください。ボクも一緒に謝ってあげますから」
確か先輩は新作のフラペチーノを注文していた。
それなのにこんな魔の飲み物に改造してしまうなんて。
いくら入れ放題だからといえども。
ちょっと子どもっぽすぎる。
これも先輩の悪いところ。嫌いなところだ。
「でもちゃんと責任もって飲むよ~」
ボクからタンブラーを受け取り、一気に煽る。
口いっぱいにフラペチーノを含み、強烈な味に悶えながらもどうにか飲み込んでいた。
「……うぇ、あれ……段々美味しく感じてきた」
いやいや、そんなはずない。
先輩はセンスだけでなく味覚まで狂ってしまったのだろうか。
「ねえ、明」
「はい」
「今日の明はよく笑うね」
「え」
いや、それはあり得ない。
今日に限って、ボクがよく笑っていたなんて。
だってボクは今日一日ずっと、先輩の嫌いなところを探していたのだ。
先輩の
先輩と心の距離を置こうとして。
それなのに、よく笑っていたなんて。
こんなにも今日が楽しく感じたなんて……。
そう、ボクはこのデートが楽しかったのだ。
先輩のおかしなセンスを目の当たりにし、先輩に振り回され、子どもっぽいところも知った。
それは全部、先輩の悪いところだ。
だけど、嫌いなところではない。
センスがおかしかったり子どもっぽい一面はなんだか可愛らしいし、振り回しつつも引っ張っていってくれるところは新鮮な体験ができていい。
そう、ボクは先輩の良いところだけでなく、悪いところも含めて好いてしまっているのである。
「先輩は、ずるいです」
「は、なんで!?」
いっそ、もっと引くくらい嫌いなところがあってくれればよかったのに。
そうすれば、こんな苦しむことはなかったのに。
これではただ可愛いだけ。
こんなので嫌いになるなんて不可能。
ああ、もうやめだ。
抵抗は諦めた。降参である。
ボクは先輩が好き。
たとえ一緒にいられる時間が短くなろうとも、もうその感情に嘘はつかない。
先輩だってなんだかんだ言いつつ、別れの時の覚悟をしているのだ。
ならば、ボクだけが逃げるわけにもいかない。
残された先輩との時間を純粋に楽しみ、しっかり記憶に残すことに集中しよう。
ボクは深呼吸をして、先輩のフラペチーノを取り上げた。
「あぇ、明……?」
そして大きく一口飲み込む。
「まっずい……」
でも、愚かな考えを正しいと思い込んでいた自分にはいい罰だ。
なんだか頭がすっきりした。
「先輩、今日もありがとうございました。また明日も一緒に遊んでくれますか?」
たった今のボクの行動に疑問符を浮かべていた先輩の顔が一気に輝きだした。
「うん、もちろんだよ! いつの何時からにする? どこで遊ぶ?」
二人でスマホのスケジュール帳を開き、これからの予定を立てた。
互いのやりたいことや行きたい場所を話し合う。
やりたいことも行きたい場所もいっぱいだ。
計画的にこなしていかなければ。
夏休みは短いのだから。
「でもさ、えへへ~、明から誘ってくれるなんて珍しいね」
「気分です」
「うん、そっか」
そう言う先輩の顔は、今にも溶けてしまいそうなほど嬉しそうだった。
その顔が見られただけでも、素直になってよかったと思えてしまう自分がいた。
◆◇◇◇◇
その日の帰り道は、ふわふわとした幸せな気持ちに包まれていた。
ずっと肩にのしかかっていた変な重りが取れた気分。
足取りは図らずもステップを踏むようになってしまい、空がいつもより広く見えた。
「ただいま」
玄関の戸を開けて、靴を脱ぎ家へと上がる。
まずは真っ直ぐキッチンへ。
キッチンの戸を開けた瞬間、食欲をそそるスパイスの香りが鼻を刺激した。
今日の夕食はカレーのようである。
やった。
カレーはボクの大好物。
さらに気分が高揚する。
「あら明ちゃん、今日はいつも以上にご機嫌だわねぇ」
コンロスペースで鍋をかき混ぜるお母さんが振り向いて迎えてくれた。
ボクの顔を見るなり、温かい笑みを浮かべる。
「今日のおでかけも楽しかったかしら?」
「うん、そんなところ」
手を洗い、お母さんの隣に立ち鍋を覗き込む。
ぐつぐつと煮込まれたカレー。
ほどよくとろみがあり、もうすぐ完成といったところだろう。
「美味しそうな香り」
「そう、明ちゃんの好きな辛口カレー。ちょっと味見する?」
「うん」
実はちょっとこれを期待していた。
お母さんがボクの舌に合わせて作ってくれるカレー。
市販のルーにいくらかスパイスや隠し味を追加しているおかげで、辛みとコクが効いていて他とは段違いに美味しい。
今すぐにでもそれを味わいたかったのである。
お母さんから匙を受け取り、カレーを掬って口へ。
しかし――
「けほっこほっ」
――辛みが喉に引っかかり、むせてしまった。
続いて舌を焼いているような痛みが走る。
「あら大丈夫? はい、お水」
「あ、ありがとうっ」
お母さんから水を受け取って一気に飲み干す。
よかった、少し落ち着いた。
「ちょっと辛くしすぎちゃったかしら。分量はいつもと同じはずなんだけど」
おかしい。
これでもボクは激辛には自信がある。
辛味でこんなに苦しんだのは初めてだ。
まるで味覚が自分のものではなくなってしまったみたい……。
……あ、そういうことか。
ボクは喉元を押さえてお母さんに言う。
「ううん、今日はちょっと喉の調子が悪いせいかも」
「そうなの? じゃあ、今日はもう少しまろやかに調整するわね」
「ありがとう」
ボクは空になったコップをシンクに置き、水を出した。
見る見るうちにコップの中には水が満たされていく。
――第二段階、趣味趣向
この段階ではいわゆる好みが変化する。
つまり、味の好みも。
段階が進んだ。
別れの時は第三段階。
先輩と一緒にいられる時間は、あとわずか。
気付けばコップは水で満ち、溢れかえっていた。
ボクは蛇口を閉め、いっぱいになったコップを見つめていた。
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