主人公の少年は不登校になり、同時に、言葉をうまく発することができなくなってしまいます。
多忙で放任主義の両親は不在がちで、高級マンションの一室で浪人生の姉と過ごす閉塞的な日々。
いつしかだれかに名前を呼ばれることもなく、姉はともすれば憎しみのような口調で、彼を「ドモリ」と呼びます。
"8月31日の夜"、「学校なんて行かなくてもいい」という言葉が溢れたムーブメントへの、ともすればアンチテーゼのようなかたちでこの物語は始まります。
私自身が子どものころ、学校へ行きたくなかった日のこと、それでも学校へ行った日、学校へ来なくなってしまった子のこと。そして9月1日、潮が引くように8月31日の夜は去り、学校へ行かなくなった子どもたちを置き去りにして、世界は動いていくということを思いました。
停滞する日々の中、ドモリとよばれた少年は、同じ名を自ら名乗るインターネットのチャットに居場所を見出します。
そしてある日、とある行動をとってしまったことから反射的に家を飛び出し、インターネットで知り合った唯一の友人の居る場所、街の外れにある「ゲーセン」へ向かうのです。
打ち捨てられた廃墟のような「ゲーセン」。そこに住むひとたちの姿は、ともすれば変わり者、アウトローのようでもありますが、同時に皆とても魅力的です。
陳腐な言い方をすれば「キャラが生きている」というのでしょうか、強いキャラクターをリアルに、人間らしく、まるでそこに居て対峙しているように描き出す筆者の力を感じました。
さまざまなひとたちとの出会いは、少年に驚きや、悲しみや怒り、うれしさ、そして変化をもたらします。
そして、少年がこれまで知らずに生きてきた、自分(や姉)ではない他者の、悲しみや怒りや、痛み、それぞれの人生も。
それらについて少年は、あるときはどもりながら、あるときはどもらずに、話し、そして、相手のことも知っていきます。
夜空に聳え立つ「ゲーセン」の、殺伐としながらどこか温かいような佇まいが、目に浮かぶようです。
物語の後半、少年は、姉の部屋から流れていた知らない音楽が、姉からのひとつのメッセージであったことを知ります。
そして、自分自身のために、姉のために、ゲーセンで出会った友人のために、彼が取ることを決めた行動とは…。
ゲームについて私はよく知らないのですが、ドモリが「ゲーセン」で暮らしていた日々は、ある意味で、「セーブポイント」のようなものなのかな、と思います。ここへ帰れる、と思う場所です。
自分自身を受け容れ、変化する勇気をもったとき、少年は立ち上がり、そして走り出します。
そこから終盤までの疾走感は、目を見張るほど痛快です。
吃音についても私は詳しく知らず、偉そうに語る言葉をもちませんが、
「どもりを直す」ことと、
「どもるまま生きていく」こと、
どちらが望ましいのかという問いの答えは、吃音をもつ当事者の方たちのあいだでも、考えがわかれるものだときいたことがあります。
どちらが望ましいとしても、どちらかがつらいとしても、いまのこの世界では、吃音は(そして、その他の不具合とされるいろいろなことも)消すべきバグとして捉えられるのでしょう。
バグも、ときには愛おしいもののはずです。たぶん。完全体じゃないから人間だし、それぞれの抱える欠陥も含めて、そのひと自身の、完全体であるはずなのに。
少年は、ゲーセンという「どもってもいい」と思える場所を見つけて、すこし強くなりました。
綺麗事かもしれませんが、身体に心にバグを抱えてしまった少年少女その他すべての人が、バグを自分で愛せるまではいかなくても、仕様として受け止められる、バグごと自らを受け容れてもらえるような場所に、出会えるといいなあ、と思いました。
「ダダヂヂ」とは、テレビゲームに登場する、実在の(?)"最強の呪文"、なのだそうです。
心が弱くなってしまったとき、自分自身のもつなにかを、消すべきバグだと思ってしまったとき、わたしも心の中で唱えてみようと思います。
「ダダダダダダダヂヂヂヂヂヂヂヅヅヅヅヅヅヅデデデデデデデ、
……ドドーン!」
すてきな小説をありがとうございました。
主人公は不登校の少年。
彼は学校に行かなくなってから吃音の症状が出て上手く喋れません。
彼の抱えている問題は不登校と吃音以外にもあります。
それは姉の存在です。
物語では不登校になったこと、吃音のこと、そして姉のことが克明に語られます。
彼の抱える問題は、彼の世界の見え方に直結しています。
それゆえに物語の中で出会うものや起こる出来事が彼にとってどのような意味があるのかを示す、ある種の基準となっているのです。
そうやって座標を明確にしながら進んでいくところもこの物語の大きな魅力です。
物語の途中で主人公は巨大なゲームセンターを訪れます。
まるで異世界めいた建物の中にいても、基準となる現実は離れることがありません。
非日常に身を置こうとも現実との強い結びつきは薄れないのです。
ですから読者は彼の感じている現実をとことん味わえます。
少年の心を追う、非常に読み応えのある作品です。