4. 紫紺のpuzzlement

4-1

 1学期の期末試験は、みんな必死だった。この試験が、推薦試験に成績の一部として反映される最後の試験だったからだ。


 僕は割と人気のある先進理工学部を志望していた。蘭は僕の志望学部を聞くと、人気なんでしょ? 頑張って! と言って、僕の苦手分野の勉強をサポートしてくれた。そのおかげで、全体的に点数が良くなった。……蘭には及ばなかったけれど。



 試験後の登校日の帰り、蘭に「今日、暇?」と聞かれた。僕は頷いて“木漏れ日の里”に向かった。


 とても暑かったので、冷房の効いた室内のソファに座った。僕は恐る恐る、蘭に進路のことを聞いてみた。


「蘭は、高校卒業したら、どうするの?」

「んー。とりあえず働くつもり」

「そうなの?」

「うん。だってここの方に拾ってもらわなかったら、今頃私どうしてたか分からないもん。だから卒業したら働いて、少しでもここの方々に恩返し、したいんだ」

「すごく優秀だから、大学に行く価値があるのに」


 お世辞ではなくて、本音だった。彼女には学び続ける価値がある。


「優秀ではなくて、ちょっと得意なだけだよ? それに今から受験とか、あまり考えたくないし……。私も響也と同じような分野に興味があるから、響也が合格して大学に通ったら色々教えてもらおうかなぁ~」

「僕が教えるの? 今まで蘭に教わってた身なのに?」

「私に教わってたからこそ、今度は教えてくれてもよくなーい?」


 意地悪そうに笑うけれど、やはりその表情には優しさが残っていた。心のどこかで蘭と共にキャンパスライフを送ることを夢見ていたけれど、やはり現実にすることは難しそうだった。


 2人で涼みながらアイスを食べていると、例の子ども達がやってきた。


「このまえのおにいちゃんだ!」

「らんねえがおせわになってますっ」


 ちょっと、そんな言葉どこで覚えたの?! と驚く蘭に、えらいでしょ? と子どもがご褒美をねだった。子どもの成長は想像以上に早い。僕達は目を見合わせて笑った。


 夏休みに入ってからも、僕は何度か“木漏れ日の里”に足を運んだ。スタッフの方とも顔なじみになってきた。僕は可愛い子ども達と、美しい蘭に会うために通ったのだった。




 8月になった。僕は時々“木漏れ日の里”に通いながら、雛さんからの帰国の連絡を待っていた。


 ある日、ついに電話が鳴った。桃を切る手を止めて、伯母が受話器を取った。


「もしもし?……あぁ雛! もう8月だよ、いつ帰ってくるの? 響也くんが待ってるよ」


 相手がアメリカで活躍する妹だと分かり、伯母の言語は少し拙い英語に切り替わった。祖母は英語が流暢だったけれど、伯母は英語が苦手だとよく言っていた。それでも妹に合わせ続けていた。


 僕が待ってる、という言い方は少し照れくさかったけど、黙って聞いていた。


「……え? 雛そんなこと今までにあった?……うん、分かるけど……。あ、響也くんに代わろうか? うん、うんうん……そっか。じゃあ伝えとくわ。落ち着いたらすぐ連絡ちょうだい!」


 電話は短時間で切られた。リビングにいた僕に、伯母は寂しそうに話した。


「雛、今月帰って来れそうにないんだって」

「え?」


 今までの50回、1度も会う月がずれたことはなかった。どんなに忙しくても時期は必ず守って、パソコンと10冊くらいの資料と共に帰国したこともあった。仕事があっても僕と会う時間は大切にして、僕が寝ている時や飛行機の中で残った仕事をこなしていたようだった。母親として最低限できることを、必死にしてくれていたのだと思う。それは僕にもちゃんと伝わっていた。


 その雛さんが、帰ってこられないなんて。


「何か、ケガとか病気でもした……?」

「ううん。今までで1番、研究が忙しいみたい。帰れるかどうかギリギリまで迷ってたみたいなんだけど、全く手が離せないらしくて、今の電話も何とか時間を見つけてかけてきた、みたいな感じだった」

「そっか……」

「響也くん、ただでさえ雛となかなか会えないのに。私から言っても無駄かもしれないけど、ごめんね」

「いやいや! 伯母さんが謝ることじゃないから!……雛さんは大事な研究をしてるはずだから、仕方ないよ」


 僕は雛さんをフォローするけれど、伯母はそっと目を伏せた。


「でもあの子、母親の死に目にも……」

「それは言わない、って、約束しなかった……?」

「あっ、ごめん……」

「雛さんもおばあちゃんのことは大切に想ってたはずだよ、亡くなったって話したら、すごい泣いてたじゃん」

「そうだね……おばあちゃんも多分、今の雛のことずっと応援してるよね」

「うん。だから、また雛さんと会えるの待ってる」


 早く研究ひと段落しないかな、こっち来なさい! って鬼電してやりたいわぁ! と伯母はちょっと大きな声で言った。すごく忙しい人だけど、雛さんは愛されているな、と感じた。

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