2. あいな様
日が落ちたあとの訪問にもかかわらず、あいな様は私を居室に通してくれた。居室といっても、生活感があるわけでもない。窓があり、きれいに畳まれた布団があり、古いが掃き清められた畳があり、人一人が食事するのが精一杯のちゃぶ台があるだけの部屋だった。ただ、ちゃぶ台に載せられた注射器や採血管が、簡素な和室には異様だった。
「あなたも私の血が欲しいのね」
私の正面に座る少女——あいな様は、感情の起伏の薄い声でそう言った。年の頃は中学生頃のように見えるが、その佇まいと口調は老成した何かを感じさせ、軽んじることを許さない威厳さえ含まれていた。長い髪は整髪料の気配もないのに艶やかで、黒い和装とよく似合っている。微笑みを浮かべた顔も、その所作も、何もかもが自然体で、美しかった。
「はい。でも……」
「遠慮はいらないわ。ほんの少しで効果があるみたいなの。注射器であなたの体内に入れてしまえば——もしキャリアでなくても、あなたは例の病を発症する。二十日ほどで意識が戻らなくなるから、用事を済ませるならそれまでにね」
俗に“幸福症候群”と呼ばれる病。
それを発症させるウイルスを体内で生成しながら、自身は発症しない特異体質者が、彼女だった。その情報を得るのには少しだけ苦労したけれど。
慣れた手つきで彼女は自身の腕から血を採る。
「集落の人達は、誰……?」
「みんな、元々の村の人達というわけではないわ。例の病が発症するまでの間、世間から避難するためにここにいるだけ。ついでに私の世話もしてくれてるの。発症が近くなればみんないなくなるけれど、その前にまた新しい人達がやってくるから、数十人くらいは常にいるわね」
切れ長の目を細めながら彼女は言う。しかしそれは、十数日で他者との出会いと死に別れを繰り返しているということではないのか。目の前の人間が、自分の血液によって死んでいくのを見送り続けるというのは——どういった気持ちに、なるのだろう。
「あなたが思うほど、悪いものでもないの」
見透かしたように、彼女は言う。
「あなたは——生きるのと、幸せになるの、どちらがいい?」
「それは——」
あいな様が、自身の血が入った小さな採血管を差し出す。
私にとっては、それは神様がくれた果実のよう。
取り落とさないよう、震える手を必死になだめながら受け取ろうとして——
「動くな」
私の背後から、暗く重い男の声と、硬質な撃鉄の音が響いた。
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