円環の子

秋村涼

墓荒らし(1)

 昨晩の大嵐が嘘のようであった。


 穏やかな風、雲一つない青空、そして人々の営みの音。嵐の名残か、空気は少し湿って感じられた。真霧さなぎりはその空気を胸いっぱい吸い込む。若草と雨と土の匂い。初夏は彼の一等好きな季節だ。


「真霧様、真霧様ー、いずこにいらっしゃいますかー」


 足下から己を呼ぶ声がする。その声を聞いた真霧は一瞬の逡巡のあと、抜き足差し足でに近づき、腹ばいになる。そして足音が最も大きくなった瞬間に、そっと頭を突き出した。


 逆さまになった世界の中、己を探し回っていた家人けにんの顔が、文字通り目と鼻の先にあった。


「ここだ蜘蛛丸」

「うわああっ!?」


 家人--蜘蛛丸が情けない声を上げて転んだ。その様子があまりに滑稽で、真霧は大声で笑いそうになった。それを無理矢理押し込めたため、口角が妙な形にゆがむ。


 腰を強か打ったらしい蜘蛛丸は、勘弁してくださいよぉ・・・・・・と恨めしげに言いながら、よろよろと立ち上がった。


「姿が見えないと思ったら、そんなところで何をしているんです?」

「昨日はひどい嵐だっただろう? 屋根が壊れていないか検分しておったのだ」

「屋根に上りたかったんですね」

「違うぞ」


 すかさず否定するが、この家人は全く信じていないようだった。はいはい、と困ったように笑う顔は真霧を子供扱いしているようで、彼としてはあまり面白くない。


 だが「子供扱いするな」と文句を言っても「加冠もまだではありませんか」と言い返されるのは目に見えていた。実際、似たような会話をもう何度もしている。


「いい眺めでしょうねえ」


 孫を見る爺のような顔で、蜘蛛丸が言う。外見は二十半ばだというのに、彼の言動は時折妙に年寄り臭い。


「ああ。蜘蛛丸も上がってみるといい」

「そうしましょうかねえ。屋根が壊れていないか、私も見てみませんと」


 そう言い訳をして、蜘蛛丸は簀子すのこから庭へ降りる。軽く膝を曲げて地面を蹴ると、屋根の端を掴み、易々と屋根の上へとよじ登った。


 真霧は体を起こす。頭に上った血が正しく流れていくのを感じた。


「いや、これは中々の眺めで」

「そうだろう? 一条戻り橋までよく見える」


 真霧は屋根に腰を下ろして蜘蛛丸を見上げた。蜘蛛丸は目にひさしを作り、上半身を回して周囲を遠望している。


「あ、とびですよ真霧様」

「本当だ・・・・・・あ!」


 屋根の上にいる二人の更に上空、鳴き声を上げながら飛ぶ鳶に、黒い影が突進した。烏だ。鳶はかわすが、烏はすかさず体を返して追う。二匹はもつれ合い、翼と爪とで激しく打ち合う。


「おお、中々激しい喧嘩ですねえ。どちらが勝つでしょうか」

「賭けるか?」

「何を賭けましょう」

「そうだな・・・・・・負けた方が屋根の補修をするのはどうだ」


 蜘蛛丸は足下に視線を落とした。景色に気を取られていたが、よく見ると所々屋根の板が剥がれている。


「賭けなどせずとも私が直しますのに」

「そう言うな。私は鳶に賭けるぞ」

「・・・・・・では私は烏で」

「その賭け、私もよろしいか」


 二人の肩がびくりと跳ねる。庭に、一人の男が立っていた。藍色の褐衣かちえを着た壮年の男だ。武官の風体だが太刀もえびらも身につけていない。袖からのぞく手には、指の先まで隙間なく布が巻かれていた。


 賭けに乗り気な言葉とは裏腹に、二人を見上げる表情は険しい。


「いや、これは、俺たちは屋根を検分していただけで」


 蜘蛛丸がうろたえたように言い訳を始める。男は蜘蛛丸と同じく卜部うらべ家の家人で、名を夜叉丸やしゃまるといった。真面目だが融通の利かない男で、蜘蛛丸と真霧は彼の小言をたいそう苦手としている。   


「そんなところに登って・・・・・・怪我でもしたらどうするつもりだ」

「この程度で怪我なんてしませんよ」

「真霧様がだ。お主はどうでもいい」

「ひどくはないですか」


 毛ほどの興味もない、とばかりに蜘蛛丸の抗議を無視し、夜叉丸は真霧に視線を移した。無言で数秒見つめられる。真霧はたいそう決まりが悪くなって、邸の東側にかけていた梯子を使って庭に降りた。


 夜叉丸の顔を見るのは怖いが、うつむくのは、しょげているようでどうにも嫌だ。妥協案として、夜叉丸の背後に視点を合わせ、彼に近づく。


「真霧様、今年でおいくつになられた」

「・・・・・・十四」

「本来ならば元服なさっているはずでしょう」

「・・・・・・」


 元服の年齢は明確に決まっているわけではない。が、おおよそ十三歳から二十歳の間に済ませるのが通常である。


 真霧の場合は烏帽子親が長期不在であるために、十三歳での元服は見送られていた。


「いいかげん、卜部家の家督である自覚をお持ちくだされ」

「自覚ならある」

「ならばそれを態度で示されては」


 ぐうの音も出なかった。夜叉丸の言うことはいつも正しいのだ。だからといって腹が立たないわけではなく、正しいからこそ反感を持つことも多いのだが。


 屋根から降りてきた蜘蛛丸が、いつものように夜叉丸をなだめにかかる。それをいつものように黙殺して、夜叉丸は一つため息をついた。


「まあ、怪我がなかっただけ良しといたしましょう。中にお戻りください」


 そう言って邸の中を指し示す。真霧は返事もせずに簀子へと上がった。子供じみた態度だと分かってはいたが、どうにも押さえがたかった。


 夜叉丸がついてくる気配がした。と、後ろをついてきていた足音が止まる。どうしたのかと足を止めて振り返ると、夜叉丸が邸の門の方に視線を向けていた。庭に立ったままの蜘蛛丸も同様に、無言で外を見つめている。


 突然硬直した空気に真霧はうろたえた。声をかけて良いものか、逡巡していると。


「御免! 季武すえたけ様はいらっしゃるか!」


 一人の男が、門の外から飛び込んできた。息を切らせ、烏帽子がずれないように手で押さえている。ずいぶんと急いできたらしかった。


「季武様はお休みになられている。どのような用向きか」


 夜叉丸が問うと、男は息を整えながらとぎれとぎれに伝えた。


つな様からの、言伝ことづてにございます。田村将軍の、墓所はかどころが、賊に、荒らされたと・・・・・・!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る