1-2

下山したエマとナザリーがまず向かったのは、ナザリーが部屋をとっていた宿屋である。

路銀の足しにするべく、街についたらいくつかの仕事を請け負っているのだという。

「ああ、おかえんなさい師匠…って、え???」

宿屋の主人は目を剥いた。世捨て人のような魔道士の先生、しかも女っ気もほとんど無い御仁が、なんでまた娘っ子を連れてきたんだ、というわけである。

「あー、あるじ。俺の隣の部屋、空いてたろ。借りていいか?」

「え、そりゃ、いいですがね」

「んじゃこれ前金」

「そりゃどうも…って、えー!師匠ーーー!!」

カウンターに銀貨を数枚置き、壁にかかっている鍵を勝手にとってもっていくナザリオ。

エマはなんだかわからないが、とりあえず彼のあとをついて階段をのぼった。

「安宿だが、まあ小綺麗な方だ」

部屋は思ったより広く、日の光が差し込んで快適そうだった。白いカーテンに清潔そうなベッド。部屋のすみには猫足のバスタブと蛇口が備えられている。

「身支度したら降りてこい」


何日ぶりかのシャワーにひといきついたエマが服をなおして階下へ行くと、酒場のようになっているテーブルのひとつにナザリオの金髪が見えた。

「これ、着とけ」

ナザリオは彼の着ていたものに似たローブを投げてよこした。彼も旅の垢を落としたのだろう。こざっぱりしたシャツとズボン姿になって、なにやら酒のようなものが入ったジョッキを傾けている。腰にまいたベルトに剣がさがっているのにエマは気づいた。ローブで隠れていて気づかなかったが、彼は魔法だけでなく剣も使うらしい。

「その格好は目立つからな。腹ごしらえがすんだら、なにか服をみつくろいにいってやる」

「あ、ありがとうございます」


パンやスープなどがはこばれてきて、エマは急に、自分が空腹だったことを思い出した。なるべくがつがつしてみえないようにと思いつつ、スプーンを使う手が止まらない。

「大丈夫だから、ゆっくり食え。腹がびっくりするぞ」

そう言って微笑むナザリオは、男子に興味を持たず生きてきたエマの心すらどきりとさせるには十分な魅力を放っていて、おもわず食べる手が止まる。おじさんに興味はなかったが、まさか、自分にもそういう素質があったか、と、エマは思わず手を止めて見入ってしまう。


「あの、こんなによくしていただいて、すみません」

エマは思わずもう一度礼を言った。

「ん? すまなくなんかないぞ。だって」

貴公子のような微笑みをうかべていたナザリオの顔が面白そうな色に変わる。

「使った分はきっちり返してもらうからな」


一瞬、エマの目が点になる。

「……はい?」

「宿代に、食事、このあと服も買ってやるが、おまえちゃんと働いて返すんだぞ」

「……なんですってー?!?」


腕組みをして椅子にもたれかかり、にやにやしながらナザリオは続ける。

「前々から丁稚がほしいと思っていた所だ。俺の仕事を手伝ったら給金もくれてやる。……ああ、安心しろ、おまえのようなちんちくりんには興味がないからな」

もはやエマには返す言葉もない。

「……いい人だと思ってたのにっっっ……!」


「あーあー、やっぱり先生は先生だ」

「嬢ちゃん、なんだか知らねえが、まあ先生もそこまで悪いひとじゃあないから」

周りで朝から飲んでいたおっちゃんたちが茶々を入れる。

「さっすが守銭奴ナザリオ、宿代を気前よく払うからどうしたかと思ったら、そういうことでしたかい」

宿屋のおやじまで出てきて、エマに優しく話しかける。

「腕は確かな師匠なんだけどねえ、どうにも金にうるさいひとで」

「なんだおまえら、さっきから聞いていれば。仕方なかろう、これが俺の性分だ」

「あははは、開き直ってら」

そのままなし崩しに朝から宴会が始まり、数時間後にようやく二人は買い出しへでかけた。


「おお、似合うじゃないか」

同じくらいの年頃の町娘が着るような衣服を数着見立ててもらい、着替えたエマを見てナザリオは満足げに言った。

明るい生成の上着に、うごきやすい大ぶりのズボン。今後ナザリオと旅をするなら、少年に見えたほうがいいだろう、ということで、体型の出ない服装を選んだ。そしてエマにはもうひとつ服選びにおいて重要なポイントがあった。


「そんなものでいいのか?」

「なるべくお値打ち品を選んだら、こうなりました…」

値札と着心地を一生懸命天秤にかけた結果の選択である。ちなみにこっちの世界の文字はアルファベットに似た形をしている。勘でしか理解できないが、数字だけはほとんど向こうの世界と同じだったのでエマにも読めた。

エマはのこのこついてきたことを今になってはじめて後悔しはじめていた。あの状況では、他に選択肢はなかったとはいえ、こんなことは想定外である。それにしても、なぜこの人はこんなにお金に厳しいのだろう。物腰も上品だし、どこぞの貴族だと言われても十分通用しそうなのに、さっきの宿屋でもお勘定は飲んだくれのおっちゃんたちとはぴっちり分けて払っていた。

「気にしてたのか」

にやり、と音が聞こえそうな笑いとともにナザリオが言う。

「あたりまえです。借金してるんですから。ちゃんと、働いて返します」

エマはちいさくため息をついた。

「あーあ、こっちの世界でも借金から逃れられないとは」

「ん?」

「向こうにいた時には、大学に行くための資金を借りてたんですよ。ショウガクキンっていうんですけど」

「学校に行く金が無いのに、どうしても学びたかったのか。勉強熱心だな」

「いえ、そこまでじゃないです。音楽を学ぶ大学は、お金すごくかかるんで」

エマの実家はごく普通の会社員だったが、両親は頑張ってエマに不自由をさせないように音楽高校に通わせてくれた。持ち上がり式に大学に進んだ時、家計のこと、そして妹と弟の進学についてを考えた彼女が、奨学金を選択したのは自明のことだった。ただしエマの成績も実技もごく平凡なものだったから、成績優秀者がもらえる貸与奨学金などは、夢のまた夢だったわけだが。

「よくわからんな」

まあいい、と、衣装屋のスツールからナザリオは立ち上がる。店主に支払いをしながら

「そのうちおいおい聞こう。日が暮れる前に、おまえの装備も整えなくてはな」


大通りからすこし逸れた路地に、その魔法道具屋(アイテムショップ)はあった。

「旅はなにがあるかわからんからな、俺がみつくろったものを素直に買えよ。けちけちしたらいかん」

「でもそれ、わたしの借金になるんですよね…?」

「死んだら返せる金も返せないだろう」

「この人は…」

ほとんど呆れて二の句が継げないエマであった。


* * * * *


ぎいっ…と扉をきしませて中に入ると、そこにはめくるめく魔法の世界が広がっていた。

店構えからは想像もつかない広さの店内の棚には、剣、槍、弓などの武器から、甲冑、篭手などの防具に、エマには使い方の全く想像できない不思議なかたちの道具まで、ありとあらゆる品物が揃っているようだった。

「いらっしゃい。おや、師匠」

奥のカウンターからひょいと顔が出てきてナザリオに挨拶した。

「その子ですかい、師匠が弟子をとったってのは」

「まだ弟子かどうかはわからんぞ」

どうやらナザリオと道具屋の店主とは親しい仲のようだ。

「これから素質をはからねばな。ってわけで、あれ貸してくれ」


店の奥に通されたエマの目の前に、大きな水晶球のような道具が運ばれてきた。がっしりした黒い木の台の上に、顔くらいありそうな大きなガラスの玉が乗せられている。よく見るとそれは電球のように空洞になっていて、中心になにか機械のようなしかけが入っている。

「それに手をかざしてみろ」

ナザリオにそう促され、エマは両の手のひらをその玉へかざす。

と、淡い光がガラス玉の中心に灯った。ほのかに緑色の光が明るくなったり暗くなったり、不安定に揺れている。ついで中の装置がゆっくりと動き出した。底のほうに据えられていたおもりがちょっともちあがったが、すぐに動きを止めてしまう。

ナザリオがこともなげに言った。

「ふむ。あまり強くはないが、風系の魔術と相性が良いようだな、おまえは」

「風系?」

「まあ、鍛え方次第だな。修行次第ではちゃんと一人前になれるだろう」

エマはなんとなくがっかりした。やはり自分には平凡な才能しかそなわっていないのだ。楽器でも、こちらの世界でも、それは変わらない。


「おや? …先生、これ」

「ん?」

道具屋の店主がガラス玉の中を指差す。反射で気づかなかったが、細い金属の輪のようなものが、中心の装置を幾重にも取り巻いており、その輪のいくつかがゆるゆると動き続けていた。

「ヘパイストーの輪が動いている…そうか…」

「…え、なんですか」

ナザリオは顎に手をあてて少し思案する。

「おまえには鍛冶の才があるということだ」

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