春節を彩るパレードへの応援コメント
柊さん、こんにちは。
前話冒頭の荒々しさに『ジュールの森』で受けた印象を思い出しました。あの御作は荒々しさも繊細さもどちらもあってとても好きです。また両方の描写がある作品を書いて欲しいです。
お身体を大切にして、いいお仕事が見つかりますように祈っています。
春節の描写、躍動感があって引き込まれました。中国人をはじめ東アジア・東南アジアの人々が遠い故郷を想う気持ちが伝わってきました。自国の文化を大切にしつつ他国の文化を尊重する社会にすることが改めて世界規模の課題だと思います。
移民国家として大成功したとされたオーストラリアやカナダでさえ問題が顕在化してきました。医療・福祉(住居)等で自国民が過剰な負担を強いられないようにしつつも移民統合できるような環境づくりを、少子高齢化の日本も少しずつ進めています(私の仕事もその一端です)が、経済が弱くなると色々難しいですね。。
余裕がない時にでも他者を想う気持ちは忘れたくないなと拝読して改めて思いました。
作者からの返信
葵さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
前の話について「ジュール」の印象を持たれたのは新鮮で、同時になるほど確かにその部分だけは吐くような口調になっているなと納得するところもあり、そこを指摘してくださってすごく嬉しかったです。書きはじめたころの気持ちを思い出させてもらえました。
仕事の件も優しいお言葉をかけてくださりありがとうございます。
思えば中華街のことを書いたのは初めてでした。日本は春節を祝わないので、同じアジア人でありながらちょっと蚊帳の外みたいな気分も正直あって、その分彼らがかっこよくたくましく見えるのかも知れません。
葵さんはその筋のプロですから僕が何か言うまでもないのですが、世相が不安定なときほどよそ者、少数の立場の者に矛先が向きがちですよね。でもいつ自分がその立場になるか分からない。だから支えて支えられているという感覚を忘れずに持っていたいです。葵さんはたくさんの人を支えていらっしゃると思います。尊敬です。お体は大切に、これからも頑張ってくださいね。
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生まれ変わった大聖堂への応援コメント
いいなあ、いいなあ。ノートルダム大聖堂、リアルで一度みてみたい。
カジモドが住んでいたのは、白亜のノートルダム大聖堂だったのでしょうか。建てたばかり(1、200年後ぐらい?)だっただろうし。
それとも私たちがイメージする灰色の重厚でどんよりした聖堂だったのでしょうか。
作者からの返信
蜂蜜の里さん、コメントありがとうございます。
小説の舞台が15世紀だから、もしかしたら外側はだいぶ箔がついてる状態だったかも知れませんね。中はどうだったのでしょう。あんまり真っ白すぎるのもなんか違和感ありますよね(笑)
シテ島やパリ自体も暗くて不潔でごちゃごちゃしていて。中世のパリ、おどろおどろしい魅力がありますよね。
春節を彩るパレードへの応援コメント
バンミーの中に入ってるなますが好きです。我が町には中華街はないのですが、T&Tっていう中国スーパーができたときには建物をぐるっと取り巻くほどの買い物客の列ができる盛況ぶりでした。アメリカでも普段アジア人はいないことになってるかのような扱いです。でもともすればいわれなき憎悪や悋気を向けられるよりはいいかなって思ってます。
作者からの返信
母猫さん、コメントありがとうございます。
あのにんじんのなますは欠かせませんよね。たまにフランスのサンドイッチよりも安かったりするし、こっちの方がお得感があって美味しいです。アジア食材が手に入るスーパーは貴重ですよね。
ほかの人種や民族への憎悪に隠れて目立ちにくいのは確かですが、もしもその矢面がいなくなったら次に来るだけなんですよね。すぐ強弱や優劣をつけたがるのはなんか人間のサガだなって思いますね。。
編集済
春節を彩るパレードへの応援コメント
日本は、混じり合うことがとても苦手な国かもしれないと思いました。他国の文化を柔軟に取り入れる器用さがある一方で、人対人で異文化と触れ合うことには拒否反応のようなものすらある気がします。単一民族の島国だから仕方ないのかもしれませんが、本能的な拒絶とでもいうのでしょうか……💦
今後日本も、一層諸外国の人々と柔軟に混じり合うことが必要な時代になりますね。穏やかに一緒に暮らすにはどうしたらいいか、という開いた空気が欲しいです。もう我が国は先細り一直線なのですし、頭の固いままでは自国が衰える一方だという気がしますね。
作者からの返信
aoiさん、コメントありがとうございます。
これは難しい課題ですね。日本での異文化、異人種に対する距離の置き方はかなり偏りがあると昔から思っていましたが、もしかしたらコロナ以降、そういう傾向は強くなっているのかも知れませんね。
例えば外国人が増えたからって日本文化がなくなるわけではないですし、関わることで視界が広がることもあると思うんですよね。相手は人材ではなく人間なのですし。少しでも開いた空気ができていくことを願っています!
編集済
春節を彩るパレードへの応援コメント
おお、パリにも中華街が、それも三箇所もあるんですね!
日常がふいに裏返って鮮やかな色味を見せるみたいな、ハレの日を迎えた庶民のパワーっていいですよね(*^^*)
情景の浮かぶ活き活きとした文章に触れさせていただき、その場にいたような気持ちになりました。
日本は今中国との関係が悪化中ですが、ヨーロッパのアジア人というくくりになると、自然と連帯感のようなものが浮かぶのかもしれませんね。
次の日には普通の顔に戻っているというのは、なんだかカッコいいなと思いました。
作者からの返信
鐘古さん、コメントありがとうございます。
パリの中華街はひとつひとつは小さい規模ですが、アジアのお店が集まっているので週末なんかは食事や買い物をする人が多いですね。
アジア人の立ち位置って昔よりはだいぶ可視化されてきたとは思いますが、それでも目立たないおとなしい存在だと思います。だから春節はまさにハレの日という感じで。誇りをもって自分たちの文化を披露しているのがかっこよく見えますね。
国ごとで差をつけたがる人もいることはいるんですが、同じ街に住んでいる同士という感覚は大事にしたいですよね。
編集済
春節を彩るパレードへの応援コメント
相変わらず素晴らしい観察眼だと思いながら読ませていただきました。
日本ではずっと中国とギクシャクしていたし、日本への旅行客のマナーはひどく不評だし、日本の中華街の春節は、今年はどうだったんでしょうね?
ちょっと分からないけど、パリにも中華街って、そこまで溶け込んでいるのを初めて知りました。
日本の中華街、もしかしたら少し寂しくなっているかもしれませんよね。
ちょっと調べてみます。
ステキな体験談をありがとうございました。
追記
今YouTubeの動画を見たら,横浜も私の予想に反して相当な人出だったようです。
作者からの返信
レネさん、コメントありがとうございます。観察眼なんて言ってくださると恐縮ですが、自分の普段感じていることをこの機会に書いてみました。
ネットなどで言われていることの真偽は分かりませんが、少なくとも僕が今まで出会った中国人や他のアジア人は真面目な人ばかりでしたね。観光客というのはどうしても浮かれてしまうから本人が気づかないと難しいですよね、バブル期の日本人旅行者などもそうでしたし。
パリの中華街は門のあるような立派なものじゃなくて、あくまでも界隈という感じです。だから普段の生活にも溶け込みやすいかも知れません。
でも本格的な中華街だとお祭りも迫力がありそうですね。いつか行ってみたいです。
春節を彩るパレードへの応援コメント
こんにちは。
「よその国の文化が市民権を得るとき、その国の人たちにも、またひとつ豊かなものが増えるのだと思う。」・・・まったく同感です。そして、それをポジティブに受け入れられる人の心が豊かなのだ、とも。日本と日本人も、そうやって豊かであり続けてほしいですね。
本家アジアではときに角突き合うこともある諸民族の人たちが、遠い地で融和しているようすが印象的でした。
作者からの返信
久里さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
お祭りの様子を見て純粋に感じることですが、同感していただき嬉しいです。
本国同士の関係が遠い地でも影響するのか、内情は分かりませんが、同じ街で根を張って生きる者として、お互いを尊重して融和していける関係が理想だなと思いますね。
春節を彩るパレードへの応援コメント
柊さん、こんにちは。
こちらの春節パレードは明日の土曜日です。市長が「一年で最大のパレード、ぜひ来てください。バスは無料です」と宣伝していましたよ。去年の観客は百万人超えですからね、今年はもっと多いでしょう。
こんな町にいる私ですから、「パリでアジア人であるということは、平穏ではあるが透明人間のように存在感がない」というところを読んで、ええっ。パリだーと思いました。
調べてみたら、パリのアジア系の割合が2~5%なのに対し、サンフランシスコは37%で、その半分以上が中国系です。これでも、そんなに少ないのかと思いました。ダウンタウンを歩くと三人にふたりはアジア系ですから。
中国系はある意味目立ちすぎて、(特にマナーが悪いなど)バスの中など辟易することがたびたびです。ふつう、金持ちはバスには乗らず、乗るのは中国人のシニアと貧乏が多いです。私はヤングリッチですが、バスにはよく乗ります(笑)。
ただ、近年はコロナやアジア人ヘイトの嵐が吹き、チャイナタウンの店がすべて閉まっていた時期もありましたが、今はまた復活してきました。
「よその国の文化が市民権を得るとき、その国の人たちにも、またひとつ豊かなものが増える」と書かれていましたが、確かにそうですよね。そういう町がサンフランシスコなのだと思いますが、豊かなプラス部分、そして、醜い貧相なマイナス部分もあります。
でも、土曜日のパレード、何が起こるかわからない時世なので、パレードには行きません。イラン攻撃に賛成の人、反対の人、賛成の人でもすぐにやめよ派、徹底的にやれ派などがいて、あの人の政策の下でも、人々はストレスと怖さを抱えて、それでも、なるべく平常に生きようとしています。でも、大勢が集まるところでは、何が起こるのかわからないので、パレード周辺には行かないことにします。
でも、近くチャイナタウン(六ケ所くらいあるのですが、一番大きなタウン)に行ってみるつもりでいます。先日、柊さんがバンクシーについて書かれましたよね。チャイナタウンの家の石壁に、彼のものかもしれない作品があるので、ホンモノかどうか見てこようと思っているのです。
作者からの返信
九月さん、コメントありがとうございます。
うわあ、規模が違いますね。春節のパレードをパリ市の人口の半分が見に来るって考えると想像が追いつきません。サンフランシスコにそこまでアジア系が多いのも知りませんでした。それなら存在感も強くなるでしょうが、その中での格差も広がりそうですね。
アメリカは車での移動がほとんどでしょうから、基本的に公共交通機関を利用しているのは車を持つことができない人=貧困層、ということになってきますよね。そうすると車内の雰囲気も荒んだものになってくる、より嫌がられる、というループにはまってしまう気がします。また同じ種類の人たちで固まって棲み分けが進んでしまうと、他の文化や考え方を知らないままで、お互いかえって理解できないということもありそうですよね。
アメリカは今回の攻撃の当事者なので、確かにどこで何があるかは分かりませんね。フランスは日和見な人が大統領をしているせいで、ことによってはまた本国を危険にさらすことも考えられます。過去のあやまちを繰り返さないと言ったスペインが今のヨーロッパで唯一まともだと思います。
ストレスと不安ばかり掻き立てられる毎日ですが、どうか平穏な心を保ってお過ごしくださいね。バンクシーの絵(?)楽しみにお出かけください。
春節を彩るパレードへの応援コメント
パリにも中華街があるんですね。
文章からでもお祭りのエネルギッシュさが伝わってきました!
どんなお祭りも、元気をもらえますよね。生きるエネルギーが溢れているからなのかな?
祖国を離れても伝統を大切にする気持ち。その伝統を一緒に楽しむ気持ち。
そんなおおらかな時間を共有して、相互理解を深めていけたらいいですよね。
作者からの返信
遊井さん、コメントありがとうございます。
お祭りの雰囲気を感じていただけてよかったです!中華街と書きましたが、横浜とか神戸のような本格的なものではなく、中華風エリアという感じなんですよね。アジアのお店が連なっているけどけっして派手ではなくて。このお祭りはそんな地味な人々のアイデンティティが花開く場という感じがします。それを一緒に大切にしてくれる街や楽しむ人々がいてこそ続いていくのでしょうね。
春節を彩るパレードへの応援コメント
読むだけで元気をもらえる、エネルギーに満ちた文章でした!
子どもの頃、春節の日に中華街に行ったときのことを思い出しました。とにかくすごい人出で賑やかで……そうそう、「犬みたいな愛嬌のある顔」の獅子舞も、生で見ましたよ!
「よその国の文化が市民権を得る」ことを、自分たちの文化が侵蝕されることだと決めつける厄介なひとびともいるようですが、そうではなく「その国の人たちにも、またひとつ豊かなものが増える」とおっしゃる柊さんに、拍手喝采したいです (*ˊᗜˋ*)
作者からの返信
ハルさん、コメントありがとうございます。そう感じていただけて嬉しいです!
横浜とか神戸の中華街はまた特別に華やかでしょうね。じつは恥ずかしながら獅子舞のことをしばらく犬だと思っていました(-_-)
これを侵蝕と決めつけるひとびとは、どれだけ無菌培養純度100%な暮らしをしているのでしょうね。純粋にアジアの日を楽しむ人々を見ていると、やはりそれは豊かさなのだと思います。同じ気持ちを共有してくださり光栄です(*ˊᗜˋ*)
春節を彩るパレードへの応援コメント
―おとなしく目立たない者たち 街に受け入れられる土台を作ってきた移民や元植民地の人間たち―
知識が日常的な感覚にまで浸透するのに、一体どれだけの日数を要するのだろう?
他者を自己に置き換える想像力は、なぜ常時働かないのだろう?
日本でも、移民問題が俎上に上がることが増えているようです。その本質は、弱者と自認する人がより弱い立場にある人を求め攻撃する、歴史的に繰り返されてきた社会問題の一類型だと思っています。つまり、対策は排斥でなくセーフティネットの整備ですが、国が弱体化し社会保険制度が厳しくなっている今、このような問題が浮上するのでしょう。
そしてこれは、誰もが他人事ではない。AI革命のインパクトは、産業革命以上と予測する専門家も数多くいます。
鋭い洞察力をお持ちの柊さんが、日々に哀しみを見出しつつ、それでも将来を諦めないとする志、感銘を受けます。雑踏の騒音が和音へと変わる瞬間。僕らはそれを認識できる。そう信じて進みたいものです。
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。
よく使っている大手の中華スーパーがあって、もちろんアジア食材がメインなんですが、半分ぐらいはフランス人の客なんですよ。人種も色々で。それだけ浸透しているということですが、この店をはじめてオープンするときの苦労はどうだっただろうかと思います。受け入れる側がアジア人をどう見ていただろうかと。
歴史の中で植えつけられた人種間のヒエラルキー(嫌な言葉ですが)を越えるのは想像力だと思います。実際は仰るとおりなかなか難しいものですが。
コメントを拝見して「弱い者たちが夕暮れさらに弱い者を叩く」って歌を思い出しました。自分がその立場になってはじめて身に沁みて分かるのでは遅かったりするんですよね。国を弱体化させたのは誰なのかというところ、そこを根本的に覆さないとそのループは繰り返されるでしょう。
来週は地方選挙があるんですけど、パリが今のパリのままでいてくれるかな、というのは若干気にしています。選挙権を持たない者として、あくまでも前向きに希望を持ちたいものです。真摯なお言葉とても響きました。ありがとうございます。
春節を彩るパレードへの応援コメント
パリには、中華街が三か所もあるのですね……! 私も、地元が神戸なので、中華街は身近な存在ですが、フランスのほうが規模が大きくて活気がありそうだなぁと、春節のパレードの様子を拝読しながら思いました。お祭りの音や、そこで脚光を浴びている人たちの動きって、何だか元気をもらえますよね。
通りすがりの方のベトナムサンドイッチも美味しそうで、いいなぁと羨ましくなりました。楽しい一日の様子をお裾分けしていただけたことで、こちらの心にも豊かなものが増えました!
作者からの返信
一初さん、コメントありがとうございます。
南京町の画像見てみましたけど、すごいですね!パリはもっと質素です。門とかもないし、ここから中華街という区切りがなくて、アジア系の店がたくさん並んでいるだけなので。だからなのか、パレードがより華やかに脚光を浴びるように見えるのだと思います。
13区はどちらかというとベトナム色が強いので、おいしいフォーとかサンドイッチが安く食べられるのが魅力です。本場神戸の方に読んでいただくのが恐縮ですが、そのように言ってくださってとても嬉しいです!
春節を彩るパレードへの応援コメント
銅鑼を響かせ爆竹を鳴らす春節パレード。
アジア地区、アジア人なら受け入れやすいイメージがありますが
パリでは、違和感あると思いましたが、そんなこともないのですね。
アジアを楽しみ尽くす日。素敵な表現です♪
他国の文化を受け入れる豊かな時間。柊さんの筆力で感じることができました♡
作者からの返信
ハナスさん、コメントありがとうございます。
パリのイメージからすると銅鑼とか獅子舞とか違和感ありそうな気がしますよね。でもこれが盛り上がるのです。エキゾチックなものに憧れる気持ちもあるのかも。パレードをしてる人たちも色んな人種がいますが、中国の衣装を着るのが嬉しいという気持ちもあるんじゃないかな、と思います。そうやって他国の文化って浸透して認められていくんだなと。それは前向きで豊かなことだと思いますね♡
春節を彩るパレードへの応援コメント
餅の代わりにエコバッグ(笑)
いいですね〜
先月、シンガポールに旅行に行ったのですが、やはり春節前ということでチャイナタウンは赤い物だらけでした。
(^◇^;)
柊さんなら行ったことがあるかもしれませんが、チャイナタウンの他にアラブストリートなどもあり、違う国に根付いて生活をしている人々のパワーをすごく感じました!
意外なことに日本人観光客にはあまり会いませんでしたが、パリはどうですか?歩いていて日本語が聞こえることもありますか?
作者からの返信
陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
何を投げてるのかと思ったらエコバッグ(笑)さっそく使ってる人もいました。
シンガポールとか東南アジア、行ったことがないので羨ましい。特にシンガポールなんかは色んなルーツの人々が共存していますよね。それぞれのパワーを感じるってすごくいい経験をされましたね!
日本人観光客、昔に比べたら減ったと思います、肌感覚ですが。前は街なかやメトロにもっといた気がするんですけどね。。
春節を彩るパレードへの応援コメント
中華街が三ヶ所もあるなんて知りませんでした。
そして、横浜中華街の春節のような華やぎがあるんですね。楽しそうです。
「よその国の文化が市民権を得るとき、その国の人たちにも、またひとつ豊かなものが増えるのだと思う。」
とても素敵な感覚ですね。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
小規模ではありますが、同じ中華街でも場所によって雰囲気も違って面白いです。横浜の春節って見たことがないんですが、やっぱり龍とか獅子舞とかやるんでしょうか。見ごたえありますよね。
素敵な感覚とは嬉しいお言葉です。パレードに来ている人たちの楽しそうな顔を見ているとそんな風に感じます。
編集済
春節を彩るパレードへの応援コメント
大陸を旅したときの甲高い広東語や銅鑼の喧騒を思い出し、身体が熱くなりました。
肌の色や宗教で分かりやすい差別や攻撃の対象にならない代わり、見えない者のように無意識に扱われる → 日本にのほほんとしていることが申し訳ないです。
よその国の文化が市民権を得るとき、その国の人たちにも、またひとつ豊かなものが増えるのだと思う。 → 本当に仰せのとおりかと。心の狭量な一部の日本人たちにもぜひ。
作者からの返信
上月さん、コメントありがとうございます。
今まで中国風としか感じていなかった銅鑼の音が邪気を吹き飛ばすように聞こえたのは初めてでした。それだけ今の我々は毒されているのでしょう。
アジア人はあからさまな悪意を向けられる対象ではないですが、軽視されがちというか。異国の文化についてもそうですが、存在を認めることがお互いの尊重へのスタートになるのではと思います。
編集済
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
バンクシーの作品群を集めた美術館があるのですね! 行ってみたいなあ。覆面作家で正体はわからないと言われていますけど、自分の作品について発言することもあるみたいだし、結構ちゃんと組織的な活動してますよね。周囲の人が正体についてちゃんと口を噤んでいるのかしら。それとも、みんな知っていて知らぬふりをしているのかしら。
いずれにせよ、作品の内容や行動力には尊敬しかありません。
失業中に美術館、すごくいい時間の使い方だと思います。
うちの夫も数年前に職場環境の悪化で辞職し、新しい職を見つけるまでしばらく無職でしたけど、ここぞとばかりあちこち家族で遊びに行きました。ええ、旅行なんかが平日料金で行ける数少ない機会ですから。
その後就職したと思ったら「ブラックだった」ということで次の日に退職してきてウケました。ストレス耐性皆無な人なんです(笑)
おい、スーツとかカバンとか散々買わせておいて!!
あ、今は無事に人間関係の良いところを見つけて、働いてます。
なんにせよ、結局は人間関係が良いところに巡り会うのが一番大事なのかなと思います。どうぞ良いご縁に恵まれますように!
作者からの返信
鐘古さん、コメントありがとうございます。
最初は期間限定の特別展なのかなと思っていたんですが、どうやら常設のようですね。美術館というよりギャラリーって感じで、それも殺風景なのがストリートアートの再現に似合っています。色んな場所に描かれた作品を見られるのがとにかく嬉しいですね。こんなに長く活動しているのにずっと覆面作家でありつづけるのもすごいし。ストリートアートをやる人は顔が見えないのが美学みたいに個人的には感じます。
ここで作品を見ると、今度は本当の場所へ行ってみたくなるんですよね。でも熱量を感じる作品に限ってやはり難しい場所で描いていて。その行動力にも尊敬ですね。
職場環境、人間関係でドクターストップの挙句離職という人、フランスにもたくさんいますね。ご主人の失業中のお話はとても健全で賢い時間の使い方だと思います!僕の場合はもうひとつ仕事が残ってるので旅行というわけにはいかないですけど、そういう割り切りと気分転換はすごく大事ですよね。
今はよい環境に恵まれておられるようで、あやかりたいです。
励ましのお言葉、いたみいります。ありがとうございます!
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
こんにちは。
世界中でいやなニュースがあふれているこの頃、バンクシーの画はなおさら心に沁みますね。本当に、いつか消えてしまうかもしれないからこそ、今存在していることが、何ものにも代えがたい輝きなのだと思います。
職探しも大変だとは思いますが、、パリの街の落書きたちに、心癒されるよう、願っています。
作者からの返信
久里さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですね、直視することから逃げたくなりますが、あえてそれを真っ向から描くバンクシーの作品は本当に刺さります。声のように消えてしまってもその響きは心に残るんですよね。
落書きには気づきや発想の転換のヒントがありますよね。職探しにもヒントをもらえたらなと思います。優しいお言葉、ありがとうございます。
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
>さながら町全体が美術館のように……
パリに対して漠然と抱いていた印象が、まさに言語化された瞬間でした。「これほど腹をくくって活動する画家がどれほどいるだろう」の一文も。バンクシーに対して、今までほんのりと畏怖のような感情を持っていたのですが、柊さんの文章を読んで、ああ、圧倒されていたんだなぁ、と自分の気持ちとも向き合えました。
>絵そのものは失くなってもその壁を人々が目撃した瞬間はきっと記憶という額の中に生き続ける……
このくだりが、たまらなく好きです。お仕事の件で、日々の過ごし方が変わる気忙しさがあるかと存じますが、どうぞご自愛なさってくださいね。
作者からの返信
一初さん、コメントありがとうございます。
パリ中心部の様式美みたいな景観も美術館のようではありますが、コンクリートの住宅街であってもやっぱり美術館にしてしまう、それを許容するのがこの街の「らしさ」だと思いますね。
バンクシーの絵に畏怖のような感情を持つってすごく分かります。パッと見のインパクトだけでは終わらなくて、そのメッセージごと心に刻まれてしまうものがあって。だから壁からその絵がなくなっても作品はずっと生き続けるって気がします。そこを拾ってくださって嬉しいです。仕事の件にも優しいお言葉をありがとうございます。一初さんもお元気でお過ごしくださいね。
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
『天がその者に大任を与えんとするとき、まずその心を苦しませ、筋骨を疲弊させ、身体を飢えさせ、貧しくさせて、やること為すこと思い通りにならないようにする。』
(『故天将降大任于是人也,必先苦其心志,劳其筋骨,饿其体肤,空乏其身,行拂乱其所为。』)
学生の頃、この一文を学んだ際には『なんだよ天って!ふざけんなっ!』と思ったものですが、「天」を汎ゆる機構の総称であるとし、因果を逆にみてみるなら、なんとなく腑に落ちるものを感じたんですね。
(もっとも、「機構」の殆どが人間には不可知だろうから、その「大任」も僕らには感知できないのかもしれないのですが。)
ただ、こんなふうに考えてしまうと、世の中、却って解らなくなったりもしますね。
「なんで、そんなばかなことをするのだろう?」「この不合理な流れは、僕の認知が追いつかない、寧ろ上位の合理なのか?」
結局、人間は感情に逆らえない。思考は後付けでしかない。…しかし、それも含めて機構に組み込まれているならば。この馬鹿馬鹿しくも許しがたい流れも、結局想定の範囲内なのか…
否。やはり違う。「違う」と強く思いたい自分がいる以上、機構によって「抗え」というボタンが押されているはずだ。押されてない人もいるかもしれないが、僕らは押されたのだ。担えと。そしてバンクシーは、押されまくって先駆ける一人なのだ。
柊さんの文に触れ、そんなことをつらつら思ってしまいました。乱文長文、誠にごめんなさいっ!
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。
孟子の言葉なんですね。なんか個人の能力(というかほとんど生命力)を試されているような言葉ですね。
全部天に含まれているとしても、やっぱり違うと思うことやおかしいと思うことはごまかしてはいけないし、ごまかせるものでないですよね。バンクシーはそれを最も端的なメッセージにして表現している人なのだと思います。その絵によって今まで押されていなかったボタンが押されるかもしれませんし。どれだけ機構が人を無力の中に封じ込めようとしても抗う者がいなくなることはないでしょう。呪文堂さんのコメントで改めてそれを考えました。深い考察をありがとうございます!
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
冒頭の2、3行から,今回は求職の話か何かかな、と思ったら,バンクシーでしたね。
私はバンクシーの作品はあまり見たことないのですが、パリでは随分見られるのですね。
日本でもたまにストリートアートらしきものを見かけますが、日本では公共の秩序を単に乱しているとしか感じられないなあ。
つまり、私が見かけるのは単なる落書きの類いなのでしょう。
柊さんダブルワークなんですね。
早くお仕事見つかるといいですね。
作者からの返信
レネさん、コメントありがとうございます。
バンクシーの絵はパリにどれぐらい残っているんでしょうね。以前どこにあるかわざわざ調べて見に行ったら消えていてがっかりしたことがあります。
公共の秩序を乱すのが落書きの原点だと思うので、それを許容する空気があるかどうかですよね。ちゃんと許可を取った礼儀正しいストリートアートはまた違うものですし。
職探しはもうひとつの仕事との兼ね合いがあるので、すぐには無理そうですが、励ましのお言葉嬉しいです。ありがとうございます!
編集済
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
なんとなく、少し前に書かれたターミナル駅のピアノの話を思い出して、読みに行ってきました。冷たい風が吹く中で、本質的な人の温かみが浮き彫りになるようなエピソード。柊さんはあのドアのバトンパスのようなお仕事をされるんじゃないかなあと勝手な想像をしたり。
はたまた通勤ラッシュの人の群れを横目に、手綱を解かれた自分は美術館へと足を向けると想像するのもオツなものです。
バンクシーの絵画を集めた美術館があるんですね!
初めて知りました。
アイコニックでアイロニー感じる絵は、素通りされていたものに目を向けるきっかけになりますね。そしてドブネズミのようなものにこそ注目しろ、というメッセージでもあるようにも。
作者からの返信
ポロさん、コメントありがとうございます。
おお、あのエピソードを思い出してくれましたか。実はここに書いたものはあの話の延長にあるのでポロさんの鋭さにはびっくりです。「ドアのバトンパスのような仕事」ができたら自分がここにいる理由もはっきりするのかななんて思いました。手綱を解かれて美術館ってのも悪くないですよね。
バンクシーはやはりファンが多いのか途切れることなく人が入ってました。分かりやすさは決して単純ということではなく、見る者に考えさせる余白を与えるものだと思いました。ドブネズミは自分を映す鏡でもあるんですよね。
編集済
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
ストリートアートって誰がどうやって描いてるのかいつも不思議です。
実入りが減るのはどうしてもクサクサしてしまいますよね。近いうちによい仕事の縁がありますように……!
作者からの返信
橋本さん、コメントありがとうございます。
そう、不思議ですよね。うちの周囲も壁画がわりとありますけど、作業現場を見たことが一度もなくて。
仕事は探してるときに限って見つからないのでよい縁を待ちましょうかね。励ましのお言葉、ありがとうございます!
編集済
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
柊さん、こんにちは。パリにバンクシーの美術館があるのですね。私がバンクシーを知ったは、かなり前に、「風船をもつ少女」がオークション中にシュレッダーで裁断されたニュースを見た時です。どういうことなの?と思ったら、バンクシーが額縁の内部にシュレッダーを事前に仕込んでいた様子を公開しました。本当は全部細断されるはずだったそうですね。信じられないパフォーマンスで、私は画集(写真集Wall and Piece)を買いました。表紙はあの花を投げる兵士ですが、その中に、「イスラエル兵とパレスチナ人が枕で叩きあっている絵」はなかったです。
彼の作品は、平日の昼間に友人と食事しながら資本主義の悪口を言い、その流れで行く美術館にはぴったりという感じ。ルーヴルは官僚的で、オルセーは明るすぎ?(笑)フランスは失業保険の額、期間、再就職への援助について、日本やアメリカよりずっと手厚いと聞いていますが、本当なのでしょうか。フランス人は美的センスはあるけど、自己主張が強く、冷たい感じが(私には)するのですが。その仕打ち(ではなくて、その過程)を「パリで仕事を探す」シリーズにして書いてください。ヒットするかも。
作者からの返信
九月さん、コメントありがとうございます。
シュレッダーの話はすごく有名ですよね。オークションをパフォーマンスの場にするなんてすごくしたたか。買われた画集は2005年初版のようで、花を投げる人はその前に分離壁に描かれていますが、枕で叩き合っている絵は多分10年前ぐらいにホテルをオープンしたときに客室に描いたものじゃないかと思います。
ルーヴルは官僚的(笑)、オルセーは健全過ぎるって感じですかね。
日本やアメリカは分からないですが、失業保険は一般的には給料の70%ほどの額を年齢によって2年間から3年間受給する権利があるって感じです。職員によって態度が違うのはどこも同じかな。色々なプログラムもありますが、実際に職安経由で仕事が見つかるかというとなんとも言えません。最後はコネクションの方が強いと思います。
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
お仕事、こんな時代だと本当に難しいですよね(>_<)
海外でっていうことを思うと私から見て雲の上のお話なんですけど……。
この件に関してよい風が吹きますように。
バンクシー、ステンシルだからサッと描いて去るって何かで言っていたような。
仕上げが速いんですよね。
絵ってメッセージ性が強いから、見た人は一瞬で伝わりますね。
作者からの返信
五十鈴さん、コメントありがとうございます。
ご心配をいただいて恐縮です(>_<) 自分で選んだことですからね、外国籍だというのを言い訳にしないように頑張ります。あたたかいお言葉に感謝です。
サッと描いて去ることができるのはステンシルならではですね。そうなると型紙を作る工程がどんなものか、すごく気になります。
ひと目で色んなことを語る絵には触発されることがいっぱいですね。
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
何と……失業してしまわれたとは、本当に大変でしたね。良いお仕事が見つかりますよう祈っています。
私が大出版社の社長だったら、柊様に頼みこんで御本を書いていただくのですが……!
バンクシーの魅力、実はいままでよくわからなかったのですが、こちらのエッセイを拝読してわかったような気がしました。ストリートアート自体の魅力も (,,^_^,,) すぐ消えてしまうからこそひとの心に残るもの、たしかにあるのでしょうね。
なお、THE BLUE HEARTSの名曲「リンダ リンダ」が頭の中で流れたのは、私だけではないと思っています (>▽<ゞ
作者からの返信
ハルさん、コメントありがとうございます。
どうやら僕は仕事運金銭運には恵まれていないみたいで( *´艸`)とりあえずもう一つの仕事を増やす方向で日銭を稼ごうと思ってます。
バンクシーの作品ってユーモアのオブラートに包まれているけどけっこう辛いじゃないですか。だから自分のことのように感じてしまう方にはしんどいと思います。僕は逆にそこにカタルシスを感じてしまうのですが。
ここまでドブネズミを連呼するとそうなりますよね (>▽<ゞ
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
冒頭の「失業したので」にドキドキしました。
海外で職を探すのって、ものすごく大変なんでしょうね。
(日本でも難しいのに!)
でも、クサクサした気分のときにバンクシーの美術館に行けるなんて羨ましい……。
そもそも、バンクシーの作品は街中にしかないと思っていたので、美術館があることに驚きました。すごく刺激を受けそうですね!
いつもながら素晴らしい文章で勉強になります。
ありがとうございました(*´▽`*)
作者からの返信
陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
ドキドキさせてすみませんm(__)m でも失業したので美術館に行くってなんか笑えるなあと思ってつい書いちゃいました!
求人はいろいろあっても、自分に合ったとなるとハードルが上がりますよね。。
そう、自分も街なかの通りで偶然発見する類のものだと思っていたので、こんな常設展があるとは知らなかったのです。他の国の作品が見られるのは美術館だからこそですね。できるなら一度ロンドンに行って探してみたい。バンクシーの宝庫だそうなので。
久しぶりに書いたのですが(しかもいつもと違うノリですが)光栄なお言葉に励まされました。こちらこそありがとうございます(*´▽`*)
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
永遠に残る傑作にはもちろん価値がありますが、それを敢えて拒否する表現や創作にもまた強力で切実な価値がありますね。電流がショートする瞬間の火花のような。
バンクシーの美術館、とても心惹かれます。残らないこと、いずれ消えることを前提にした芸術。ただ今訴えたい叫びをただ目の前の壁に残す作業。諸々の邪念を遮断する壮絶さを感じられるのではないかと想像しました。
作者からの返信
aoi さん、コメントありがとうございます。
永遠に残る傑作とは反対側にいるけれど、これもひとつの芸術の形ですよね。
>電流がショートする瞬間の火花
作品を生み出すときのエネルギーってそういう感じかも知れませんね。それが強いメッセージと結びついて、見た人の記憶に刻まれて。こういう創作ができる人は、邪念を遮断する、もっといえば邪念すら笑い飛ばすような芯が通っているのだと感じます。こんな人が同じ時代に生きているのが貴重だと思いますね。
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
柊圭介さん。
なんだかいつもと雰囲気が違った文面におやっ?!と思いました。
冒頭から失業したとサラッと書かれていますが、クサクサした気分になるのも無理はありませんね。
柊さんにピッタリの仕事が見つかるといいですね。
その空いた時間を利用して普段は行けなかったバンクシーの美術館に行けたことはいい気分転換になりましたね。
ずっと頑張ってきたのだから少し休む時期がきたのかもしれません。
神様からの休暇だと思って休む時間も大切にして下さいネ。
>パリを歩くとストリートアートに出くわさないことはない。
やはりパリってこんな街なんですね。
魅力を感じます。
バンクシーが好んで描くドブネズミも色んな表情があるのでしょうね。
それを身近に感じながらの絵の鑑賞は心に響いたことでしょう。
一緒にバンクシーの美術館に行った気分を味わえた素敵な時間をありがとうございます✨✨
作者からの返信
この美のこさん、コメントありがとうございます。
やっぱり違いますよね。自分でも厭世的な文章になってるかな~なんて思ったんですけど、これはこれで正直な気持ちなのでそのまま書くことにしました。失業は初めてではないのでそこまでは堪えていないのですが、仰るとおり良い気分転換だと思って休む時間も大切にしますね。お優しいお言葉、ありがとうございます^^
ストリートアートの多い界隈はエネルギーを感じます。そういうのを許容できる街に住んでいるのは幸せだと思っています。
バンクシーのドブネズミはなんとも可愛らしいんですよね。表情豊かで。パリといえばドブネズミが多いので有名ですが、こんな絵なら増えてほしいなと思います。こちらこそあたたかいコメントをありがとうございます✨✨
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
バンクシーのメッセージって強いですね。
落札と同時にシュレッダーも小気味いいニュースでした。
クサクサ気分でインプットするにはバンクシー最高ですね。
ドブネズミの今後のメッセージに注目ですね。
個人的にはエプス◯◯ン。メキシコ情勢の闇が気になっています。
柊さんの能力を生かした仕事が舞い込んできますように!
お知り合いがトリ君(KADOKAWAさん)から仕事をもらったらしいです。
報酬に関しては聞いてないですが、そういうのもありですね。
作者からの返信
ハナスさん、コメントありがとうございます。
明確で強烈なメッセージですよね。ここまではっきりと表現する人は頼もしいです。シュレッダー事件はすごく象徴的で。
バンクシーの美術館を選んだのは脳が無意識に必要な時に必要なものをインプットするようにできてるからでしょうか。
裁かれなければならない者が多すぎます。モーセも忙しいでしょう。モーセの隣に小さなドブネズミ、画になります。
自分はここまでよく生きてると思うほど能力が乏しいのですよ。これは謙遜ではなく。まずは気持ちを強く持たねばなりませんね。お優しいお言葉、いたみいります。ありがとうございます。
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
おっと。珍しく感情が文にも表れている感じで、いつもの感じじゃないけど、これはこれで良いな(^^)
柊さんはこういう書く事が仕事になれば良いのにっていつも思ってますが、仕事になると好きなように出来なくなる所もあるだろうから難しい所でもあるのかな、と考えちゃいます。
なるほど。ストリートアーティストか〜。
「今存在していること」を表す命懸けのパフォーマンスでもあるのですね。カッコいい。
これらの絵は確かに画家自身であり鑑賞者自身であるからこそ心に響く。
このタイミングで鑑賞されたのはきっと大正解だった事でしょう。
私も鋭い何か突きつけられました。ありがとうございます。
作者からの返信
風羽さん、コメントありがとうございます。
あら、漏れてますかねやっぱり(笑)確かにいつも感情はセーブして書くのですが、溜まったものが出てしまったかもしれません。
仕事だと割り切らねばならないでしょうが、自分のために書いていることは自分に正直でいたいなと思います。壁の絵にしても、商売ではないからこそぶつけられるものがあるのでしょうね。絵という端的な表現は、文章でたくさん書くのとは違う一瞬の力があって、それを描いた人とその瞬間一緒になれるんじゃないかなと思います。うまく言えませんが。
この先考えることはあるのですが、力をもらったことは確かですね。こちらこそ、受け止めてくださって嬉しいです。ありがとうございます。
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
バンクシーの壁絵、素晴らしいものでしょうね。そして、消えていく壁絵だからこそ、その瞬間が輝くのかもしれないな、なんて、思いながら、常のことく、目に見えるような文章を楽しみました。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
表現者って本来こうあるものだなと思わせる力がありますね。絵は消えても見た人の脳裏に刻まれることでずっと生きていると思います。絵のことを文章にするのは難しいですが、コメントまでいただいて幸せです。ありがとうございます。
編集済
ストリートアートとバンクシーの美術館への応援コメント
お疲れさまです。
パレスチナのヨルダン川西岸地区のバンクシー作品、以前テレビで見て強烈に記憶に残っています。だれも知らないうちに描いてさっと撤収する街アート、本当にカッコイイです。
世界の富豪たちの信じがたい悪行が暴かれ始めたことをきっかけに何とか地球が変わってくれないかな、悪の巣窟と化している日本の霞が関近辺にも、ある夜、何か描いてくれないかな、たとえばジュラ紀の恐竜など。
作者からの返信
上月さん、お疲れさまです。コメントありがとうございます。
テレビでやっていたんですね、それは見てみたかったです。誰も知らないうちに描いて去って行くだけでも相当かっこいいのに、それをメッセージが必要な場所に植えつけていく感じがやっぱりすごいと。ロンドンの裁判所の壁に描かれてあっという間に消された絵は記憶に新しいです。
ジュラ紀の恐竜(笑)エッセイを拝読してよく分かりました。裁かれるべき者がしっかり裁かれるときが来てほしいと切実に祈っています。
ロワール渓谷と貴婦人の城への応援コメント
Cher Hiiragi san,
Passage très intéressant comme toujours, d'autant plus que je connais très bien la région, je suis un enfant de la Loire.
La place que vous évoquez est la place Plumereau, que l'on surnomme la Place Plume, effectivement très prisée des étudiants.
Tours est une ville étudiante surtout réputée pour la médecine, considérée comme une des belles villes moyennes françaises. Très agréable d'y vivre, on la surnomme la Belle endormie, en référence au conte évidemment, dont le château n'est pas très loin de Tours (le château d'Ussé), mais surtout car Tours est une belle ville qui repose surtout sur sa culture et son Histoire plutôt que sur le dynamisme économique.
Terre rabelaisienne, les gens y aiment le bon-vivre, bien manger et bien boire (surtout du Montlouis et du Vouvray ou du Chinon et du Bourgueil) et profiter du temps. Le climat y est légèrement plus doux que les villes un peu plus au nord et pour cette raison les rois y avaient choisi d'installer leur château de plaisance, profitant aussi de vastes domaines forestiers pour la chasse.
La Loire que l'on surnomme le fleuve sauvage, y reste très préservée et vous pouvez observer toutes sortes d'oiseaux ou d'animaux. Beaucoup de pistes cyclables permettent de profiter de la ville en vélo et vous avez de magnifiques parcours en bord de Loire. Cela reste une région relativement pluvieuse et froide comparée au sud de la France, mais la vie semble un peu plus douce à Tours, que dans bien de villes similaires à la même distance de Paris et la plupart des gens qui y ont vécu gardent un bon souvenir de cette ville.
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
Je suis allé à votre ville natale il y a quelques temps pour travailler mais je n’ai pu profiter que le centre-ville car c’était un aller-retour dans la journée. J’aimerais retourner dans la région de la Loire pour passer plus longtemps car je la trouve agréable au niveau du paysage et de l’ambiance.
Les villes où il y a beaucoup d'étudiants ont une atmosphère académique, sont diversifiées et culturelles, et offrent une mode de vie plus humaine que celle axée sur l'argent. Si je devais un jour quitter Paris, je pense que je pourrais envisager de m'installer dans une ville de la Loire…
Ce voyage étant trop court, je regrette de n'avoir pu visiter que Chenonceau et Tours. La prochaine fois, j'aimerais faire un voyage en me concentrant sur les villes et les châteaux de la région de la Loire.
南仏記⑦ オレンジの屋根の下への応援コメント
J'ai beaucoup aimé vos descriptions d'un monde que je connais bien.
作者からの返信
クリスさん、Merci pour votre commentaire.
La lumière et le paysage sont éclatants dans le Sud. Il est précieux de passer un moment dans un monde différent de celui de Paris.
編集済
ルーアンの旅④ 風通しのよい空気を求めてへの応援コメント
J'ai ressenti un peu la même émotion à Rouen. Il se trouve que j'ai un très bon ami qui est natif de cette ville et il m'avait dit lui-même un peu du caractère des Rouennais.
Je suis tombé sur deux taxis très sympas et l'ambiance me paraissait saine partout où je passais.
D'une ville à une autre, l'ambiance peut être très différente, même dans la même région ou le même département, et il est vrai que Rouen est une ville sympathique.
P-S: Concernant la neige, je vis dans une ville où il est très très peu probable de la voir, au soleil. Je déteste le mauvais temps et j'ai finalement opté pour la solution du Sud-Est. J'ai vu dans les infos qu'il a neigé au nord, mais de notre côté, c'était comme d'habitude soleil et températures clémentes.
Excellent week-end à vous également.
作者からの返信
Merci pour votre commentaire. Si votre ami originaire de Rouen a dit ainsi, je suis rassuré que mes observations n'étaient pas fausses. J’ai ressenti cette ambiance ouverte et relaxée dans la ville, qui était précieuse parce qu’en général les touristes n’ont pas vraiment de contact aussi amical avec des gens locaux. Ce que j’ai vu n’est qu’une partie de Rouen, mais je garderai un bon souvenir pour cette ville.
Il a neigé à Paris, environ 5 centimètres. Les bus ont été arrêtés, les trains perturbés (comme d’habitude), mais malgré ça je ne déteste pas ce paysage.
Mais vous avez raison. Pour la santé mentale (notamment pendant l’hiver) il est mieux d’habiter dans une région ensoleillée.
ルーアンの旅③ カマンベールの味への応援コメント
カマンベールに関する柊さんの良い体験を聞いて、日本でのチーズにまつわる私の少し残念な体験を思い出しました。
チーズに関して言えば、まったく独創性はありませんが、私は非常にフランス人的です。多くの同胞と同じように、私はチーズを限りなく愛しています。ただし最近は、健康を優先するために、その愛情を少し抑えるようにしています。
日本で暮らし始めてしばらく経った頃、どうしても我慢できずにスーパーでチーズを買ったことがありました。しかし、それがフランスで知っていたものとはまったく違い、ほとんど塩気がないことに気づいて大変驚きました。チーズを食べているというより、チーズ以外の何かを食べているような感覚でした。
その後、経済的に少し余裕が出てきてからは、頻繁ではありませんが、ときどき輸入チーズを専門店(飯田橋にあった店です)で買うようになりました。値段は、私が知っている本来の価格と比べると非常に高く(時には6倍ほど)、それでもフランス人としての自分が勝ってしまい、つい買ってしまうのです。
私は『美味しんぼ』の大ファンなのですが、弁当に入っている梅干しの、あの派手な赤色のものや、スーパーで売られている塩、そして同じように工業的に作られた食品しか知らない外国人たちは、本当の「味」を知らずに損をしているのではないかと思います。それはとても残念なことです。
だからこそ、柊さんがノルマンディーで本物のカマンベールや、オーヴェルニュのブルーに出会えたことを、私はとても嬉しく思います。
昨日のご質問にお答えしますと、私は現在フランスにいます。
エッセイの中では、その後の私の体験については書いていません。というのも、自分の人生を網羅的に報告することが目的ではなかったからです。しかし、私はしばらく前にフランスへ戻りました。
長い時間を日本で過ごした後に、再びフランスの生活に慣れていくという経験は、それだけで一本の別のエッセイが書けるほどのテーマだと思います。
私の職業上の活動は、エッセイの最後で述べたものと今も変わっていません。そのため、現在の私の日常生活は、依然として日本と非常に深く結びついています。
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
フランスのチーズで育ったら日本のスーパーにある製品はまったく違った食べ物に感じるでしょうね。どんなに高いと分かっていても「その味」でなければいけないというお気持ち、分かる気がします。
フランスの中にいても、スーパーのカマンベールで味を知っているつもりになってはだめですね。ただ、味が分からない頃に食べたものはむしろ苦手意識を植えつけるので、大人になって色々と味が分かるようになってから食べるべき物もあると思います。
いずれにせよこの歳になってやっと本当のカマンベールやブルーが美味しいと思えるようになったのは幸せです。
てっきり日本に住んでおられると思っていたので驚きました。それぐらいクリスさんのエッセイが生き生きと日本を描いておられたからです。母国といってもずっと日本に慣れたあとでは色々苦労されたと想像します。
雪も融けましたね。よい週末をお過ごしください。
ルーアンの旅② 木組みの家と火刑台 への応援コメント
Sur cette place, il y a en outre, la plus vieille auberge de France si je ne m'abuse.
作者からの返信
La plus vieille auberge de France ! J'aurais voulu la voir...
Merci pour cette information intéressante.
ルーアンの旅① 百の鐘が鳴る街への応援コメント
私は昨年の夏、ルーアンとノルマンディー海岸を訪れました。
確かに、ルーアンは建築だけを見ても訪れる価値のある街です。
石のレースのような大聖堂のファサードは本当に見事で、細部の繊細さに思わず見とれてしまいました。
ノルマンディー地方そのものも、家々を見るだけで訪れる価値があります。フランスはほぼすべての地域がそれぞれ独自の建築的特徴を持っており、それがこの国をとても魅力的な旅行先にしていますが、私は特に、複雑な屋根を持つノルマンディーの家々がとても美しいと感じました。
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
フランスにはよく来られるのでしょうか。ノルマンディーは内陸も海沿いもとても魅力的です。昔は天気の悪さが嫌でしたが、今はその天候がかえって独特の雰囲気があるとも思っています。
石のレースという言葉がぴったりの大聖堂には圧倒されます。
木組みの家など、一見同じに言えますが、地方によって特色があるんでしょうね。今度は観光よりも風景だけに注目して旅をしてみたいです。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
あの火災は衝撃的でしたが、修復でそこまで印象が変わるのですね……! なんとなく「経年劣化や汚れも魅力の一つ」という意識が自分の中にあります。
生クリームたっぷりのデコレーションケーキw ぱっと情景が頭に浮かびました。
作者からの返信
橋本さん、コメントありがとうございます。
見てすぐに思ったのが生クリームのデコレーションケーキでした(笑)
そうですね、傷んだり汚れたりするのも歴史を積み重ねてきた魅力がありますよね。イタリアも古い建物や美術品のメンテナンスは大変だろうなと思います。これからも続く課題ですね。。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
人間の創造力と、その価値をそのまま受け継ごうとする人々の情熱の凄まじさ。建築や絵画、音楽。全ての芸術に共通することですね。
今年は、5年に一度のショパン国際ピアノコンクールの年でした。ショパンの残した傑作たちをどう演奏するか。曲に込められた思いをどんな音で弾くか。ピアニストたちが火花を散らしてぶつかり合うコンクールの経過を固唾を飲んで見守りました。
創作する歓びと、表現する歓びを思い出させてくれた、本当に尊い時間でした。
作者からの返信
aoiさん、コメントありがとうございます。
ショパンコンクールにかけるピアニストの情熱とそれを見守る側の高揚が伝わってくるお話ですね。ショパンの残した創作に向かい合って現代のピアニストがその価値を受け継ぐところには、ノートルダムの修復と共通したものを感じます。どちらも過去の創作への大きな尊敬の上に成り立っているんですよね。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
絵画の修復も、修復前の、年月のベールを一枚かけた古色蒼然とした感じの方が良かったりしますよね。古代ローマやギリシア彫刻も色を復元すると、ぷっと噴き出したくなるほど滑稽に見えます。モノトーンのままのほうが素敵。
ノートルダムの大聖堂も随分とすっきりして、映像で見ても、まるでテーマパークの新品の造り物のように見えました。なんだか違う(笑)という感じがありますよね。
作者からの返信
朝吹さん、コメントありがとうございます。
絵画なんかもそうですね。劣化を防いで良い状態に守らなければならないのと年月のベール(美しい表現)とのせめぎ合いみたいな。時間のつける箔というのは特別な重みがありますね。
再開ブームの中では、ノートルダムが信仰の場所よりも観光地、美術館のような(ちょっとミーハーな)位置づけが強くなったようで、記憶の中の景色を取っておきたいという気持ちになります。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
こんにちは。
もう中に入れるほどに修復されていたのですね。長い間の塵を掃うと真っ白な姿に、、それは清らかな聖母に相応しいのでしょうけど、違和感を感じてしまうのもしかたないですね。
火事の前に訪れたときは歴史ある荘厳な空気にふるえましたが、次訪れるときは果たしてどのように感じるか、楽しみです。(いつになることやら・・・)
作者からの返信
久里さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
一年前に再オープン?したときはとても気楽に行ける状態じゃなかったので、今回はすんなり入れてよかったです(それでもすごい人混みでしたが)
修復されたのは喜ばしいですが、あの独特の重たさが懐かしいのは本音ですね。久里さんにもいつか見比べていただきたいです。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
あの火事はショッキングでしたね・・・そしてキレイになって蘇っているのですね!違和感ありありながら、実は本来はそんなにキレイだったんですね~生まれた変わったノートルダム、いつかお目にかかりたいです。パリに行けるのはいつのことやら・・・ちょっと気持ち遠ざかっています。
作者からの返信
神原さん、コメントありがとうございます。
古い姿に慣れていた目からすると違和感ありありですが、これが本来の姿と言われると頷かざるを得ないという、不思議な気持ちでした。
それにしても為替レートには驚かされています。物理的に難しいと気持ちまで遠ざかりますよね。いつかまた近づいてほしいです……!
編集済
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
セイヨウヒイラギが“主役”の日にお邪魔致します。
その日の気分の赴くままにフラリと、とは行かず、時間制・予約制によって整序される、そう云った空間が殊に疫禍以降は多くなったような気も致します。かつてはフラリと立ち寄れた映画館はもとより、美術館や博物館やにしてそうなのですから、並て人気の観光名所たる歴史的建造物(然も“復活”の待ち望まれていた)ともなれば致し方のないことでもありましょう。
心惹かれる建物の外観であるとか展覧会のポスターの文言やデザインやに誘かれて“行き当たりばったり”に、肩の力を抜いて訪れられる場所が少なくなっていることに一抹の寂しさを覚えつつ(などと口にするからノスタル爺などと揶揄されるのでしょう)、総て予め定められた計画に則って動いて行く社会、隙なくシステマティックに、効率よくスムースに動いていくことを追求する世界から消え逝く“何か”……或る方はそれを“ノイズ”と形容していらっしゃいましたけれど、傍観するよりない私にはそれでもその“何か”に非常に興味を唆られても実はいるところです。
大聖堂のお写真、近況ノートで拝見しました。慥かに「白い──!」ですね……私は十年程前に“お色直し”を終えた姫路城の姿を見た時、同じ心の叫びを上げていたこと思い出しました。白という色にはプラスのイメージもありましょうけれど、こと文化財においては如何にも、それまでの歴史の蓄積(垢とは云いますまい)が総て“漂白”されてしまったかのような心許なさをも惹起するようです。時が散り積もったと云う確かさに対する信頼と安堵、そして時を超えて存在してきたことの証明であるパティナの質感は、これだけ早さ・速さが持て囃され、欲すれば直ちに手に入る生活に慣れてしまった現代人にとって、“直ぐには手に入らないもの”=数少ない例外としても異質な価値を持つのかも知れません。とは云え、おろしたての寝具の些か硬く余所余所しい肌触りもいつしか肌に馴染んで来るように、見慣れぬ景色も又、やがてはありふれて溶け込んでしまうでしょうか。
にしましても、今年は柊さんから沢山のコメント、拙文に頂戴してばかりでした。本当に有り難うございました。叶いますれば、来たる年もご交誼賜りますと幸甚です。
作者からの返信
工藤さん、コメントありがとうございます。そういえばこのノートルダムを見た日にシテ島の花市場を通りかかりました。もみの木が売られているのですが、それに混じって小さな柊の鉢植えがあったのを思い出しました。
確かにコロナのあとからどこへ行くにも時間制・予約制が顕著になりましたね。ふらっと思い立って出かけられる気安さがなくなって、何事もきっちり準備しなければならないのは、生活の中に遊びというか隙間がなくなって寂しいものです。なんでもアプリだのサイトに登録だので予約を押しつけられて。確かに効率的なんでしょうが、本来「行き当たりばったり」こそが人間のリズムに正直であり、日常の面白いところで、それをノイズとして取り除いていくのはなんだか野暮に感じてしまいますね。
修復された大聖堂にはよかったという気持ちが大きいのは確かなのですが、その白さを見たときにそれまでの時間の重みまできれいになってしまったようで(漂白という言葉は言い得て妙です)どうしても寂しさを感じずにはいられませんでした。自然とは言えない速度がものをいう世の中で、年輪のような質感に人間が惹かれるのは自然の感覚なのかもしれません。
今年は工藤さんの作品に触れて、自分の日本語力、知識や教養が足りないことを痛感させられました。自分のような者でよろしければ、ゆっくりですがまた勉強させていただきたいと思います。こちらこそありがとうございます。
編集済
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
生まれ変わって再び立ち上がった姿はまるで不死鳥のようですね。
(しかも本当に炎の中からなんて)
美しくなってより一層注目が集まる場所になったことで、おっしゃる通り二面性を抱えざるを得ない現実でもありますね。
サグラダファミリアの地下礼拝堂のように、観光目的での立ち入りができないようにするのが良いのか、そこは本来信仰の場であることを目の当たりにできる空間である方が良いのか。
それについての正解はありませんけれど、柊さんが「経年劣化と埃と煤にまみれた以前のノートルダムを本来の姿のように感じてしまう」のは分かる気がします。
だってその劣化や汚れは、揺蕩えども沈まずに経てきた時間の積み重ねそのものですから。毎年のように煤落としするのが風物詩であれば別ですが、一掃してピカピカだと驚いちゃいますよね。
作者からの返信
ポロさん、コメントありがとうございます。
本当に炎の中から、ですね。そういえば焼け残った十字架が祭壇にあるのを見て感慨がこみ上げました。
以前のノートルダムも宗教施設であり同時に観光地だったわけですが、たとえ観光目的で訪れたとしても、積み重ねた空気の重みに呑まれるようなものがありました。それは日本の宗教施設にも共通しますね。
僕が恋しがっているのはもう二度と戻らない「老い」で、忠実に復元された(昔に戻った)ことを新しいもののように感じているのが矛盾しているなあと自分でも思います。そうですね、いっそ毎年煤落としする方が違和感がないかも(笑)
でもこんなことを言っていられるのは無事に修復されたからで、まずはそのことを純粋に嬉しく思います。ずっと不死鳥でいてほしいです。
編集済
窓越しの訪問者への応援コメント
Les merles et ensuite les mésanges. Décidemment, vous avez le chic pour bien choisir vos thèmes ; ce sont mes deux chants d'oiseaux préférés !
Contrairement au merle qui lui est très prolixe, la mésange a un chant court à deux tons, très facilement reconnaissable et bien qu'on l'entende toute l'année, à entendre ce chant si cristallin, on a toujours l'impression qu'elle annonce un printemps.
La mésange a donc longtemps été un réconfort pour moi dans les saisons froides (que je n'aime plus particulièrement) car son chant perçant, m'a toujours donné un sentiment d'espoir et de chaleur.
Pour cette raison aussi, votre chapitre m'interpelle tout particulièrement.
La mésange est bien plus farouche que le merle par contre, elle se laisse moins observer se cachant souvent dans les arbres et fuit très facilement.
作者からの返信
クリスさん、merci pour votre commentaire. Quand je pense aux chants d'oiseaux agréables à entendre en ville, ce sont naturellement ceux du merle et du mésange.
Pour moi, le chant des mésanges annonce l'arrivée du printemps. En fait, j'ai installé discrètement un nichoir à la terrasse en espérant qu'ils viennent s’y installer. Il leur arrive très rarement de venir y jeter un œil, ce qui me donne un peu d'espoir, mais jusqu'à présent, ils ne semblent pas vouloir y emménager…
編集済
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
再建途上の一般公開。関係者の感慨はひとしおでしょう。
宗教に疎い日本人ですら、炎に包まれるノートルダム大聖堂はショッキングなニュース映像でした。
━━最終的には職人の手によって根気強く直されたものだ
洗浄と『復元』。
日本の歴史的建造物も度々修復されていますが、やはり経年劣化した色彩に慣れている現代人
『本当の姿』に先ずは違和感。笑
(極楽を現す、極彩色ですからね…)
復元と言っても、特定の現代人のアレンジが入ってしまうので、(え…)という解釈の描写に見える作品も。
比べると昔の稚拙は味に見えるので、好き嫌いのレベルなのですが。
あるいは、厳密なレプリカではないことに、東洋的な意味が有るのかもしれませんね。
西洋と東洋の違いがありそうで、ちょっと図書館に入り浸りたくなりました。笑
作者からの返信
サバトラコさん、コメントありがとうございます。
修復作業の過程についてどこかに書いてあったのですが、「こういう色だ」と思い込んでいた柱の汚れを落とすと、思いがけないほど鮮やかな色が隠されていた、というのを読みました。それが本来の姿ということなんですが、寂れた色を見慣れている現代人には「違和感」なのですよね(笑)でもイメージを上書きするのってなかなか難しいんですよ。
以前、絵画の修復の行程を職人さんの説明で見せてもらったことがあります。あくまでもさわりでしたが、忠実に再現するにもその職人個人の「色」が出るのかな、なんて思ったものです。
東洋と西洋で修復に対する考え方も違うのでしょうか。面白そうです。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
柊圭介さん。
ノートルダム大聖堂の内部の修復工事が終わり、一般に公開されたのはちょうど一年前のことだったのですね。
これは一度見ておきたいですね。
近況ノートのバラ窓、本当に美しい!!
>自分もアリになって行列の最後尾につく。
この表現には思わず笑ってしまいましたが、それほどの長蛇の列だったのですね。
予約すら数か月待ちとはね。
でも、以前の面影がないほど本当にすっかり生まれ変わったのですね。
それは見事だったことでしょう。
行く機会はないと思われるのでこうしてお話を聞かせて頂くのはとても嬉しく興味深く読ませて頂きました。
ありがとうございます✨✨
作者からの返信
この美のこさん、コメントありがとうございます。
そうですね、ちょうど1年前に来賓とか招いてお披露目をやってましたね。その際には消防士たちや修復に携わった人たちが参加していました。
バラ窓は写真を撮る人が一番多かったですね。自分もそのうちの一人ですが(^^;
予約すれば待たずに入れるようですが、当日だとアリの行列ですね。でも完全予約制とかじゃなくてよかったです。
元通りに修復されているのですが、雰囲気がかなり明るくなったのが予想以上だったというか。。記憶の中のイメージがちょっとだけ恋しかったりもするのです。勝手なものですが。
興味を持って読んでくださって嬉しいです。こちらこそいつもありがとうございます✨✨
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
あの火事からもう再建できたのですね。早い!確か光の速さでドネーションが集まったのですよね?それだけ地元の人に愛されてるんですね。
作者からの返信
ねn母猫さん、コメントありがとうございます。
火災から5年半ぐらいですかね。その間にコロナがあったり、順調ではなかったと思います。寄付はフランスだけじゃなくて世界中から集まったと聞きました。それだけカトリックの象徴的な建物なのでしょうね。。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
近況ノートにコメントを残してから来ました。あ、やっぱりミサの最中だったんですね! ちょっとアフリカなまりの司祭さんというところが、なんともフランスらしい感じがして、それが人間味があるという部分がなんだかジーンとしました。
そしてやっぱりアリのように列に並んだんですね^^
それだけの価値がある歴史的瞬間を観にいかれたのだと思います。
生まれ変わったノートルダム、私も行ってみたいです!
作者からの返信
鐘古さん、コメントありがとうございます。
そうそう、鐘の音はミサを知らせるもので、写真に入ってたのはこの司祭でした。かすかなアフリカ訛りって、ちょっとかわいい響きがするんです、うまく言えないんですが。素朴というか、ほんわかしているというか。。厳格な口調じゃないのがすごくいいのです。そこに居合わせることができたのも、教会の原点を見るようでよかったです。
パリはどこもアリの行列だらけですが、その分の価値はあるなあと思いましたね。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
火災や災害は必ずしも食い止められるものではありませんから、またいずれ起こってしまうのかもしれませんが、諦めなければ蘇らせることができるという人間の底力を見せていただいた気分です。
蘇ったノートルダム大聖堂を見て明るい気持ちになれた人もきっと多くいたでしょうね(^^)
作者からの返信
五十鈴さん、コメントありがとうございます。
あの火災は夜じゅうずっと中継されていて、沢山の人が絶望的な気持ちになったと思います。だからここまで修復されたことは、仰るとおりきっと蘇らせるという意志の力ですね。
やっぱりこの大聖堂は多くの人の拠りどころでもあると、改めて思います。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
柊さん、アリ🐜になって行列の最後尾に並んで下さってアリがとうございました。
またひとつ教えて頂きました。
柊さんの作品読者の方には、元々ヨーロッパの歴史や建物や文化などに興味があったり詳しい方も多いようですが、全く無知な私にも難しくなく興味を持って楽しく読めるものばかりです。
ノートに載せて下さったお写真と相まって、2つの顔(生きた信仰の場・世界的な観光スポット)をとてもリアルに感じられました。
「修復」とは何かも考えさせられますね。
作者からの返信
風羽さん、コメントアリがとうございます。
>難しくなく興味を持って楽しく読める
これはとても嬉しいです。公開している以上は、少しでも読んでくださる方にもリアルに感じられるものが書きたいです。個人的な感覚を文章にしてしまうことも多いですが、それを理解していただけると励みになります。
時間を巻き戻すような修復にかえって時間の積み重ねが消えたような気持ちになるとは予想外でした。そういう気持ちを書き残しておいてもいいかなと思いました。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
パリの人々の反応はどうなんでしょうね。
たとえ火災によるものとしても、古いものが新しいものに取って代わられるのは寂しい気もします。本当にそれでいいのかと。
でも元の通りの中身に改装しないで、新しい内装にしたのは、それなりに考え抜かれてのことでしょう。
また古きパリが一つ消えたと考える必要はないんでしょうね。
作者からの返信
レネさん、コメントありがとうございます。
周りの人と話したことがないので行った人がどう思ったかはわからないんですが、修復されたことは純粋に喜んでいると思います。
内装自体は、ちょっとした配置替え(案内所とか)はあるにしても中身は同じです。むしろよくここまできれいに復元されたと思います。
昔のノートルダムではなかったと書いたのは、あの古めかしさや薄暗さ、何百年と積み重なった独特の雰囲気のことでした。それを懐かしいと思う人はもしかしたらいるかもしれません。
今は真っ白ですが、ここからまた少しずつ歳を取っていくのでしょうね。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
更新、とても嬉しいです (*ˊᗜˋ*)
ノートルダムの工事、着々と進んでいるのですね。
近況ノートのお写真を拝見すると、何て美しいのだろうと素直に思ってしまいますが、以前の姿を見慣れていた方にはそれだけではないものがあるのでしょうね。
柊様もお体を大事になさって、良いお年をお迎えくださいませ (* ᴗ ᴗ)⁾⁾
作者からの返信
ハルさん、コメントありがとうございます。さっそく読んでくださって嬉しいです (*ˊᗜˋ*)
工事が始まったときは本当に元に戻るのだろうかと心配しましたが、熱意と努力って実るものだと見せつけられますね。古さの醸し出す魅力はまたこれからついてくるのだろうと思います。
ハルさんもどうかご自愛ください。よいクリスマスを🎄
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
「ノートルダムの鐘」はディズニー映画でしか知らないのですが、やっぱり柊さんはユゴーの原作を読んでいるのでしょうか?
やたらと暗くて長いという噂ですが(^^;)
見慣れた姿がすっかり変わったら、違和感があるでしょうね。
でも、元の姿に戻ったのなら、これからまた歳月を重ねて柊さんが知っている姿に近づいていくのかもしれませんね。
何はともあれ、近況ノートの写真はとても美しかったです!
作者からの返信
陽咲乃さん、コメントありがとうございます。
残念ながら端から端までは読んでおりません( *´艸`) でもやたらと長くて暗いのは正解ですね。みんな死んじゃうので、ディズニーは正反対のエンディングですね(笑)
中身は同じなのに急に若返ったような戸惑いがありましたね。ここからまた歳を積み重ねて凄味を持っていくんだろうなと思います。
真新しい姿を拝んでおくのもよい経験でした!
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
昔のノートルダムではなかった。
その言葉がなんとも響きました。白く美しくなった美術館のような寺院。なんでしょうね。火事にも驚きましたが、本来の姿に戻ったようですが、歴史が消えてしまったんでしょうね。
いつも通り、趣の深いエッセイ、楽しんで読ませてもらいました。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
そうですね、なんというか、美術館ぽいと。煤けたり汚れていくのもそこから醸し出す味があって、歴史の一部ですよね。それがきれいになってしまったのはいいことのような寂しいことのような。その辺の微妙な感傷が残りました。
こちらこそ、いつも優しいお言葉をかけて下さり、本当にありがとうございます。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
近況ノートを拝見しました。
きれいになったねえ~って思わず言言いたくなる柊さん。
お顔が浮かびました。厳かでありながら、現代的。美しいしかわいらしい。
アリの行列になってでも見たい。それほどの価値がある建物ですね。
神社仏閣のように古ければ古いほどいいわけではないのが伝わりました。
作者からの返信
ハナスさん、コメントありがとうございます。
復元したというより新築のように見えましたね。長年の汚れがかえって箔をつけていたんだなと思いました。でも決して軽くなったわけではなく、新鮮になったという感じでしょうか。若返ったという言葉が似合います。
そういえば神社仏閣って補修しながらいい状態を保っているんでしょうか。古い建物の保存はどの国でも課題ですね。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
こういうの見ると、人が宗教にかける情熱というのをまざまざと感じますね。
作者からの返信
関川さん、コメントありがとうございます。
寄付もあっという間にたくさん集まったそうですね。宗教に加えて、歴史的建造物に対する敬意というか、守る使命感みたいなものを感じますね。
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
ノートルダムと聞くと、私はむかし観た映画がまず浮かびます。ちょっと検索して確かめたところ、どうやらアンソニー・クインがカジモドを演じた『ノートルダムのせむし男』だったようです。今はこの邦題はアウトなんでしょうねえ。
あの映画の影響というわけではないかもしれませんが、私のなかのノートルダムも、灰色で重厚で、どこか薄暗くて、歴史そのものが積み重なった場所というイメージでした。だから、柊さんの「白い──!」という驚き、すんごいわかる気がします(笑)
数百年の〝歴史の色〟が消えてしまったのは、観光スポットとしては少し惜しい気もしますが、おっしゃるとおり、生きた信仰の場所なんですね。その、生まれ変わった瞬間に立ち会えた柊さんを、とても羨ましく思いました(ノートルダムにとって火災は災難でしたが)。
いつもながら惚れ惚れするエッセイでした。読んでいると、自然に優しい声のナレーションが聴こえてきました……♡(*´∀`*)ウットリ
作者からの返信
烏丸さん、コメントありがとうございます。
そういえば昔のタイトルってせむし男という言葉が使われているんですよね。確かに、今ではもう使うことができないでしょうが、その言葉の中にカジモドの哀愁とか純粋さが込められてるんじゃないかな、と思います。
以前のノートルダムには暗い物語が似合いそうな雰囲気がありましたね。誰かがひっそり住んでいても不思議じゃないような。塔なんかはまだそんな空気が残っているかも知れませんが。
今回は火災という大きな原因がありましたが、古い建造物はメンテナンスが大変だと思います。ルーヴルもだいぶ問題になってますし。綺麗で健康な状態にすることと、歴史の積み重ねという味との両立というのも、また難しいところです。
久しぶりに書いてちょっと緊張しましたが、嬉しいお言葉に励まされます。ありがとうございます!
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
ノートルダム大聖堂は、20年ほど前にパリ旅行した時に特に印象に残っていた場所で、あの火事のニュースはショックでした。
近況ノートの写真も拝見しましたが、見事に修復されたのですね。
>考えてみれば修復とともに長年の汚れを落としたのだから、これが本来の姿なのだ
なんだか不思議な感覚ですよね。大聖堂が初めて建てられた当時の印象も知りたい。
ここからまた新しい歴史を積み重ねていくんでしょうね。
作者からの返信
陽澄さん、コメントありがとうございます。
あの火災は思い出すと胸が痛みますね。ここまで修復されて本当に良かったです。
昔の印象がしみついているせいで、これが本来の姿というのがなかなか飲み込めないんですよね。僕も当時の景色を見てみたいです。
沢山の人の手が関わっているのを感じました。これからは無事に歳を重ねていってほしいですね。
編集済
生まれ変わった大聖堂への応援コメント
しんみりと胸に入ったやさしいさざ波が聴こえるような名エッセイですね。
ずっと昔、塔の上へ昇って巨大な鐘を見たのを思い出した。
← 柊圭介さんは古くからのパリの住人でいらっしゃる事実に改めて思いを馳せました。
作者からの返信
上月さん、コメントありがとうございます。そのように感じていただけたら久しぶりに緊張して更新した甲斐があります(笑)
塔の上、昇るのは大変なんですが、セーヌ河を見下ろす眺めが素晴らしいです。今はまだ昇れないようですが、いつかこれも解禁になるといいですね。
編集済
小春日和のトゥッサンへの応援コメント
J'ai assisté, sans le vouloir, à l'enterrement de Duras.
J'étais étudiant et venu ce jour-là pour me recueillir sur la tombe de Baudelaire (qu'il partage avec sa mère et le beau-père qu'il détestait, si je ne m'abuse, donc pour cette raison qu'elle n'est pas vraiment "la tombe de Baudelaire" et qu'elle est un peu modeste. Il y a toutefois un cénotaphe du poète près d'un des murs du cimetière assez loin de là où se trouve sa tombe, de mémoire) et celle de Soutine.
En cherchant celle de Soutine, je suis tombé sur celle d'une personne qui est l'une des "hontes de la nation", Pierre Laval.
Je me suis amusé de celle de Ionesco et de son épitaphe, ému de celle de Nerval ou de St Saëns. Passé devant celle de Beckett etc.
Tout d'un coup, j'ai vu un petit attroupement de personnes à l'entrée du cimetière, tout cela me paraissait un peu différent d'une personne ordinaire et en questionnant un passant, il m'a dit "On enterre la Duras!"
J'avais oublié qu'elle était morte quelques jours auparavant.
Il se trouve que je n'ai jamais particulièrement apprécié l'écriture de Duras, alors, j'ai attendu que ses proches et admirateurs dégagent l'entrée; pour interrompre et filer et laisser le cimetière à leur recueillement, en passant en vitesse devant la tombe de Sartre et de Beauvoir.
J'adore Maupassant, mais je ne me souviens pas d'avoir vu sa stèle.
追加
Il est vrai que ma vie est émaillée de quelques moments singuliers et un ami me faisait la même remarque que vous récemment. Mais à bien y réfléchir, ce n'est pas si étrange que cela. J'ai vécu à Paris, qui en réalité, comme vous le savez, n'est pas une si grande ville, alors il n'est pas rare de croiser quelques vedettes si on s'intéresse à pas mal de choses. Ensuite, j'ai vécu au Japon, principalement à Tôkyô, mais en tant qu'étranger, là aussi ce statut m'a plusieurs fois permis de vivre quelques expériences singulières, parce que j'étais moi-même à l'époque une présence un peu rare. De plus les fonctions que j'ai exercées m'ont permis là aussi de vivre des choses ou de rencontrer des personnes qui sortent de l'ordinaire. Et pour terminer, étant de nature assez curieux, il m'est arrivé de parler beaucoup ou de questionner beaucoup et donc d'avoir été témoin de plusieurs choses.
Par exemple, comme cette anecdote avec Duras, si je n'avais pas été curieux, je n'aurais pas demandé au Monsieur ce qu'il se passait, et je n'aurais pas su que c'était Duras que l'on enterrait. J'aurais continué ma visite, sans me poser trop de questions, et serais passé à côté de cette anecdote.
Si j'étais resté dans ma ville natale et que j'avais eu une vie sociale très limitée avec un emploi ordinaire, nul doute que j'aurais moins d'anecdotes à partager.
Merci pour votre précision sur la stèle de Maupassant. Si je refais un tour par Montparnasse un jour, j'irai la voir et je penserai amicalement à vous.
作者からの返信
Merci pour votre commentaire.
J’ai l’impression que vous ne manquez jamais un moment singulier et rare. Les fans japonais de Duras sur ce site auraient sans doute voulu prendre votre place.
Grâce à ce que vous m’avez expliqué j’ai compris pourquoi la tombe de Baudelaire était si modeste. En général j’aime mieux des tombes qui ne sont pas trop décorées, mais celle-ci me semblait un peu trop cachée et triste.
Je suis venu plusieurs fois dans ce cimetière, mais je ne me souviens toujours pas qui y est enterré. En voyant des noms que vous avez cités, je me suis rendu compte que je n’avais pas assez visité, et je trouve que c’est quand même étrange que des personnes aussi différentes (la honte et la fierté de la nation) reposent dans le même cimetière.
La tombe de Maupassant se trouve dans l’annexe du cimetière.
編集済
時を超えるパッサージュへの応援コメント
一見すると不思議に思われるかもしれませんが、私がパサージュを知るようになったのは、日本のおかげでした。
当時、私はパリで学生をしていましたが、あの有名なパリのパサージュを一度も通ったことがありませんでした。ところがある日、NHKのバイトで、ニュース番組の取材撮影にビデオアシスタントとして参加することになりました。撮影は二、三日にわたって行われ、クリスマスのパリの様子を生中継で紹介するものでした。その中の一つのエピソードが、柊さんがとても美しく描写されていた、あのパサージュの一つを舞台にしていたのです。
その後、好奇心から改めて訪れてみましたが、昔ながらの店や骨董屋が並ぶ、あの古いパサージュがすっかり好きになってしまいました。柊さんの章を読んで、私は当時の年月に再び引き戻されたような気持ちになりました。
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
確かにパッサージュが日常の生活の中に入り込むことはあまりないでしょうね。自分もわざわざそれを目的に出かけることはないですが、2区から9区あたりへ行くと、ちょっとパッサージュのはしごをしたくなります。
観光客に人気のパッサージュもいいですが、ほとんど忘れられているような寂れたところにも惹かれます。そしてそういうパッサージュを取り壊したりせず、余計な改装もせず、そのまま放置してあるいい加減さがなんとも居心地がいいです。
それにしてもNHKのバイトがきっかけとは、ここでも日本との縁を感じるお話ですね。
編集済
フランス人の名前への応援コメント
C'est un passage très original et amusant que votre réflexion sur les prénoms.
Pour ajouter à votre réflexion :
Marius, Marcel, Gaston sont des prénoms considérés comme désuets. Comme vous le savez, les Français avons une longue tradition de la plaisanterie, une culture de la blague qu'on se raconte de générations en générations et quand vous inventez un personnage, nous avons des prénoms classiques pour marquer le caractère du personnage.
Marcel ou Gaston sera donc classé comme très "passé de mode", ou Germain, très champêtre. Dans les blagues, les paysans s'appellent souvent Germain.
Gérard ou Robert ou Roger, sont considérés comme ringards. Si on se réfère à un personnage ringard, on l'appellera souvent Gérard (voire Gégé), Robert (Bébert) ou Roger. Si vous connaissez les comiques les Inconnus, vous comprendrez. Ces prénoms revêtent un aspect prolétaire.
Pour les prénoms bourgeois, on ira plutôt sur des prénoms composés, Marie-Chantale est le prénom bourgeois typique dans les plaisanteries, et pour les hommes, on aura des choses un peu rares, comme Jean-Eudes ou Pierre-Henry par exemple.
Pour les femmes, Gertrude et Germaine sont des prénoms classiques pour évoquer la désuétude et le côté paysan, mais aussi Lucette, Georgette, Paulette, Henriette (des prénoms très en vogue au début du XXème siècle) qui sont des prénoms de "grand-mères".
Les prénoms qui se terminent par A, sont souvent perçus comme érotiques (influence des pays slaves et scandinaves ?) et légers. Ulla est le prénom érotique stéréotypé à cause du minitel rose des années 80 (3615 Ulla), mais aussi des Samantha, Sabrina... (qui rappellent les séries américaines mais aussi les chanteuses sexy des années 80 (Sabrina et son "boys, boys, boys", ou Samantha Fox)
Beaucoup de prénoms sont connotés en France, soit à cause des blagues, soit à cause des phénomènes sociaux. Par exemple, les Français des HLM ont à partir des années 80 commencé à mettre des prénoms américains à leurs enfants parce qu'ils étaient fans de séries américaines et qu'ils trouvaient cela de bon goût (à l'inverse du reste de la population) Ainsi, on a vu des garçons appelés Teddy ou Jordan, et chez les filles Jennifer, Kelly...Quand vous rencontrez une personne adulte qui a un tel prénom, vous avez 99% de chances qu'elle vienne d'un milieu très modeste.
Depuis quelques années, les prénoms exotiques sont à la mode, avec des Mia et des sons en A pour les filles. Les prénoms d'origine bretonne aussi sont très prisés, Killian par exemple, Gwenaël, Maël etc.
Et beaucoup plus récemment, j'ai constaté un retour à de vieux prénoms un peu oubliés et parfois littéraires chez les Français que l'on appelle "bobos". Des prénoms comme Basile, Théophile, Octave etc. qui étaient plutôt des prénoms du début XXème reviennent en force.
Pour terminer, vous avez les prénoms passe-partout : Sébastien, Julien, Stéphane. Ils sont si communs qu'ils ne sont au final affublés d'aucune caractéristique positive ou négative, si ce n'est que d'être tout à fait ordinaires, jamais vraiment à la mode, mais jamais vraiment ringards non plus (ils le seront peut-être dans 10 ou 20 ans, qui sait ?) ce qui fait que vous aurez souvent dans les œuvres cinématographiques ou littéraires ces prénoms que l'on retrouvera, car non-clivants.
*Désolé d'écrire ce commentaire en français, étant donné le contenu, c'était plus logique de l'écrire en français.
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
Vous avez donné tellement d'exemples de prénoms ringards que ça m’a fait beaucoup rire.
Je trouve les Inconnus hilarants. Leurs sketches sont empreints d'un humour très français, à la fois drôle et un peu pathétique. Les noms typiques qu'ils donnent à leurs personnages rendent les sketches encore plus amusants et vraisemblables.
Récemment il y avait (ou il existe toujours) un hashtag « c’est Nicolas qui paie » sur internet. Je trouvais cela intéressant que les gens utilisent « Nicolas » comme un pronom qui se réfère aux Français blancs, honnêtes citoyens qui payent des impôts et qu’on ne les appelle pas « François ». Mais en même temps, ce phénomène m’était désagréable non seulement parce que j’ai un ami qui s’appelle Nicolas mais j’ai eu l’impression qu’ils ont pollué l’image du « Petit Nicolas » qui est un livre charmant et plein de gentillesse. J’ajoute également l’image de M. Sarkozy qui a reçu de l’argent au lieu de payer.
Les prénoms d'origine américaine semblent encore en augmentation. On voit beaucoup de Kévin, par exemple (avec un accent aigu bien sûr). La tendance à percevoir de l'originalité dans les noms exotiques semble commune dans les 「きらきらネーム 」 au Japon.
Avoir un prénom passe-partout pourrait être dans un sens plus rassurant.
On apprend la culture, l’histoire et la façon de penser des gens à travers des prénoms.
Je suis ravi de recevoir un commentaire que ce soit en français ou en japonais. Merci.
クロウタドリの唄への応援コメント
クロウタドリについて一章を割いていらっしゃるとは、本当に驚きました。
私はこの鳥とそのさえずりの熱心な愛好家です。実は鳥類学にも強い関心があり、とりわけクロウタドリに特別な思い入れがあります。その歌声は豊かで美しいだけでなく、しぐさもとても愛らしいのです。
クロウタドリがミミズを探すとき、ぴょんぴょんと小刻みに跳ねながら、秋の落ち葉の中を盛んにくちばしでつつき、勢いよく振る仕草を見せます。人に対してそれほど警戒心が強い鳥ではなく、鳩ほどの大胆さはないものの、人のそばでも比較的容易に観察することができます。
私は以前、自分の母語でクロウタドリを題材にした文学的な企画を書き始めていたので、この鳥について書かれた柊さんの章を読んで、本当に驚かされました。
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
自分はmerleという音の感触がとてもこの鳥に似合っていると思います。クロウタドリというよりmerle といった方がなんとなくしっくりくるのですが、クリスさんはいかがでしょう。
仰るとおり歌声の瑞々しさだけでなく、あのサイズと色、動きがなんともいえず可愛いですね。
うちの近くのmerleたちは警戒心が強いのか、ちょっとでも気配を感じると逃げられてしまいます。なので見かけると息を殺して動かないようにして観察してます。
お書きになった物語、どんな内容なのか興味があります。もし機会があれば他の御作品もカクヨムに発表してください。
編集済
パン屋マダムのフランス語講座への応援コメント
私は、このパン屋の女性の意図をあなた様が理解してくれたことを嬉しく思います。もちろん、彼女の意図はお客さんを不快にさせることではなく、フランス語を話そうとしていたその人に正しい情報を伝えることでした。私のエッセイでも述べたように、フランス人と日本人の間には、何が丁寧で善意とみなされるか、また情報の伝え方に大きな違いがあります。そして、こうした微妙な違いを外国人が理解するのは簡単ではなく、誤解が生じることもよくあります。
さらに、あなたが例に挙げた菓子職人とのやり取りからも分かるように、英語に対するフランス文化の姿勢という別の問題もあります。これもまた、外国人、特に日本人にとっては非常に理解しにくい点であり、フランス人が英語に対して「負けたくない」という気持ちのことです。
フランス語は長い間、外交やヨーロッパ各国の宮廷における国際的な共通語であり、フランスはかつてヨーロッパで最も強大な国でした。多くの人は知りませんが、中世にはイギリスの貴族自身が何世紀にもわたって英語よりもフランス語を話しており、結果として、英語という言語そのものも 40%(ほぼ半分)がフランス語に由来しています。例えば、"hour" という単語はフランス語の "heure" が語源です。
そして確かに、フランス人にとって、観光客に英語で話すことは1990年代頃まで「失われた威信の象徴」のようなものでした。多くのフランス人が英語をあまり得意としていなかっただけでなく、「なぜフランス語が英語より重要でなくてはならないのか?」という考えも強くあったのです。当時、フランス経済はイギリスよりやや優位にあり、アメリカ人は歴史も本当の文化も持たない民族だと見なされていました。
こうした反動的な考え方のために、フランス人は長い間、観光客に英語で対応しようとせず、英語をきちんと学ぼうとする姿勢もあまりありませんでした。しかし、2000年代以降は状況が大きく変わり、とくに観光都市や若い世代では、そのような傾向は大幅に弱まりました。
政府も職場で英語の用語を使わないよう強く促していましたが、経済のデジタル化によってこうした考え方も崩れたのだと思います。今日では、英語の言葉が職場での会話にも若者たちの文化的な世界にもあふれています。
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
このパン屋マダムの「レッスン」が通用したのは、相手の客がちゃんと彼女の意図やあたたかい頑固さやユーモアまでを感じ取ったからに他なりませんね。客によっては失礼だと感じたり、傷ついたりする人も少なくないと思います。こういうコミュニケーションはお互いにちゃんと通じるものがあるかないかで、まったく違う結果になるものです。
よく「フランス人はプライドが高いから英語を話さない」と言われていましたが、僕は単に発音とか文法が苦手なせいだと思っていました。でもお話のようなヨーロッパでのフランス語の存在感を考えれば分かるような気もします。これはそういう権威的な立場を経験しないと持ち得ない感覚なのかも知れません。今だとその立場はむしろ英語話者であり、例えばアメリカ人がほかの言語を話せない、あるいは勉強しようとしない傾向があるのに似ていますね。
英語に対してフランス人が前向きで積極的な態度になるのはいいことだとは思いますが、このパン屋マダムのような人がまだ残っていて欲しいなという気持ちもありますね。
南仏記⑥ 流れ星とミツバチへの応援コメント
とても心に響く感性に満ちた、美しい一節ですね。
あなた様の自然と死に関する考察は、とても刺激的だと感じます。
作者からの返信
クリスさん、コメントありがとうございます。
ときどき都会を離れて過ごすことは貴重ですね。普段は考えない事柄を見つめるいい機会になります。
編集済
フランドルの空への応援コメント
Il y a cette phrase connue à propos des gens du Nord, tirée d'une chanson je crois, et que la plupart des Français tiennent pour vrai :
"Les gens du Nord ont dans le cœur le soleil qu'ils n'ont pas dehors"
J'ai quelques amis qui habitent cette région (certains par choix venant d'autres régions) et ils me disent que c'est une réalité.
Le Nord, étant la région minière de France, c'est une région très difficile qui a souffert de l'arrêt de l'extraction du charbon, comme la Rusted belt aux USA. Elle est réputée pour être miséreuse mais en même temps chaleureuse. Je crois que les Belges aussi sont très proches au niveau du caractère.
Quelques stéréotypes sont souvent attachés à cette région comme l'alcoolisme, mais les Français ont une image des gens du Nord comme de gens bien et honnêtes, simples mais humains.
D'ailleurs le club de football de Lens, est réputé pour avoir les meilleurs fans de France et la stade la meilleure ambiance, ils continuent de chanter même quand leur équipe perd, dit-on.
作者からの返信
クリスさん、merci pour votre commentaire.
C'était la première fois que je me rendais dans le nord et forcément je ne connaissais pas les gens de cette région, mais j'ai eu la même impression que cette jolie phrase.
L'image de la mine est très forte. De même, celle des usines qui ferment leurs portes. Je pense que beaucoup de gens y travaillent dans des conditions difficiles.
Comme partout ailleurs dans le monde, plus on va vers le nord, plus les gens deviennent sérieux, un peu pesant parfois, mais tout en gardant une douceur discrète.
En effet, ils ont un peu le caractère des Belges. Je me souviens qu'un Japonais qui faisait des affaires en Europe disait qu'il était plus facile de travailler avec les Belges qu'avec les Français…
マダム・コンシェルジュへの応援コメント
J'ai également beaucoup apprécié cet épisode car vous mettez en lumière une réalité un peu oubliée : le concierge ou la concierge, est une partie intégrante du patrimoine culturel français. Même si son pouvoir ou son rôle a quelque peu changé avec le temps, cette figure modeste et presque désuète des porches des immeubles a toute une histoire et vous l'avez brillamment rappelée.
On dit plutôt gardien aujourd'hui car comme vous le précisez le mot concierge a quelque chose d'un peu péjoratif, surtout pour l'image des ragots et des origines modestes, mais c'est un élément de vie sociale important et poétique dans une époque où les liens sociaux se défont de plus en plus.
作者からの返信
"une partie intégrante du patrimoine culturel français "
J’aime bien cette expression.
Les métiers d'autrefois sont toujours très intéressants, car ils nous font ressentir l'histoire de la France. Le métier de concierge est l'un de ceux qui existent encore aujourd'hui, même si ces femmes n'étaient pas forcément des comédiennes de théâtre.
Franchement je préfère le mot « concierge » que « gardien » parce que je sens une sorte de poésie dans ce mot. Et je me rappelle cette concierge tunisienne avec un petit sentiment de nostalgie.
掌編・アコーディオン弾きと老女への応援コメント
C'est un épisode intéressant car on dirait presque un conte ancien avec cet accordéoniste qui donne tout son sou.
L'ambiance dans le métro a beaucoup changé et l'attitude des gens aussi. Quand j'étais étudiant, sempiternellement, il y avait déjà ces personnes qui mendiaient avec ou sans un instrument, cependant, il me semble que les gens étaient moins indifférents qu'aujourd'hui et cela peut s'expliquer de diverses manières.
Beaucoup de mendiants aujourd'hui peuvent être des Roms, mais le regard sur les Roms a beaucoup évolué avec le temps, je pense qu'il est de moins en moins tendre car nombre de personnes pensent que les Roms sont aussi source de problèmes d'insécurité récurrents (cambriolages, pick-pockets, vols de cuivre...) et de plus en plus de personnes sont de moins en moins enclines à donner de l'argent à cette catégorie de mendiants. Nombre de reportages, voire de vidéos sur le net, ont jeté une lumière sur les réseaux organisés des Roms, la partie mendiante étant le haut de l'iceberg en quelque sorte.
Je ne dis pas que cette pensée sur les Roms est justifiée, mais quand j'étais plus jeune, les Roms, s'ils n'étaient déjà pas très appréciés étaient bien moins connus et leurs techniques non plus, et les gens étaient moins regardants sur la personne à qui ils donnaient.
Une autre raison, est je crois, l'appauvrissement d'une catégorie des Français, qui leur donne le sentiment qu'il devient de plus en plus difficile de donner. Cela ne veut pas dire que seul les riches donnent, vous avez des donneurs de toutes classes sociales.
Quand j'étais étudiant, le mendiant qui remontait le wagon avait toujours quelques pièces de récoltées, mais ces derniers temps, j'ai vu parfois des wagons entiers qui ne donnent pas.
Une autre est aussi la montée de l'extrême droite comme à peu près partout, et de gens de plus en plus sélectifs sur le profil du mendiant.
作者からの返信
Merci pour votre commentaire. Je pense que l'ambiance dans le métro et l'attitude des gens ont beaucoup changé avec l'apparition des smartphones. Plongé dans le petit écran, on ne paye plus d'attention aux autres (même s'il y a encore une certaine gentillesse ou bienveillance).
Cette vieille femme qui mandait était une Française blanche, ce qui est assez rare à Paris, m’a étonné de sa robe de 19è siècle et sa voix tremblante comme une comédienne sur scène. En fait je doutais un moment si ces deux personnages n’étaient pas complices.
Les pickpockets sont parfois présents dans le wagon, souvent des enfants Roms, qui sont peut-être forcés à « travailler » par les adultes. Sinon il y a toujours des femmes qui portent un bébé dans leur bras assises par terre dans les couloirs du métro et ça me fait me sentir mal quand j’imagine qu’on leur a peut-être aussi ordonné de faire ça du matin au soir.
Et puis comme vous dites, la vie est de plus en plus difficile pour les habitants. C’est la saison de collecte d’aliments justement, mais on a du mal à acheter un paquet de pâtes pour nous même…Et avec la montée de l’extrême droite, la société pourrait de plus en plus intolérante…
迷路の名残りへの応援コメント
Je partage exactement le même sentiment que vous, autant pour la France que pour le Japon d'ailleurs. Ces vestiges, ces ruelles, sont d'une beauté qu'aucune nouveauté pourra dépasser parce qu'ils ne sont pas que de la pierre et du bois, ils sont toute une Histoire.
Très beau chapitre.
作者からの返信
クリスさん、merci pour votre commentaire.
Oui, ces « vestiges » sont irremplaçables.
Ce qui est intéressant, c'est que si on y trouve une certaine valeur, c'est aussi une certaine indifférence (dans le bon sens du terme) des Français qui préserve ces paysages. C'est bien mieux que de toujours chercher à détruire pour construire.
編集済
秋雨と石畳への応援コメント
Vous avez tout à fait raison, la pluie révèle le caractère de chaque pavé.
Ornées de quelques feuilles mortes, les rues pavées sont d'une poésie certaine.
Et je suis assez d'accord avec vous sur ce fameux tableau de Caillebotte.
Vous avez un très bon oeil !
作者からの返信
クリスさん、merci pour votre commentaire.
Justement c’est la saison actuelle.
Malgré la pluie et le froid, ce paysage des pavés et des feuilles mortes me rassure.
C’est peut-être parce qu’il me donne une sorte de sentiment de douceur.
Je ne suis pas sûr de mon œil vis-à-vis des beaux-arts, mais je vous remercie pour vos compliments !
編集済
ニーハオと言わないでへの応援コメント
L'inévitable.
Nous-mêmes occidentaux venus d'Europe ou d'ailleurs avons-été en permanence assimilés à des Américains au Japon et pour la plupart nous étions tout autant agacés que les Japonais qui sont agacés d'être pris pour des Chinois ou d'un autre peuple d'Asie.
Ce qui est amusant car en Europe nulle personne penserait que je ressemble à un Américain, bien que cette phrase elle-même n'a pas de sens puisque les Américains ont des physiques très divers et variés étant donné que c'est un meting pot et d'ailleurs dont la plupart des origines viennent justement d'Europe.
L'attitude peut parfois donner des indices ou certaines caractéristiques physiques, par exemple, nous avons quelques nuances en Europe qui nous permettent de reconnaître certains visages qui viennent d'Europe de l'Est ou des pays scandinaves, voire d'Espagne ou d'Irlande.
Je pense que de trouver juste comme de se tromper, n'est finalement qu'une bonne occasion pour s'adresser la parole et se découvrir. Il faut juste apprendre à ne plus se vexer. L'erreur est humaine comme on dit.
作者からの返信
クリスさん、merci pour votre commentaire.
Je pense que pour beaucoup de Japonais, la première image des étrangers (principalement des blancs) qui arrive dans leur tête est toujours celle des Américains alors qu’on est au 21ème siècle. On peut dire que leur connaissance des autres pays est très limitée.
Les Japonais qui se vexent lorsqu'on les prend pour des Chinois oublient qu'eux-mêmes ne savent pas faire la différence entre les africains ou les maghrébins, par exemple. Cependant, le terme « chinois » comporte parfois une connotation moqueuse et discriminatoire envers les asiatiques en général.
En tout cas, il est inévitable d'être jugé de manière stéréotypée sur son apparence.
Si vous ne portez pas de casquette de baseball, de shorts et de baskets avec des chaussettes à mi-mollet dans le métro parisien, vous ne serez pas pris pour un Américain.
Comme vous le dites, j'espère que cela mènera à meilleure connaissance et compréhension mutuelle.
バゲットの味への応援コメント
Bien que je sois un adepte de la baguette pas trop cuite, votre épisode m'a mis l'eau à la bouche et donné une irrésistible envie de me ruer sur une boulangerie.
作者からの返信
クリス山猿さん, merci pour votre commentaire.
Quelle que soit la cuisson, une baguette fraîchement sortie du four est toujours exceptionnelle.
Je vous remercie pour votre commentaire ainsi que les étoiles que vous m'avez généreusement attribuées.
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
おお、北駅。カオスっぽい場所ですね・・・^^ 外国ではドアを次の人のために押さえて渡す文化いいですよね。日本ではあまりその配慮がない気がします。なるべくやるようにしています。
駅ピアノ、いいですね。パリともなるとどこにでもあるのかな?札幌は少ないです。駅ピアノや空港ピアノのテレビ番組を観ると、弾く人達のそれぞれのバックグラウンドが良いですね。外国のピアノはすごく市民権ある感じですが、日本は地方にもよるのでしょうが、隅に追いやられつつ、ひっそりした存在のときもありますね。東京あたりは違うかもです。
作者からの返信
こちらの更新にもお付き合い下さりありがとうございます。
北駅は本当に、ラーメンじゃないけど路線全部入りという感じです^^
次の人のためにドアを押さえることは、礼儀みたいな部分もありますが、ドアだけでなく笑顔もバトンタッチするような温かさを感じて、そういう一瞬に救われたりします。
ターミナル駅ならどこにもピアノがありますが、あんまり意識している人いないでしょうね。。
公共ピアノの番組、ここに頂いたコメントで初めて知りました。ふらりと来て好きな曲を弾いて去って行くだけでも、それぞれのバックグラウンドがあるのでしょうね。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
こんにちは。
メルシーとピアノとパンと、小さいけれど、そんなエピソードのひとつひとつが心を洗ってくれるんですよね。
見過ごしてしまいそうなものにも気づいて掬いとっていただいたおかげで、私の心まで洗われた心地がしました。
作者からの返信
久里さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
日常に転がっているような小さなことでも、それが無性に響くようなときってありますね。
ささやかな話ですが、心まで洗われたなんてとても嬉しいです。ありがとうございます。
犬とオオカミの間への応援コメント
コメントお邪魔いたします。
柊さまの文章がとても好きです。
『モーパッサンはお好き』を拝読しているときにもつねづね感じていたのですが、
読者の肩のこりぐあいを配慮してくれる文章のテンポ、配分、やわらかさ。
次に欲しいと思った言葉をさっと出してくれる、スマートな感じ。
モーパッサン先生の作品紹介としても勿論、文章自体を楽しませていただいております。
さらに、こちらのエッセイ。
情景描写がお世辞抜きで愛おしいです。本当に……
私事なのですが、情景描写を入れようとすると、どうしても肩に力が入ってしまって。
心ひかれるものだからこそ、その魅力をあまさず伝えたい──という風に、どんどん肉付けしてしまうか、それならいっそ!とバサリ。短く曖昧なフレーズにまとめてしまう。
柊さんの描く黄昏時や春空を読んでいると、そういった具体性と、感覚にすばやく訴えかけてくるものとが、心地よく両立していて。
ある色から別の色へ。窓から床へ。実際にそこに居合わせたような動きを伴いながら。
深呼吸して振り返りたくなる、あの形容しがたい色に出会ったような心地になる……
日々の体験や知識と、それが文章になるまでの間。そこに何があるのかをのぞきたくなるくらい、心ひかれます。笑
大変な長文、失礼いたしました……m(_ _)m
作者からの返信
おりのさん、こんにちは。
「モーパッサン」をたくさんお読みくださって嬉しく思っていました。さらにこのエッセイにもお越しくださり、何とも励まされるお言葉をありがとうございます。。情景や心のひだを丁寧に紡がれるおりのさんにそう言っていただくと、とても光栄です。
モーパッサンはあくまでも先生の短編が主役なのでちょっとでも引き立て役になれたらと思っています。なので肩が凝らないというのは大事で、その言葉に安堵しております。
このエッセイも自分のことというよりパリやフランスのことを自分の目線で書きたいと思っているので、読んでくださる方にその情景が心地よいかたちで伝わればなによりです。
情景描写は加減の難しいところだと思いますが、御作品を読んでいると幕張という街が立体的にというか生き物のように色んな顔を見せてくれたり、人物の心のうちが何層も感じられたり、的確な言葉で表現されているのに感服します。
なのでそういう方に褒めていただけて純粋に嬉しいです!ありがとうございますm(__)m
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
大勢の見知らぬ他人がいる場所で孤独を感じることもあれば、ちょっとした繋がりで温かみを感じることもありますよね。
自分の心の持ちようもあるのでしょうけれど、ちょっとした他者の仕草とか表情が、こちらの気分まで変えてくれるってこと、あると思います。
自分も誰かにとっての他者なのだから、できれば好意的で温かい空気を作る人間でありたいと、改めて感じさせてくださる、優しいエッセイでした。
柊さんがますますお元気になりますように!
作者からの返信
鐘古さん、コメントありがとうございます。
街でも駅でも、人が多ければ多いほど独りである感覚が増すと思うんですが、そんな時にほんの少しでも他人の笑顔とか優しさに触れると、自分もひとからちゃんと見えているんだなと感じます。それならば自分もひとのことが見えるようになりたい、それが温かい空気の循環になればと思いますね。
嬉しいお言葉、励みになります。ありがとうございます!
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
>我先にと出口へ向かう人波にゆったりとした人間性を求めるのは難しいことなのかも知れない。実際、自分自身の歩調にも……
私も、まさに一昨日に東京へ遠征する用事がありまして、同じような気持ちで雑踏を歩いておりました。外国に来たような、自分が透明人間になったような。あのとき感じた「歩調を合わせないと存在できないような不安さ」が、美しい文章で表現されていて、とても読み心地がよかったです。そして、こういった感情の揺らぎを丁寧に掬い上げる手腕が、やはり柊さんはお見事だなと思いました。
その後に、優しさに触れる場面も。温もりが引き継がれていく眺めが、穏やかに胸を打ちました。
作者からの返信
一初さん、コメントありがとうございます。
東京は人の多さにしてもスピードの速さにしても、呑まれるようなところがありますよね。その苛立ちみたいな空気は時代が進むほどに加速していて、それは人の心を殻に閉ざさせるどこか危ういものにも思います。そんなときに触れる優しさは、それがどんな些細なものでも無性にありがたく感じますね。
ほんのちょっとした風景で救われる気持ちを言葉にできていれば幸いです。嬉しいお言葉に励まされます。ありがとうございます。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
見知らぬ大勢の人が集まる場所では、自分の心を守る意味で、閉ざした方が正解かなとは思います。でもだからといって、思いやりや親切心を忘れたくないですよね。
私は駅は利用しませんが、コンビニで扉を押さえてもらったとき、やっぱり嬉しくなります。そういうちょっとした気遣いでも心が温かくなるし、自分も人に優しくしたくなる。
人々のために行動している人を見るとすごいと尊敬するし、それに比べて自分って…と卑下してしまったりするんですけれど。ピアノを弾いていた人のように、自分が好きでしていることが誰かの心を明るくしたり勇気づけたなら、素敵なことですよね。
大きなことをしなくても、日常にある些細なことを大切にしていけたらいいのかなって、このエピソードに救われた気持ちです。
あ、別になにもないですけどね。なにもないからこそ、もっと頑張らないといけないって思っていたのですが、まずは日常生活を丁寧に過ごしてみようと思います。
作者からの返信
遊井さん、コメントありがとうございます。
そうですね、沢山の人がいるだけで気を張っていなければならないし、神経を使いますが、それと無関心無寛容になるのはまた別だなと思います。扉なんかは礼儀のうちですが、パリの人は冷たいようで意外と他人を見ていて、困った人に手を差し伸べる場面も多く、それが社会の潤滑油になっていると感じます。
公共ピアノが置かれるようになったいきさつは知らないですけど、「自分が好きでしていることが誰かの心を明るくしたり勇気づけたなら、素敵なこと」はまさにその目的なんじゃないかなと思いますね。
ほんの些細な事ですが、記憶に留めておきたくて書きました。共感してくださって嬉しいです^^
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
お疲れ様です(^^)
パリの何気ない日常が柊さんの筆致でとても瑞々しく、まるで私までそこにいるかのように伝わってきました。
呼吸をするように楽器を演奏できる人ってすごいですよね。
私も聴いて見たかったものです。
そちらも寒いことかと思いますが、どうぞご自愛ください!!
作者からの返信
五十鈴さん、お疲れ様です(^^)コメントをありがとうございます。
外国の大型駅なんてなかなか馴染みがないかと思いますが、雰囲気が伝わったなら何よりです^^
さりげなく演奏しているのに足を止めさせるって、考えたらすごいですね。いい記憶になりました。
そちらも冷えてきたでしょうか。五十鈴さんもどうぞお元気でお過ごしください!
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
柊圭介様、お久しぶりです。パリはもう冬のたたずまいでしょうか。
穏やかで温かみがあって、流れるように美しく心に沁み入って来る圭介様の文章を読ませていただくことができて嬉しいです。
多くの人が行き交いながら人との関わりが希薄になりがちな大型駅の雑踏。その中で目に留まるメルシーの連鎖と聞こえてくるピアノ演奏。
圭介様の五感と感性が捉えたそれらの情景はまるで映像のようにありありと私の心眼に展開されます。
>いったいどんな人が弾いているのか――
きっと、若い白人の女性……? と文章を追いながら想像しました。
しかし大いに外し、私も恥ずかしくなりました。
それでも、圭介様と同じ感慨を共有できたことが私には嬉しかったのです。
ひとたび圭介様がカクヨムにエッセイや物語を発表すれば、こうしてたくさんのファンの皆々が集結します。
ハナス先輩がいる!\(^o^)/ 千弦氏も!\(^o^)/
PCの向こうにはこんなにもたくさんの同胞が圭介様を大好きな気持ちで応援していることを、忘れないでいただけたら幸いです。
どうか、圭介様がいつも健やかにお過ごしになられますように。
作者からの返信
ブロ子さん、お久しぶりです。お元気ですか。だいぶ寒くなってきましたね。
コメントをありがとうございます。エッセイの更新は8月以来になりましたが、そんな風に言っていただけるとほっと安堵します。
北駅に限らず、大型駅にはストレスの凝縮したような雰囲気がありますね。多分ひとりひとりはそれを望んでいないのに、気持ちに蓋をするようにして無機質に流されざるをえない空気というか。だからこういう場所でのちょっとした笑顔には、よりあたたかみを感じるように思います。誰も聞いていないようなピアノでも、やっぱり誰かの耳に入っていて、心を浄化してくれたり。
それにしても、どこかから植えつけられたステレオタイプというのは頑固ですね。共感していただけて僕も嬉しいです。
優しい励ましのお言葉、いたみいります。色々あった、なんて思わせぶりな文章になってしまって、かえってよくなかったかな、と思ったりもしていますが、ブロ子さんはじめ皆さんにあたたかい言葉をかけていただき、感謝でいっぱいです。ブロ子さんもどうか穏やかに日々をお過ごしください。ありがとうございますm(__)m
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
こんにちは。まるで小説を拝読しているようでした。美しい旋律。
ストリートピアノっていいですね。音楽に国境はないのだと再認識します。
音色に癒され、人の優しさに癒され……。
日常生活の雑踏の中で見つけられたことに感謝ですね。
柊さん、ここでは何があったのかは語られていないですが、大丈夫ですか?
仕事を休むほどだったのですね。辛く苦しいひと月でしたね。
無理なさらず落ちるところまで落ちて、泣いていいんですよ。
頑張りましたね。( T_T)\(^-^ )カクヨムフレンズを代表して、ヨシヨシ、むぎゅ。
作者からの返信
ハナスさん、コメントをありがとうございます。
ちょっと客観的に気持ちの整理をしたい気持ちもあって、掌編と付け足しました。自分自身、普通の日常だと見過ごしそうなことですが、この時に感じたことが薄れないうちに書き残しておきたかったです。
それからご心配くださり、ありがとうございます。僕自身が病気とかではないのですが、重なるときは色んなことが重なるというのをすごく感じました。優しいお言葉に支えられますm(__)m この先への励みになります。本当にありがとうございます。m(__)m
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
おそらくこの百年くらいは、人類史上類を見ない異常過密な状態で、我々は過ごしているのでしょう。数十万年を経てきた肉体は、当然それに即応することは難しく、不用意に感情がだだ漏れていく。そこから生じるストレスに耐えるか、無関心になっていくかを選ばざるを得ない。でも、そんな病的な環境に於いてなお、ときに人は調和を生み出し、その旋律を楽しむことができる。どれほど過酷な環境であっても、そこにある美を見出し得る。朝から深い哲学的示唆を頂き心が喜んでおります。ありがとうございました!
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。
そうですね、人間の造ってきた今の状態は人間本来の性質と相反するもので、そこから漏れ出す感情をそれぞれのやり方で制御するしかないのでしょう。システムに従順であればあるほど閉塞感が増すのも皮肉なものです。でもどんなに冷たく見えても人には体温があるのだなと時々気づかされます。そういう瞬間を自分の中に蓄積できればいいなと思います。
このような些細な話にも深い反応をいただいて嬉しいです。こちらこそありがとうございます!
編集済
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
『都会に汚染される』
ドキッとしました。そう表現する感性に脱帽です。
丁度、帰省帰り。
若者の街、大都会に感じた疲労感を『体力的な衰え』という看板で覆い隠していたのに気がつきした。
作者からの返信
サバトラコさん、コメントをありがとうございます。
パリのように古いものが残っている街でも時代の流れに逆らえなくて、壊すのも人間なら温かみの残すのも結局人なのだと思います。
大都会への疲労感は「本当はこうではないのに」という違和感や憤り、寂しさ、いろんな感情が掻き立てられることなのでしょうね。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
わかる。嫌なことが続いた後に、知らない人のほんのちょっとした、普通の親切が身に染みるんですよね。わたしもスーパーの店員にHONて呼ばれただけでぐっときますもん。それにしてもストリートピアノ弾く人は、なんであんなにきれいな音を出せるのでしょう?赤バイエルのきらきら星で挫折した実家のピアノなんて弾くたびにトタトタと打鍵音がきわ立ってましたわ。
作者からの返信
母猫さん、コメントをありがとうございます。
共感いただけて嬉しいです。HONはHoneyの略ですかね。ふと口を突いて出る日常の言葉や、知らない人が(それが礼儀だとしても)微笑んでくれるだけで温かいものが湧きますよね。
ストリートピアノはあちこちにありすぎて存在感がなくなってきている気がしますが、音を出してくれる人がいると、やっぱりいいものだなと思いますね。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
普段は無意識に見過ごしてしまいそうなささやかな物事に気持ちを向けると、思った以上に心がいい方向に切り替わることってありますね。
改札扉、駅ピアノ、ホームレスに小さな食事を与える婦人。どれもが小さなひとつひとつですが、じっと見つめれば柔らかい温かさに包まれる情景ですね(*´∇`*)✨
私も毎朝バルコニーでスクワット+ヨガを習慣にしていますが、家の周囲の小さな自然の中に、季節ごとのたくさんの小さな変化や喜びを感じます。外の空気を静かに呼吸する時間は心身に不可欠だと改めて実感しています。
これから冬が近づいてきますね。お身体にどうぞお気をつけてお過ごしください(*´꒳`*)🍊
作者からの返信
aoiさん、コメントありがとうございます。
たぶん元気なときなら無感情にやり過ごすような事柄だと思うのですが、そうでないときに触れると心に響きやすくなるのかも知れません。そしてこの社会の中に自分も入っていると思うと、少しだけ気持ちも前向きになれる気がします。
朝のバルコニーの時間は心身ともに健やかになりそうですね。そういう時間に目に入る小さなことが、一日を過ごす糧になるのでしょうね。
残り少ない秋の景色を楽しみに、aoi さんもお元気にお過ごしください(*´꒳`*)🍂
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
おい!ケイ!大丈夫かよ?
弱ってるケイを見るとぎゅ〜ってしたくなっちゃうぜ。
暖かいものに触れて、自分の暖かいものを取り戻していく姿にキュンとしたぜ。
こんなふうに書けたならもう大丈夫だな👍
※思わず(ホントハケッコウナヤンデ)風羽口調になってしまってお許しを🙇
作者からの返信
風羽さん、コメントをありがとうございます。
すみません、一行目から笑ってしまいました😂
お誕生日のエッセイを読んだ頃、実はかなり落ちてたんですが、前向きだな、強い方だな、と読みながら元気をもらいました。
今回はなぜか俺口調で(笑)
いつもたくさん励ましてくださって感謝です!
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
心身が弱っている時、いつもの混雑、いつもの流れでも、うまく進めず無闇に悲壮感に陥ってしまったことがあります。
視覚から入ってくる情報の多さにパニックになってしまったり。
そんな時、このお話のように個の行為や想いに触れると、人間社会の中にいる辛さがホッとする感覚に切り替わる気がします。
小さなきっかけで人知れず自分を取り戻し、同じ場所に居るのに違う場所へと幕開けたようで、身近に垣間見るこの世界の成り立ちをあらためて眺めた最後の数行は特に沁みました。
ちなみに私も黒人男性が街中のピアノを弾いていたら意外に思うかも知れません。
音楽って民族性と結びついている気もするので先入観と言いましょうか。例えばアイヌや沖縄の方とピアノもピンと来なさそうです。
でも技術ではなく感性で向き合うなら、楽器は選ばないのかも知れませんね。
作者からの返信
ポロさん、コメントをありがとうございます。
扉のリレーは大袈裟な言い方ですが、「自分はここで生きているのだ」と感じさせられました。押さえてもらうのと同時に押さえてあげる側でもあり、善意は循環させるものなのだと。それが人間社会の辛さが心強さに切り替わる瞬間なのでしょうね。
北駅の外の風景はいつもと同じで、でも初めて湧く愛着のような気持ちもあり、不思議な心地でした。なのでこの最後の数行をそのように感じていただけたのが嬉しいです。
フランスは日本よりも音楽教育の差がつきやすいので、はっきり言えばクラシックは白人と一部のアジア人というイメージがどうしてもあります。その先入観を裏切られたことは、まだまだ自分に色眼鏡があることを気づかせるものでした。まあ、最終的には誰が弾いていてもいい演奏はいいですよね。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
柊圭介さん、こんにちは😊
日々の慌ただしい雑踏に紛れて自分を見失いそうな時、日常の些細な思いやりが連鎖されているのを感じると心が和みますね。
だからこそ、いつもは気にも留めないピアノの音がより新鮮で心に響き、身体が勝手に回れ右をしてたのかもしれませんね。
時間を忘れて聴いてしまいそうな演奏、この偶然の出会いが心を慰めてくれて小さな勇気が出たならこんなすばらしいことはないですね。
素敵なお話でした。
作者からの返信
この美のこさん、こんにちは😊コメントありがとうございます。
どう現実に立ち返れるか分からないようなときだったので、ほんの些細な親切でも救われるというか、無性に嬉しく感じましたね。こういうありがたみは元気なときでも忘れないでいたいものです。
長旅をする人と通勤の人が入り混じる大型駅は、ともすればストレスの温床になりがちですが、あのピアノの音はそれを浄化してくれるようでした。毎日の暮らしでも、見渡せば小さな元気をくれるものがあちこちにあるのかも知れませんね。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
小さな気遣いが胸に沁みることって、ありますよね。私も大きなことはなかなか(全く???)できませんが、小さな気遣いはできるだけ忘れないようにしたいと思っています (,,^_^,,)
烏丸さんも書いていらっしゃる「公共スペースに置かれているピアノを定点カメラで撮影する番組」、私も何度か観たことがあります! 弾くひとそれぞれの想いや人生がうかがえて、とても素敵なんですよ (*ˊᗜˋ*)
作者からの返信
ハルさん、コメントありがとうございます。
普段は当たり前にやったりされたりしていることでも、心の状態によってとてもあたたかく感じることがあるのだなと思いました。小さな優しさがあるかないかでその場所の空気も変わるような気がします。
公共ピアノに目を留める番組は想像もしていなかったです。演奏にはその人のひととなりや生き方も表れるのでしょうね。ここからは見られないのが残念ですが、興味深いです。
編集済
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
『駅ピアノ』とか『街角ピアノ』というタイトルで、公共スペースに置かれているピアノを定点カメラで撮影する番組があるんですけど、柊さんはご存知でしょうか。私、あの番組好きなんです。放送しているのに気がついて、視られるときだけ観る、という感じですが。
みんなぱっと見はどこにでもいる普通の若者や、お子さん連れのお母さんや、老人だったりするんですけど、偶にびっくりするほど巧い人がいるんですよね。即興でオリジナル曲を弾く人もいたり、超有名曲を弾いて周りのみんなが大合唱したり。子供が弾いていた横に坐って連弾を始めたり。音楽っていいなあと思う瞬間です。
扉を押さえるリレーも、そのときのお礼の一言も、まだまだ世の中棄てたものじゃないって思わせてくれますよね。最近はどこに買い物に行っても無人レジがあるし、レストランに行けば配膳ロボットが動いたりしてますけど、やっぱり人と人とのなんてこともないふれあいは大事にしていきたいなと、こちらを読んであらためて感じました。いつも素晴らしいものを読ませていただきありがとうございます。(´∀`*)
作者からの返信
烏丸さん、コメントありがとうございます。
そういう番組があるの初めて知りました。公共のピアノは駅やショッピングセンターだけじゃなくスーパーでさえ見かけるようになったので、なんだか当たり前の景色みたいに感じていました。誰かが弾いていても聞こえてるのに聞こえていないってこともたくさんありそうです。なのでそういう人達に焦点を当てるのはいいですね。ほんの数分間でも音楽で人が通じ合う瞬間が垣間見えそうで。
日常の礼儀みたいなものでも、笑顔を向けられたり声をかけてもらえると温かみを感じますし、自分もそれをリレーする側なのだということを思い出させてくれます。自分の内側に閉じこもりそうなときほど、人の営みを感じるのが貴重だなと思います。
とりとめのない駅の風景ですが、丁寧に読んで下さり、こちらこそありがとうございます。(´∀`*)
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
素敵なエッセイを読ませてもらい、ありがたかったです。
柊さまの文章は、フランス文学的で、わたし自身、フランス文学が新旧問わず好きだったので、その匂いを嗅げたような思いでした。
大型駅、ストリートピアノ、すべてをイメージとして描けそうで、心地よい時間をありがとうございました。
作者からの返信
雨さん、コメントありがとうございます。
自分の文章を客観的に見るのは難しいですが、お好きなフランス文学の匂いを感じていただけるなら嬉しいです。
ささやかな話にも耳を傾けて下さり、いつも感謝しています。こちらこそありがとうございます。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
ほんの20年か、それくらい前までは,日本では扉のバトンタッチというのはまず見られない光景だったように思います。その点では、パリの方がずっと紳士的でしたね。
でも、北駅の混雑ってどんなだろ。日本のように、秩序というか、列を作ったりとか、そういうことをフランス人もするのでしょうか?
ピアノを弾いていた方が黒人だったなら,弾いていた曲もジャズか何かかな、という偏見を私も持っています。
憂鬱な朝も、ちょっとした出来事で気持ちが軽くなったりしますよね。
作者からの返信
レネさん、コメントをありがとうございます。
扉のバトンタッチは相手の目を見て微笑むことまでがセットになっているので、それが単なる礼儀だとしてもあたたかい潤滑油みたいに感じるのかも知れませんね。
北駅は人が多いけれどさすがに東京ほどではないですね。ホームで列を作ることもないですが、譲りあったり助けあったり、というところで秩序を保っているのだと思います。
ピアノの彼は、自分の中のステレオタイプに気づかされた瞬間でした。素敵な演奏で、しばらくはあの心地よさを思い出せそうです。
掌編・ターミナル駅の朝への応援コメント
自分が弱っているときって、ちょっとしたことで傷ついたり涙ぐんだり、感情のコントロールが難しくなりますよね。
それでも前向きに頑張ろうとしている姿は素敵ですが、少しご自分に厳しすぎるような気もしました。
どうか、上手に自分を甘やかしてあげてください♡
繊細な部分を丁寧に拾い上げてくれるエッセイに、今回も感動させていただきました。
(*'ω'*)
作者からの返信
陽咲乃さん、コメントをありがとうございます。
心の中がどうあれ電車や仕事では気を張っていないといけないので、無理やり蓋をするようなところもありますよね。だから余計に些細なことが沁みるのかもしれません。
包むような優しいお言葉、いたみいります。油断すると際限なく自分を甘やかしそうになるので(笑)上手にコントロールしたいですね。
いつも細やかに汲み取って下さり、ありがとうございます(*'ω'*)
編集済
時を超えるパッサージュへの応援コメント
重厚で、陰がありつつ、ガラス張り天井が開放的なアーケード。
古本屋街にも似た…秘密基地の様な空気感。
うっとりします~(´▽`)
NHKの『ふれあい街歩き』だったかしら、パッサージュが度々映し出されていました。
絵になりますものね。
━━ここへ入ったとたん、暇な遊歩人のように足取りが緩む。
わかります!
時間がなくてもウロウロしたくなりますよね。
素敵な本屋さんが入ったパッサージュもあったのです!
(*'▽'*)
居着いて散財してしまいそう…遠く離れたフランスで良かった💧