シーラの決心

 ルチアを見つめたまま、ベルは続けた。


「パーティのときと同じ。竜がいるから。城内に憎い竜がいるから、竜を襲わせるものを放ったのですね。そう。それが人間の歓迎の仕方だと。よくわかりましたわ」

「ま、待ってちょうだい! そんなことはしていないわ! パーティのときだってそうよ。それに――それにあのときの影とは違うわ」ルチアは混乱した顔つきでベルを見返した。「あのときの影は人間は襲わなかったの。でも今は人間も襲ってる。どういうことなの?」


 ルチアの疑問に、ベルは高らかな笑い声で答えた。


「人間が、愚かで無力な人間が、自分の手に余るものを生み出してしまったのでしょう? 最初は竜だけを襲わせるつもりだった。でもたぶん、上手く制御ができなくなってしまったのね。ご愁傷さま!」


 ベルはさっと身を翻した。そして部屋を出ていく。シーラは慌てて後を追った。


「お母さま! どこに行かれるのです!?」

「ここでじっとしているわけにはいきませんよ。ユンを救出しなくては。この手でユンを助けなくては」


 ベルは早足で廊下を歩いていく。その言葉は熱を帯び、周りのものなど目に入っていないかのようだった。シーラだけではなく、ルチアもついてくる。


 廊下の先に小さな扉があった。ベルはそこを開けて外に出た。そしてたちまち、竜の姿へと戻った。


「――お母さま!」


 シーラは驚き、それだけ言うのが精いっぱいだった。ルチアは声もなく、赤い炎のような竜となったベルを見つめている。ベルはルチアに言い放った。


「残念ね! 人間! 竜を城に集めて一網打尽にしたかったんでしょう!? でもそうはいきませんからね!」


 ベルは背中の翼を大きくはためかせ、そして空中に飛びあがった。そのままどこかへ飛んでいく。シーラは泣きたい気持ちになった。お母さま! どうして行ってしまうの!? こんなところに私を、置いて! 私を一人ぼっちにしないで!


 ほとんど無意識のうちに、シーラも竜に戻っていた。急いでベルを追いかけようとする。けれども飛ぼうとした瞬間、小さな声が聞こえた。


「……シーラ……」


 人間の声だった。シーラは振り返った。そこにいたのはもちろん、ルチアだった。危うく忘れるところだった。けれども彼女が一緒にいたのだ。シーラは不安そうで、その顔はやけに幼く見えた。


 あの影はどこに行ったのだろう。またどこからともなく現れるのだろうか。壁も床もものともせず。そして今度は人間をも襲っていた。ここで一人取り残されたら、ルチアはさぞや心細い気持ちになるだろうと、シーラは思った。


「姫……姫さま。大丈夫ですわ。わたくしが姫さまを……」


 お守りしますわ、と続けようとして、シーラの胸にどっと不安と心配と涙と混乱が込み上げてきた。お守りするなど、そんなことができるのだろうか。自分は竜ではあるけれど、白くて小さな竜なのだ。色が薄い竜は弱い。身体も大きくなれないし、飛ぶことも下手だし、炎だって小さなものしか出せない。色濃く大きい母親とは違うのだ。


「……わ、わたくしが……」


 鼻がつんとして、涙が瞼の近くまでせりあがってきた。ルチアは驚いたようだった。


「ど、どうしたの、シーラ。何か具合でも悪いの? 悲しいことでも思い出したの?」


 シーラは夢中で首を横に振った。涙がこぼれないよう、必死でこらえる。シーラはなんとか声を出した。


「……わたくしが……姫さまをお守りしようと……思ったのです。――……で、でも……でも、私は小さくて無力な竜で、とてもそんなことが……」

「あなた、小さいの? でも今のあなた、荷馬車くらいあるわよ!」


 ルチアの言葉にシーラははっとした。そして気持ちを落ち着かせて、ルチアを見た。人間の姿でいたときとはずいぶんと目線が違っている。人間の姿のときはほとんど変わらぬ身長だったルチアが、今はずいぶんと下にいる。そして自分を見上げているのだ。たしかに、人間から見れば大きいわ、とシーラは思った。竜としては小さくても……人間から見れば大きい。


 それに――シーラはさらに考えた。それに年齢の問題もある。姫さまは15、6歳ほどだろう。一方自分は100歳をゆうに超えているのだ。既に100年も生きてきたものが(竜にとってはまだ若輩といった年齢ではあるが)、15、6年しか生きていないものの前で取り乱してはいけない。シーラはそう、強く心に思った。


 かぎづめで涙を拭き、シーラはルチアに言った。


「姫さま。もう大丈夫です。安心なさってください。あなたは私がお守りしますわ」

「でも……。――シーラ! 気をつけて!」


 ルチアの言葉に、シーラは後ろを振り返った。そこにはあの影がいた。シーラの背後の木の上からするすると下りてくる。そしてこちらにゆっくりと近づいてくる。シーラはきっと影を見つめた。私もお母さまのように。あんなものなんて、怖くないわ。やろうと思えば、私だって、お母さまのように勇敢になれるわ。


 シーラはルチアを背にかばい、影と対峙した。

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