にたものどうし

「私は正義のもとに事を為したと言っただろう」

 彼は溜息と共に言葉を吐き出した。冷酷無比な所業を行ってきた老人の口から、まさか『正義』などという言葉が出てくるとは思わなかった。

「なんだ、もっとマシな言い訳が聞けると思ったが。不死のため悪虐の限りを尽くした人類史上最悪の研究者が、よもやボケちまうなんてな。自分自身が研究を成せなかったという証明になっちまうとは、なかなかに哀しいモンじゃねえか」

 彼の額から二十センチメートル先にある銃口は、彼の方を虎視眈々と睨み続けている。コイツはお尋ね者。一生遊んで暮らせるレベルの懸賞金がコイツの首にかかっている、と言えばコイツの非道さ・認知度が如何程か分かるだろうか。

「ふ、これが耄碌とされてしまうとは困ったものだな。残念ながら、その批判は的外れだ。現に私はこの手で『不死』を作った」

 瞬間、俺の右手はヤツの襟を掴んでいた。銃口を額にぐりぐりと当てがってもなお、彼は顔色を一つも変えない。

「アレをヒトと呼ぶな。お前の行いは生命に対する冒涜だ。あのケダモノが出来上がるまでに何十人の命が犠牲となった?何百人が苦しんだ?それを正義だなんだと抜かすなど、仮に法が許そうが俺が許さない」

「ほう。おまえさんのヒーロー気取りは十年経っても変わらんか。

 確かに、おまえさんの行いは正しいだろう。世間一般から見れば私が悪人であることは何一つ疑いようのない事実であるし、それに敵対するおまえさんはきっと正義の人とされる。光栄じゃないか、お前の目指す理想にまた一歩近づいたのだから」

 だが、と彼は続ける。

「世間とズレているという自覚こそあれ、私にも正義があるし、生憎私はその正義の原則から外れたことはない。それだけは自信を持って言おう」

「ふむ。ではお前のその正義とやらを聞こうじゃないか」

 白髪混じりの老人を椅子へと突き飛ばす。荒々しいのは昔からだなァ、などとぶつくさ言いながらも、彼は椅子へと座り直して、そして彼は語り始めた。

「私は『人類の科学に寄与する』という一つの理念の元だけで動いてきた。……いや、別に人命を軽視している訳では無いさ。実際私が研究していたのは『延命』や『不老不死』といったカテゴリだ。命を扱う以上そこを軽んじることは許されない。過去にはそういった不届き者もいたかも知らんがな」

「あの凄惨な実験をしてそんなことを抜かすのか?とんだクソ野郎だな」

 これだから頭の固い人間は、と彼は溜息をつく。

「いいかい。あれは技術の発展のために必要となった犠牲だ。彼らの犠牲が無ければ『地仙』の誕生は無かった。彼らの死は間違いなく有用であった」

「あの不出来な肉塊が成功と呼べるのかお前は?馬鹿を言え、彼らの人生はまだ先があった。不死など無くても人は生きていけるのに、彼らはそのために望まず死んだ。ふざけるな、足し合わせて何年間の命があのケダモノのために使われたと思ってやがる」

「おっと、それは結果論ではないか?生憎途中でこのようになったせいで『地仙』以降の研究は凍結されてしまったが、仮にあのまま研究が続き、結実し、人類全体がより永い命を得られていたとしたらどうなるのだ?実際その可能性は高かったぞ。

 足し合わせても千年に満たぬ命を以て、人類全体で見て数千万数千億年の時間を得ていたとしたらどうなるんだ?そのとき私は本当に悪人か?そのときは実験で散った命も世間一般から『必要な犠牲だった』と解釈されるだろう。違うか?」

「時間の問題ではない。そんなことを、わざわざ彼らの人生の可能性を否定してまでやるべきだとは思わん」

「それはお前の意見だ。そもそも、研究が結実した暁には多くの人間の人生に可能性が拓かれる。得られる多くの可能性に比べれば失われる可能性の数など軽い。無いとは言わんが、時には大局的な判断も大事だと、そう考えることは出来んのかね」

「詭弁だ。そんな夢物語のために人の人生を狂わせるなど許されるわけがない」

「だがそれを夢幻だと判断するのはお前ではなく結果であることを努努忘れるな。『不老不死など実現不可能だ』という偏見で科学を頭ごなしに否定するのは愚か者の所業だぞ」

 老人は食い気味に、語気を強めて言い切った。どうやら我々は根本的な部分で食い違っているらしい。最奥にあった『院長室』と呼ばれるこの部屋は、我々二人の物音以外には何も聞こえない。外には先程まで生きていた者の抜け殻が転がっている。俺は頬にこびりついていた血を袖で拭き取った。

「話はこれで終わりか?」

「せっかちだな。どうせ私はここで殺されるのだろう?ならば、十年来の”友人”の遺言ぐらいは聞いておくれ」

 喋りたきゃ勝手に喋れ、と俺は溜息をつき、俺は応接用のもう一つのソファに深く座り込んだ。追う側と追われる側が机一つを挟んで向かい合って座る形となったわけだが、やれやれ全く、調子の狂う老人である。五年以上この狂人の首を追い続けてきたわけだが、彼の事をどこまで知ろうと彼の活動に共感を覚えることは無かった。冷酷無比な判断力、人の感情を煽るように逆撫でする話し方、狡猾な手段と異常なまでにキレる頭。他人の死に興味など持たない人間。故に、この悪を体現したような人間を、たとえ私刑となろうと殺してやろう、とここまで執念深く追跡してきたのである。

「……さて。私が正義を貫く悪人であると言ったら、君はやはり否定するかな」

「当たり前だ。正義と悪は対極。並び立つ訳が無い」

「君はそう言うと思ったさ。君がそういう人間だというのは私もよく知っているとも。

 だが、この社会の実情はそこまで単純化されていない。黒と白だけじゃ割り切れない世界なのは分かっているだろう。ではそもそも人を正しく在らせるモノはなにか分かるかね?

 それは世間体だ。少なくとも私はそう考えるね。所詮、社会的に結果を残した人間が『最終的に正しい人間だった』と、そう判断されるだけの話だ。結果を残せなかった、または過程で力尽きた人間は悪だと判断される。私がこのまま実験を続けて不老不死を成していたら、多少なりとも私に靡く人間もいただろうさ。勿論、この実験を非難する人間は相変わらずいるだろうがな。人権がどうの、とか、成功すりゃ良いってもんじゃない、とか。そいつ等は目先の損得にしか目が行かない愚か者たちだよ。犠牲を払うことで発達してきたこの社会構造を健気に否定しようとするその往生の悪い姿勢だけは評価に値するがね」

「まああんたのこの研究の結果は残念ながら成功とはならんな。その時点で、貴様はマッドサイエンティスト以外になり得ないことが決まっている。恨むなら自分の手腕を恨めよ。もっと早く成功さえしていればお前がこうしてこんな僻地で寂しく散ることもなかったのだから」

 銃口を再び彼へと向けた。やれやれ、悪人相手であれば私刑・殺人も赦されるのか、と悪態をついて、彼はもう一度深く椅子へと座り込んだ。

「まさかつい先程も十人ほど殺してきた人間に殺人を咎められるとは。いやはや、長く生きていると不思議な事もあるものだ。お前さんも、やっていることは私と同じかそれ以上だろうよ」

「愚弄するな。俺は法で裁き切れない取りこぼしを掃除しているだけだ。人の形をしているだけで、奴らの中身は化け物と同じようなもんだろ」

「なかなかにイカれた倫理を持った人間に人でなし宣言をされるとは、いやはや人生とは不思議なこともあるものだな」

「もう長話は不要か?」

 窓の外が暗くなる。暗雲が陽光を締め出し、部屋中の彩度を奪っていく。罪で薄汚れた男は、光を失った部屋に妙に馴染んでいる。老人は窓の外を見て、そして視線をこちらへと再び寄越した。その表情から彼の内情は何一つとして伺い知れない。まるで相手が仮面をしているかのような気分に私は少し寒気を覚えた。

「お前さんはひとつ、思い違いをしているよ」

 老人がぼそりと呟く。私は時計をちらと見た。そろそろケリをつけなければ追っ手がつくだろう。

「時間が無い。遺言なら手短に頼もうか」

 あの冷徹な掃除屋が恩情をかけてくれるなんてねぇ、と彼は笑う。コイツは仕事やしてきたことを抜きにしても俺と相容れない人間なのだろう。

「……さて。私は先程、『全て正義に則って為した』と言ったな。それは事実だ。なぜなら正義は私のもとにあるからね。

 だが一方、私は私自身の行いを悪だと了解してもいる。ではなぜ私の中だけですら、本来は両立し得ない正義と悪が両立するのか?答えは簡単だ。私が感じている悪は、『正義の対義としての悪』ではなく『善の対義としての悪』だからだ。

 これはただの一人の老人の考えだが、正義は『主観的なもの』、善は『広義的なもの』であると、そう捉えている。私だって一通りの倫理観は持ち合わせているさ。学のない、何も知らない人間ほど『命を弄んでいる』だのなんだのと言うが、私自身は命に最大限の敬意を払っていたと、そう言い切ろう。……学のない人間共が見える部分だけを見て、他人から煽られるままに批評し、その行為の真意を知ろうともしない現状には本当に辟易とさせられる」

 少し愁いを含んだ口調。今にも命の火が吹き消されんとしている人間が、今更何を憂うというのだろうか。

「そんな話はどうでもよかったな。私の中に倫理観が無いということはない。ただ、自らの『不老不死を成す』という正義があまりにも強大すぎただけだ。人殺しすらも厭わない、あまりにも強い願いだっただけだ。自らが倫理に反することを是と出来るほどに、私は不老不死を渇望した。人類のために。もう二度と奪われる哀しみが訪れないように」

「そんなものは、確実に間違っている」

「まだ見てもいないものを見たふうに、知りもしないものを知ったふうに言うな。お前は不老不死でもなんでもない、ただ有限の命を消費しながら生きる人間だろう。古今東西、数多のフィクションで無限の生命を持つものは死ねない苦しみに苛まれると書かれてきたが、周りが全員不老不死ならどうなる?他人との差異を感じなければそのような感情は発生しないのではないか?おまえたちが一度も見たことがない世界を妄想で頭ごなしに否定する、私はそれが本当に大嫌いだ。

 ……ああ、ちなみにだが、おまえたちの望む”悪役”とは違って、生憎私は正気だ。自らの所行に心を痛めながら、それでも狂って目を逸らさぬようここまで耐え抜いてきた。正気を失ったまま研究を続けるのはただの冒涜だ、痛みから目を背けるのは私の正義に反することだ。他人の『正義』とやらに断罪されようと、私は何も曲げなかった」

 老人は静かに、けれど力強く語り続けた。言い終わったあと、彼は大きな溜息をついて、背もたれへと深くもたれかかった。

「悪かったな。柄にもなく熱くなってしまったよ」

「それが貴様の素性か。よもや命乞いでもあるまい、その主張は全て貴様の本意として受け取っておこう」

「物分りのいい殺し屋で助かったよ」

 老人は心做しか嬉しそうである。

「……お前の罪は重いが、罪から目を背けまいとするその精神にだけは敬服してやっていい。その信念に免じて、お前は銃弾一発で楽にしてやろう」

「外すなよ」

 老人がへらへらっと笑った。窓から射した光が銀の銃身をきらりと照らす。




 俺はアイツと似たもの同士なのではないだろうか、と二十年経った今そう思ったりもする。

 自らの正義のためならば手段を選ばない。だがあの世紀の大罪人は更にそこから、犠牲に目を背けることをせず、そして正気を失うまいと必死に生きていた。

 いや、似たもの同士ではない。生き様は違えど、背負った罪の重さはまるで違えど、命に対する真摯さは奴の方が数段も数十段も上だった。少なくともあの時点では。皮肉なことに、俺はあの問答で自らが無くしていたものに気付かされた。どうしようもない悪人ばかりが相手だったことに甘えて他人の痛みに鈍感になることを許した人間が、どうして他人のために正義を成せるのか。そのことに気付いたのがあの仕事であったことにどうしようもなく腹が立つ。まあ、今となっては納得もしているが。

「なあおい、『なんでも屋』の兄さんよ。新しい依頼がニッポンから来てるぞ。なんだ、身内からか?」

 投げられた封筒を開ける。

「いや、違うな。……この仕事、受けると返してくれ」

「へいへい。ちなみにだが、依頼主はどちら様で?」

「知り合いだ。差出人は昔ここに連れてきたことがあるヤツだぞ」

 事務所の部屋の中には煙草を吹かす男が二人。このブローカーとは既に十五年の付き合いだ。彼はとにかく顔が広いので、仕事上非常に助かっている。

「ああ、あの東洋人か。どうしてだかこんな片田舎に迷い込んできた男」

「そうそう。と言っても別にコイツが知り合いだからとかそういう理由で受けたんじゃない。ただ仕事の中身が伏せてある、そこに興味を持っただけさ」



 ───追い込まれたとき、気が狂いそうになったときはあの大罪人を思い出してきた。あんなヤツに人間性で負けていいのか。答えはノーだ。あんな最低な所業を繰り返した人間の、その一欠片だけでも劣った人生を送るなんて真っ平御免だ、その一心だけで俺は殺しを続けても人間らしさを失わずにいられている。

 ただ、狂気を抑え込み続けて生きるという点では、アイツにはもう勝てない。

 なぜなら俺は既に一度正気を失ったがしかし、アイツはずっと正気のまま息絶えていったのだから。ああクソ、ムカつく野郎だ。

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