第15話 深い眠り、新雪に褪せて
彼の目は冴えてしまった。
「ってぇ……」
ひとしきりポーカーの
「まだ生きてるのか」
「当たり前だ!」
反論するなぎ。
「どーせ死ねないんだし、もうちょっと優しくしてくれたって良いんじゃないか?」
「なんで?」
「なんでって……というかお前、その人間のこと随分気に入ってるようだな」
「え…………ま、まあ……」
ポーカーは少し恥じらいを見せていた。
「あんまり迷惑かけんなよ」
「うるさい」
ポーカーの言い草は、反抗期の子どものそれだった。口を尖らせ、なぎから目を反らす。
なんとなく、この二人の立ち位置が分かった気がする。るいはまじまじと二人を見やった。
「私もう行くから」
なぎから逃れようと、ポーカーは部屋を後にする。
「行こ? るい。送っていくよ」
先に部屋を出るポーカー。るいもそれに続こうとすると、
「藤川——だっけ?」
なぎに呼び止められた。
「あいつが心を開く人間がいたとは思わなかったよ。一時の安らぎにはなるだろ」
「それは、ポーカーが死ねないから?」
「ああ。だからずっとは居られないだろう。精々お前が死ぬまで、か。だが、大事な人間の死を看取れるなら——記憶に残るんなら、それも悪くない……そう思わねえか?」
にかっと口角を上げるなぎ。
「ま、あいつのこと頼むぜ?」
「いった!!」
背中を思いっきり叩かれる。
「あと」
「……何?」
彼は続ける。伝承を語るかのように、神妙な面持ちで。部屋の明かりが消えてしまいそうな心細さと、身体を凍らせる恐怖を覚えた。
——影痕には気を付けろ。
——あれは恐ろしい存在だ。
——決して食われるなよ。決してだ。
「ま、あいつがいるなら、そんな心配ないがな」
茶化すように言うと、部屋の窓ガラスをすり抜けどこかへ行ってしまった。
————
ちらちらと雪が降る夜。真上を見ても、空の頂上は見えない。
反転の奈落だ。
有り得ない表現だが、吸い込まれ上に落ちてしまいそうだった。
そんな彼を正気に戻したのは、オリオン座を始めとした冬の星座たち。
そして、くっきり輪郭を描いた満月だった。
——まるで、夢を見ているようだ。僕は今、眠っているのだろうか?
闇の果てから、当て所なく白い旅人は降りてくる。
真っ暗闇今にも消え入りそうな白い結晶たちを、彼女は眺めていた。
「ポーカー」
声をかける。
「あ、るい」
ポーカーが駆け寄る。積もった雪を気にも留めず。
彼も歩み寄る。そこで雪が本物でないことに気づいた。僕の脚にしがみつく重い感覚がなかったからだ。
「ここはなぎが作った“夜”の中。昔々の冬の風景。本当の世界じゃないんだよ」
るいの疑問を先読みして、ポーカーは答えた。
普通に生きていたら見ることができない、澄んだ夜の闇。
「でも寒くないでしょ? なぎがさっき施した処置の所為なんだ」
見えないはずの先を見据えて、彼女は言う。流石の彼女も思うところがあったようで、少しばかり不貞腐れていた。
さっきの口づけは、そういう意味があったのか。何も言わず急にするもんだから、驚いてしまった。教えてくれれば……いやそれでも嫌だな。るいは冷え切った口元に触れる。
「ここは特別な場所だから、影痕が入ってこないの」
安心して?
そんな表情で笑いかける。
ここには何も無い。見当たらない。
ただ、シミ一つない、真っ白な絨毯があるだけだった。
月が二人を見下ろしている。
「綺麗だ……」
思わず彼は呟いた。
外に出られなくたって、窓からなら月を見られた。だけどそれはちっぽけで、模型みたいに思えてならなかった。
しかしこの月は大きくて、近い。クレーターもはっきり見える。真っ白な光を放つそれは、まるで生きているかのような迫力があった。それでいて、静かに世界を見守っている。まさに唯一無二だった。そして何より孤高だった。
そして視線を下にやると、白い少女が佇んでいる。
銀色の髪は月光に煌めき、ダイヤモンドダストのようだ。そして色という色を拒絶した白い衣装が、今度は世界から隔絶されたように闇夜に歪みを走らせていた。
——その歪みが、亀裂が、狂いこそが僕を惹きこんだ。
最初にあったあの日の、死神のような不気味さ。その正体が、分かった気がした。
月が二つとないように、彼女もまた——。
……駄目だ。頭も冴えている。もう今日は寝られない。
こんなにも暗いっていうのに。
夜は永かった。
ずっと知らなかった。
いつもは黒が深くなる前に眠っていたから。
少し、怖いとも感じた。
どこまでも終わりがない——いつまでも朝が来ないように思えたから。
昔の人々は、こんな世界を生きていたのか。
ポーカーは、こんな世界に馳せてきたのか。
「ポーカーは、淋しいとか感じたことある?」
「え? 急にどうしたの?」
「いや、なんというかさ……夜って思ったより淋しいなって思って……」
「昔は淋しくなかったよ。それが当然だと思ってたし」
昔は? 喉の辺りに小骨が引っかかったような感覚がした。
「でも今は、ちょっと寂しい……かな。何んとなく……そう感じるんだ」
「そっか……」
「でもね。朝になれば、るいが起きてくるし、つとむさんも、かなれちゃんもいる。楽しみで楽しみで、頑張れるの」
健気な少女が、夜に抗う。拳を握ってみせ、嬉しそうに笑う。人間離れしたお白いの頬は薄紅色に染まり、少し照れているのが分かる。
鼓動が僅かに高まった。彼の胸の奥で、ほわっと炎がともされた。
「今日は、ずっと起きていられるよ」
青年は寝ころんだ。真っ新な雪に、人型が二つ。
「僕、ここに来て良かった」
白い息が宙を泳ぐ。
「何も考えずに過ごしてた。生き甲斐なんてなかった。だからここに来たんだ。心機一転の心意気で。やり直したかったんだよ。……まあ、委員長からしてみれば、今の僕も“何も考えてない”んだろうけどさ」
手を伸ばしても、その頂には届かない。
「……るいは、やり直せたの?」
「多分ね、今は楽しいから。委員長も先輩もいて……それにポーカーもいる」
ポーカーに視線を向けると、彼女は寂しげな笑みを湛えていた。
「……私も…………やり直せる……かな?」
おずおずと、小さな声。心細さが伝わってくる。居ても立っても居られなくなった。心臓から送り出される血の流れを感じる。
「やり直せるよ。……僕も協力する」
るいはは彼女の手を握った。ほんのりとだけ、僅かな温もりを感じた。するとゆいも、優しく僕の手を握り返した。
奥行きも想像できないほど深い闇に、二人の声は消えていく。
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