第3話

 上機嫌なのか通常運転なのかわからない殿下がテンパって何もできなくなっているラミラ嬢と共に帰宅され、後には一心不乱にわたしをモフるお嬢様と遠い目をしているライムンド様が残された。


 いえ別に、あの後殿下が何かおかしなことを言い残したとかそんなことはないのですよ?いたって普通に挨拶して帰って行かれました。ラミラ嬢も一緒に帰るというのでお嬢様が残念がって玄関まで見送るとか、家の前を通るから送ると言われて馬車に同乗しようとしたライムンド様にお嬢様がしょんぼりして胸を撃ち抜かれた表情になったライムンド様がいそいそと戻ってきたとか、そういう一幕はあれど、お嬢様がこうして愛しの婚約者を放ってまでわたしをモフるほどの何かがあったようには、少なくともわたしには思えなかった。


 けど、現にこうしてお嬢様が普段より情緒不安定になっているということは、わたしが気づかなかった何か、あるいはそれ以前に何かがあったはず。


(応接室に来る前ですよね、絶対。すごく時間かかっていましたし…)


 すりすりと頬ずりするお嬢様の柔らかな頰を甘受しながらライムンド様に問いかければ、一瞬肩を揺らしてから気まずそうに眉を顰めて中途半端に頭を動かした。なんというか、頷くと首を振るの中間のような動きだった。どっちだよ。


 何か言いたそうにしながらも口を噤んだままわたしとお嬢様との間で視線を彷徨わせていたライムンド様だったけれど、ややあって何かしらの決意を固めたように一度唇を引き締めた。いや、別にそこまで言い辛いなら紙に書いて後でこそっと渡してくだされば良いんですけど……とは思うけれど、まぁ紙の処分も困るし話してもらえるならその方がありがたいと何も言わずに待っておく。


「アリシア、大丈夫?」

「え?何のことでしょうか?私はいつも通りですよ。ねっ、ユーア」

(もちろんですともお嬢様!お嬢様はいつだって世界一可愛いわたしのお嬢様ですぅ!)

「今関係ないし聞き捨てならないことを言うよなぁ君は」


 話が進まないから黙っていなさいとお嬢様越しに手を伸ばして頭を押さえ込まれる。その瞬間にむっとお嬢様が顔をしかめたのが見えた。なんという珍しい表情。可愛い!もう一回!


「たしかにアリシアはいつも通り可愛いし、今日もラミラ嬢と会うだけの予定だったはずなのにすごく可愛い格好しているのは気になるけど、それだけじゃなくて……何というか、いつもより少し表情が硬いように見える」

「それは、そうかもしれません。だって、いきなり殿下がいらっしゃったのですもの、緊張しないはずがありません。今日はお父様もお母様も外出していますから、私がお迎えしなければならなかったのも、すごく緊張したんですっ」


 ぷう、と頰を膨らませる姿は普段のおっとりと落ち着いた様子とは正反対だけれど、年相応の可愛らしさが前面に出ていて、それでいて心臓に不具合を生じさせるほどの破壊力も秘めていた。端的に言って悪魔的に可愛い。やだお嬢様、天使の微笑みだけではなくて小悪魔な表情まで使いこなせるとか、どこまで我々のことを魅了すれば気がすむのでしょうかああああ可愛い一生ついていきますぅ!


 お嬢様の珍しい姿に心を撃ち抜かれて思考が停止したのはわたしだけではなく、真正面からそれをぶつけられたライムンド様は胸を押さえて何かを堪えるような顔をしていた。うんうん、そうなりますよねー。でもライムンド様は我慢してお嬢様に情けない姿を見せないようにしてください。


「そ、れは、殿下も私から話を聞いて突然思いついた行動で……それでも着いてから準備が整うまで殿下にも待っていただいたし、殿下も謝罪をしていただろう?」

「ええ、わかっています。だとしても、緊張するものは緊張するのですっ!ライムンド様は殿下と親しいそうですからそんなに緊張することはないのかもしれませんが、私は随分前に一度お会いしたきりなのですから」


 お嬢様の言葉に、改めてお二人が直接顔を合わせるのはわたしがここに来て間もない頃以来だということを思い出した。年に一度手紙のやり取りはしているはずだけれど、誕生祝いのカードみたいなものだからお嬢様としては親しいやり取りとは言えないのかもしれない。


 まぁだから、親しいわけでもない王族が、両親がいない時に突然やって来たから緊張して、あのような固い対応をしてしまったと。お嬢様はそう言っているわけだ。


 でもなぁ、あれ、固いっていうかむしろ慇懃?わたしには皮肉とか嫌味の応酬に見えたんですけど……気のせいですかね?


 何とも言えない気持ちで腕の中からお嬢様を見上げていれば、ライムンド様も同じように物言いたげな顔をしているのに気づく。わたしが知らない殿下とのやりとりを見ていただろうから、そのことについて突っ込みたいけどプンプンしているお嬢様が可愛いしこれ以上機嫌を損ねたくないから躊躇してるって感じだろうか。わかる。


 いやほら、お嬢様ってどんな表情をしていても可愛いしそれぞれ違った魅力が出て見ていて飽きないむしろいろんな表情を見せて欲しいって思わせるような方だけど、それでもやっぱり笑顔でいる時が一番素敵だと思うのですよ。というか他のどんな表情を可愛い綺麗尊いと思っても、その後の笑顔が全てを超越しているというか。だから何が言いたいかというと、一度お嬢様の笑顔を見た人間は、お嬢様がそれ以外の表情を浮かべた時にはどうにかして笑顔になって欲しいと思ってしまうということで。


(あああああお嬢様そうですよねいきなり殿下なんかが来たら驚きますよね緊張しますよねっ!頑張ってました!お嬢様頑張ってましたし殿下も満足して帰られましたよさすがお嬢様ですぅ!)

「ごめん、緊張しているのはわかっていたんだけど、しっかりと応対ができていたから大丈夫なんだと思い込んでいた。私がもっとフォローすべきだったよな、ごめん、アリシア」

「……私、ちゃんとできていましたか?」

「もちろんだ。事前連絡もない状況で、アリシア以上にしっかりと殿下をもてなせた人はいないんじゃないか」


 語りながらお嬢様の手を握り頭を撫でて頰を撫でて至近距離から見つめあう。いつもながらお二人は距離が近い……。


 いえ、良いんですよ?婚約者ですし。お嬢様も嫌がっていませんし。人目があるところでは一応節度ある触れ合いにとどまっていますし。でも人目がないところでベタベタ触りすぎじゃないかと思わなくもない。


 前回もそうだったんですよね。ライムンド様、最初はお嬢様にツンツンしていたくせに、ひとたび陥落したらもうデレッデレで、わたしたち侍女の前でも躊躇なくお嬢様に口付けるわ抱き締めるわですごく目に毒だった。本当に、お嬢様の嬉しいけど恥ずかしいという赤く染まった顔が可愛すぎて。


 その点今回はまだお嬢様が幼いし傍にいるのはぬいぐるみだけという状況だからか、お嬢様もそんなに恥じらいがないというか、嬉しさしかないように見える。それはそれで可愛らしくて良いのだけど、ライムンド様はお嬢様を触りすぎな気がする……。まぁ可愛いお嬢様に触れたいというのは当然の気持ちか。


 お嬢様の不機嫌の原因を聞き出すという当初の目的も忘れていちゃいちゃし始めたライムンド様をじっとりと見上げて、やれやれとため息をついた。


 何というか。わたしとライムンド様がお嬢様から何かを聞き出すなんて、到底無理なんだということを思い知らされた気分だ。




***




 さて、今日はお嬢様が楽しみにしていらっしゃったダブルデートの日である。

 殿下とお会いした時の不機嫌は綺麗さっぱり消え去って、るんるんとご機嫌な鼻歌交じりに準備をしていたお嬢様曰く、まずお昼前にライムンド様がお嬢様を迎えにくる。そしてお二人で王城前広場に向かい、そこで変装した殿下とラミラ嬢が王宮から出てくるのを待つ。合流したらそれぞれの護衛の姿を確認して目的地へ出発。なお、本日は殿下とライムンド様への贈り物選びを主目的とするため、貴族御用達の高級店街と庶民の味方の市場のちょうど中間あたりで両方のお店を覗きに行くそうだ。


 いいなぁ。楽しそうで。わたしもお嬢様の護衛がしたかった。


 朝食を終え、着替えをして髪のセットも終えたお嬢様はいつにも増して輝かんばかりの美しさだ。今回のお出かけはお忍びはお忍びでも、高位貴族令嬢のお忍び風(護衛付き)をテーマとしているため、ほぼほぼ普段通りの格好だ。


 お嬢様とライムンド様、そして殿下が揃うとどれだけ服装を地味にしても目を引くことに変わりはないから、だったらいっそ最初から高位貴族の子供だとわかるようにしておこうという作戦らしい。


 だからこそ今回は付かず離れずの距離で護衛ができるのだけど。ああ羨ましい。わたしもお嬢様の護衛がしたかった。


 表には出ないのを良いことに思い切りしょぼくれていると、白い手がひょいとわたしの体を抱き上げた。顔を上げそうになるのを堪えて目だけで使用人が誰もいないのを確認してから、笑みが溢れているお嬢様を見上げる。


(ご機嫌ですね、お嬢様)


 はぁ麗しい。


「ふふ、ライムンド様とお出かけって久しぶり。ラミラ様とも最近はお茶ばかりでお出かけはしていなかったし……何かユーアにも使えそうな良いものがあれば買ってくるから、楽しみにしていてね」

(そんな、わたしにお土産を……!?恐れ多いですぅ!でも嬉しいっ!ありがとうございますううううう!)


 両腕を上げて全身で喜びを表現すれば、にこにこと楽しそうに笑ってくださる。ああもう可愛い。


 跳ねるような足取りでわたしを抱えたまま部屋の中を移動し、普段勉強したりお手紙を書いたりしている机の上にわたしを置いたお嬢様は、邪魔にならない位置にあったメモホルダーを引き寄せた。短めに作られたペンを差し出して、にっこりと微笑む。


「ねぇ、ユーアの好きな色を教えてくれる?このメモホルダーとペンは私が好きな色で作ってもらったのだけれど、次はユーアの好きな色のものを買いたいの」

(わ、わたしの好きな色……!?)


 差し出されたペンを握りしめたまま硬直する。お嬢様と色々な話をして来たものだけれど、そういえば今までわたしが好きな物については何も話したことがなかったと気づく。ライムンド様よりも長い付き合いになっているのに、今の今まで聞かれなかったのは……まぁ、ぬいぐるみに好きなものがあるのかわからなかったから、かなぁ。あとは単純に、お嬢様にとってわたしは物を与える対象ではあっても贈る対象ではないから、とか?そう考えると、侍女だった時とはやっぱり立場がだいぶ変わるなぁ。


 嬉しいような少し寂しいような気持ちを抱きながら、笑顔で待っているお嬢様のためにメモホルダーに向き直る。いけない、お嬢様の問いには速やかに答えなければ。


(えーっと、好きな色、好きな色……)


 ペンを構えて、しばし固まる。

 よくよく考えなくても、わたしって特に好きな色ないんだよな……。


 侍女だった時はお嬢様のお側に控えるために、お嬢様の邪魔にならず、かつ自分に似合う色という条件で色を選んでいただけで、そこに好みは反映させていなかったし、今は何かを身につけることがないから色の好みなんて考えたこともなかった。唯一わたしの物と言えるのがこのメモホルダーとペンだけで、これらはお嬢様が見立ててくださったものだから、わたしが選んだものではない。


 だから好きな色と言われても……何色だろう。


 ペンを構えたまま目だけを動かしてお嬢様を一瞥し、悩んだ末にひとつの色を書き綴った。


「教えてくれてありがとう、ユーア。じゃあ、この色のものを何か買ってくるわね」

(ありがとうございます、お嬢様!)


 一度目を瞬いたお嬢様がにっこりと微笑むのにこちらも笑顔を返す。お嬢様が笑顔になってくださるなら、わたしの好みなんて瑣末なことはいくらでもひねり出せますとも!


 そうして優しい手によって定位置である棚に戻されたわたしは、ライムンド様到着の知らせを受けて笑顔で部屋を出て行くお嬢様を穏やかな気持ちで見送ったのだった。おまけ付きとはいえ大切な婚約者様とのお出かけ、憂いなく楽しんで来ていただきたいものである。




 ―――と、思っていたのに。


「服装と特徴は伝えた通りだ。早急に捜索に当たれ。それらしい人物を発見したら、まずは近衛に確認するように」

「何かしら手がかりになるものを残している可能性がありますから、ククルーシア家の方と協力して現場の再確認をお願い。大丈夫、私は大人しく屋敷で待っています」


 なんだかすごく不穏な空気なのは、なぜでしょうか……。

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