第12話

 互いにしらっとした目を向け合う一瞬の間を経て、咳払いをした時の魔女が先に目を逸らした。


「まぁ良いわ。そんなことより、来た目的を果たさなければね」


 座れば?と向かいの席を示されたのには首を振り、茶器のそばに控えたまま先を促す。別に時の魔女との同席を拒むつもりはないのだけど、お嬢様の部屋で、ライムンド様の指定席となっている場所に腰を下ろすわけにはいかない。


「逆行の術についてよ。私がしばらく眠っていたのはあの子から聞いているのよね」

「はい、ラミラ様と殿下との婚約を決めた後に眠りについたと。おかげでラミラ様はどうしたら良いのかわからず右往左往されておられました」

「ん、前回は婚約が決まったらあちらこちらから後見の話が来ていたから問題ないと思っていたのだけど。不思議ね?」


 普通だと思う。


「まぁそれは良いわ。で、眠りについた理由は御察しの通り逆行の術の影響ね。術の代償と、あとは術を安定させるための要件の確認のために意識を肉体から切り離していたというのが正確なところ」


 別に魔女の術に興味はないから詳しい説明は求めていないのだけど、話す相手がいないからか魔女はあれこれと話し続けている。術者は術に巻き込まれないから自分だけ時間が進んでいるだとか、ふーんとしか言いようがない。

 しかし、気になった点がないこともない。


「術を安定させる、というのはどういうことでしょうか。わたしの目には問題なく時間が戻っているように見えますが」

「そうね、今のところは順調よ。ただねぇ、こういう世界全体に影響を及ぼす術って不安定なの。私も初めてのことだから後から知ったのだけど、どうやら下手すると術が消えてしまう可能性もあるみたい」

「消える……?というと」

「術を使った時点……あるいは術を使う直前に戻る、かしらね。確証はないわよ?」


 術を使った時に戻る?

 それはつまり―――お嬢様を失った後の世界に戻るということか。


 目の奥が真っ黒に染まり、全身がその未来を拒絶する。嫌だ。お嬢様が幸せじゃない世界なんて認められない。


 乾いて強張った唇を薄く開いて息を吸い込み、震えそうになる声を意識して落ち着かせる。取り乱すにはまだ早い。


「確証はないとおっしゃいましたが、可能性はあるのですよね。では、その可能性をなくすにはどうしたら……わたしは何をしたら良いのですか」

「簡単よ。願いを叶えるの」


 そもそも、と先端が赤く染まった指を立てる。


「逆行の術というのは確かに時間を戻す術ではあるのだけれど、かといってそれまでの時間を消し去るものでもないのよ。本で例えるなら、別の紙に物語を書き直すのではなくて、エンディングの次のページに書き直しを書き始める感覚ね。自分が満足するエンディングまで書き終えたら、そこで初めて前のエンディングを破り捨てることができる、という感じ。わかるかしら?」

「わかりません」

「なんでよ」


 なんでと言われてもわからないものはわからない。

 不満そうに顔をしかめる時の魔女からすっと目を逸らし、下唇を指先で抑えて考える。


 まぁ……ふわっとした感覚でなら、理解できなくもない……気がしなくもない。


 何にせよわたしは別に魔女の術を理解したいわけではないから、大事なことだけ確認できればそれで良い。


「とにかく、お嬢様を幸せにすることができれば、逆行前の世界に戻ることはないのですよね」

「それだけじゃ足りないわ。言ったでしょう、私も娘を幸せにしたいの」


 柔らかく唇を綻ばせたその表情はまるで娘を思う優しい母親のようだ。人間の都合を全く考えない傍迷惑な魔女が浮かべていると思うと、似合わなさすぎて違和感がすごい。


「お嬢様とラミラ様、お二人を幸せにすることが必要だと」

「そういうことね。幸せの達成条件はわかっているでしょう?」

「もちろんです」


 わたしが願ったことだ、わからないわけがない。

 ラミラ嬢の方はどうだか知らないけれど、時の魔女が何も説明を追加しないのだからきっとお嬢様と同じだと思って良いのだろう。同じなら、このまま進めて大丈夫だ。


 ラミラ嬢から聞いた話、ライムンド様と相談した内容、そしてお嬢様の様子を脳裏に思い浮かべて一つ頷く。殿下が何を考えているのかわからないのが痛いけれど、逆行前の世界に戻ると困るのは時の魔女も同じ。どうにもならないような事態には陥らないはずだ。


 ………………いや、待てよ?

 この非常識が服を着て歩いているような魔女が下手に介入する方が問題では?


 あ、でも、ラミラ嬢は貴族の養女として嫁ぐことになるとはいえ、王家からしたら時の魔女との繋がりもラミラ嬢の価値の一部と認識しているはず。むしろ時の魔女との繋がりが得られるからこそラミラ嬢と殿下の婚約を受け入れたと考えられる。だとしたら、ラミラ嬢の待遇に時の魔女が口出しをした方が安全、かも……?


 いやでも鬱陶しいな。義理の母親があれこれ口出ししてくるとかめちゃくちゃ鬱陶しいな。やめよう。


 うっかりぽろっともっと積極的に関わっては?と言いそうになった口を引き結ぶ。だってそうだ、前回は時の魔女との繋がりがなくなるという不利益があるにも関わらず、殿下はラミラ嬢を殺したのだ。煩わせたら二の舞になりかねない。

 と、そこでふと疑問が生じた。


「そういえば……貴女はラミラ様の死因をご存知なのですか」

「知っているわよ、毒殺。それなりに親しくしていた友人からもらったお菓子に毒が含まれていたらしいわね」

「毒ですか。失礼ですが、ラミラ様は毒への耐性をつけていなかったのでしょうか」


 例えばお嬢様なら幼い頃から訓練していたおかげで、入手しやすい毒への耐性がついている。カレアーノ家は敵が少ない家だけど、それでも皆無ではないから必要なことだ。たぶん、お父上が外交官をしていてご自身も殿下の友人であるライムンド様はもっと色々な毒への耐性を得ているはず。貴族ってそういうものだ。


 今回はククルーシア家が教師から何から手配したおかげで、ラミラ嬢も順調に耐性を身につけつつあるはずだけれど、もしかしたら前回はそんなことまでしていなかったのかもしれない。


 ラミラ嬢から毒で死んだと聞いた時から予想はしていたが、案の定、時の魔女が驚いたように目を瞬いた。


「耐性なんてないわよ、毒に耐性持つ必要なんてないじゃない」

「いえ、貴族となるからには必要です。特に殿下の婚約者という立場は危険に満ちていますから……今回はすでに手を打ってありますし、また毒殺されるということはないと思いますが」

「あら、そうなの?じゃあ余計なことをしたかしら」

「?」


 こてんと首をかしげる姿に、何となく嫌な予感がした。だって絶対余計なことしてる。


「あまり聞きたくありませんが………何をしたのでしょう」

「前回毒を盛った相手の家を適当な理由つけて潰した」


 ほらあ!


「て、適当な理由って、いつのまに……それよりどこの家を!?大丈夫ですかそれ、前回親しくしていたということはそれなりの家なのでは」

「地方の伯爵よ。知っているかしら、東の国境あたりに領地を持っている家で」

「辺境伯ぅ!?」


 思っていたより大物だった。


 え?え!?辺境伯潰したの?いつ?知らない聞いてないそんな情報!


 あまりの衝撃に二の句が継げないわたしの前で、悠々とカップを揺らしている時の魔女は全く悪びれていない。彼女にしてみれば、自分の娘に害をなす存在を消しておいたというそれだけなのだろうけれど、……いやいやいや、それだけなんてあっさり言ってしまって良いような規模の話じゃない。


 東の辺境伯は隣国との国境を守るために国内でも有数の規模を誇る兵力を備えていて、王城がある首都には滅多にやって来ないけれど発言力は侯爵家にも劣らないような武力と権力を兼ね備えた家だと聞いている。一介の侍女だったわたしが知っている情報には限りがあるけれど、辺境伯は国王陛下の信頼も厚い方だともっぱらの噂だった。少なくとも、わたしが侍女だった時に聞いた噂では、だけれど。


 そんな人を、潰した?嘘でしょ。


 だってそんなことしたら大騒動だし、カレアーノ家やククルーシア家だって無関係ではいられないし―――あ。


「だからククルーシア家が口出しできたのですね」


 貴族全体の勢力関係は知らないが、お嬢様に関わる範囲ならある程度聞きかじっている。


 この国の貴族を大雑把に分けると中央貴族と地方貴族に二分される。名称はそのままの意味で、特定の領地を持たないあるいは持っていても王宮での仕事を担っているために一年のほとんどを首都で暮らしているのが中央貴族。カレアーノ家やククルーシア家がこれに当たる。


 一方、領地を持っていてそこの管理を生業としていたり、領地はないけれど他貴族の領地を代官として任されているのが地方貴族となる。時の魔女が潰してしまった東の辺境伯がこちらに該当する。


 で、基本的にはどちらの貴族が上だとか下だとかはないらしいが、それでも普段関わるもの同士が結束することはままあるようで、中央貴族と地方貴族はあまり仲が良くないと言われている。実際どうなのかまでは知らない。それにそれぞれの中にも派閥があったりするらしくて、色々とややこしいのだ。


 まぁそんなわけで、逆行前にラミラ嬢の後見となった―――えー……オル…オルー……オルテガ…?伯爵は中央貴族ではあれど地方貴族の代表格である辺境伯と親戚関係であるため、カレアーノ家やククルーシア家とは派閥が違う。だから今回のようにラミラ嬢の教育に口出しができなかったと以前ライムンド様がちらっと教えてくださった。だけど今回は、そもそも前回と流れが違う上に時の魔女が辺境伯を潰していたおかげで余計な口出しもされず、ククルーシア家主導でラミラ嬢の教育ができていると、そういうことだろう。


 そう考えると、時の魔女の行動もあながち余計なこととは言えないような気もする……少なくとも、ラミラ嬢の周辺についてのみ、だけど。国にどういう影響が出たのかは知らないし、わたしが考える必要性も感じない。ライムンド様は頭を悩ませているかもしれないけど。


 ひとまず国のことなどわたしが考えることじゃない、と緩く首を振って思考を切り替える。今すべきは、時の魔女が他に何かやらかしていないかの確認だ。


「ちなみに、他に前回とは違う行動は何かしていませんか」

「そうねぇ……あの子と王子様の顔合わせの時期がずれたのと、顔合わせの状況が違ったくらいかしら」

「時期については把握していますが。状況?」

「ええ。ほら、あの子今あなたの姿をしているでしょう。いずれ元の姿に戻るからそのことを事前に教えておく必要があるじゃない」

「ああ、なるほど……え、元の姿に戻るのですか」


 てっきりラミラ嬢はずっとわたしの姿で過ごすことになるのだと……可哀想になぁと思っていたのに、戻るのか。それは良いことではあるけれど、戻せるならすぐに戻してあげれば良いのにと思わなくもない。


「入れ替える術は本来なら一生元に戻らないものなのだけど、今回はあなたの皮を被っているだけだから、時が来れば戻るわ。代わりにそれまでは何があっても戻れないけれど」

「へぇ……それなら、確かに事前に元の姿に戻ることをお伝えしておかなければ混乱が生じますね」

「でしょう?だから顔合わせの時に将来こういう姿に変わるわよって見せてきたの。前回との違いはそれくらいかしらね」


 顔合わせ以降は特に手を出していないし、と呟く姿を見下ろしてじっとりと眉をひそめる。別に疑うわけではないけれど、彼女の「特に」は信用ならない気がするのはわたしだけだろうか。絶対無自覚に何かしているでしょう。


 とはいえ無自覚な人が何をしたのかすべて把握しようとしたら、一から十まで説明させる必要がある。お嬢様を幸せにするためならばいかなる手を使ってでも時の魔女にすべて吐き出させる所存だけれど、彼女はなかなかに厄介な相手だから二の足を踏んでしまうのも事実。目的を同じくしている以上、わたし……というかお嬢様に不利益になるようなことはしないとは思う、けど。


「………わたしは元のぬいぐるみの姿に戻るのですよね」

「ええ。お嬢様にその姿を見られるわけにはいかないでしょう?」

「それはもちろんです。ただ、ぬいぐるみの姿に戻ると貴女とはあまり頻繁に情報交換ができませんから……わたしたちが望む結末に導くために、できれば貴女との連絡手段を確立しておきたいのです」

「そうねぇ。でも私はまたしばらく眠らないといけないし、見た感じ、あの子と王子様は前よりずっと仲が良さそうだから、何もせず見守っていても良いと思うけど。まぁ心配なら、また私が目が覚めた時に会いにくるわ。お嬢様がいない時を狙って来たら良いのよね?」

「そうしていただけると助かります。また眠るというのは、どれくらいの期間になりそうですか」

「あの子が成人する前には起きて周囲に目を光らせておくつもりよ。それより前に目が覚めるかどうかはまだはっきりとは言えないわね」


 ラミラ嬢が毒で殺されたのは16歳の時。つまりあと四年だ。


 それまでに多少時の魔女が何かやらかしても問題ないくらいお嬢様とライムンド様、そしてラミラ嬢と殿下の関係を確固たるものにしておく必要がある。お嬢様たちの方はたぶん横槍が入らなければ問題なくまとまるはずだけど、ラミラ嬢と殿下の仲が良さそうだという時の魔女の言葉を丸ごと信じることはできないから、そちらはどうにかして情報を集めて可能な限り根回しをしたいところだ。


 さて、わたしは何をすべきだろう?

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