第28話 あの駅前ですれ違ってもキミは気付かない。それだけの時間が経った。

 マリナちゃんの唇は焼酎の味がした。

 俺はやっぱり我慢ができなくなったんだけど、上手くはいかなかった。

 天蓋付きのお姫様ベッドまで肩に担いで運べば、こう乱暴にベッドに投げ落としたのが悪かったんだろうな。

「あ、ちょっと、まって」

 一気に青くなったマリナちゃんはリバースをした。

 もちろん、UNOの話じゃない。

「あ、あ、見ないで」

「吐くの止めたら喉に詰まって死ぬぞ。背中さするから、出して、出して」

「おげぇええぇぇぇぇ」

 あまりにもアレな状態なんだけど、手を握っていたらマリナちゃんは震えていて。冷や汗をかいていて、それは、急性アルコール中毒の症状だ。

 前世の同級生で、これで死んだヤツがいた。

 水差しをとってきて、マリナちゃんにもたせる。とりあえず、無理に飲ませる。

「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」

「このパターンで死んだヤツいるから。水飲んで」

 マリナちゃんは水をのんでくれるけど、これだと足りない。

 外で待機というか、聞き耳を立てていた侍女さんに言って水を持ってこさせた。

「また、吐きそう」

「いいから、吐いて、げーってしていいから」

「うっ、おぼぼぼぼ」

 うわあああ。

 俺の一張羅がゲロまみれだよ。

 もういいや、とりあえず水を飲ませたりしないと。でも、これで対処ってあってんのかな。俺の時はだいたいこれで死なないんだけど。

「さ、寒いの、手、握ってて」

「お、おう」

 もうゲロは慣れた。

 未成年者の飲酒ダメ絶対。

『……あの、なにしてんの?』

 セックスしようと思ったらマリナちゃんがゲロを吐いて動けなくなった。

『そ、そうなの』

 そうなの。

 この状態の女とやるのってどんな気持ちなんだ? ちっとも楽しくないと思うんだけど、酒でフニャチンになる俺にはよく分からないんだよな、この感覚。

「なんか、さむい」

 濡れタオルで口やら何やらを拭いてやって、マリナちゃんをベッドに転がした。

 けっこうな量を吐かせたし、寒そうなので布団をしっかりかけた。

 さ、次は部屋の片づけだ。

「旦那様、そのようなことは私共が致します」

「いいよ。こんなとこ、見られたくないに決まってる。今日は俺が見てるから、頼むよ」

 そんなことで、俺はゲロを掃除する。

 昔もこんなこと、よくしてたな。

『手慣れてるね』

「まあね」

『……お前ら、ヘンなヤツらだよ』

「だろうなあ。転生したオッサンとふたなり美少女だぜ。そりゃあヘンだよ」

 ゴンさんもガラル氏もかなりヘンだしな、俺たちの中だとマリナちゃんはまだキャラクターが薄いな。

『それで、マリナのことはどうだ』

「今日、かなり好きになったよ。恋って感じじゃあないんだけどな、多分、一緒にいたら他のヤツには触らせたくなくなるくらいには、ね」

 安らかじゃない寝息を立てるマリナちゃんは、やっぱり可愛い。

『悪魔も魔神も、お前らが羨ましいんだよ。種の保存に不必要なお前たちの持つ気持ち、心、愛、勇気、歌、笑い、憎悪、嫉妬、怨嗟、劣情、それらは時に肉体を凌駕する。それを魂と呼ぶんだ』

「なんだよ、それ」

 ゴンさんの言うことは、俺には難しい。

『お前の魂は出来損ないじゃないってことだよ。言わせんな、恥ずかしい』

「なんだよ、ホントに。今日はヘンだぜ」

『お前に言われたくないよ』

「ははは、さ、気持ちのいい朝を迎えてもらうために、掃除を再開だ」

 そうして、ゴンさんと無駄話をしながら俺は部屋の掃除を再開する。

 なにしてんだろうね、ほんと。



 部屋の空気を入れ替えて、掃除は終わり。

 ゲロまみれの服は侍女さんに渡して、使用人のものを借りた。

 ハンチングが無事だったのは本当によかった。

「このようなお召し物で、旦那様には申し訳なく」

「いいって。こっちのが馴染み深いしね」

 俺は庭師の少年って感じにキマっていて、鏡の前でポーズを決めたらなかなかいい。

 マリナちゃんのように俺も妄想が好きだ。

 庭師の見習いの俺は、エロい熟女に性のてほどきを、なんていいじゃないか。

『うーん、最低』

 キメ台詞は、奥様が悪いんだぞ、これはどうだろう。

『それ、奥様のとこ変えるだけでなんでも成り立つだろ』

 女教師モノってのはイマイチなんだよな。実際、そんなキレイな女教師なんて見たことないから。

 眠っているマリナちゃんに、挨拶。

 キスでもしようと思ったけど、それはちょっとキザすぎる。

『ロマンチックだな。いいと思うよ』

 恥ずかしくて体が痒くなるぜ。

 だから、マリナちゃんの目の下を触っておいた。女の顔の中で、ここが一番好きだ。驚くほど柔らかくて、宝石より大切に扱わないといけないのだと実感する。

『その実感はキモいな』

 ゴンさんのそれは女側の意見だから。

 男は自分だけのモノローグで悦に浸るんだよ。こんなふうにな。

「おやすみ、マリナちゃん」

 俺はそうやって、奥さんの寝室を後にした。

 侍女さんに見送ってもらって、帰りは歩くことにする。

「じゃ、帰りは歩くから」

「旦那様、いえ御当主様、マリナ様のことをよろしくお願い致します」

 侍女さんは深々とこうべを垂れる。

「うん、幸せにするよ」

 自分でも予想外の言葉が口を突いて出た。

 この姉妹はもう。手え握ったり、チューするだけで俺をメロメロにするんだからなあ。

『ははははは、いいじゃない』

「面倒な女が好みのタイプなんだ」

「は、え」

 侍女さんが驚いた声を出す。

「はははは、それじゃあ、また」

 俺は歩き出して、振り返らずに手を振った。

 すっかり日は暮れていて、夜の帝都が始まっていた。

 まだまだ帝都は眠らない。

 この喧騒ともお別れが近づいている。

 鼻歌混じりに歩いていると、俺の隣に馬車が止まった。

「やあ、ご機嫌だね」

 ヤバいっ。

 聞き覚えのある声に走り出そうとしたら、前から出てきた人影に腹を殴られた。

「かっ、は」

 モロに入った。

「ふん、はしこいヤツ」

 人影は言うと、俺の顔面を殴る。

 まともに喰らって新調した差し歯が抜けた。

 ああ、顔が痛い。なんで顔面叩かれた時は鼻のおくがチカチカするんだろう。

 俺を殴ったヤツは明らかに暴力のプロだ。顔を見れば、荒んだ顔の男だ。北●●拳のモヒカンに似ている。

『アラン、手伝うぞ』

 ゴンさん、そういうのゴンさんの流儀じゃないだろ。

『お前っ』

 ゴンさんは、多分、神様とかそういうもんだ。だから、神様は、直接手を貸したらダメだ。俺はきっと、ゴンさんに情けないことを頼むし、昔のことをなかったことにしてほしいと願う。だから、ダメだ。

『アラン……』

 頭をつかまれて、壁に叩きつけられた。

 殺すこともできるのに、痛めつけるための暴力だ。手加減の仕方がプロだな。

「バイオメンてめぇっ、ケンカなら一人でこい。うぎぎぎぎっ」

 腕を捻り上げられた。折れる折れる。

 俺の目の前には、憎悪に燃えるバイオメン。この前の頭突きで鼻がイカレたのか、顔の下半分を覆面で隠している。

「マリナと何をしてたっ」

 ははは、コイツ、アホか。

「自分の嫁さんと、ナニしてたんだよっ」

 腹を殴られる。

「おごっ」

 あああ、痛い痛い痛い。死ぬ、死ぬから。

「お前のせいで、僕は、僕はっ」

「未だに童貞なんだろっ」

 もう一回壁に頭。

 ハンチングが落ちた。

 やめろ馬鹿っ、帽子もだし、これ以上脳がおかしくなったらどうしてくれるんだ。

「おいっ、ケンカに人数使ってんじゃねえぞっ」

 頼むから乗って下さい。

「あの時、キミは人数でくるのが正解だと言ったよね」

「それはそれ、これはこれだよ」

「こいつの腕を折れ」

「やめろやめろ、マジでそれはやめてっ。ぎゃああああああああああ」

 右手に激痛。本当に折りやがった。キレる十代かお前は。アン●●オ猪●とタ●ガージェッ●シ●の試合じゃねえんだぞ。

「僕は、ずっと、マリナのことが好きだったんだ。どうして、どうしてお前なんかに」

「ぎぃっ、ぐぎぎ」

 俺は歯を食いしばって痛みに耐える。

 涙が出てきた。

 痛いんだよ、とんでもなく痛いんだよ。人に折られた時はなあっ、恐怖心もあわさって事故で折った時の七倍は痛いんだよっ。

「バイオメン、じゃあなんで、好きって普通に言わねえんだよっ。このヘタレがっ。そんなんだから、俺にとられるんだ」

 こいつを飽きさせたら光モノで抉られる。

 できるだけ苛立たせて、ガラル氏が来るまで嬲られるより他に無い。

「お前はっ、どうしてっ、本当は、僕がっ」

「なあ、フラれた時は酒飲んで忘れるのがいいぞ。友達と一緒に騒ぐのもいいぜ」

 バイオメンの目にある剣呑な光が鋭さを増した。

 煽るつもりはなかったんだけどなあ。

「僕は、バイアメオン家の次男だ。分かるか、マドレ侯爵家と対をなすと言われた、バイアメオンだ」

 ああ、こいつ、ガキのくせに大人みたい生き方してたんだな。

「お前が自慢して磨いてんのは、お前の看板だ。お前じゃねえっ、お前はなんなんだよっ」

「バイアメオン家のっ」

「そうじゃねえっ。家の看板はお前じゃねえよっ」

「辺境貴族のドーレンに何が分かるッ」

「マリナちゃんは、そんなもんに騙される安い女じゃねえよ。お前が自分でいきゃあ、ワンチャンあったぜ。もうなくなったけどな」

 バイオメンは、腰に佩いた細剣を抜いた。

 おいおい、勘弁してくれよ。

「光モンはやめとけ。そんなもん振り回しても、いいことないぜ」

「お前だけは、許さない」

 ああ、無理だな。

 小心者がキレるとこうなる。

 相手の報復が怖くて無茶苦茶するんだ。人を刺すヤツはだいたいが気が小さいんだ。刺す理由が報復を避けるために確実に殺すためなんだもの。

 俺も小心者だから分かるよ。

 あ、ヤバい。

 ゆっくりと白刃が振りかぶられる。

 目の前の景色がスローモーションになって、止まる。


 止まった世界で、俺の胸元から這い出したの大きな白蛇だ。

「よお、久しぶり」

 声に出して言ったつもりが、言えてない。なのに声が世界に響く。

『ほほほ、大ピンチとはこのことじゃのう』

「そうだな、ヤバいよ」

『助けてやるぞ。アランよ、貴様には命を助けられたからの。契約を結ぼうではないか』

 もうコイツ、最低だな。

「どんな契約?」

『妾はお前を守護しよう。その代わりに、一日に一時間の時間を貰う。どうじゃ、安いものではないか』

 ああ、何をしたいか分かった。

 一時間ありゃ、なんでもできるよな。

『ひひひ、その一時間に見合うぞ。アランよ、その一時間は妾と体を取り換えるのじゃ。魔神の力があれば、お前は失った過去を見て、変えられるかもしれん。妾は白蛇の魔神、世界の記録の守護者じゃ。遠く、異界の記録にも跳べるぞえ』

 饒舌だな、このクサレ。

「世界を作り変えられる?」

『人間のアランには難しいじゃろうが、一日に一時間、毎日試すことができるぞ。それこそ、日々の積み重ねでなんにでもなれる』

 欲しいものを的確に突いてくるな、コイツ。

「バイオメンにやったらどうよ? 俺より騙しやすいぞ」

『きひひひ、あんな凡庸な魂はいらん。お前の魂はとても愛おしい。この妾が、これほどの契約を望むほどにの』

 白蛇の瞳は、いつの間にか人のそれに変じていた。

 ああ、きらきらと輝いて、その美しい瞳はまるで宝石のようだ。

「やっぱりお前殺しときゃよかったよ」

 白蛇が嗤う。

『返答は如何に』

 魂っていうのは、肉体を凌駕する心だ。

 いつ死んでもいいと思っていた。

 そう思ってたのに、死にたくないんだよなあ。

「魔神さん、お前は悪役としてもダサいわ。どうせ、自分よりの上のヤツにはお許しを、とか言うんだろ。そんなダサいヤツは、俺のマスコットにはできねえよ」

『ますこっと?』

「はははは、お前なんかいらねえよっ。ゴンさーんっ、やっぱ助けて、無理無理無理。やっぱり死にたくないわ」

 うわあ、俺すっげえかっこ悪いな。

 静止した世界に、海の香りが満ちた。

『な、なんじゃこれは。ひっ、貴様、なにを、何を呼んだっ』

「ははは、俺のマスコットキャラクターだよ。お前よりずっとイカしたヤツさ」

 ダメだ。

 なんだこの恐怖は。

 魔神と相対した時も怖かったけど、その比じゃない。体が動いてたら、足は震えて小便を漏らしていたかもしれない。

 見たくない。

 目を瞑らせてくれ。頼むよ。

『ひぃぃ、どうして、貴様、いいえ、あなた様が、お許しを、お許し下さい。いやじゃ、助けて、助けてぇぇぇぇ』



 ダメ。



 あ、魔神が食われて死んだ。

 俺も死ぬな。ゴンさん、怖いとかそういう問題じゃないよ。はは、ははははははははは。




『ヤバっ、アランがおかしくなった。直すのめんどくせえ』






◆◆△◆△△●★



 目が覚めると、目の前には白刃。

 えっ、なに、なんだかよく分からないけどピンチだ。え、なんだこれ。

「失礼仕るっ」

 バイオメンの白刃を止めたのはいつかの忍者だった。

「た、助かったぜ」

「はいやあああ」

 忍者の気合一閃、俺を拘束していたモヒカンは頭を蹴り砕かれて後ろに倒れ、バイオメンの細剣を指でつまむことで止めている。

「バイアメオンの次男坊、しばし眠って頂く」

 その声と共に、何をしたのか全く分からないままにバイオメンは崩れ折れていた。完全に気を失っている。

「はは、すげえぜ忍者」

「お褒めの言葉は後で頂きまする。まずは、アレを止めまする」

 夜闇より濃い影が迫る。

 その中心にある不吉な仮面は、見慣れたガラル氏のものだ。

「ガラルさんっ」

「坊ちゃんを殺そうとしたクソカスはこいつかあぁぁぁぁぁ」

 あ、ガラル氏ってこんな怒り方するんだな。漏らしそうになった。

 不定形の影となったガラル氏は、無数の短剣をバイオメンに突き立てようとしたけれど、忍者の放った火炎に後退する。

「邪魔立てするかっ」

「ガラルさん、こいつ殺したらダメ」

「いかに坊ちゃんの言葉とはいえ、聞けませぬぞっ」

 うわあ、すげえな。

 ちょっと嬉しいけどね。

「ガキのケンカにっ、大人が口出すなよっ。俺がダサくなるから、お願い」

「……ええい、坊ちゃんはもはやただの子供ではないのですぞ」

「ガラルさんは、俺の兄貴分さ。だから、頼むよ」

 ガラル氏は獣か悪魔のように唸ると、姿をいつもの人型に変えて短剣を仕舞った。

「その甘さ、家臣としても、……兄貴分としても黙ってはいられませんぞ」

「ごめんな。俺が色々甘かった。ガラルさん、こいつを殺すのはやめてくれ」

「魔神の時のように、ですかな」

「違うよ。利用価値があるってのもあるけど、まだケンカの途中だ」

 あ、一緒か。

 でもまあ、ガキのケンカだとしたら、まだ最後までやってない。

「どうするおつもりで」

「ガキのケンカは仲直りまで、そうじゃないですか」

 なんかのマンガで読んだな。そんなことを言える大人になりたかったんだ。

「坊ちゃんは馬鹿者です」

「知ってる。だから、間違えそうになったら助けて下さい」

「それも家臣の務めでしょうな」

 よかった。なんとか納得してくれた。

 忍者に言葉をかけようとしたら、いない。

「見届けましたぞ、アラン殿」

 声は、近くの建物の屋根から聞こえた。見れば、腕を組んで立つ忍者のシルエットが月に照らしだされている。

「か、カッケーな」

「顛末はあの御方にご報告させて頂く。さらば」

 え、忍者さんって陛下の細作だったの?

 最初に言えよ。あと、色々タイミングがおかしいだろ。なんだコレ。

『ただいまー。あー、疲れた』

 ゴンさんどこに、ってあれ、なんか頭が痛いな。

『ああ、色々と大事なとこ作り直したから。前と寸分変わらないから安心して』

 え、なに、なんだかよく分からない。

『いいから、いいから』

 まあいいか。

 とりあえず、病院にいこう。

 腕はへし折れてるし、またしても顔が酷いことになっている。

「ガラルさん、病院に連れていって下さい」

「これはこれは、……こいつは殺さないので?」

「やらないですってば。とにかく、行きましょう」

 あーあ、明日はマリナちゃんの看病に行くはずだったのにな。

 うまくいかねえぜ。

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