第8章 理科学倶楽部オールロスト 第2話『現』
これは現実なのか、とルイーゼは我が目を疑った。
「いらっしゃい、ルイーゼ。待っていたのよ」
リジーが座っているベッドの隣に、モーブが腰を下ろしていた。虚な目をしたリジーの腰に手を回し、頬へ軽くキスをする。
するとリジーも薄く微笑み、モーブに抱きついた。
「もーぶせんせぇ、すき。あいしてう」
呂律の回っていない舌で、愛を告白する。
モーブは「私もよ」と愛を受け入れ、リジーを抱きしめた。
「嘘よ……こんなの、現実なはずがない!」
ルイーゼは頭を抱え、絶叫した。
元々ボサボサだった髪が、さらに乱れていく。それは今のルイーゼの心、そのままだった。
ルイーゼは休日を利用し、学園から遠く離れた療養所にいるリジーのお見舞いに訪れた。リジーの大好きだったヒマワリの花束を携え、病室へと向かう。
飾ったところで、リジーが現実に戻って来るとは限らない。彼女は今も幸せな夢の中に閉じこもり、現実で受けた心の傷を拒絶しようとしている。
いつもぼーっと窓を眺め、一言も発さない。食事も介助がなければ、自ら食べることはなかった。特にミシェルがよく作っていたような甘いスイーツは嫌いで、匂いがしただけで正気を失い、暴れた。
(パパもママもリジーのことを厄介者扱いしている……リジーを守れるのは、私しかいない)
「リジーから離れなさい!」
ルイーゼはたてがみのように髪を振り乱し、モーブをリジーから引き離そうとした。
しかしモーブはリジーから離れなかった。否、リジーがモーブにしがみついているせいで、離れられなかった。
「いやー! もーぶせんせぇといっしょにいうー!」
「言うことを聞いて、リジー! この女は私達を殺しに来たのよ! ラミロアもこの女に殺されたわ! 早く追い出さないと、手遅れになる!」
「……ておくれ?」
一瞬、リジーの目に光が戻った。
リジーはまともだった頃の顔つきに戻ると、嫌悪に満ちた表情でルイーゼを睨んだ。
「とっくに手遅れよ。私の人生、何もかもめちゃくちゃ! あのゲロ豚ババァにはオモチャにされるし、アンタはいつまで経っても、私の恋人気取りだし!」
「気取りって……だって私達、恋人でしょう?」
するとリジーは「あははっ!」と声を上げ、嗤った。
「お馬鹿なルイーゼ! 姉妹は恋人にはなれないのよ? そんなことも知らなかったの? 今までのは、お・あ・そ・び! 本気なわけないじゃない。私が本気だったのは、モーブ先生だけよ。先生は、傷ついた私を親身になって癒やしてくれたんだもの。私、先生にだったら殺されたっていい。このまま惨めな人生を送るくらいなら、いっそ苦しまず、美しく死んだ方が……」
言い終わるより早く、ルイーゼはリジーに飛びかかった。「もしもの時のため」とオリヴィエから渡されていた小瓶の毒薬を、無理矢理リジーに飲ませようとする。
しかし小瓶はモーブに力づくで奪われ、逆にルイーゼの口へ突っ込まれた。
「モゴモゴ……!」
小瓶ごと口へ入れられ、喉へ毒薬が伝っていく。
やがてルイーゼは白目を剥き、青い泡を吹いて息絶えた。鼻からも口からも泡があふれ出てくる様は醜く、滑稽だった。
「あははっ! るいーぜ、おもちろーい!」
リジーは幼児に戻りつつ、道化のルイーゼを見下す。実の妹で恋人でもあった彼女を憐れむ心など、全く持ち合わせてはいなかった。
「さぁ、リジーちゃん。オヤツの時間ですよ」
ルイーゼを仕留め終えると、モーブは椅子に座り、持ってきたカゴからパイを取り出した。
パイ生地で隠れているせいで、中の具は全く見えなかったが、リジーはあからさまに警戒した。
「それ、なぁに……? りじーがきらいきらいな、おやつじゃないよね?」
「違うわ、これは食事。中に、とっても美味しいお肉が入ってるミートパイよ」
「じゃあ、たべう!」
リジーはスイーツじゃないと分かると、パイにかぶりついた。今まで食べたことのない、脂身の多い肉の味が口いっぱいに広がった。
「おいしーい! これ、なんのおにくなの?」
モーブはニッコリと微笑み、答えた。
「リジーの大嫌いな子のお肉よ。餌にフルーツをたーくさん食べているから、身が柔らかくなったの。あ、でも主食は肉なのよ? 牛とか豚とかチキンとかが好きって、飼い主さんもおっしゃっていたわ」
「おにくなのに、おにくをたべるの? へんなのー」
そう言いつつも、リジーはミートパイを完食した。
するとモーブはリジーが食べ終わったのを見計らい、思い出したように尋ねた。
「そうそう、さっきのミートパイの子には名前があるのよ。なんていう名前の子か、分かる?」
「えー、わかんなーい。びーふちゃん? ぽーくちゃん?」
「どっちも違うわ。この子の名前はね……」
モーブはニヤリと笑み、ある人物の名前を告げた。
「ミシェルよ。身長は百五十センチ、体重は百キロ……あら、誰かさんと全く一緒。ちなみに、今回使ったのは下半身のお肉よ。もちろん、性器も入っているわ。上半身のお肉は看護師さんに頼んで、朝ご飯に使ってもらったわ。皮も骨も余す所なく、使ったのよ。どう? 美味しかった?」
「う、おぇぇぇ」
途端にリジーは喉へ指を入れ、先程食べたミートパイを吐き出そうとした。
しかし、手が痺れて上手く動かせない。やがて視界がボヤけ、全身が熱くなってきた。
「ちなみに、正解はマトンよ。同じ名前だからって驚いた? 世にも珍しい、肉食の羊なの。貴方は死にたがってるみたいだから、すぐには殺してあげない。最悪の
リジーが目を覚ますと、刑務所のベッドに寝かされていた。
面会に来た弁護士曰く、ルイーゼ殺しの容疑をかけられて移送されたらしい。完全な濡れ衣だったが、リジーにとっては都合のいい状況だった。
(やった! このまま死刑になれば、この最悪な現実から逃れられる! 最高!)
喜びを隠しきれず、ほくそ笑む。
やがて面会を終えると、「では、今回はこれにて」と弁護士が席を立った。
「次は裁判所でお会いしましょう。死刑は確実でしょうが、態度次第では減刑してもらえるかもしれません。よろしく頼みますよ、ミシェルさん」
「えぇ、こちらこそよろしく……え?」
リジーは牢屋へ戻ると、慌てて鏡を見た。
そこには愛らしいリジーの顔ではなく、肉に埋もれた醜いミシェルの顔が映っていた。
「い、いやぁあっ!」
たまらず叫び声を上げ、後退る。その声は野太く、しゃがれていた。
顔や声だけではない。体は肉がまとわりついて重く、指はウインナー、手足はボンレスハムのように太く変貌していた。
「違う! こんなの、私じゃない! 私はリジーよ! こんな姿のまま、死にたくなんてないわ!」
リジーは柵にしがみつき、必死に訴えた。
まともに取り合う看守や他の受刑者達はおらず、「またキチガイが喚いてら」と煩わしそうに顔をしかめていた。
「モーブ先生……モーブ先生は何処?! どうして私を騙したの?! 永遠に覚める夢を見せてくれるって、約束したのに!」
リジーは気づかなかった……モーブが見せると約束した夢が、「現実」という名の悪夢であったことを。
その後もリジーは駆けつけた医師に鎮静剤を打たれるまで、二度と現実には現れないモーブを呼び続けていた。
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