第4章 聖女倶楽部エンジェルホーリィ 第3話『信号機』

 踏み込めない。

 踏み込めない。

 信号機は青を点滅しているけど、私は踏み込めない。

 だって、私が決心した時には、信号は赤に変わっているから。

 誰か……私の手を引いて、一緒に歩いて。

 もしくは、私を今すぐ横断歩道へ突き飛ばして。


 「夜の教会に近づくと災いが降りかかる」……そんな噂は、この一週間ですっかり迷信となってしまった。

 今では新たな噂で、校内は持ちきりになっている。

「ねぇ、ご存知? 深夜に教会を訪れると、あらゆる悩みを解決してくれるシスター様にお会いできるんですって」

「天使の御使いだとか、天使その人だなんて言われているのよ」

「ねぇ、一緒に行ってみましょうよ」

 知人や友人に誘われるままに、生徒達は夜な夜な教会へ足を運ぶ。

 そして翌朝には恐ろしいほどに晴れやかな顔で出てきて、今度は自分の知人や友人を誘うようになった。

 まさに、信号機の色が一瞬で変わるがごとく……校内の組織図はみるみる塗り替えられていった。


 ツァラもまた、悩める乙女だった。

 彼女は女の子を好きになってしまう体質だった。

 幼い頃に親友を好きになり、告白したものの、ひどく拒絶され、いじめられるようになった。その日を境に、女性への好意は恐怖へと変わった。

「女の子を好きになるんじゃなかった」

「ましてや、告白なんて。今思えば、馬鹿なことをした」

「これからは真っ当な恋をしよう」

 ツァラが進学先に黒百合女学院を選んだのは、今までの自分を変えるためだった。

 女子校で女性不信を克服し、学外で男の人と恋をする……完璧な計画のはずだった。


 しかし入学早々、ツァラの計画は狂ってしまった。

 学院のアイドル、ソフィアを好きになってしまったのだ。

 ツァラはあくまでもソフィアのファンであろうと努力した。

 だが、ソフィアにセレーネという同性の恋人がいると知ってしまい、衝撃を受けた。

「ソフィアは私と同じ、女の子を愛せる乙女!」

「私の他にも、同じ体質の方がいるなんて!」

「私にはもう、ソフィアしかいない!」

 それでも、告白には踏み込めなかった。

 ソフィアには既に、セレーネという恋人がいる。

 きっと、二人は互いの苦しみを分かち合った末に結ばれた間柄なのだろう。

 そんな素晴らしい恋人がいるというのに、自分に振り向いてくれるだろうか? いや……あり得ない。

「でも、私はソフィアが好き。どうしようなく、好き」

 ツァラの心の中の信号機は、青と赤の交互に点滅していた。

 踏み込もうか、踏み込むまいか……迷っている間に、彼女の恋は終わってしまった。


「渡らないの?」

 ツァラが横断歩道の前でぼうっとしていると、横から声をかけられた。

 見ると、クラスメイトのチェルシーが微笑みかけていた。今まで話したことすらなかったが、ツァラは不思議と彼女になら何もかも打ち明けていい気がした。

「いいの。渡るつもりで来たんじゃないもの」

「知ってるわ。飛び込むつもりで来たのでしょう?」

「えっ」

 ツァラは心の中を見透かされたようで、驚いた。

 チェルシーは薄く微笑み、続けて話した。

「可哀想なツァラ。想い人だったソフィア先輩が殺されて、辛かったのね。このまま赤信号で飛び込んで、死んでしまおうとしているのでしょう?」

「ど、どうしてそれを……」

 そこへ、チェルシーがいる方とは逆の隣に、ターニャが立った。

「私達はなんでも知ってるわ。天使様に教えてもらったもの」

「天使様?」

 ターニャは頷き、首から下げているロザリオをツァラに見せた。銀色のロザリオに、禍々しい黒百合が巻きついているデザインだ。角度によっては、黒百合がロザリオに抱きついている女のようにも見えた。

「このロザリオをつけていれば、天使様の加護が与えられて、自由に恋が出来るのよ」

「学院の呪いも無効化されるの。すごいでしょう?」

 ターニャとチェルシーはツァラへ距離を詰め、二人で彼女を挟むように抱きしめた。

「ツァラ、女の子を好きになっていいのよ」

「私達と一緒に、女神様のもとにいれば、大丈夫」

「教会にはツァラと同じように悩んでいる女の子がたくさんいるわ」

「きっと、ツァラを待ってる運命の女の子もいるはずよ」


 信号が赤になる。

 ツァラはターニャとチェルシーと共に手を繋ぎ、横断歩道を渡る。

 そこへ大型のトラックが突っ込んでくる。

 三人はトラックを見上げ、運転手へ微笑みかけた。

 すると、運転手は有り得ない可動域まで腕を曲げ、細胞が破壊されるほど強い力でブレーキを踏んだ。おかげでトラックは急カーブし、なんとか三人に当たらずに済んだ。

 その代償として、運転手の手足は二度と使い物にならなくなっていた。


 翌朝、ツァラは横断歩道へ身を投げようとしていた女の子を呼び止めた。

「お嬢さん、私と一緒に教会へ来ない?」

 その首には、ターニャ達がつけていたものと同じ、黒百合が巻きついたロザリオがかかっていた。


 もう大丈夫。

 もう大丈夫。

 信号機が青だろうが赤だろうが関係ない。

 私が進むと決めたら、信号は青。

 赤に見えても、貴方を引っ張って行ってあげる。

 私こそが、信号機。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る