第614話-2 彼女は『リンデ』に向かう商人と出会う

 野営地で声をかけられたのは、行商人ではなさそうなリンデに商会を持つ男で『サンセット』と名乗る身なりの良い中年の男であった。


「王国の『ルルイエ商会』ですか」

「……『ルリリア商会』ですわ、サンセット様」


 悪夢を見そうな商会名ではない。サンセット氏は港湾都市『デュブリス』で商談を行いリンデに荷と共に戻る途中であるという。商会員と思われる男とその護衛で馬車数台、同行者は二十名ほどである。魔法袋を持たない普通の商人であれば妥当なものだろう。


 川を遡る事になることもあり、水運を使わず陸路をリンデに向かう事にしたのは、納期の問題だという。主に、ネデルのアントブルペンAntbullpenの市場に羊毛製品を納品し、彼の地で砂糖や希少価値の高く嵩張らない工芸品等を仕入れてリンデで販売する仕事であるという。


 彼女達のリンデ訪問の目的が「アルコールや香水の類に加え、『聖真鍮』のゴブレット」であると知り、是非、自分の所で顧客を紹介したいと熱心な勧誘を

受けている最中である。


 あからさまな勧誘を躱しつつ、「顔つなぎしてもらえると有難い」とやんわりと話を逸らす。





 リンデの商業事情などを聴きつつ、彼らが「原神子信徒」の中でも特に『厳信徒』であることに話が移る。


「教区が無いんですのね」

「はい。私たちは、聖典に基づく信条を同じくする者が集まって教会を営みます。司祭ではなく牧師、その牧師は信条を深めることに長けた者がつき、皆で話をしながら信仰心を高めているのです」


 原神子派は『ルテル派』も『カルビ派』も聖典を拠り所とし、修道士や様々な教会の典礼に対して否定的な考えを有している。その昔、先住民を教会の信仰に取り入れる際に「必要悪」として認めた、異教の風習を教会に典礼に取り込むことを否定しているのである。


 確かに、教会の典礼の中に、精霊魔術や魔力を高めるための所作が多く含まれており、そのようなことを聖典には記されていない『異端』とも言える内容が含まれている。


 とはいえ、精霊魔術や魔術と聖典は併存しているものであり、聖職者の『神の奇蹟』には、精霊魔術の効用も含まれていると考えられる。彼女の「聖女信仰」により与えられた不死者に対する聖なる魔力の効果などは、明らかに聖典と相反する内容でもあるのだが、効果があればそれでよい。御神子教は、御神子の考えをそのまま伝える者ではないし、聖典にも『御神子はこう仰いました』と、伝聞形式・書簡形式で書かれている内容も多いのだ。また、相反したり矛盾と感じる内容もないわけではない。


 教皇庁や御神子教の教会においては、聖典の解釈に関して統一見解を有しており、その間に齟齬は本来存在しない。


 しかしながら、『原神子信徒』は聖典にその論拠を求める故に、解釈の違い、何に重点を置くかの違いによって『宗派』を異にする存在となる。


 どうやら、『厳教徒』は、連合王国の「聖王会」の教皇庁とは表立って対立することなく、事を荒立てないという女王陛下の在り方に不満があるようで、『聖典』に則った厳格な教会が必要だと考えているのだという。


「教会や礼拝堂に必要以上の飾りつけをするなど、異端そのものですからな。偶像を拝むといった悪しき慣習は異教の名残ですから」


 本来、『聖母』を祀るといった典拠は存在しない。しかし、『泉の女神』のように身近な精霊を「女神」として信仰しその恩恵に感謝するというアルマン人ら先住民の信仰を御神子教会が取りこんだ結果、『聖母』や『聖人』を信仰がもたらした奇蹟を崇敬するという理由で教会内で礼拝施設を設けたりしている。


 これは、それぞれの聖人に『祭日』が設けられており、幾つもの聖人聖母の礼拝堂を参礼することで生前の罪が許され天の国へ近づけるという信仰につながっている。


 ある意味「観光」であり、また、教会としてもこうした「祭日」で販売する記念コインなどが収益源となっている為、聖典の中身を読み解けるほどの教養のない多くの庶民が喜んで参加し、いくばくかのお金を払い信仰心を確認することになる。


「教会の金儲け主義にはウンザリなのですよ」

「では、あなた方の教会はどのようなものなのですか」

「簡単に言えば、信仰を同じくする『ギルド』に近いでしょうか。同じ信条を有する者同士で結びつく。それは、今までの住む場所にある教区に縛られる存在ではなく、考えで結びついたものなのです」


 確かに、話をするだけであれば『場所』されあれば襤褸小屋でも問題ないだろう。とはいえ、それなりの身分の者が集まるのであれば、ささやかな城館のようなものになるのかもしれないが。


 とはいえ、小教区と呼ばれる、街区や村といった隣近所の集合体においてその場所にある教会や聖職者の存在は拠り所でもある。そもそも、ほとんどの住民は文字は読めないし、名前程度以外は書く事も出来ない。名前をかけたからと言って「書ける」とは言えないだろう。


「教区が無くなると、その教区教会で行う施療院や孤児院と言った救済の施設はどうなるのでしょうか?」

「全くなくなるわけではありませんよ。ですが、私たちの信仰にはあまり重きを置くべき事ではないと考えております」


 教会はその実、第二の領主のようなものである。十分の一税を集め、信仰を拠り所に心理的に住民を支配しているとも言える。また、小さな村や街の聖職者は大概その領地の領主の子弟であることが多い。高位の聖職者であれば、それなりの家系で教育を受ける環境とその為の寄付を教会に行う事ができる大領主となるであろうし、そうでなくても自分の領する土地の教会に縁者を送り込むことくらいは行うことになる。


 結果、古代語が読めないために聖典の内容も理解できていない、ミサも秘蹟もまともに執り行えない『聖職者』も多数存在する。しかし、だからといって不要かと言えばそうとも言えない。


 教会で行われる秘蹟は『洗礼』『堅信』『聖体』『告解』『終油』『結婚』に加え聖職者の『叙階』が加わる。


 生まれた時に行う『洗礼』により、御神子教徒として神に認められ、『堅信』『聖体』はその教徒としての成長を認める通過儀礼の一つ。『告解』は、罪を悔い改める告白であり、日々、行われる事になる。また、『結婚』『終油』は人生の節目である婚姻と死去の際に行われる

秘蹟である。


 人生の節目には教会での『秘蹟』である典礼が必要であり、神からの見えない恵みが人間に与えられる行為なのだ。


 言い換えれば、人生の節目は教会と共にあると言える。


 『厳信徒』は、その辺りの役割りを教会に期待しないということなのだろう。『洗礼』も、物心ついたのちに自らの意思(という名の周りからの強制)で行われるべきであり、『告解』『終油』『結婚』などは不要であると考えている。


「随分と……合理的なのですね」

「商人だからでしょうか。本来、信仰は自らの心で行うもの。教会の司祭や教皇からあれこれ指示されるものではありますまい」


 確かにその通りかもしれない。けれど、教会の担ってきた役割を別の形で残さずに、単純に放棄してしまえば、小さな街や村は維持できなくなるだろう。


 原神子信徒が多いのは都市であり、そこに住まう商人であることが多い。住む場所の同質的な階層と結びつくだけでなく、他の都市の同質的な住人と結びつき、一つの集団を形成している。同じ場所に住む関わりの無い住人に対する関心はかなり薄いのだろう。


 仮に、大商会の長であるとして、そこで働く商会員や荷物を運ぶ運送ギルドの人間、その周りにいる食品を売る商人や屋台や行商で商売をする人間にとっては『厳信徒』の集まる教会に居場所があるのかと言えば疑問である。


 小教区教会の担う社会的役割に関して、『お金持ち』である聖典の読める彼らは無関心であるということなのだろう。

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