第6話 覆われた闇
武の足音が遠ざかったのを確認してから、将照は霧鮫へと話しかける。
「お前に残ってもらったのは、今回の鬼北での件、気になることがあってな」
将照は霧鮫へ鋭い視線を向けた。
「1つ目は武の過去についてだ
その全容は知っているな?」
「はい、鬼北で孤児だったところを、親方様に拾われたと」
「それは偽りではない
だが、あいつに伝えていなかったことがある」
将照の勿体ぶった口ぶりに、霧鮫は眉を顰める。
「儂が初めて会った時、あいつは
13年前、将照は、鬼北のある空き家を訪れた。
「ここが、鬼の子が出ると噂の場所か?」
「そのようです」
その空き家はかろうじて雨を防げる程度の、家だったものの残骸だった。
将照は、1人の臣下に視線を送る。
その男は、空き家の中を確認しようと、恐る恐るその中を覗こうとした。
するとその扉は蹴破られ、中から、今とは随分と背丈が小さく、痩せた幼少期の武が現れた。
武の皮膚は体毛で覆われ、犬歯は鋭く口唇に収まらないでいた。
彼の手には、柄も鍔もない刀身のみの刀を握っていた。
ふーふーと荒い息を立てながら、血走った眼で、周りを見回す。
その中から、馬に乗っていた将照へ、武は駆け出す。
将照の前に、臣下たちが立ち塞がるが、武は躊躇なくその臣下たちを斬りつけ、一直線に将照へと相対する。
そこから一気に跳躍し、両手で刀を握り降下とともに振り下ろす。
将照は腰の刀を引き抜き、それを横薙ぎに受けるが、将照の刀に刃こぼれが生じる。
しかし、わずかな力の差で、将照は武を斬り払った。
武は、宙に浮いていたこともあり、地面へと叩きつけられる。
(儂の刀は、知る限りでも最上級の業物のはずだ
やつが持っている刀は一体なんだ?)
将照は心中で、武の持つ刀の異常性に疑問が生じていた。
馬から降りた将照は、倒れ込んだ武へ刀を構えた。
(あの身のこなしと刀捌き、間違いなく鬼北の生き残りだ
生きていてくれたのだな)
あぁあぁと呻きながら、武は刀を杖のようにして立ち上がる。
将照が連れてきた臣下はすでに、武の斬撃により、立つこともままならない状態だった。
「ゔわぁぁ!」
武は咆哮を上げて、地面を蹴り出し、一気に加速する。
将照は刀を納め腰を落とし、迫る武を受け止めた。
「すまなかった
お前は儂らを憎んでいるのだろう」
武は本能的に拘束を解こうと、身体を横に揺らした。
「もう二度とお前のような子どもを生まぬよう、儂がこの国を一つにする
儂のことは許してくれなくていい
だが、せめてもの罪滅ぼしに、お前の面倒を見させてほしい」
武はあぁあぁと呻き身体を揺らし続けた。
「大丈夫だ
お前はもう独りではない」
その言葉を聞いた、武の両手から刀がするりと抜けた。
その刀は、地面に着くや否や、剥き出しの
すると、武を覆った体毛は自然と抜け、犬歯はその鋭さが失われた。
全ての変化を終えた武は安らかに眠り、刀は姿を消した。
「武のこの変化に疑問を持たなかったわけではない
病の一種かとも思ったが、どの医者に聞いてもこのような症状を知るものはいなかった」
将照の話を、霧鮫は言葉を挟むことなく聞いていたが、ここで口を開く。
「武自身が知っていた過去と、親方様がおっしゃるものでは、違いがあるようですが」
「武が儂の臣下を斬ったことは、教えなかった
あいつ自身も、鬼の子と呼ばれた時のことを、ほとんど覚えていない
下手に罪悪感を強めるのは、あいつにとって負担だろう」
霧鮫は、合点がいったように頷いた。
「あいつが持っていた刀については、儂自身信じることのできなかったことだ
説明しようがなかったわけだ」
「親方様が見た、刀には鎖がなかったのですよね」
「あぁそうだ」
「
刀に柄や鞘ができたのは、武の心の有り様が、親方様との出会いで変わったということなのだと思います
ならば、鎖はいつできたのでしょう?」
将照は、持っていた扇子で何度も肩を叩きながら答えた。
「確証はない
だが、もしあり得るとするなら、
「確かに、あの件を機に、武は昔の自信家な一面を失っていますね」
そこで、霧鮫は少し頭を捻り始め、武とともに聞いた、万有に通じる賢者の目的を思い出す。
「あの鎖が武の本来の性格を鎖ざすものなら、なぜ、万有に通じる賢者は、その刀を武に抜かせようとしているのでしょうか
あの刀の秘めた力を狙っているのでしょうか」
「儂らの想像の及ばぬ何かを、万有に通じる賢者は狙っているのかもしれん
そこを解くには、
お前が
苦渋の表情を浮かべながら、霧鮫は答える。
「
俺の場合には、武への劣等感、それが増幅し、自分の内側へとより引き摺り込まれるような感覚です
感情の渦が、自分の意識をより深く底へと沈めようとする感覚でした」
霧鮫は、胸に手を当てると、その手中に苦無が現れた。
「その渦から掬い上げられた今では、自分の心の有り様が認識でき、自在にこの苦無を取り出すこともできます」
将照は、その苦無に目を見張った。
「だが、武の報告では、あいつの刀は自分の意思では、現れないと言っていなかったか?」
霧鮫の苦無は、すっとその姿を消した。
「そこは俺と相違があるようです」
「いずれにせよ、鬼北のものたちの多くが、
将照は少し遠くを眺めていた。
その視線の方角には、青見ヶ丘の一本松があった。
白骨の仮面を被った人物は腰に差す刀を、一向に構える気配はなかった。
「お前は何者だ?」
桜を背に庇い、武は腰の刀に手を置き、相手の出方を見ていた。
「あれが、あなたの言っていた
桜は静かに武へと尋ねた。
「いや、俺の知っている
武は一度桜へ視線を向け答えた。
すると、仮面を被った人物は黒の外套から右腕を出し、掌底を突き出す。
手のひらの辺りの空間が歪み始め、黒い渦が発生する。
「
仮面を被った人物が呟く。
よくは聞こえないが、男の声であった。
すると、黒い渦は武たちの方へと一直線に放出された。
武は咄嗟に桜を抱きかかえ、右へと蹴り出し、その黒い渦を回避する。
武たちのいた所に黒い渦が到達すると、ドンっと音を出し深く削れた。
その深さは、大人一人埋まるほどのものだった。
桜は抉れた地面の深さに驚き、武を抱きしめ返す。
「なんだ、この力は?」
武は驚きのあまり、無意識に独り言を呟く。
「
仮面を被った男は、またしても、武たちへ目掛け黒い渦を放つ。
武は、再度桜を抱きかかえ、次は左へと駆け出しそれを回避する。
「私は大丈夫
だから、戦って!」
桜の言葉を聞き、武は走りを止め、桜を降ろした。
「気をつけて」
武がそう言うと、桜は頷き、城の方へと走り出した。
武は腰の刀へ手を置き、一直線に仮面の男へ向け走り出す。
「
仮面の男は眼前の武へ黒い渦を放つ。
武は右斜め前へと蹴り出すと同時に、刀を振り抜く。
空中で両手で握り、降下と同時に刀を振り下ろす。
仮面の男もまた、腰の刀を引き抜き、武の斬撃を受け止める。
日が地平線に横たわる、青見ヶ丘に衝突音が響く。
仮面の男もまた、刀を両手で握り、互いに鍔迫り合いの状態となる。
仮面の奥から覗く目は、虹彩が赤いが、それは血走ったものではなかった。
仮面の男は刀から左手を離し、掌底を武へと向けた。
武は黒い渦が来ることを察知して、鍔迫り合いの状態から一気に後退する。
すると、仮面の男は、左の掌底で刀身の側面をなぞった。
「
刀身に黒い渦が纏わりつき、その空間を歪ませていた。
仮面の男は武へと距離を詰め、刀を振り下ろす。
武はその軌道に既視感を覚えた。
振り下ろされた刀を、武は自身の刀で防ぐ。
(なんだ、この重さは?)
武は受け止めた刀の重さに驚愕する。
先ほどとはその重さが大きく変わっていた。
仮面の男は再び振り上げ、武へと振り下ろす。
左にやや偏った軌跡で、刀は武へと向かう。
武はそれを次は刀では受けず、かわしながらその距離をとる。
武は、刀を一旦鞘へと戻し、仮面の男と十分な距離をとる。
そこから一気に駆け出し、間合いに入った瞬間、抜刀する。
しかし、黒い渦に包まれた刀に衝突した武の刀は、キーンと音を立て、半分に折れていた。
仮面の男を通り越した武の背後へ、折れた刀の半分が突き刺さる。
これまでの
「バカな!」
この事実に驚愕した、武は自然と言葉を発していた。
胸中で思い浮かべたのは、鎖された刀のことだった。
(もう、あの刀に頼るしかない
けど、どうしたら、現れるんだ?)
考えている内に、黒い渦を纏った刀身が武へ迫る。
上段から振り下ろされると、次は、横薙ぎに払う。
仮面の男は、常にこの型で攻撃を仕掛けてきた。
(この型も、やはり)
既視感のある刀の軌跡に、武は複雑な感情を抱いていた。
仮面の男とある少年の姿が重なる。
その幻影は、武の罪悪感からくるものか、彼自身には判断できなかった。
単純な軌道ながらも、武器を失い追い詰められていく武。
しかし、男の刀に纏った黒い渦が徐々にその姿を消していった。
それを見た仮面の男は、その動きを止め、刀を腰の鞘へと戻した。
「もしかして−」
武が言いかけたとき、強風が吹き、咄嗟に顔を覆った。
そして、風が止むとそこに仮面の男はいなかった。
「大丈夫か!武」
霧鮫の声がする。
桜とともに霧鮫が、青見ヶ丘へと現れた。
「助けを呼びに行ったら、ちょうどお父様とお話しされていたから」
「ありがとうございます
でも、やつはどこかに消えてしまったようです」
桜へと武は笑いかける。
武は霧鮫に近づき耳打ちする。
「少しお前と相談したいことがあるんだ
時間あるか」
「あぁ大丈夫だが、お前が相談とは珍しいな」
「何、二人でこそこそ話してるの?
助けを呼んできたのに、私は仲間はずれ?」
2人のやり取りを見て膨れる桜を、まぁまぁと霧鮫は宥めた。
桜を城まで見送った後、武と霧鮫は、ある場所に来ていた。
そこは、武が初めて
「さっき遭遇した、仮面の男の正体は、おそらく昴様だ」
武の発言に、霧鮫は言葉を失った。
「本当なのか?」
「間違いないはずだ」
「でもなんで?」
「仮面の男の刀捌きが、昴様のものと一緒だった」
「違う、なんで、お前と戦うことになるんだ?
お前は、昴様の剣の師匠でもあるだろ」
武は喉に詰まる言葉を吐き出す。
「それは、俺が緋梅様を、死に追いやったからだ
それで十分、俺に剣を向ける理由だ
やっぱり許してもらえていなかったんだ」
武の脳裏には斬首された緋梅の顔が浮かんでいた。
「でも、あれは、お前の問題じゃないだろ
「あの一件は、俺が、俺の慢心が起こしたんだ
俺が自分のことを英雄だなんてつけ上がったばかりに」
震える声とともに、武はそう語りかける。
胸中には、今日の桜の無理した笑顔が浮かんだ。
「それはお前の罪の意識が産んだ、誇大妄想だ
あの件をお前の過失だなんて誰も−」
「誇大妄想というわけでもないがね」
万有に通じる賢者が突如、その姿を表した。
「彼と会って早々にその正体がわかるとは、さすがというべきか
それとも、彼に断罪してもらいたかったのかね」
「万有に通じる賢者!」
霧鮫は語気を強めて彼を睨みつけた。
一方で武は、恐る恐る彼に尋ねた。
「あの仮面の男は、昴様なんだな?」
「そうだとも
彼が
「
霧鮫は万有に通じる賢者の言葉を繰り返した。
「ところで、君たちはいいのかい?
こんなところで油を売っていて
彼はもう、動き出しているよ」
万有に通じる賢者がそう言うと、ドーンという音が城の方角から聞こえた。
さらに、夜になったばかりにも関わらず、その方角の空が明るくなった。
将照たちの住む城に火がかかっていた。
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