第130話 星空の約束

 アレスに連れられて移動した別室には、先ほどから姿の見えなかったエヴァがいた。何をしているのかと思えば、どうやらレティシアを守るための結界を維持していたようだ。

 そのレティシアはカイルたちがベッドに近付いても、一向に目を覚ます気配がない。ただでさえ白い肌には血色がなく、まるで作り物のようにも見える。息もしていないのではないかと不安になったが、弱々しくも胸元が上下しているので命は繋ぎ止めているのだろう。それでも長いあいだ魔物に乗っ取られているのなら、レティシア自身の命はかなり弱っているはずだ。引き剥がすなら、早いほうがいい。


「できそうか?」

「嫌だっつっても、やらせるんだろ」

「お前しか頼める相手がいない」

「失敗しても文句は言うなよ」

「俺はお前の力を信じている。ヴァレスと同じ魔眼に謎は多いが、お前自身に闇の力は感じない。お前の力も、そして思いも、常に光と共にあったんだろうな。お前を育てたというロアの存在も大きいのかもしれない」


 純粋に、迷いなくそう言われると、全身がこそばゆくて仕方ない。照れと恥ずかしさを誤魔化すように眼帯を外すと、カイルは大股でベッドのそばに近付いた。

 左の魔眼に意識を集中させると、レティシアの体の中に蠢く魔物の影が見えた。絶世の美女と謳われた存在を穢すように、その黒い影は頭から足の先まで余すところなく覆い尽くしている。けれどその中で唯一、魔物が避けて通る場所があった。それはレティシアの胸元、首から提げられた深緑色の石の周辺だ。試しに首飾りを横にずらしてみると、レティシアの中に潜む魔物が深緑色の石から逃げるように移動した。


「その石が、何か……」

「いや、悪いものじゃない。理由はわからないが、魔物がこの石を嫌がってる感じだ。たぶんレティシアにとって大事なものなんだろう。魔物に操られてもわずかに意識を保っていられたのは、この石のおかげかもしれない」

「……そうか」


 背後で呟くアレスの声が、かすかに震えている。きっとアレスとレティシアを繋ぐ思い出の品なのかもしれない。それ以上は詮索することをやめ、カイルはレティシアから魔物を引き剥がすことに専念した。

 指先や髪の毛にさえ一片のかけらも残すことがないように、慎重に、ゆっくりと魔物を一箇所に集めていく。そうして一つに纏まった魔物を、カイルは一気にレティシアの体内から外へと引きずり出した。

 ずるりと粘着質な音を響かせて、レティシアの背中――失った片翼の傷跡から黒々とした魔物が這い出した。


「アレス!」


 カイルが叫ぶと同時に剣を抜いたアレスが、レティシアから引き剥がされた魔物の体を真っ二つに斬り裂いた。

 逃げる間も、叫ぶ間も与えない。長くレティシアを操っていた魔物の最期は、驚くほどにあっけなかった。


 ベッドに眠るレティシアの顔はまだ白いままだったが、それでもカイルが先ほど見た時よりもずいぶんと生気が戻ってきているような気がした。念のため魔眼で確認しても、もうレティシアの体内に魔物の影は見当たらない。無事にすべてを引き剥がすことができたようでホッとした。


「魔物は引き剥がしたぞ」

「あぁ。ありがとう、カイル。感謝する」

「でも目覚めるかどうかまでは責任持てないからな」

「それでいい。レティシアは必ず目覚めさせてみせる」

「微力ですが、私の力もお使いください」


 そう言ってエヴァがベッドのそばに歩み寄った。回復魔法に長けた水の賢者エヴァが一緒なら、レティシアが目覚めるのもそう遅くはないだろう。自分のやるべきことはもうないと判断して、カイルは部屋を後にした。


「無事に終わったの?」


 部屋を出るとリシュレナに声をかけられた。邪魔になるからと、部屋に入らず廊下で待っていたのだ。


「あぁ。後は二人次第だろ」

「そう」

「……よかったのか?」


 迷いながらもそう訊ねると、リシュレナは少し複雑な表情を浮かべて控えめに笑った。


「カイルが言ってくれたおかげで、私はもう自分を見失うことはないわ」


 静かに告げられた言葉はまるで自分自身への誓いのようだ。微笑む顔に、カイルが見た以前のリシュレナが持つ明るさはまだ完全に戻ってはいない。けれども菫色の瞳には強い意思が宿り、そこにリシュレナの存在を確かに感じることができる。


「私はリシュレナ。そう強く思うことで、私の中にあるレティシアの記憶が薄れていくのを感じるの」


 歩き出したリシュレナの後を追って進んだ先、カイルは廊下から続くバルコニーに誘われた。そこから見おろすアーヴァンの街は闇に包まれたままだというのに、見上げた空には溢れんばかりの星が瞬いている。ヴァレスがいなくなったことで、空をも覆っていた瘴気が晴れたのだろう。小さく儚い光だ。けれどもそのわずかな輝きは、闇を照らす唯一の希望のようにも見えた。


「ありがとう」


 唐突に礼を言われて、カイルは訝しむようにリシュレナを見つめた。


「何だよ、急に」

「魔界跡まで助けに来てくれたこともそうだけど……。私ね、カイルがずっとレナって呼んでくれてたの、すごくうれしかったの」

「そんなの、たいしたことじゃないだろ」

「ううん。私にとってはとても大事なことだったなって気付かされた。レナって呼ばれるたびに、自分の存在が確かになるみたいで安心する。もちろんリシュレナとして育てられた自分をもう否定はしないんだけど、カイルといると時間魔法のことも全部関係ない、ただの女の子に戻れるって言うか……上手く言えないけど、そんな感じなの」


 さっきアレスに言われてこそばゆかった気持ちとは違う、何か別の感情がカイルの全身をくすぐった。居心地が悪いのに、不快ではない。自分でもわかるほどに顔に熱が篭もるのを感じて、カイルは思わずリシュレナの額を指で軽く弾いてしまった。


「痛っ! な、何……」

「別に何でもねぇよ」

「人がせっかく感謝してるのに」

「そんなに呼んでほしけりゃ、いくらでも呼んでやるよ」


 赤くなる頬を見られまいと顔を背ければ、隣でやわらかく笑う声がした。


「やっぱりカイルって優しいね」

「は?」

「今回のことも私が巻き込んだのに、今もこうしてずっと一緒に戦ってくれてるじゃない」

「どうだか。明日にはいなくなってるかもしれないぞ」

「ふふ。そうかもね」


 リシュレナの顔に、だいぶ本来の笑顔が戻ってきたような気がする。そんな顔を間近で見せられれば、今更抜けるなんてことはもうできそうにもなかった。


「ねぇ。全部が無事に終わったら、カイルはどうするの?」

「別に決めてねぇよ。元々気ままに暮らしてただけだから、またロアと二人で旅にでも出るさ」

「……そう」


 明らかにリシュレナの声音が下がった。自分がいなくなることをさみしいと思ってくれているのだろうか。もしそうなら……と、カイルの胸に芽吹いた蕾がほんの少しだけ期待に色付いた。


「もし……お前がここに居づらいってんなら、一緒に連れて行ってやってもいいぞ」


 探るように、でもそうと悟られないように平静を装ってみる。我ながらいつまで経っても意気地なしだ。けれど期待に満ちたまなざしで見つめられれば、純粋にうれしいと感じてしまう心はもう止められなかった。


「本当? 約束してくれる?」

「子供かよ」

「いいじゃない。約束があったら、私これから頑張れそうな気がする」


 無邪気な子供のように、リシュレナが自分の小指をカイルの方へ差し出した。この年で指切りかと思いはしたが、結局自分もリシュレナとの間に二人だけの繋がりが欲しいのだと認めるしかなかった。


「どこに行きたいか、考えとけよ」

「うん」


 控えめに瞬く星空の下、密やかに交わした二人だけの約束。それを叶えるためならば、できることは何でもやろう。そう決意を胸に、カイルは絡めた小指にきゅっと力を込めた。





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