歴史研究者の優先順位
「え、じゃあ先生は自分の研究が使われてること知らないんですか?」
「うん。レポートを持ち出しているのは、ちゃんと研究してるかどうかをチェックするためだと思ってるんじゃないかな」
トクロは、机に向かって何事かを筆記しているアタルカをチラリと見ると、鳥地に向き直って悪戯っぽく笑った。
鳥地が見たところ、アタルカの研究は現在この国が抱えている問題に対して歴史的な視点からアプローチしている。
トクロがアタルカの研究レポートを度々持ち出していることから、実はアタルカの研究が既にどこかで役立てられているのではないかと思い、アタルカに聞いてみたのだが……
「既に役立てられているなら、小屋に籠ってひっそりと研究に勤しむ必要は無いのだがな」
と、アタルカは呆れるように呟いて、すぐに研究に戻ってしまった。
そのため同じ疑問を、いつも通りに訪ねてきたトクロにもぶつけてみたのである。
「うちのおじいちゃんは領主や貴族ともつながりがあるから、たまに相談役もしててね。アタルカの研究に基づいたアドバイスをしてるみたい。……とは言っても、根拠が根拠だからね……あんまり積極的に言っていけるものでもないのが現実なんだけど」
トクロは少し大げさに、残念そうな表情を作ってみせる。
この国、ウルバでは歴史の研究が禁止されている。
頼られて知恵を授けるにしても、その根拠に禁止されている歴史の研究成果を引っ張り出して来るのは難しいのだろう。
「でも、少しでも、先生の研究は役に立っているんですよね?」
「それはもちろん! それに、これからもっと役に立つと思うよ」
鳥地は、安堵するようにゆっくりと、仰向けで床に転がった。
先生は正しかった。
先生の信念は正しかった。
ここしばらく鳥地は、元の世界に帰る方法を探すという、自分の本来の目的を忘れがちになっていた。
なんとなく、自分の「先生」を、「先生」の行く先を見守りたいような気分になっていた。
不器用で偏屈な、意地悪でたまに優しい先生のことを。
「先生には、そのこと伝えてないんですか?」
「ん? 伝えてはいるけど」
だとしたら、先日の反応はどういうことだろう。
このくらいでは役立てられているとは言えないということか。
それとも、歴史を根拠にしていると堂々と言えないからか。
「まあどうあれ、自分の研究を生かそうとはし続けると思うよ。今みたいに」
「優先順位着けて、とか。毎日凄い忙しそうに研究してますもんね」
まるで何かに追い立てられるように、とはさすがに言い出せなかった。
「後継者がいないからかもねぇ」
「え?」
トクロの呟きに、鳥地はベビーフェイスをしかめる。
「歴史研究者ってこの国に一人しかいないでしょ? 世間を憚ってるから弟子も取れない、そもそも弟子になりたい人がいてもアタルカの存在に気が付かない。だから死ぬまで一人で研究するしかない」
「そうか、だから時間がかからずに直近で役に立ちそうな研究を優先して……」
「うん。後継者がいないから時間がかかる研究は出来ないって嘆いていたこともあった」
トクロのため、そして自分の未来のためという焦り。
歴史から目を背け、路頭に迷う人を増やした国への怒り。
一つの学問を一人で支えながら、寿命から逃げ続けて、それでも、孤独に。
彼が抱えるものを支えるには、鳥地の手はあまりにも小さい。
そして、さらなる重荷が、今。
ゆっくりと、小屋の木戸を叩いた。
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