248年前の僕が語る未来の朝

管野月子

No.001 248年前の朝

 子供の頃から、僕は少し変わった感覚を持っていた。


 展望室から眺める近すぎる月や地球の満ち欠け、せり上がっていく車道。「宇宙そら」と呼ばれる空間は足元にあり、頭上に広がるのは反対側の区画の地面という、地球と月の間――L1地点の軌道上をゆく有限の世界。

 スペースコロニーではごくごく当たり前の景色がひどく非現実的で、夢と現実の見分けがつかなくなるような感覚があった。


 父はそれを、「地球の性質が強いせいだろう」と話していた。


 僕は地球で生まれ、五歳か六歳になる頃に地上を離れた。外惑星探査船に従事する父についてきたかたちだ。一定年齢までスペースコロニーで養育してから、問題が無ければ共に宇宙船に乗る予定だった。

 規定では成人していたとしても、数ヶ月は地球衛星軌道上で経過を見る。どれほど地上に近い環境を再現して暮らそうとも、地球を離れられないタイプがいるためだ。いわゆる、地球型の魂を持った人というもの。




 かつて転生だとか、魂や幽霊、妖怪といった曖昧なものは、空想とも都市伝説ともつかないオカルトとされていた。ほんの二世紀半前までの話だ。

 やがてそれらはAIの発展や地球外生命体との接触により、実際に観測され科学的にも証明された。死後の世界や並行世界、人類を超越した生き物は、ただの作り話じゃなかったということ。

 その中で、地球での転生回数が多い者や地上やり残した課題のある魂は、長く地球を離れられないことが分かった。

 僕はどうやらそのタイプの魂を持つ者らしい。


 幼い子供の中には、時として前世の記憶を蘇らせる者がいる。

 けれど年と共に記憶は薄れ忘れていく。ふとした瞬間に既視感デジャヴとして蘇ったとしても、スプーンからこぼれた雫のように、また記憶の海の底に沈んでいく。普段の生活に影響を及ぼすことは無い。

 一度は記憶の蘇りが薄れながら、僕は十二の頃から再び前世を強く体感するようになった。やがてそれは確実に、日々の暮らしへ影響を与えていった。




 その日の朝、僕は雪景色の幻視を目にした。


 さほど広くないマンションの窓から眺める細かな雪は、まるで世界をミルクの中に溶かしたように幻想的で静かだった。

 昼前なのだろう、低い角度から射す陽は淡く金色の色味をおびて、薄い白紙を透かしたように優しい。かと思えば厚い雪雲が流れて来て一気に薄暗くなり、街は深い霧の中に沈んだようになった。


 部屋は暖かかった。スチーム暖房機の音が微かにする。

 薄暗さに明りをつけると、窓辺近くのテーブルには四角い箱の中に収められた食べ物があった。箱の中はいくつもの仕切りで区切られて、素材も形も色も様々な物がぎっしりと詰められている。

 香りもいい。お腹が鳴るような美味しい匂いだ。

 そばに朱塗りのお椀が置かれ、中には鶏肉に人参と大根、いや白蕪か、しめじに三つ葉や小さな餅を入れたお雑煮が湯気を立てていた。


 お節だ、と僕は理解していた。

 新年を祝う食事の様子だ。

 ものすごく豪華というわけではないけれど……いや、十分に華やかな祝いの膳に満たされるような幸せを感じる。暖かな部屋で一つのテーブルを囲み、慎ましくも家族で新年を迎え穏やかな時間を過ごす。

 特別なドラマは何もない。話にすればただそれだけの退屈な一場面だ。

 けれどそれがどれほど貴重な時間なのか、知っている自分がいる。


 あおい、と父に肩を揺らされ名前を呼ばれて初めて、僕はたった今感じた事象が、目の前に起きている出来事ではないのだと気づいた。




 過去や未来の僕が、今この時だと知らせている。長年、メディカルケアを担当していたカウンセラーも、僕を地上に戻すべきだと告げた。


 曖昧な景色を見るばかりではない、音や匂いまで体感した前世は、今の僕に何を知らせようとしているのだろう。過去の僕が地球上でやり残したこと――もしくは、今の僕に何らかの役目があるのだろうか。


 もちろん、ただ何気ない日常を追体験するだけで終わるかもしれない。

 これらは数ヶ月で終わることもあれは、十数年と続くこともある。

 もし重要な意味があった場合、想いを残したまま地球から遠く離れれば、やがて幻視ばかりでなく幻肢痛を伴い、肉体や精神にまで影響を及ぼす可能性もあるという。


 ――僕は、父と共に船に乗ることはできなくなった。


 物心つく頃に母を亡くし、父の手一つで育ってきた。

 僕が居なければ父は十年以上前に船に乗り、今頃最前線で活躍していただろう。けれどその機会を断り、今日まで僕とこのコロニーで暮らしてきた。共に同じ船に乗り働けることを願って。

 不可抗力ではあったけれど、胸が重く詰まるような責任を感じる。

 人の寿命は百年を超えるようになったとはいえ、その中の十数年は決して短い時間じゃない。父の夢を遮るようなことになった僕は、なぜ前世に捕らわれてしまったのだろう。


「ごめん、時間を無駄にした。父さんは、父さんの道を行って……」


 なぜ、生まれる必要があったのだろう。

 そう思い、俯く僕の頭を撫で、父は笑った。


「俺の人生の中で、お前と暮らした時間は宝物だぞ」




 特別なドラマは何もない。話にすればただそれだけの平凡な日々だった。

 けれどそれがどれほど貴重な時間だったのか、知っている自分がいる。 


「十五か。少し早いが子離れの時だな」

「泣いちゃう?」

「きっとな」

「メールを送るよ」

「報告書がいいな。それも特別に詳細なもの。碧の視点から観測した、些細な出来事も書き漏らさないようにしたものだ」

「課題のレポートより大変そう」


 苦笑しながら息つく僕に、父がいたずらっぽく笑う。見守るカウンセラーも頷きながら、「是非、私にも送ってください」と付け加えた。


 前世の自分を客観視すること。それは今の生を実感し、保ち続けるためにも必要なのだと言う。そうでなければ、たかだか十五年程度しか生きていないの人格は、前世の記憶や感情の圧力に負けてしまう。

 強い感情――意識や意志といったものは、それだけで一つの事象を創造していくのだから。


「難しく考えなくていい」

「うん」

「今のお前の想いは時空を超え、前世の魂にも伝わっていく。ただ静かに見守り、時々いいねと言ってやればいいんだ」

「映画や小説の物語を読むように?」

「そうさ」


 それならできそうだと、僕は答える。


「父さんも必ず地球に帰るから、待ってろ」

「僕はきっと成人しているよね? 父さんの年を追い越してしまうかな」

「太陽系外を遠く離れはしないだろうから、それほど差は縮まらないだろう。次に会った時は二人で酒盛りでもしようじゃないか」

「いいね」

「その調子だ」


 今、僕はその世界線を引き寄せた。

 大丈夫だ。

 たとえ宇宙の果てに居ようとも、僕の想いは万里を駆ける。






© 2025 Tsukiko Kanno.

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