クグイとトキジク

白鳥しらとりみや (第五王子クグイ皇居) 】


「あ、いたいた! 探したよ、じいや」


 背後から不意にかけられた無邪気な少年の声に、精悍せいかんな顔つきの老人は振り返った。


「坊ちゃま。ワタシに何か御用でしたか?」


 老人――トキジクは自らが仕える若き主――クグイ第五王子に用向きをたずねる。

 その声には言外げんがいに『できれば後にしてくれ』という焦燥感しょうそうかんをにじませている。


 トキジクは今でこそ第五王子であるクグイの側近ではあるものの、元々はヒノワ王家に最も長く仕えている忠臣であり全家臣の統括者でもあった。

 カナトビ王の突然の崩御ほうぎょという一大事にあって彼が抱えている仕事は非常に多岐たきにわたり、間違いなく今この国の中で最も忙しい男といえた。

 そんな事情も手伝って、今のトキジクには若年じゃくねんの王子であるクグイの相手は優先度の低い事柄ことがらだ。

 

 だがクグイの続く言葉は、そんなトキジクの考えを吹き飛ばすほどに衝撃的なものだった。


「ちょっとじいやに聞きたくてさ。ヒノワ国に伝わるっていうについて」

「…………っ!」


 あまりにも予想外の言葉が、これまた予想外の人物の口から放たれトキジクは思わず息をむ。

 それからジッと目の前に立つ少年のまなこを見つめた。

 その大きな黒い瞳に宿るのは好奇こうき狂気きょうき――そして決死けっしとも呼べるほどの覚悟かくご

 トキジクはクグイの目を見ただけで迂遠うえんな問答は無用と判断し単刀直入に答える。


「……申し訳ありませんが、坊ちゃまにお教えできるほどワタシはについて存じ上げておりません」


 これは本当のことだった。

 不老不死の果実はあくまで伝説上の代物しろもの――ではあるがヒノワ一族の王にのみ口伝くでんで継承される由緒ゆいしょある伝承でもあった。

 トキジクでさせ詳細は知らされていない。


 ただのおとぎ話ならばとっくに失伝しつでんするか喧伝けんでんされているであろう。しかし今なお秘伝ひでんであることが不老不死の果実が実在する証明ではないか?――トキジクはそう考えていた。

 一方で今回のカナトビ王の死によって、ついに失伝となったことでについて思い悩むことはなくなったとも思っていた。

 カナトビ王の急死は膨大ぼうだいな心労をトキジクにもたらしたが、不老不死の果実の件に関してのみ一つの安堵あんどを与えていたのだ。

 

 しかし、その安堵も今まさに消え去ってしまった。

 トキジクの心の平穏を奪った少年は屈託くったくのないほほ笑みを浮かべる。


「じいやも知らないのかぁ。そうなると、もうあの人に聞くしかないかな?」

「あ、あの人? 一体だれのことです!?」


 大きく動揺するトキジクに対しクグイは平然と答えた。


「もちろん父様とうさまにだよ」


                   ◆


鳳凰ほうおうみささぎ (ヒノワ一族王墓) 】


「なるほど……これがカナトビ王にお聞きする――というお言葉の意味でしたか」


 まっさらに森林が取り払われた丘陵きゅうりょうを前にトキジクは小さくつぶやく。

 ここはヒノワ一族王墓――その名も鳳凰ほうおうみささぎと呼ばれる大古墳群だいこふんぐんである。

 当然、カナトビ王の遺体も石棺せきかんに納められここへ埋葬まいそうされている。


 つまりクグイは墓荒らしをすることで物言わぬ死人しびとから色々と聞き出す腹積もりなのだ。

 亡くなってからまだ一日と経っていない実父じっぷの墓を暴こうなど、とても十代の少年の――否、まともな神経の通った人間の発想ではない。

 もともと表情豊かでありながら本心を読み取れないところがクグイにはあった。

 しかし今回の言動はあまりにも常軌じょうきいっしている。


 本来ならばクグイの奇行をすぐにでも止めるべきトキジクだが、気付けば自然と同行していた。

 自分でも不思議だったが、この少年の笑顔には老練ろうれんの忠臣すらまどわす怪しげな魅力――魔力とも呼ぶべき力が宿っている。

 今のトキジクはまるで友人に悪い遊びに誘われ断り切れずにいる子供のようだった。


「さて、ここが父様とうさまを埋めたところか。土が新しいから分かりやすいね」


 クグイは言うが早いか何の躊躇ちゅうちょもなく真新しい盛り土をくわで掘り返していく。

 トキジクはさすがにためらいながらも、結局はクグイにならった。

 しばらくザクザクと無機質な作業の音だけが響き続ける。

 元来がんらい寡黙かもくで単純作業も苦にしない性格のトキジク。

 しかし、この時ばかりは空気に耐えかねて沈黙を破る。


「……坊ちゃま、一つお聞きしてもよろしいですか?」

「ん? な~に?」

「坊ちゃまは何のために不老不死の果実を求めておいでなのですか?」


 正直、クグイが永遠の命に興味があるようには思えなかった。

 この狂人はそんな俗っぽい感情とは最も無縁むえんなところにいる。

 クグイは土を掘る手を一端止めると、例の怪しいほほ笑みで答えた。


「何のためって……もちろん次の王様になるためだよ」

「次の王!? しかしおそれながら坊ちゃまは……」

「分かっているよ。ぼくは第五王子。普通に考えたら次の王様にはなれっこない。

 だから普通じゃない方法をとる必要があるんだよ――」


 言いながらクグイは地面に突き立ててあったくわを引き抜き思い切り振り下ろした。


「こうやってね!!」


 ガツン――と固いもの同士がぶつかり合う音が響くのを聞いて、クグイは一気に周囲の土を取り払っていく。

 やがて目的の石棺せきかんが二人の前に現れた。

 当然ではあるが埋葬されたばかりのため遺体は腐敗ふはいすることもなく、生前とほぼ変わらない姿で眠るように横たわっている。

 長年仕えた王のかえらぬ命にトキジクの心は悲痛の叫びをあげる。

 一方のクグイは何の感傷かんしょうも抱かずに遺体を調べていく。


「う~ん……特に気になるものは見つからなかったか」


 一通り死体を調べ終えたクグイは不満げにつぶやいた。

 これでクグイもあきらめがついただろうとトキジクは胸をなでおろす。


「坊ちゃま。それではカナトビ王には今度こそ安らかに眠っていただきましょう」

「……ちょっと待って」


 そのときクグイははっと何かひらめいたらしく顔を上げた。


「じいや。確かヒノワ国の王位継承の儀式ぎしきの中に全身の毛をってみそぎをするっていうのがあったよね」

「え、ええ。確かにございます」


 トキジクはクグイの発言に二つの意味で驚いた。

 一つにはこの場面でそんなことを聞くという不可解さに。

 そしてもう一つは儀式の内容をクグイが知っていること自体に。

 

「しかし坊ちゃま。一体どこでそのことを?

 不老不死の果実のことといい、何かワタシさえ知らない秘密の伝手つてでもお持ちなのですか?」

「何を言っているのさ。不老不死の果実も王位継承の儀式も、じいやがぼくに教えてくれたことじゃないか」


 またも驚かされるトキジク。

 しかし今度の驚きはこれまでとは違う。

 クグイの言葉にトキジクは全く心当たりがなかったからだ。


「坊ちゃま。あまりワタシをからかわないでいただきたい。

 一体いつワタシは坊ちゃまにそんなことをお話しましたか?」

「ああ、分からないのも無理はないよ。そのときのぼくは女装してたからね」

「女装?」

「そう。色んなところに忍び込むのに便利なんだよ。お酒を飲んでて女の人が相手だとみんな口も軽くなるし」

「…………!! ま、ままま、まさかあのときのっ――!?」


 その瞬間、トキジクの顔は羞恥しゅうちのあまり真っ赤に染まった。

 確かに過去に一度だけ記憶を失うほど酩酊めいていした酒宴しゅえんがあった。

 そのときいた見慣れない芸妓げいぎのあまりの美しさに浮かれて、普段では考えられないほどに羽目を外してしまったのだ。

 それにしても、いくらっていたとはいえ国家機密こっかきみつまでらしていたとは――。


「いや~あのときのじいやは本当に傑作けっさくだったよ」

「ぼ、坊ちゃま……その話はどうぞこれっきりに! 後生ごしょうの頼みでございます!!」


 トキジクの必死の懇願こんがんにクグイはしてやったとばかりに声を弾ませる。


「え、そう? じゃあ黙っておいてあげる代わりに、さっきのみそぎの儀式についてくわしく聞きたいんだけどさ」

「もう何なりと! いくらでもお聞きください!!」


 こうなっては哀れな老臣ろうしんは小さな王子の言いなりとなるしかなかった。


「その儀式では全身の毛をるって聞いたけど本当に全部剃るの?」

「ええ。髪の毛やひげはもちろんのこと。脇毛やすね毛、腕の細かな毛から陰部いんぶの毛に至るまですべてです。

 そうしてこれまでの人としてのけがれを捨て、新たに無垢むくなる神として生まれ変わる――という儀式にございます」


 ヒノワ国では国王は現人神あらひとがみとしてあがめられる存在でもある。

 そのため神話をなぞった儀式も多く、このみそぎもその一つだった。

 トキジクからの話を聞いてクグイはしばらく考え込むと、やがて再び質問を投げかける。


「その儀式は父様とうさまもやったんだよね」

「ええ。左様さようにございます」

「そのときは父様は一人だったの?」

「ええ。誰にも見られてはならない儀式ですので」


 トキジクの答えにクグイは期待通りとばかりに繰り返しうなづく。


「なるほど、やっぱりそうか。となると一番あやしいのは……」


 そして、おもむろにふところから小刀を出したと思うとカナトビ王の黄金こがね色の髪を切り落とし始めた。


「坊ちゃま! 何を!?」

「まあ見ててよ。ぼくの予想が正しければ、きっとこの下には――」


 やがてカナトビ王の頭皮があらわになった。

 そこには入れ墨がられてある。

 おそらく手鏡でも使い自分で彫り込んだものなのだろう。

 ややいびつな線が当時の王の苦労を物語っている。


「まさかこんなものが――」


 その入れ墨は羽を広げた大きな鳥の意匠いしょうだった。


「これって……多分、ここの地図だよね」


 鳳凰ほうおうみささぎ全景ぜんけいはその名の通りに翼を広げた鳳凰をかたどっている。

 ざっくりと輪郭りんかくをなぞれば十字の形となる。

 その十字の中心部に赤い点が打たれていた。


「この場所に何かがあるということでしょうか?」

「たぶんね。さっそく行ってみよう」


 たかぶる好奇心の命じるままに二人は入れ墨に示された場所へ向かう。

 二人がもともといた場所は鳳凰ほうおうの頭頂部に当たる場所。

 つまり首筋に当たる場所を通り背の中心を目指す形だ。


「そういえば大陸の方では鳳凰ほうおうは不死の鳥とも呼ばれているらしいですな」

「へえ。まさにうってつけってわけか」


 そんな世間話をしているうちに二人は目的地に到着する。

 その場の地面をよく見てみると、うっすらと四角い線でふち取られている。

 クグイはくわの刃先をその縁に叩き込み、の方を思い切り引き倒す。

 すると地下へ続く階段がぽっかりと口を開けた。

 当然ここまできて引き返すことなどできない。

 二人は互いに顔を見合わせうなづき合うと、無言のまま奥へと進んだ。


 階段を一番下まで降りるとそれなりに開けた部屋にたどりつく。

 中はずいぶんと殺風景で中央に一段高く盛られた祭壇さいだんのようなものがあるのみ。

 その祭壇の両脇には二振りの刀剣が垂直に地面に突き刺さっていた。

 そして祭壇の手前には――


「誰か……いる?」


 暗がりの中で目を細めながら、はじめにそれに気付いたのはクグイだった。

 続けてトキジクもその謎の男の背中を確認する。

 そして最後に男が二人の侵入に一拍いっぱく遅れて気が付くと、クグイたちから見て右方にある黒鉄くろがねの刀剣を引き抜き――一直線にこちらへと斬りかかる!


「なっ……!?」

「坊ちゃま!」


 あまりに突然の強襲に身をひるませるクグイ。

 その前に割り込むようにしてトキジクが立ちはだかった。

 続け様に繰り出される男の斬撃をトキジクは徒手空拳としゅくうけんで見事にさばいていく。

 ただし相手も並みのつかい手ではない。

 さすがに素手のトキジクでは分が悪く徐々に追い込まれていく。 


「じいや!」

「坊ちゃま! 早くお逃げを!!」


 そう言われて素直に引き下がるクグイではない。

 だが二人の高度な戦闘にクグイの入り込むすきはなかった。

 それでも何とかトキジクの助けになれないかと辺りを見回し――それに気が付いた。

 祭壇の横にあるもう一つの白銀しろがねの刀剣の存在に。

 クグイは必死でその剣の元へ走り寄り力いっぱいにそれを引き抜く。


「じいや! これを!」

 

 そして、すぐさまそれをトキジクに投げ渡そうとした――そのとき!

 クグイの動きを見て取った男が、標的をこちらへと変えて向かってきたのだ。


「坊ちゃま! 危ない!!」

「うわあああああ!!」


 迫りくる恐怖を前にクグイは無我夢中で白銀の刀剣を振りかぶり――一気に振り下ろした。

 男へ斬りつけるつもりで放ったその一撃は、しかし間合いを完全に読み違い地面へと叩きつけられた。

 ところが、信じられないことにその一撃でクグイの足元の地面は割り砕かれ飛び散った破片が男の肌を切り裂いていく!


「――っ!!」


 攻撃を受けたことによるひるみよりも、クグイの細腕から放たれた斬撃の意外性に衝撃を受ける男。

 それはトキジクも、そしてクグイ本人も同様であった。


「う、うそでしょ? いったい……何がどうなって……」

「…………」


 当惑とうわくを続けるクグイをよそに男は無言で何事か考え込んでいたかと思うと――そのまま突如、きびすを返して地上へと向かった行った。 


「なっ……待て!!」

「坊ちゃま、お待ちを! 深追いは禁物です!!」


 反射的に男を追おうとしたクグイをトキジクは冷静に止める。


「彼を追いかける前に、まずはこの場所を調べてみることにしましょう」


 トキジクの提案にクグイはうなづく。

 二人は部屋を調べていくと祭壇脇の地面に転がっていた巻物を見つけた。

 おそらく本来は祭壇上に安置されていたものであろう。

 巻物のひもほどかれており、あの男がクグイたちに気付くのが遅れたのはこの巻物を読んでいたからだと思われた。

 トキジクはさっそくその巻物を読んでいく。


「ふむ。どうやら坊ちゃまがお持ちの白銀しろがねの剣。それはヒノワ一族伝来の霊剣れいけんクサナギのようですな。

 そして彼が持ち去った黒鉄くろがねの刀剣は神剣しんけんクトネシリカと呼ばれるもので、ツキノワの民の間でまつらられているもののようです」

「ツキノワの民? どうしてヒノワ一族の王家の墓の地下にツキノワの民の宝剣が?」

「お待ちください。その由緒ゆいしょも記されているようです」


 トキジクは巻物の続きを声に出して読み上げる。

 そこに記されていた驚きの内容に、二人の顔色はみるみる深刻なものに変わっていく。


「もしここに記されている内容が真実なのだとすれば……」

「じいや! じいやなら知っているよね? あの人が今どこにいるのか」

「ええ。あの方は今――」


 トキジクから聞き出したその場所の方角へ目を向けながら、クグイは言った。 


「急ごう。あの兄様の宮なら、ここからそう遠くない」


 そうして若き王子は地上への階段を駆けあがる。

 霊剣れいけんクサナギを携えて――。

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