醜聞


 とりあえず推移を見極めるまでは活動は自粛、という結論で、


「それまでは自宅で自主トレってことにしよ」


 このときばかり、感情的になりづらいみな穂が部長で良かったことはなかったようである。


 しかしすでに、校門前には記者やカメラマンがいて、関係がないはずの一般生徒に、マイクを向ける騒ぎも起きている。


 部室からの帰り、みな穂は職員室に寄った。


 清正が一人で資料を開いていた。


「…先生」


「瀬良のやつ、えらいことなったな」


 清正も今回のスキャンダルに打つ手を模索しているようである。


「あいつの話をするってのは、休部以来やな」


「でもさすがに、不倫はどうしようもないのかなって」


「ワイもかばうつもりはあれへん」


 清正には明確な方針があるらしかった。


「この際やから、記者会見したほうがえぇかなと」


 言ってもいないことを言ったように流布されるのは道理に合わん、と言ってから、


「長谷川さん、まだおる?」


「さっき部室にいました」


 LINEを飛ばしてみると、まだ帰ってはいないらしい。


「よっしゃ、動くかぁ」


 清正は首を鳴らしながら席を立った。



 長谷川マネージャーに清正が記者会見の題を持ち出すと、


「正直いうと私は反対です」


 まずみな穂が未成年であること、アイドル部のマネジメント事務所の許可を得るまで稟議に時間がかかることを挙げた。


「せやが、部活動は学校活動の一部でもあるしやなぁ」


 清正の論理は、教育者としての所感でもある。


「長谷川さんの意見も一理あるだけに、悩むわなぁ」


 どこか他人事のようでありながら、しかし相手を受け入れつつ主張はする。


 みな穂は二人の論議を聴きながら黙っていたが、


「私が、アイドル部のメンバーとして個人で会見を開くのはダメですか?」


 覚悟のこもった口調である。


「やるのは構わんが、責任取れるか?」


「取ります」


 珍しくみな穂は返答に間を空けなかった。


「よっしゃ、ほんならやったれ。打たれっ放しでは女の子も意地が立たんやろからな」


 責めはワイが負う、というと長谷川マネージャーは渋面をつくりながらも、


「では事務所にはそう伝えておきます」


 と承諾はしたようであった。




 金曜日の夕方、空いている講堂での記者会見がセッティングされた。


 進行は長谷川マネージャーだが、みな穂は清正に向き直ると、


「私が一人で行きます」


 どこか覚悟を決めた様子である。


「鮎貝、自分なりの言葉で話せ。それだけや」


 直前に言ったのはそれだけである。


「これより、ライラック女学院アイドル部に関する一部報道に付きましての記者会見を始めさせていただきます」


 長谷川マネージャーからは、


「まず、部長の鮎貝みな穂から説明があります」


 長谷川マネージャーは続けた。


「鮎貝部長は未成年で時間的な制約があります。したがって同じ質問が重なりました時点で質問は終了となります」


 まずは説明を、と促されるままみな穂は一連の報道について、


「あくまで私はニュースでしか知らないのですが」


 と言いつつ、簡潔に応えてゆく。


 メモを取りながらみな穂は記者の話を聞いていたが、


「私は彼女とは深い付き合いがある訳ではないのですが」


 みな穂は前置きをした上で、


「でも彼女が小さなトラブルを起こしたとき、彼女は髪をバッサリ切って、泣きながら謝って反省していた姿も見ています。なので、私は報道しか知らないのですが、何か事情があるのかなとは思います」


 少し潤んだ、黒目がちの眼差しで真っ直ぐ応えてゆく。


 ネット中継では「みな穂部長カワイイ」「みな穂は俺の嫁」「あんな部長なら給料みんな注ぎ込んじゃいます」などというコメントで埋まった。


 ネット中継は、部室でもメンバーが集まって見ている。


「意外に大人から人気あるんだ、うちの部長」


 ふと薫がもらした。



 ついでながらみな穂は年上のファンや外国人のファンが多く、


「ミドルキラー」


 というあだ名まであった。


 ストレートの長い髪、少し切れ長気味の眼、濡れたように見える瞳に筋の隆い鼻、気持ちぽってりとしたセクシャルな唇は、よく女子大学生と間違われるほどの大人びた印象すら受ける。


 この日も記者の中には、


「ぜひ鮎貝みな穂の取材に行かせて下さい」


 と、わざわざ志願して東京から朝イチの飛行機で来た者まであった。


 それでいて少しのんびり屋で天然な気があり、スリッパを左右逆に履いてしまったり、マイクを忘れてステージに上がってしまったり…と少しだけドジな面もある。


「そんな部長だから、私たちが守ってあげなきゃって」


 メンバーだけでなく、ファンや記者にまで思わせてしまう、魔性のような一面すらあった。


「私そんな魔性の女なんかじゃないし」


 みな穂はまるで気が付かず、まるっきりあざとさがないところも、世の中高年に人気のある一因であったともいえる。





 話を記者会見に戻す。


 結果としてみな穂の会見は、九分九厘ほど成功したといっていい。


「未成年者に記者会見をさせるとは」


 という意見もあったが「私が会見したいって言ったから…」とレギュラー番組のラジオで発言したことでそれは消えた。


 それ以外は概ね「勇気ある行動」として取り上げられた。


 あれだけ校舎前にいたメディアも、部室から見える限りいなくなった。


「勇敢な女子高校生」


 ととらえる向きもあれば、


「大人に振り回される可哀相な子」


 という見方もある。


「…みんな、あれで良かったのかな?」


 みな穂は胸がつぶれそうな思いを抱え込んでいたらしいが、


「うちは、あれでえぇ思う」


 真っ先に言ったのは優子である。


「部長が選んだ道じゃけ、うちらは付いてく」


 のどかな、それでいて無駄の削ぎ落とされた口調に、


「…ありがとね」


 ようやくみな穂は笑顔になった。



 会見の喧騒がまだ残る中、深夜になって琴似の清正と茉莉江の新居を訪ねてきた者があった。


 茉莉江が誰何すると、


「茉莉江先輩、おひさしぶりです」


 驚くべきことに翠であった。


「顔を出せるような立場じゃないのは分かってるんだけど…」


 どうやらあちこち訊き回って探し当てたようである。


 茉莉江は招じ入れた。


 ちょうど清正がトイレから出てきたタイミングで、


「…瀬良も難儀やったな」


 清正は怒らない。


 しかしそれが翠の涙腺を崩壊させた。


 しばらく泣きじゃくっていたが、茉莉江が促してリビングに上げ、コーヒーが苦手な翠のために清正は手ずから点前を立て、抹茶を出した。


「みな穂ちゃんの会見はテレビで見た」


 訥々と語り始めた翠は、あの写真の真相を話し始めた。


「あの俳優さん、実は一緒に舞台で仕事をするスケジュールだったのね。それで最初は端役だったんだけど」


 キーパーソンとなる役の女優が交通事故で怪我をしてしまい、代役に翠の名が上がったのだという。


「でも、それには条件があるって」


 それで枕営業のために密会した、と言うのである。


 茉莉江も清正も言葉を失った。


「私…雪穂やすみれみたいに売れなきゃって焦ってたのかも」


 翠の家は母子家庭で、家計が厳しい。


 話を聞いていた茉莉江は、沈痛な面持ちをした。



 だけど、と翠は顔をあげた。


「私、昔から軽はずみなところがあって、だから今回も…やっちゃってさ」


 みな穂だけでなく、メンバー全員にまで迷惑をかけてしまったことを悔いていたのか、


「だから私、事務所も辞めたし…家も引き払ってきた」


 ここまで素直な翠は二人とも初めて見た。


「…自殺だけはすなよ」


「それだけは先生、大丈夫」


「これからどうするの?」


「とりあえずママの実家が帯広だから、そこに行こうかなって」


「…無理だけはすなよ」


「先生、ありがと」


 先生の抹茶美味しかった、と翠は無邪気なスマイルを初めて見せた。


 それから清正が書斎に行き、リビングが茉莉江と二人になると、おのずと話柄は生徒会時代の話になった。


「翠ってさ、強がりだったよね」


 茉莉江は翠が実は寂しがり屋で、強がりで、責任感が強すぎるが故に、他人に弱みを見せたがらない性格であることを、生徒会で一緒に運営してきて知っている。


「私が失敗するたびに、会長に代わりに謝りに行ってもらって…」


 翠は再び涙ぐんだ。


「本音を言うとね、あなたが会長に無投票で決まったとき、ちょっと不安だったの。この子は一人で何でもやろうと突っ走るから、大丈夫かなって」


 だけど私は引き継いだらいなくなるし、と茉莉江は翠を気にかけていた。


「だからあなたがアイドル部の件で大変だったときも、もっと素直に気持ちを伝えていたら違ったのかなって」


 茉莉江の言葉に、翠はうなだれて泣いていた。


「あなたは根は頭のいい子で、決して悪い子じゃないんだけど…」


 茉莉江と語らううちに、夜が白んできた。


「帰るね」


「何かあったら、連絡してね」


 茉莉江と翠は、そうしてこの日は別れた。



 数日、過ぎた。


 茉莉江は部活動の口座の件で銀行に行った帰り、カートを曳いて札幌駅のエスカレーターに乗っている翠らしき姿を見た。


「違うかな?」


 すぐに追ったが、見失った。


「…そういや帯広に行くって話してたっけ」


 改札の案内板の帯広行はすでに点滅し始めていて、追っても間に合わないことは、茉莉江にも容易に察せられた。


 やがて。


 案内板の点滅が消えた。


「…向こうでうまく行けばいいけど」


 茉莉江は、買い物がある地下街の方へ階段をくだっていった。



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