艱苦


 みな穂はよく、


「私なんか…」


 という口癖があった。


 どちらかといえば引っ込み思案で、前にグイグイ出るほうでもない。


 おまけに人見知りでもある。


 なので最初はしゃべることもなく、


「みな穂、あんた大丈夫?!」


 気遣われることもしばしばである。


 そんなみな穂が新部長、である。


「私なんかが部長で、アイドル部に何か遭ったらどうしよう…」


「そのために私たちがいるじゃない!」


 優海が肩をぽんと叩いた。


 このアイドル部という組織は女の園というより、どこか甲子園を目指す野球部のような、一種のチームとしての論理が働いているところがある。


 誰かがピンチの際には他のメンバーが助け、それによってチームがパワーアップする、という効果をもたらす。


 しかし。


 一人でも身勝手なことをすると、それはチームの力を削ぐとして、排除までは行かなくても、疎外されても抗弁出来ない…というのが、どうしてもある。


 つまり落伍者には厳しいのである。


 その点でみな穂は、武器があったので難局を乗り切れたのかも分からない。





 日頃の本好きの賜物か、古典や歴史、雑学には造詣が深く、


「この衣装の襟はバッスルスタイルだから十九世紀だけど、この身頃は二十世紀の半ばぐらいの身頃の裁ち方だから、ちょっと違和感がある」


 などと服飾史の話なんかを持ち出したりもする。


「ちょっと偏屈な面はあるけど、みな穂ならアホではないからきっと何とかなるかなって」


 ハマスタで優勝したときの衣装も、唯のデザイン画を見て、


「帝政時代のフランス軍の士官とか、幕末のジャンヌ・ダルクって呼ばれた、会津戦争の新島八重みたいな感じになりそうだよね」


 と即座に反応し、それで唯がみな穂から資料を借り、ブラッシュアップさせて完成形に辿り着いた…というエピソードがある。


 ともあれ。


「分からないときは、鮎貝みな穂に訊け」


 と呼ばれたほどの博覧強記ぶりでもある。


 これはまた藤子と違ったもので、


「私はあんなに詳しくないよ」


 といい、一目置いているフシがあった。






 そんなみな穂はラジオに出てもアイドルらしからぬマニアぶりを発揮することがたまにあり、


「でも経済って元々は世を経し民を済うだから、お金儲けの単語じゃないんですけどね」


 などと、たまに学者気質な面も出す。


 即座にリスナーからメッセージが来て、


「みな穂先生にぜひ、家庭教師やって欲しいです」


 これにみな穂は、


「ジャンル偏ってるから、受験勉強にはならないかも」


 と、頼りない答えを返した。


 このアンバランスな感じが、ファンにはたまらなかったらしい。


「だって知ってることしか言えないから」


 とはいうものの、取り澄ましたところがなく、素直という単語だけでは表記しにくい面があることだけは確かなことであった。



 そうした飾らないみな穂が、いつも一緒に過ごしていたのはあやめで、同期入部でクラスも同じといった共通項もあって、


「イリス、ランチ食べよ?」


 あやめをラテン語のイリスで呼び、いつも並んで学食でランチタイムを過ごす。


 背が高く大人びた感じの雰囲気をまとったみな穂と、小柄で少し古風なあやめのユニットは、


「姫と侍女」


 とマヤが名付けた表現がしっくり来るほど馴染んでいる。


 当のみな穂はあやめを下僕扱いすることはなく、


「イリス、私が持ってきてあげるから」


 などと甲斐甲斐しく動いてくれたりもする。


「ああいったところが、セラミックスとは違うんだよね」


 優海やマヤに言わせると、そんなところであったろう。



 基本的にアイドル部は、二年生の修学旅行が終わると代替わりとなる。


 今年は優海、雪穂、千波、すみれ、翠の五人が修学旅行に行ったのだが、この間にちょっとした件があった。


「先生、奥さん数年前に亡くなってたんだって」


 清正はプライベートを余り明かさない。


「それで生徒のダンスが上達するわけでもないやろ」


 という、実に明瞭な理由からである。


「じゃあ、指輪は?」


 はるかな以前、ののかが目ざとく見つけた薬指の指輪である。


「ずっと忘れないように、つけてるみたい」


 こういう手合いの話柄は、女子高校生の大好物でもある。


「でもさ、そんなに大切にしてるなんて、女の子目線からしたら理想的だよね」


 マヤは言う。


「だってそこまで思われてたらさ、たとえ先生が誰かと再婚したって、それはそれで再婚相手が魅力的だって意味でもある訳だし」


 そんな男子いないよね、とマヤはすぐ話を壊す。





 話の出どころはマヤであった。


「じゃあ何で分かったの?」


 それがね、とマヤは唯やあやめ、みな穂を集めると、


「たまたま聞いちゃったんだ」


 職員室にマヤが清正の印鑑をもらいに書類を持っていった際、


「嶋先生、法事で休まれているそうです」


 このときに他の教諭が、よりによってベラベラ喋ってしまったのである。


 数年前の話で、アイドル部の連中が知っているものと思い込んで話したらしいが、


「それさ、黙ってたほうがいいよね?」


 マヤ、あやめ、唯、みな穂は箝口することにした。


「だってさ、先生だって言わないのにはおそらく、理由があるはずなんだって思うし」


 比較的アイドル部は口が固い。


 サプライズ企画を扱ったりすることに慣れており、普段から秘密を厳守しないと影響が多大であることを自覚していた面はあったろう。



 が。


 修学旅行から帰ってきた翠がなぜか知っていて、


「ねぇねぇ聞いた? 先生の奥さんの話」


 思わず唯は顔が固まった。


 どこで話題を手に入れたかは分からなかったが、何せ生徒会長である。


 いくらでも情報源ならありそうではないか。


「何のこと?」


 唯は知らないふりをした。


 翠は得意気になって、


「すごくラブラブだったらしいんだけど、四年ぐらい前に肺炎で亡くなって。もともと喘息だったから悪化してから早かったんだって」


 妙に明るく話す翠に、だんだんあやめは腹が立って来たようで、


「…!」


 無言で翠を平手打ちした。


「…何?!」


「見損なった。そんな人だったなんて」


 あやめの目には涙が浮いている。


 翠は他人に叩かれたことがなかったのか、その場にヘタり込んだ。


「私もその話は知ってたけど、それよりあなたが他人の不幸を明るく話すような、無神経な人だとは思わなかった」


 あやめは静かに言った。


「私…そんな人に、たとえ生徒会長であっても、守ってもらいたいなんて思わない」


 あやめは部室を出た。


 重い沈黙が流れたあと、


「…巧言令色、仁すくなし」


 とだけつぶやくと、みな穂も部室を出た。



 みな穂に追い付いたすみれが、


「みな穂、さっきなんて言ったの?」


「巧言令色、仁すくなし」


 みな穂に言わせると、


「口先ばかりで中身が伴わない…そんな人は人徳がないって意味です」


 憤怒が内側にこもっているだけに、冷ややかな物言いは余計に恐怖を増幅していた。


「少しは反省してくれるといいけど…どうかな」


 みな穂も少しおさまってきたようで、


「すみれ先輩、ひとまずイリスを探しましょう」


 手分けしてあやめを探しした。


 みな穂には心当たりがあったらしく、


「多分あそこかな」


 と、図書室脇の階段をのぼった先の屋上に、やはりあやめはいた。


 あえて何も言わないまま近づき、


「…イリス、大丈夫?」


 みな穂はあやめを後ろからハグした。


 あやめは少し驚いたが、


「みな穂…」


「イリスは何も悪くなんかない」


 だから何も悲しくなる必要はない、と抱き締める腕を強めた。


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