惜別
部室に戻ると、
「雪穂ちゃんさ、機嫌悪いの?」
恐る恐る優海が訊いてきた。
「何もだよー」
雪穂はいつものホンワカした雪穂に戻っている。
「あ、さっきの?」
あれはね、と雪穂は、
「パパから教わったの」
雪穂の父親は、札幌では知られた建設会社の代表取締役である。
荒くれのガテン系たちを束ねる父親を見て育ったからか、可愛らしい見た目に反して、言葉の厳しい側面があるようで、
「だから、ああいったときには、前の人と比べてあげたらいいんだよって」
ニコニコしながらそんな話をする雪穂を、優海は少しだけ恐ろしく感じた。
例の雪穂の一言がかなり効いたものか、始業式が過ぎて三学期が始まっても瀬良翠の反撃らしいものはなく、
「雪穂砲」
とアイドル部内では呼ばれていた。
いっぽうで。
ネットでは私設のファンサイトが出来、それぞれの推しメンバーのコミュニティも出来上がるほどの盛り上がりを見せている。
初期メンバーを知るあたりは藤子、リラ祭から知るあたりは雪穂、その後の活動露出が増えたあたりからは優海を推すファンが多いというのが、大方の分析であった。
二月の雪まつりのステージライブが決まっていたので、
「このときには附属の子たちの合否が分かってるから、合格してたらお披露目だね」
さらにすみれのソロデビューが決まったので、
「すみれちゃんはソロのナンバーも覚えないとね…」
もっとも、すみれはモデル経験があるだけに、唯も不安はなかったようである。
三学期が始まってすぐ、朝練に来たすみれはどこかで聞き慣れないドンッ、という音を聞いた。
音を頼りに行ってみると、清正がいる。
グラブを手に、何度もフォームを確かめながら、除雪の山に刺し立てた板に向かって、勢いよくボールを投げ込んでゆく。
「…橘くん、おはよう」
すみれに気づいたらしかった。
「すごい早いですね」
「一応最速が全盛期で百四十五キロやったからね」
今なら百三十ちょっとぐらいかな、というと、左腕をしなやかにたわませながら、踊るように躍動しながらストレートを投げ込んでゆく。
「少しは体力維持しとかんとね」
すみれは間近で初めて見たのだが、これでも甲子園で初戦敗退だったというから、現実のむごさを感じたらしかった。
ライブ前の最後の週末、
「あやめちゃんとみな穂ちゃんのカラー決めないとね」
唯は気にしていたらしい。
「私たちのカラーを嗣げばいいじゃない」
ののかは言った。
「私のピンクと澪の緑が空くんだから、無理に決めなくても二つ空くんだしさ」
澪もそこは同感であったらしく、
「あやめちゃんはピンクで、みな穂ちゃんが緑ってのはどう?」
その場でグループチャットで希望を訊いてみたところ、
「私はピンクがいいです」
「私のラッキーカラーは緑なんで緑にします」
何とそのままだったので、早々と決まった。
二月十一日。
雪まつりの最終日、真っ青に晴れた大通公園の雪像をバックにライブが始まった。
「こんにちはーっ!!」
澪がマイクを手に挨拶すると、会場は満席どころか通路まで人が埋まっている。
みんなそれぞれ、イメージカラーのタオルや新グッズの団扇、さらにはペンライトなど、さまざまなグッズを手に歓声をあげている。
「えーと、今日はサプライズ発表があります!」
澪の言葉で、会場はさらに盛り上がる。
「シリアルナンバー八番、橘すみれちゃんのソロデビューが決まりましたー!」
すみれ推しのファンから歓声が飛ぶ。
ついでながら美波が言い出した番号制はシリアルナンバーとして、衣装の
特に六番の雪穂はファイターズのファンフェスタで同じ番号のスター選手に、
「あ、おれと同じ六番や」
と声をかけてもらい、ツーショット写真を撮ってもらったことまであった。
話を戻す。
「あと、私たち三年生は三月一日の卒業式をもって、アイドル部のグループ活動からは離れるんですけど、新しく一年生が入ります!」
おぉっ、というどよめきが起きた。
みな穂とあやめが登場し、
「新メンバーの赤橋あやめちゃんと、鮎貝みな穂ちゃんです!」
拍手が沸き起こった。
「この子たちが、私たち三年生のスピリッツを継ぐ後輩たちです。どうか応援してあげてください!」
泣きながらうなずくファンから、
「頑張れよーっ!!」
精一杯の声が飛んだ。
二人が自己紹介をすると、イメージカラーも引き継ぐことが発表された。
「みなぽん頑張れーっ!」
女の子の黄色い声がする。
意外とみな穂は女のコ受けするキャラクターであるらしかった。
ライブの中盤、一旦全員がステージから捌けたが、すぐすみれだけが出てきた。
「ライラック女学院アイドル部から、四月にソロデビューすることになりました橘すみれです!」
ツインテールにアニメ声のしゃべり方とは裏腹に、
「それでは聞いてください、デビュー曲で『RAINBOW』」
とみずから曲紹介をしたあとの歌声は伸びのある本格的な歌唱力で、
「スゲえギャップ!」
「ライ女アイドル部の秘密兵器あらわる」
などと、ネットでは話題になった。
再びメンバー全員がステージ袖からあらわれると、
「それでは聴いてください、『いつの日か』」
千波が作ってストックしていた曲に、藤子が詞をつけたナンバーが披露された。
雪まつりライブが終わると、メンバーは卒業式で披露するパフォーマンスの練習に入った。
「澪先輩とののか先輩の最後のステージだから、みんな気合い入れていくよ!」
唯が檄を飛ばす。
この日は保護者や関係者、さらにはネットニュースの配信担当が来て、生中継も入る。
「今では台湾とかマレーシアにもファンがいるもんね…」
雪まつりライブをアップすると、台湾語やマレーシア語でコメントが入っていたのを茉莉江は見つけたらしい。
「体調管理だけは気をつけて」
普段大声を出さない藤子でさえ力が入る。
今回はすみれが作詞、千波が曲をつけた『雪が消える頃には』を発表予定で、
「私も久しぶりに楽器始めたさ」
などと雪穂が小学生以来だというサックスを持ち込むなど、それぞれ肩に力が入っていた。
卒業式前夜。
メンバー全員とあやめ、みな穂は優海の家に集まると、深夜まで騒いで語り合い、布団を並べて遅くなるまで再び語り合った。
一年生で同好会を作るときに澪がののかを誘ったこと、ののかが迷っていると入学前の藤子がたしなめたこと、美波がいじめから澪をかばってくれたこと、藤子が入学してすぐ同好会に来てくれたこと──。
三年間の思い出は尽きなかったらしい。
翌朝。
在校生組は先に通学し、一時間ばかり遅れて澪とののかが出発した。
いつものように手稲駅で降りて、坂を登り始めたときである。
「ののか!」
ののかが声のする側を見ると、美波の姿がある。
「美波…」
澪はそれだけで泣いていた。
「卒業式に遅刻なんて出来ないしさ」
美波は変わっていなかった。
「ほら、行くよ!」
相変わらず元気印の美波に伴われて、校舎を目指した。
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