師匠にできること

 両者の回答時間が尽きて、モニタに結果が表示される

 蟹江は固唾を呑んだ。

 2対2で平衡していたスコアのアブラヒム側の数字が、3に増えた。

 観客席が優れた劇を観賞した直後のような静けさに包まれた後、どっと感嘆のような歓声が沸いた。

 モニタに両者の回答画面が映し出される。


 小牧 梨華 52/52 28秒11。

 アブラヒム グルタン 52/52 25秒22。


 おおよそ三秒差で、アブラヒムが勝利した。


「すげえよ、小牧」


 蟹江は敗北して打ちひしがれているであろう小牧を思い浮かべながら、師匠が弟子に参ったと告げるような声音で呟いた。

 今まで練習の中で、小牧が30秒台を切ったことはなかった。

 にもかかわらず、大会本番で自己記録を超えた。

 彼女の才能を、蟹江は改めて身に染みて感じる。


 モニタが両選手を映したアングルに切り換わった。

 疲れた様子で椅子の背にもたれているアブラヒムと仕切りを挟んで、小牧が顔を両手で覆って微かに肩を上下させている。

 泣いている、と蟹江は気付いた。

 この悔しい試合結果で最後にしていいはずがない。

 蟹江は観客席の最前列へと足を進ませる。

 小牧はよく頑張った、あとは師匠の役目だ。


 そう心の内で弟子を労わると、蟹江の表情が決意を固めたものになる。

 最前列まで来ると、小牧の両親に目を注いだ。

 小牧の両親はモニタをじっと見つめて、娘の敗北した事実をしかと確認しているような静かな面持ちをしていたが、丁度椅子から立ち上がった。

 蟹江は両親に近づく。


「どうでした?」


 少し震え気味の蟹江の声に、小牧の母親が鷹揚に振り向く。


「あら、蟹江さん。梨華は負けたんですよね?」

「そうですね」


 母親が蟹江と会話を始めたのを見て、父親も蟹江に顔を向ける。


「君か。どうしたんだ、私達に別れの挨拶にでも来てくれたのか?」

「……」

「違うみたいだね。今更、約束を反故にしようと言うのかい?」

「ほんと、今更ですよね」


 蟹江は自嘲気味に言った。

 両親の目が断固とした厳しさを帯びる。


「どれほどあの子が凄いのかは、先程の戦いを見てわかりました。でもあれで条件に達したということにはしませんよ」

「母さんに同意だ。梨華は受諾した条件を果たせなかった。ゆえにこのゲーム及びメモリースポーツを梨華に続けさせることは許可しない」


 蟹江は唇を噛んだ。

 二人の言うことには何の間違いもない。提示した条件に則って、小牧の去就を決めているだけだ。

 交渉の余地はない、それでも蟹江は諦めきれなかった。


「なんとか考え直してくれませんか。小牧が泣いてるところを見たでしょう?」

「見ましたよ。それでも条件は条件です。梨華にはやめてもらいます」


 母親が一切心変わりのない受け答えをして、蟹江の意志を退けた。


「君の気持ちも梨華の気持ちを否定したいわけじゃないんだ。ただ今の梨華には必要ないというだけだ。すまないね」


 慰めるように父親が詫びる。

 蟹江は膝を床に落とした。

 小牧の両親の目に驚きが浮かぶ。

 蟹江は床に落とした膝の前に両手をつけ、両手の甲に額をつけるように頭を下げる。


「どうか、お願いします」


 小牧の両親が驚くのはもちろん、会話に関心すら寄せていなかった観客席にいた他の観客たちも不意の蟹江の行動に面食らって騒めきだす。

 土下座する蟹江を、小牧の両親は当惑して見つめた。


「頭を下げられても困ります。梨華のこれからのことは前もって決めていたのですから、約束には従ってもらわないと」

「約束を破ることには申し訳ない気持ちがありますが、やっぱり自分は諦めることはできません」


 頭を下げたまま、強い意思を持って蟹江は心情を告げた。

 小牧の両親は思案の目を向け合い、蟹江への返事を断じかねた。

 しばしの沈黙の後、探るように父親が蟹江に投げかける。


「君はどうして、小牧に拘るんだい?」

「どうして、ですか」


 蟹江は顔をもたげて、随分と高く見える小牧の父親の顔を振り仰ぐ。


「才能ある自分の弟子だから、です」

「師匠としてなら、その答えでも納得できるが……」


 居心地悪い間を空けて、見極めるように蟹江の顔を凝視する。


「一人の人間として、梨華がこのままこのゲームを続けることが本人のためになると思うか?」


 意地悪な問いだ、と蟹江は内心歯軋りした。小牧がメモリースポーツを続けたとして、将来有望な何かがある確証はない。

 しかしここで自分が肯定しようものなら、小牧の両親の態度が硬化するのは目に見えている。

蟹江は意地になって答える。


「メモリスポーツは本人のためになると思います」

「具体的にどんなふうにだ?」

「……記憶する力が今以上に身に付くことです」


 咄嗟に思いついた根拠を持ち出す。


「しかしだな。記憶力が向上するとしても、ゲームの方に傾注してしまったら本末転倒ではないか?」

「そうならないよう、自分からも小牧に注意をします」

「その気配りは殊勝だとは思うが、梨華がゲームを続けるべき理由にはなっていない」


 認めるには値しないという口調で、父親は断固として首を横に振る。


「なに受け身になってるのよ」


 反論を探す蟹江の背後から、彼を馬鹿にするような声が割り込んだ。

 蟹江と小牧の両親が声の方に顔を向けると、割り込んだ声の主は嘲るような笑いを鼻から漏らす。


「もしかして、陽太は真剣な話をしてた?」

「弥冨か。そうだよ、真剣な話だよ。お前、試合の方はどうした?」


 間が悪いなという思いで、蟹江は不機嫌に弥冨に訊き返す。


「今さっき、終わったところよ。ちなみに勝ったからね」


 さらりと報告して、じっと蟹江の格好を見つめた。


「陽太、土下座してるの?」

「そうだよ」


 空気にそぐわない軽口のように質問をしてくる弥冨に、蟹江はイラっとして返す。


「そう」


 弥富は無関心そうに合の手を返すと、おもむろに蟹江の横に立った。

 太もも裏でロングスカートを手で押さえる。

 そしてゆっくりと腰を下ろすと、スカートから両手を離して膝の前につける。

 野次馬と化して集まっている観客たちが、一層どよめいた。

 真横でいきなり自分と同じ行動に出た弥冨に、蟹江は唖然とする。


「おい、お前まで頭を下げる必要はないぞ」

「私がしたいからするのよ。口出ししないで」


 普段と変わらずぴしゃりと蟹江の言葉をはねのける。

 したいからする、と言われては、蟹江も無理に制止させるには気が引けた。

 蟹江が押し黙ると、弥冨は小牧の両親に頭を下げる。


「私からもお願いします。あの子、じゃなくて小牧梨華さんにメモリースポーツを続けさせてあげてください」


 面識もない弥冨に突然頭を下げられて、両親は言葉を失っている。


「どうか、お願いします」


 蟹江も改めて頭を下げ直した。


「あ、あなたは?」


 母親がようやく弥冨に尋ねた。

 弥冨は顔を上げる。


「弥冨楓です。あの子、じゃなくて小牧さんとは、その……ライバルみたいな関係ですね」


 ちょっと照れるように苦笑して答えた。

 梨華のライバルか、と弥冨の事を覚えようとするように父親は弥冨を見つめて呟く。


「ライバルである君からしたら、梨華には辞めてもらった方が好都合なんじゃないか?」


 理解し難いという顔になって、弥富へ質問する。


「そんなことありません」


 弥冨は躊躇いなく否定した。


「私は小牧さんがいなかったら、この大会で決勝トーナメントに進出できていなかったと思います。小牧さんがいたから、私もここまで強くなることできました」

「そうか」


 父親は腑に落ちないという顔をしつつも、弥冨の言葉を聞いて頷く。

 それぞれが継ぐ言葉に悩んでしまい、観客席の最前列付近に再び沈黙が降りようとしていた時――。


「ボクタチカラモ、オネガイスルヨ」


 と、先程蟹江がいた二階通路の手すり際から、外国人らしき訛った声が聞こえる。

 観客席にいる全員の視線が、声の方を振り向いた。

 声の正体に気が付ついた野次馬たちさえも息を呑む。

 手すり際に今しがた対戦が終わったアブラヒムとエミリーが顔を揃えて立っていた。

 お願いを申し入れた声の主であるアブラヒムが、観客たちが鎮まるのを待ってから小牧の両親を見下ろして言う。


「コマキニマケソウダッタ。トテモツヨイ、ヤメルノモッタイナイ」


 娘を負かした人物から賛辞のような慰留の台詞が注がれ、小牧の両親はあからさまに戸惑う。


「梨華に勝ったあなたが、どうして梨華を庇うんですか?」


 母親が問うと、アブラヒムは普段通り飄々と笑って答えた。


「ツヨイカラ」

「それだけですか」


 母親はアブラヒムの返事に困った顔になる。

 そして視線を蟹江と弥冨に戻そうとした時、アブラヒムの隣にいたエミリーが発言権が入れ替わったように告げる。


「ワタシからもお願いするワ。コマキちゃんには続けさせてあげて欲しいノ」

「君は、名前は何と言うんだね?」


 父親が誰何する。

 エミリーはあれ知られてないの、と驚いたような顔をしてから、間を取るように一つ息を吐いてから誇るように名乗る。


「ワタシはエミリー・マイケルヨ。世界ランキング一位のトニー・マイケルの妹ナノ」


 エミリーの自己紹介を聞き、トニーの名を知らない父親は蟹江に問う視線を投げる。


「トニー・マイケルとは誰だね。蟹江君?」

「現在の記憶力世界一の人です」

「そうか、知らんなぁ」


 無知を恥じるように父親は声のトーンを落とした。

 そんな父親に代わって、母親が話の筋を修正する。


「話を戻しましょう。皆さんは梨華にこのゲームを続けて欲しいと思っているのですよね?」


 小牧にメモリスポーツを継続させる事を要望した四人は首肯する。観客席の野次馬にも同意する空気が漂う。

 同じ空間にいる自分達以外の全員が娘の擁護側であることに、両親はいささか分の悪さを感じつつも首を縦には振らない。

 行き詰まった静寂が場を覆い始めると、出入り口の方でショックを受けたような、なんで、という小さな声が水を打つように響いた。

 声に気が付いた観客席の何人かが出入り口を振り返ると、そこには談判の対象である小牧が、状況を呑み込めない様子で呆然と立っていた。


「なんで……なんで、勝手に言い争ってるんですか」


 小牧は説明を誰かに求めるように叫んだ。目元は対戦で敗北した時の涙で微かに赤く腫れている。


「あたしの意志に関係なく、話を進めないでください」


 小牧の訴えに蟹江が宥めるように説明する。


「すまん、小牧。でもな、ここでお前の両親を説得しないと、お前がメモリースポーツを続けられなくなるんだ」

「ええと、あたしはなんて答えれば?」


 継ぐ言葉に小牧が惑うと、両親が咎めるような目を送る。


「梨華。意見があるのなら、はっきり言いなさい」

「そうだぞ。続けるのか、続けないのか?」

「ええと、あたしは……」


 いざ答える段になると小牧はしどろもどろになったが、状況の意味が理解できてくると表情を引き締めて告げる。


「メモリースポーツを続けたいです」


 母親は探るような目で小牧の顔を見つめた。


「その言葉に嘘はないわね?」

「はい」


 小牧はしっかりと頷く。


「勉学をおろそかにしない?」

「はい」

「自分の言葉に嘘はないわね?」

「はい」


 裁判官の判決を待つような沈黙が流れた。

 小牧の母親の次の言葉に、小牧は固唾を呑む。


「わかったわ。許可するわよ」


 娘の強固な意志を受け止めるように、母親は重々しく言った。


「でも、梨華」


 反論が来るのかと、小牧は気を張る。

 が、母親から零れたのは予想外な言葉だった。


「やるからには全力でやりなさい」

「お母さん?」

「聞こえなかったの? やるからには全力でやりなさい。手を抜いたら、すぐにやめてもらいます」

「は、はい。わかりました」


 打って変わった態度の母親からの激励に、小牧は面食らいながらも頷く。

 娘の驚きにも澄ました顔で父親が蟹江に眼差しを戻す。


「蟹江君、君は梨華の師匠だろ?」


 突然向けられた父親の視線に、蟹江は顔を上げる。


「はい。そうですけど、なにか?」


 母親からの許可が下りてしまった理由もわからないまま、蟹江は父親に尋ね返す。


「くれぐれも梨華を甘やかすことのないように、お願いする」

「わ、わかりました。ビシバシと指導していきます」


 急な展開に戸惑いはあったが、真っ当な返答をして父親に頷いてみせた。


「蟹江さん?」


 娘との対話から突然、母親から水を向けられる。


「なんでしょう?」

「あなたの対戦も観戦させていただくけど、よろしい?」


 値踏みするような視線で問うてくる。

 断ろうものならまた態度が拒絶に切り換わる恐れもあり、蟹江はいいですよと返した。


「あなたが梨華の師匠に相応しいか、見定めさせてもらいます。梨華の師匠として不甲斐ないようでしたら、今日の許可を撤回します」

「お眼鏡に適うように頑張りますよ」

 場内アナウンスが、準決勝の開始時刻まで五分だと伝えた。

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