「出られぬシマの呪い神」
地上に魔王が現れれば、勇者もまた必ず現れる。
光と影が対になるように。
強力な闇は、それ自体が強力な輝きを呼び覚ますのだ。
そういうふうに、世界は巡る。
数多の二極が、現れては削り合い、磨き合い……
そういうふうに、世界は成長していく。
世界とは、やがて神に至る物語。
そしてこれは、彼女がまだ、神ではなかった頃の物語。
或いは既に、神となっていた後の物語……。
*
その巨大さの割に一切の窓がなく、閉塞感のあった玉座の間は、いつしか壁や天井のほとんどが崩落し、夜風の吹き抜ける快適な空間へと変貌していた。
「はぁッはぁッ……!」
ボロボロの赤じゅうたんの上に、姿勢を低くし、肩で息をする男が立っている。
表情からは、疲弊の色が隠せない。
もう、どれだけの時間、戦い続けて来たのだろうか。
この玉座の間に辿り着くまで、ずっと戦い続けて来た。
……いいや、もっと昔から。故郷の村を魔族に奪われたあの忌まわしい日から、ずっと、ずっと、一瞬たりとも、気の休まる日などない、戦いの日々だった……。
それでも、両手で握り締めた聖剣からは、未だ力強い魔力が放たれている。
彼は勇者。
勇者、エクスベル。
数々の試練を乗り越え、強靭に成長した、人間の限界点。
一個の生物として、ヒトが到達し得る極地に辿り着きし者。
磨き上げられた刃は、いかなる魔物の首にも確かに届く。
相対するは、魔王。
天地魔界にその名を轟かす災厄の権化――超魔王ゼレス。
その気になれば宇宙を終わらせることさえ可能とも噂された、最強の生命体。
二人がいかにして互いを知り、そして今に至るのかは別の話――或いは既に終わった話。
今ここに切り取られた景色こそ、最終局面。彼らの描いた戦いの軌跡の、終着点。
これが世界の存亡をかけた、最後の衝突。
どちらかが滅びて終わる、一つの歴史の、終端。
窮鼠猫を噛む――という人間の言葉を思い出し。まさに追い詰められた人間の底力というものに冷や汗を流しながら。それでも魔王の顔には、昂る感情が笑みとなって浮かんだ。
――『なぜあの男を今日まで生かしておいたのか。』
それはいつかの夜、最も信頼を寄せる部下だった魔王軍総司令の放った言葉だった。
魔王はその時、それになんと答えたのだったか。
漠然と、それっぽいことを言って、誤魔化したのだったか。
その総司令も、先刻の戦いで命を落としただろう。
階段を上がって来たのがこの勇者一人だけだったという事実が、それを物語る。
勇者を殺そうと思えば、それはいつでもできることだった。
例えばヴェーユの街で、彼が魔王軍四天王の一人に対し致命的な敗北を迎えた直後。
或いはアステル渓谷での戦いにおいて、仕掛けたトラップによって分断された勇者一行を、一人ずつ確実に葬っていくということも……やろうと思えばできたが、結局そうはしなかった。
なぜなら……
(つまらぬ、ではないか……なぁ我が友、
地上支配など、
だが、ゲームだからこそ公正さが必要だ。
人間は、追い込まれれば時に驚くべき力を発揮することもあるという。
ならばそのほんのわずかな奇跡の目を残してやるのもまた、強者としての務め。
(……などと言えば、貴様は納得しなかったろうな……くっくく)
弱ければ死ぬ。
死ぬのは弱いからだ。
それが魔界の絶対的な価値基準。
ガーフィスが死んだのは魔王ゼレスの遊びのためだが、しかしそのことを魔王ゼレスは気に病まないし、死んだガーフィスも全く気にも留めていないことだろう。久しく相対する強者との戦い、その喜びに打ち震えながら散っていったに違いない。
死んだのは――己が弱かったからだと……そう全てに納得し、満足し、笑いながら逝ったに違いないのだ。
仮にそうでなければ、魔族として恥さらしもいいところだ。そんな男を友と呼び、右腕として傍においていた覚えは、ゼレスにはない。
「……我はずっと探していたのだ。我と対等に戦える者を――!」
勇者を見た時、本能が告げた。
ニンゲンは魔族が思っている程の弱小種族ではない。
それは命が短いからか。
そして他の種族より儚く弱いからか。
その瞬間を生きようとする意思の力だけは、時に魔族を凌駕する。
だからきっと――それを丁寧に、刀剣を鍛えるかのように試練を与え、繊細に叩き上げたならば。
その果てには誰もが目を見張る一流の戦士が、生まれるであろう。
それを魔族の誰よりもいち早く見抜いた魔王ゼレスの慧眼の通りに、今、まさしく――
勇者は成長し、強くなった。
魔王ゼレスと、ほとんど互角の打ち合いをするまでに、至った。
その剣も、その鎧も、その力も、その魂も、彼の口にするところの『大切な仲間』から受け継いできた様々な願いを乗せて――彼はついに、魔王と対等に戦うステージまで登り詰めたのだ。
「――感無量ッ! と言わざるを得まい、勇者エクスベルよ。貴様こそ――我が生涯における最高傑作である! くっはははははははははははッ!!」
――そして魔王はギアを一段階上げた。
今、目の前にあるのが自らの手で丹精込めて作り上げた作品であろうとも、それを粉々に破壊することに対し躊躇いは無い。
なぜならあれは、最初から、そのためだけに用意した駒だから。
それこそが今この瞬間、勇者を名乗るこの男に与えられた天命なのだから――!
熾烈な連撃が勇者を襲う。その全てを辛うじて防ぐことは出来ても、次の瞬間、彼の視界に魔王の姿はない。
「どうしたッ、もう目で追えぬのかッ!」
「ッッ!!」
その声で咄嗟に反応し、奇襲を鎧で受ける。
賢者アイレーンが死に際に残した、呪詛に似た力をまとう鎧の硬度は、現存する物理現象での破壊は不可能だと言えるレベルにまでその防御力を高めていた。その鎧に……こともあろうに亀裂が走る。
「くっく……流石に固いな……! 思い出すわ……魔鋼竜との決闘を!」
かつて、魔界の領有権を巡って対峙した強敵を思い出し、魔王は嗤う。
勇者が人々の想いを託されているように、魔王の拳にもまた宿るものはある。
勇者はそれらを背負い、魔王は逆に踏み台にしてきたという違いこそあるが。
ここにきて魔界の代表を名乗るつもりなどないが、今、この瞬間だけはその肩書きを背負うのも悪くない。なぜだかそうした方が、より強くなれる気がする――ゼレスはそう思った。まるで目の前の勇者が、そうであるかのように……ここにきて魔王ゼレスはさらに一皮剥けて強くなる……!
「我は、魔王ゼレス! 我こそが魔界の権化なりッ!」
「おれの聖剣には……明日の平穏を願い、おれの帰りを待つ人たちの想い……そして未来に希望を残し、散っていった者たちの魂が宿っているッ! 誰にも、踏み躙らせはしないッ」
魔王の、今、改めての名乗りに対し……勇者は力強く答えた。
「己が愉悦のためだけに戦う……おまえのような者に、おれたちは負けないッ!」
「ほざくがいい――どんな綺麗事を抜かそうが、この
*
……ザァ……
…………ザァーン
ニャア、ニャア……
――あれから。
どれだけの時間が経ったのだろう。
魔王が次に目を覚ましたのは、どこともつかない浜辺だった。
海鳥の囀り。打ち寄せる波風の音。それ以外は、静寂。
差し込む陽光が、魔王の体を優しく照らす。
起き上がり際、僅かに痛んだ頭に手を触れようとして――右腕が失われていることに気付く。
視線を向けると、肘から下は無残にも捩じ切られ、夥しい量の血が砂に浸み込んでいるのが見えた。
(なんだ……ここは。……我は、勝ったのか……?)
確か、そうだ。勇者との決戦……。
最後の激突があって……視界が、閃光に飲まれ、その後からの記憶がない。
辺りを見渡すが、戦いの痕跡らしいものは見つからなかった。無論、勇者の姿も。
(……フン。決着の瞬間を覚えていないのは惜しまれるが……我がこうして生きているということは、我が勝ったということだな)
どんな形であれ最後に生きていた方の勝ち、というのが魔界の慣習だ。決着の瞬間を覚えているかどうかはさておき、自分が死んでいないのならば、一旦はそういうことにしておいていいだろう。
魔族の治癒力をもって、失った腕を再生する。
その意思を込めなければ再生が始まらなかったことから、勇者の放った攻撃が生半可なものでなかったことが窺える。
それだけに、惜しい。躊躇いは無かったとはいえ、壊してしまうのはあまりにも惜しい、逸材だった。
(――まぁ、良いだろう。純粋な魔族の一生は長い。時間を費やせばいずれは、我が真の本気を見せるに値する――勇者エクスベル以上の逸材を作り出すこともできようぞ。コツは既に、掴んだからな……くくく……)
どんなものにも終わりは必ずやってくる。
楽しかった勇者との戦いはもはや過去のものだ。
魔王ゼレスは気持ちを次へと切り替え、流れた血液から衣服を再構成し、黒き翼を広げて高く飛び上がった。
見下ろすと陸地の輪郭が見えた。どうやらここは絶海の孤島らしい。
遺跡のようなものが点在しているが、ヒトの気配はない。全周は、大陸にある小国より一回り小さく、徒歩でも三日もあれば一周できる程度だった。
来たことのない土地だったが、さして興味の引かれない、他愛のない辺鄙な孤島だった。魔王は目線を再び、水平線の彼方へ向ける。
次の勇者を育てよう。
適当な村を一つ、戦火に包めばいい。
エクスベルと全く同じ運命を辿らせて、エクスベルより強い勇者になるかどうかを実験してみるのも面白いかも知れない。
魔族の一生は長い。人間の人生などいくらでも繰り返し遊べるほどに。
ニンゲンなど所詮、ゲームの駒なのだから。
いくら殺しても無限に湧いてくる、便利な道具なのだから。
気に入らなければ何度でも崩そう。
何度でも並べ直し、何度でも繰り返し遊ぼう。
魔族にとって、こんなにも都合の良いオモチャが他にあるだろうか。
これで遊ぶのは――極上の快楽だ。
この快楽は誰にも譲らない。
このゲーム盤は、我のためだけに存在すれば良い――!
魔王は遥か彼方にあるはずの大陸を目指し、そのまま飛翔状態を維持して海上に出る。
海鳥を追い越し、雲を突き抜け――ほんの数秒の後。
少女は、忽然とそこにいた。
「…………」
まるで角のように見える二本の黒い毛並みを備えた、白髪の少女だった。
翼はなく、ただ天空に立っていた。
それだけで充分、人間ではないと判断できた。
だが、人間でないなら、何だというのだ。
魔族とも違う。同類の気配では、断じてない。
あれはもっと異質で、得体の知れない、ナニカだ。
魔王はその場にとどまり、少女と向かい合った。
「……何者かな? 我の前に立ち塞がるとは」
返答はない。
いや――あったのだろうか。
いずれにしても魔王には何も聞こえなかった。
「だんまりか。……やれやれ。我はこれでも紳士的な方でな? 出来れば素直に道を譲っていただきたいのだが……」
と、魔王が告げた次の瞬間。
先手を奪ったのは魔王自身だった。
その一振りで街を消し去る凶悪な拳をもって少女の顔面を――撃つ。
それも一撃ではない。
少女がそこからいなくなるまで、何発でも叩き込む。
秒間数百発にも及ぶ連打、連打、連打――
もはや跡形もなく消し飛んでしまったことだろう。実に哀れな少女だった。魔王の前に立ちふさがるなどという無礼を働きさえしなければ、もっとマシな死に方もあったろうに。もっとも誉れ高き魔王の手で直々に殺されたのだから、逆に名誉なことかも知れないが。
――と、思ってからすぐに、魔王は気付いた。
何百発も打ち込んだのに、まだ殴打の手ごたえがある。
跡形があるとかないとか、そんな次元の話ではない。
堅い。
堅過ぎる。
あまりにも。
あの勇者の鎧でさえ、ここまでではなかった。
「……」
恐る恐る拳を下げた、その向こうから。
少女の冷たい瞳が、魔王の顔をじぃっと見つめていた。
……その目を、魔王は知っている。
それは……品定めをする時の目だ。
相手を試し、測り、値踏みする時の……そして。
少女の瞳に、ほんの僅かに落胆の色が見えた刹那。
魔王は己の置かれた状況を理解し……人間の外殻を捨てた。
「はぁぁぁぁぁああああああああああッッ!」
あの勇者エクスベルとの戦いの時でさえ温存していた、
全身の骨格を魔族時代のそれに回帰し、昂る魔族オーラ全てを攻撃力に変換した純然たる魔王の真の姿である。
そこにはもう、数秒前までの人間に似た姿は影も形もない!
顕現せしはまさしく魔界の支配者の肩書きに相応しい、異形オブザ異形――!
この
どんなに追い詰められようとも、なりふり構わなければ負けることはないという、確かな実感があったのだ――
その、温存していた力を解き放ち、さらに眠れる潜在能力の全てを解放し、これ以上なく、掛け値なしの全力を発揮した魔王の体は、音速の壁など容易に突き破って少女の体に蹴りを見舞う。
内臓は破裂しただろう。
骨は砕けたに違いない。
体がくの字に折れ曲がって悶絶するなんて生易しいものではないはずだ。
ずっと拳で戦ってきたが、普通に考えて拳より足の方が強いのは至極当然。
華奢な少女の体など、絹豆腐のように容易く粉々に砕け散って然るべき!
それが自然の理!
宇宙の真理!
それ以外の結末などない!
ない!
あってはならない――!
…………そして、宙を舞う、魔王の右足。
それは少女の初速が魔王を上回り、その反撃を成立させたという、証。
勇者の剣さえ受け切れる魔族の体を切断するなど、地上の物理現象では絶対にありえないはずだ。
いったいどんな武器でそれを成したというのか。
それが知りたくて目を見開いた魔王だったが、これから目に視えるであろう光景に対しては、特に何の期待もしてはいなかった。
(……ああ。分かっていたとも)
最終戦闘形態に移行し、全力を解放したことによって、逆に。
逆に彼は、その瞬間に全てを理解していたのだから。
(我は、この少女の、足元にも及んでいない。レベルの桁が、違う。違い過ぎる。生物としての格が。存在が。何もかもが……我の命の全てを費やしたところで、くくくく……この小娘の全てに、何一つとして届かぬわ……)
最果て、だ。
この少女こそ、夢にまで見た強さの果てなのだ。
決してこの手が届くことのない、魔界にいた時、あれほど渇望していた――
「……うつく、しい」
魔王は少女に手を伸ばす。
それに応えるように、少女がゆっくりと手をかざすと……
魔王の体は、その存在の力の差に耐え切れず……粉々に、消し飛んでいった。
「お世辞は要らない。私はうつくしくなんて――ない」
黒き残滓となって空に消えゆく魔王を見送る。
結局、彼女はそれがこの世に破滅をもたらすはずの魔王だったということさえ――知らないのだった。
*
この世界には、立ち入れば二度と外には出られない『最果て』と呼ばれる海域があった。
勇者は初めから魔王がそこに飛び込むように計算して最後の戦いに臨んだのだろうか。
それとも、単なる偶然でそうなったのか。
真実は、誰も知らない。
なぜなら勇者も含め、その最後の戦いに臨んだ人間は、誰一人として生き残れはしなかった。
故にその壮絶な決着の真相を後世に語り継ぐことは、誰にもできなかったのだから……。
一つだけ確かであるのは――それから五百年ほどが経った後の世界にも、人類の歴史はまだ紡がれていたということだ。
魔王の手で滅びを迎えるはずだった世界は、確かに今日も続いている。
勇者の願った、争いのない平和な世界――とまではいかなかったが。
彼の戦いは、無駄ではなかった……はずである。
……。
そして。
最果ての孤島の海上。
「――グメちゃん、グメちゃん! ぼーっとしてる場合じゃないですって! ほらっ、なんか艦隊が来てます! なんですあれ!? なんか空飛んでますけど!!」
「んー? あー、あれは宇宙戦艦ね、きっと」
「うちゅうせんかん!! この時代にありますかそんなの!? オーパーツ過ぎませんか?!」
少女は今日も、心地よく潮風の中を漂っていた。
そんなマイペースな彼女に、海から頭だけ出す人魚娘が、慌ただしい声をかけている。
「問題ないわ。何をもってきても。誰を連れて来ても。決してこのシマからは出られない。それが私の【Law】だから」
――この世界には。
今もまだ、立ち入れば二度と外には出られない島がある。
「私を殺せなきゃ――出られない。そして誰にも私を殺せない。だから、絶対に誰も出られない――」
『世界の最果ての孤島』――その海上に、今日も戦渦が巻き起こる。
島からの脱出を願う者たちと、それを阻む呪われし神の――相容れぬ戦いが。
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