02.現在地の想像と妄想
「とにかく、みことちゃんのママを探しに行こっか!」
とりあえず行動すべきだと、結衣香がそう提案した。結衣香がみことにママの特徴を聞くと、少女はたどたどしく答え始める。
幼い印象のみことだが、思ったよりも落ち着いている。この歳で母親とはぐれたとなれば、泣き叫んでもおかしくないだろう。普段から手のかからない、いい子なのかもしれない。
周囲を探してみると、同じバスに乗っていた数人を見つけることができた。しかし、どうしてこんなところにいるのか、知る者はいない。
通勤時間帯のバスだったこともあり、全員が早くここから出たがっていた。サラリーマン風の中年男性は、ひとり怒鳴り声を上げている。
「これじゃあ、会社に間に合わない! 責任者はどこだ!!」
だが、その男がいくら訴えかけても、答える者はいない。
人が集まっている地点を経由しつつ、都築たちは部屋全体をぐるりと回って歩く。しかし、みことの母親は見つからなかった。バスに乗っていた全員が、この部屋にいるわけではないらしい。
「大丈夫だよ。ママが見つかるまで、一緒にいようね」
結衣香がみことを元気付けようとするが、少女は不安なそぶりも見せずにうなずいた。
子供らしからぬ落ち着いた態度に、都築はなんとなく違和感を覚える。しかし、それを言語化することはできなかった。
「とりあえず、僕らも出口を探してみようか」
都築はそう言って、近くの壁を指差した。結衣香たちをうながし、そちらに向かって歩き始める。
都築は提案してみたものの、すぐに出口が見つかるとは考えていなかった。ずいぶん前から、人々が出口を探し回っているのだが、見つかった様子がないのだ。
中には隠し扉でも探しているのか、壁の端から端まで、コツコツ叩きながら進んでいる者もいた。
「いったい、これは何の建物なんだろう?」
広い室内を見回し、都築はそうつぶやいた。
「テレビのセットかな? どこかから、隠し撮りされてるのかも!」
おどけた表情で、結衣香がそう言った。彼女の言いたいことも、分からなくはない。この部屋は、あまりにも異常すぎるのだ。
「ドッキリにしては、手が込んでるな……」
これだけの規模とコストで、番組を作るのは難しい気がする。ましてや、了承なく一般人を巻き込むなど、許されることではない。
「悪の組織に、誘拐されたのかな? 私たち、人体実験されちゃうかも!」
結衣香がふざけてそう言うと、都築はネタを被せて返した。
「酔狂な金持ちが、この部屋を作ったんだよ。これからそいつと、命を賭けたギャンブルが始まるんじゃないか?」
ありがちな設定のネタ振りに、ふたりは顔を見合わせて苦笑する。
都築は歩きながら、建物の天井を見上げた。屋根の骨格や照明などの器具もなく、床と同じく、平面が端から端まで続いている。
部屋全体が昼間のように明るいが、天井自体が発光しているのだろうか? 技術的には可能な気はするが、どんなに新しく立派な施設でも、そんな照明は見たことがない。
「実は、この部屋は宇宙船! 部屋の外は、もう宇宙! 地球はすでに滅んでいて、人が住める新しい星に向かってるのだった!」
思いつきをそのまま口にしているかのように、結衣香の話が続く。都築は苦笑しながら、覚えていた一節を口にした。
「ここには、すべての動物のつがいが乗せられているとか?」
「そうそう! ノアの箱舟でしょ!?」
その手の話が好きなのか、結衣香は細かな表現に反応した。
「神話って、面白いよね。知ってる? 虹って、神様との契約の証なんだって!」
結衣香はそんな豆知識を披露したが、都築は別の考えに囚われていた。
「人類は、滅びている……か」
「え?」
都築のつぶやきに、結衣香は怪訝な表情で聞き返す。
「ここは核シェルターで、爆発から救助された人々が集められた。時計の時間がおかしいのは、爆発の電磁パルスの影響……と考えると
結衣香の表情が一瞬硬直したが、すぐに軽い口調で笑った。
「もう、怖い話はやめてよ!」
彼女の話すテンションが高いのは、不安を隠すためなのかもしれない。冗談と笑い飛ばすには、今の状況は特殊すぎるのだ。
都築は不安をあおる発言を反省して、結衣香に軽く微笑みを返した。
そうこうしているうちに、目指していた壁際に到着する。
目の前の壁に、そっと手を触れてみた。コンクリートでもプラスチックでもない、なめらかで手触りのいい、不思議な感触だった。
都築はこの建物に、ずっと違和感を感じていた。用途が全く想像できないのに加え、かすかな傷や汚れひとつない。きれいすぎて建物に現実感がないのだ。
結衣香が隣で、壁を軽くノックしていた。
「変な建物だよね。新築よりも、新しいというか……」
彼女も、同じような違和感を覚えているようだった。
都築はふと、足元の壁に視線を落とした。膝をついて凝視すると、床と壁が接している部分が、定規で引いた線よりも正確にまっすぐと伸びている。それを見て、都築の中の違和感が、確信へと変わった。
「完璧すぎる……」
「どうしたの?」
かすかなつぶやきに反応した結衣香に、都築は先ほど見ていた、床と壁の境目を指差した。
「どんな建物でも、壁の接地面には多少の隙間や歪みができるはずだ。けれど、この建物は、無意味なほどに正確だ……」
「仕事が、すごく丁寧ってこと?」
結衣香には、そのすごさがいまいち伝わっていないようだった。
「こんな精度で建物を作る必要は、まったくないはずだ。倍どころではないコストが、かかってしまうはず……」
都築は改めて、部屋全体を見回した。
「これだけ大きな建築物なのに、柱が一本もない。これを建てるのは、今の技術では無理なのかもしれない……」
都築が言いたいことをやっと理解したのか、結衣香は息を飲んだ。
「それって……」
人が建てたものではない、とするならば――。
「さっきの説だと、宇宙船というのがいちばん有力かも……」
都築は、天を仰ぎながらそう答えた。
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