1日目

01.何もかもが白い部屋

 都築つづき 浩輔こうすけは、目を覚ました。


 まだ脳が完全に覚醒しておらず、思考がぼやけている。ゆっくりと起き上がろうとすると、床に直接寝ていたせいか、体の節々が痛んだ。


 ……どうして、床に寝ていたのだろう? 受験勉強の途中で、寝落ちでもしたのだろうか。


 いや、昨日は早々に寝てしまい、いつもより早起きして、学校に向かったはずだ。


 ――その途中で、急に記憶が途切れている。


 徐々に、目が光に慣れてきた。そして、ずっと眩しいと感じていたのは、自分が異常な部屋にいるためだと気づく。


「どこだ、ここは?」


 そこは、不思議な空間だった。何もかもが、真っ白なのだ。壁も、床も、天井も。


 しかも、扉や窓も含めて、内装と呼べるものが何ひとつなかった。白く真新しい壁が、四方に広がっている。


 都築は美術室で見た、デッサン用の立方体を思い出した。陰影で立体感がつかめるように、全体が真っ白な正六面体。まるで、その中に入ってしまったかのような印象だった。


 ただし、サイズはとてつもなく大きい。広さは、校庭にある陸上トラック程度だろうか。部屋というより巨大なホールで、真新しい建物というよりは、単に空間といったほうがしっくりくる。


 そして、多くの人々が、そこに横たわっていた。


 100人以上はいるだろうか? 小さな子どもから、高齢者まで。そんな多様な人々が、地面に倒れている。


 異常な光景に緊急事態を想像するが、近くに倒れていた人の様子をうかがうと、安らかな寝息を立てていた。全員が同じように眠っているだけで、特に心配はなさそうだ。


 どうやって自分はこの部屋に来たのだろうか?


 都築は改めて、今朝の行動を思い出す。いつものように朝食を食べ、参考書片手にバスに乗り……。


 やはり、そこからの記憶がない。


 さらに思い出そうとすると、腹部がかすかにうずいた。その感覚はすぐに消えてしまったが、妙に気になる違和感だった。


 都築はズボンのポケットに手を入れ、そこにピルケースがあることに安堵する。スマホもポケットに入れたままだったが、持っていた通学カバンが見当たらない。たいした金額は入っていないとはいえ、財布ごとなくしてしまったのは痛い。


 時間を知るためにスマホを見ると、時計が0時を示し、点滅したまま止まっていた。


「まいったな……。壊れたか?」


 いくつかの操作を試すが、時間表示以外、これといった不具合はなさそうだ。同時に、アンテナの表示が消えていることにも気づく。


 通信さえできれば、この場所がどこかはすぐにわかるだろう。どこかに電波が届く場所がないか、確認しなければならない。


 念のため、すべてのポケットの中を確認する。ズボンのポケットに奥まで手を差し入れると、指先に小さな感触があった。



 何かと思い取り出すと、それは小さな『たま』だった。



 不思議な質感と、色合いの球体。大きさは、パチンコ玉よりもやや小さいだろうか。色や質感は真珠に近いが、よく見ると珠の中心で光が滞留たいりゅうし、輝いて見える。それは夜空の星が瞬くような、見ていて吸い込まれるような美しさだった。


 明らかに貴重なものだと感じ、都築はそれを慎重にポケットに戻した。


 いつの間に、紛れ込んだのだろうか? これが高価なものだとしたら、それを持った自分がここにいることは、何か関連性があるのか?


 そうこうしているうちに、寝ていた人々が起き始めた。しかし、誰もが戸惑っている様子で、事情を知る人間はいないらしい。出口を求めて壁をたたいたり、責任者を出せなどと声を張り上げる人もいる。


 先ほどの静寂がうそのように、周囲がざわめき始めた。


 自分たちはなぜ、こんな何もない場所に集められたのだろうか? これほどの人間を、本人に悟られることなく、いったい誰がどうやって集めたのか。


 このままじっとしていても仕方がないと、都築が部屋を散策しようとしたとき、見覚えのある人影が目の前を横切った。


 ナチュラルボブがよく似合う、制服姿の女子高生だった。


 光を受けてほんのり茶色がかった髪が、動くたびにひらりと揺れる。学生らしく飾り気はないのに、その瑞々しい透明感が周囲の視線を引き寄せていた。だからこそ、彼女が同じバスに乗っていたことを、彼ははっきりと覚えていたのだ。


 彼女は小学生低学年くらいの、幼い少女に声をかけている。


「ねえ、あなたも同じバスに乗ってたでしょ? ママは、一緒じゃないの?」


 その女の子も、都築たちと同じバスに乗っていたらしい。


 ナンパと警戒されないかと心配しつつ、都築は声をかけてみることにした。幸い、同じバスの乗客だったことを、彼女も認識していてくれたようだ。


「よかった、知ってる人がいて!」


 正確には知り合いではないのだが、彼女は少し安堵した表情を見せた。同年代の都築と話すことで、少し安心したらしい。


「私、相ケあいがせ 結衣香ゆいかです」


 彼女は襟に黒いラインが入ったブレザーに、チェックのスカートを着ていた。それは近所の私立高校の制服で、赤いリボンは1年生の証だった。つまり、都築より2歳年下ということになる。


「起きたら全然知らないところだし、ひとりじゃ心細くて」


 彼女から鮮やかな微笑みを向けられて、都築は少しドキリとした。乗客として印象に残っていたのも、彼女からあふれる愛らしさが、自然と目を惹いたからだった。


 隣にいた少女も、小さな声で自己紹介をした。


「みこと。ゆあさ……みこと、です」


 苗字は、柚浅ゆあさと書くらしい。小学1年生ということは、6歳になるだろうか。きれいな黒髪のロングヘアで、シンプルなワンピース姿の少女は、まるで人形のように見える。年齢の割には、とてもおとなしい印象の少女だった。


 彼女は母親と一緒にバスに乗っていたのだが、いつの間にかはぐれてしまったらしい。


「みことちゃんのママ、探してあげたいんだけど……」


「そうだね。一緒に探そう」


 結衣香の提案を、断る理由などない。


「都築くん、今何時かわかる? 私のスマホ、時間がおかしくて……」


 スマホをのぞいた結衣香が、困惑した表情でそう言った。彼女のスマホも、都築と同じように時計が零時で止まっているらしい。


「俺のもだよ。まさか、全員同じ症状ってことなのか?」


 おかしな状況に、都築は眉をひそめる。


 電波が届いていないのはわかるとして、どうすれば全員の時計がリセットされてしまうのだろうか。誰かに細工されたなど、信じたくはない。


「アナログの腕時計も、止まってて……」


 そう言って、結衣香が左腕を差し出した。彼女の時計の針は、きっかり0時を指して止まっている。都築と結衣香は、目を合わせて途方に暮れた。


 地味に、理解を超える出来事が続いている。まだ身の危険を感じることはないが、気味の悪さはぬぐえない。

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