第1話 化け物の住む屋敷
不思議だと思う。
自分が生きているということが。
何も食べずとも、眠らずとも、この身体は悲鳴のひとつもあげやしない。
死にたいと思ったこともある。けれどおれにはその方法がわからない。
首を絞めても、身体中を刺しても、毒を飲んでも駄目だった。この分だと、きっと、細切れにしても生きているのだろう。
だからもう、諦めることにした。もしかしたらおれは、すでに死んでいるのかもしれない。そう思うことにした。
おれは広い庭のある大きな屋敷にひとりで住んでいる。特にすることもないから、その庭を手入れしたり、屋敷の掃除をしたりして、毎日を過ごしているというわけだ。
何も変わらない、さみしい日々。例えば頑丈な建物が、風雨にさらされて少しずつ朽ちていくように、日の光を浴びて雨風に打たれていれば、おれも少しずつ削り取られて、死ねるのではないかと、そんなことを考えたりもして、日が出ているうちは外にいる。
庭の花々がきれいだと思ったり、風が心地よいと思ったりする心はある。けれど、それがなおさら悲しい。そんなことを思ったところで、話す相手もいないからだ。
これまでもひとり、これからもひとり。ずっと。
そいつが現れたのは、そんなある日のことだった。
脚立に腰掛け、庭木の剪定をしている時だった。かしゃん、かしゃん、という、柵を叩く音が聞こえたのである。何だ何だと、腰を上げる。客人だ、と喜んで出迎えたのなんてもうずっと過去の話だ。どうせ皆、おれの顔を見たら、腰を抜かして、命からがら逃げていく。
「助けてください」
柵を叩く音に混じって聞こえたその声は、震えていた。寒いのだろうか。怖いのだろうか。いずれにしても、おれは何から『助ければ』いいのか。
ゆっくり近づいてみるとその声の主は若い女だった。多少汚れてはいるがこぎれいな恰好をしていて、けれども、靴は履いていなかった。
「気の毒に。助けを求めて来たらしいが、ここは化け物屋敷なんだ。ほら、おれを見ればわかるだろう?」
正直にそう言った。
以前、この顔をどうにか隠してもてなしたことがあるのだが、何かの弾みでそれがバレた時、そいつは食べたものをすべて吐き出して一目散に逃げてしまったのである。食べないでくれ、なんてことも言ってたっけ。おれは人なんて食べないのに。
しかし、女は不思議そうに首を傾げるのである。
「見てもわかりません」
「そんなはずはないんだが。もしかして、お前、目が見えないのか?」
よくよく見れば、彼女の目はちょっと不思議な色をしていた。緑だったかと思うと、次の瞬間には青く、かと思えば黄色に、と、ころころ変わるのである。
「見えています。あなたのことも、ちゃんと見えています。だけど」
「だけど?」
そこで女はためらうような素振りを見せた。
ははぁ、成る程、その返答次第で、おれが気分を害するんじゃないかと考えているわけだ。何、ひどいことを言われるのには慣れてるんだ。別におれは何と言われたって構やしない。
「何も正直に言えばいい。おれは自分の顔をちゃんとわかってる」
頬に触れ、ざらりと撫でる。おれの顔はどこもかしこも歪だ。目鼻口の数は多いわけでも少ないわけでもないが、それらの形もどことなく歪んでいて、皮膚もところどころやすりのようにざらざらしていたり、毛がもじゃもじゃと生えていたりとつぎはぎだらけだ。おれはずーっとこの顔だから慣れているが、おれを見た人は自分達との違いに驚く。
女は、ええと、などと言いながらちらちらと後方を確認している。ああそうか、助けてください、と来たわけだから、追われているなりしているのだろう。
「いずれにしても――、お前がおれを恐れないのなら、中に入ってもいい。おれは見た目は化け物だけど、お前を食べたりとか、傷つけたりとか、そういうことをするつもりはないから安心しろ」
そう言って、柵を開ける。別に大層な鍵がかかっているわけではない。錆びてぼろぼろの打掛錠がひとつついているだけだ。それだって、柵の隙間から手を入れて外すことだって出来る。
別に泥棒が入ったって構やしない。金品の類もないし、襲われて死ねるなら儲けものだ。
女を招き入れると、やはり追われてでもいるのか、彼女は一刻も早く室内に入りたいと見えて、小走りで距離を詰めてきた。思わず同じ速度で後退する。おれは、人間の――それも若い女が近づいていいような姿かたちではないのだ。
だが。
彼女はお構いなしに向かってくる。急いで屋敷のドアを開け、素早く身体を滑り込ませると、彼女もその後に続いた。
ギィギィと嫌な音を立てる戸を閉めると、やっと落ち着いたのか、彼女は胸に手を当てて、ほぅ、と息を吐き、おれを見上げた。
怯えるぞ。
いまに、泣き叫ぶぞ。
さっきまでは中に入るために必死だったから、それどころじゃなかっただけなのだ。こうして安全を確保したら、現実に気づくはずだ。とんでもない化け物屋敷に来てしまった、と。
そう思っていたのだが、その少女は、おれがじぃっと見つめても悲鳴すらあげない。成る程、恐ろしすぎて声も出ないか。
しかし彼女の顔は恐怖に引きつってもいない。それどころか、微笑んでさえいるのである。なぜだ。そうなるとこちらの方が何だか落ち着かない。
「なぁ、あまり見ないでくれないか」
「どうしてですか?」
「慣れてない。それに、見ていて気持ちの良いものでもないはずだ」
「そんなことはありません」
そんなことがないはずはない。
おれは、醜い化け物なんだ。ちゃんとわかってる。
「やっぱりお前、目が見えないんじゃないのか?」
「いいえ、ちゃんと見えています」
「じゃあ、よほど悪いんだな。ちゃんと見えてはいないんだろ」
「まさか。向こうの柱にかかっている時計だって読めます」
「じゃあどうして」
どうしておれを恐れないのだろう。
そう首を傾げるおれに、その女は言った。
「私は、大人の頭だけが別のものに見えるのです」
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