第六章 1


上がっては落ち、落ちては、思わぬ幸福に恵まれて来た私の人生であったが、不思議に、健康には、これも恵まれて来た。

これまで、入院をしたことは、一度もなかった。

このことは、本当に両親に感謝する他はなかった。

私は、殆ど下戸であった。

だから、仲間や編集者たちとの、酒場での付き合いも、薄いウーロン茶で割ったウィスキーも、なめるように飲みながら、更にウーロン茶を注ぎ足していた。

それが、丁度、七十才で、脳梗塞で倒れた。

予想もしていなかった。本当に参った。

右手、右足に障害がきたが、これをリハビリで治す他なかった。

歩き、手足を動かす他なかった。

発見が早く、治療が早かったので、手足の方は順調に治っていった。

しかし、問題は言語であった。

声を出して、文章を読むことは出来ない。

文字は書けなかった。

けれども、ここで、負ける訳にはいかないと思った。

何か良いリハビリ法はないかと、真剣に考えた末に、とんでもない方法を思いついた。

体が動くようになったので、東京にあったものは、全てたたんだ。

東京別院を西新橋に造ってあったのだが、それもたたんだ。

事務所も閉じて、二部屋のマンションも売った。

売り食いなので、当然であった。

それでも、旧作をなんとか、リメイクして、出発した。

そういう仕事のために、芝に、ワンルームマンションを借りて、旧作を売り歩いた。

親本の小説を文庫本にしたりした。

そうやって、食いつなぐ他なかった。

新作はとても書けるものではなかった。

「文章を書けるようにならなくては」

と思いついたのが、PCの出会い系であった。

正確には「出会わない系」であった。

私の方が、限られた文字数の中で、文章を送ると、必ず、返事が返ってくる。

オペレーターがいて、打っているに違いないのだが、返事が絶対に返ってくるというのが、ミソであった。

限られた文字数の中で、文章を打っていくのである。

ローマ字変換であったから、先ずローマ字を覚える。

それが、“ひら仮名“になる。そして、漢字になおす。

これが、言語野に良い刺激になって行くのであった。

これが、言語野への最高のリハビリになっていったのである。

月に七十万円分位のビットキャッシュを使った。

すると、三月目ぐらいには、かなりのスピードで、文字が正確に打てるようになっていったのである。

次に、毛筆で、五十音の文字を大きく書いていった。

それを、少し時間を置いてから、間違ったところを直してゆくのである。

私には、出会い系サマサマであった。

しかし、それをワンルーム部屋で、一人で打っていると、たまらなく悲しくなっていった。

あるとき、気晴しにと思って、「ロッキーファイナル」のDVDを買ってきて、一人で観た。

観ているうちに、涙が出て、それが止まらなくなって、声を上げて、一人で泣いた。

画面のロッキーに向かって、

「あんたは、良いよ。勝とうが負けようが、リングという目標があるじゃないか。オレには、そのリングは、もうないんだよ」

と声を出して泣いたのである。

思い切り泣いた。

その後は、とてもサッパリした気持ちになった。

「ありがとう『ロッキーフィナル 』」

ただ、――

(今のオレは闘えないんだよ)

残りの涙の一雫を、膝の上に垂した。

夜中だった。

部屋の明りを消して、布団によこたわった。

しかし、眼が冴えて眠れなかった。

「七十一歳か...」

すでに倒れてから、一年が経過していた。

都会の夜だ。

第一京浜道路沿いに、部屋はあった。

一晚中自動車のタイヤの音が響いた。

それが時折、悲鳴のように聴こえることがあった。

窓の閉めたカーテンの隙間から、街の明かりが飛び込んでくる。

なにもない。花も、絵もない。

「オレの原点に戻っただけなのに」

ただ、ここから、どうやって、不死鳥のように、舞い上がれというんだ。

羽の折れた、歌を忘れたカナリアじゃないか。

いや、単なる、都会のドブネズミだ。

「一番電車で、伊豆に帰ろう...」

そこには、寺があるはずだ。

そこで、経典を唱えてみよう。

誰のためでもない。

自分自身のための経典だ。

寺に戻って、仏たちと、向き合った。

それまでの私は、作家の私であった。

何とか旧作を売ろうとしていた。

しかし、娛楽は多様化していた。

紙媒体から、ユーザーの興味は、電子媒体に移っていたのである。

しかし、電子媒体の印税率は、余りにも安価であった。

単位が、一桁も二桁も違っていた。

今の出版社の状態では、新作でも、持ち込んでも、売れないだろうなというところなのだ。ニーズがないのである。時代の潮流であった。

旧作では、なお売れないなという、予想がついた。

賞を取ったといっても、話題になるのは、芥川賞と直木賞の、二つくらいなもので、他の賞では、見向きもされない。

(時代が変わってしまったのだろうな。もう出版は無理なのかもしれない)

という気分が、出版社内にも横溢していた。

寺に戻る前に、借りていたワンルームマンションを返却して、引っ起し業者も頼んできた。

たいした荷物もないので、荷造りごとやってくれる業者を頼んだ。

これで、キレイに、東京には、なにも無くなった。

用事のあるときは、ホテルを使えば、一万円のホテル代で、八泊出来る計算をしたのである。

寺に戻って、海に向かって、

「なにも無くなったぞ――」

と叫びたい気持であった。


そのあとで、経典を読誦していると、不思議なことが起こった。

それまでは、こんなに言語野がやられていたら、お経を上げるのも無理だろう、と勝手に思っていた。

舌が、まるで廻らないのであった。

陀羅尼などは、インドの言語である。

発言が土台、無理だと思っていた。

お母さんが、頭を丸めて、尼僧になって、私の代わりに、檀家さんの法事のお経を上げて、寺を守っていてくれたのである。

諦めていた読経を、倒れて以来、初めて、上げてみた。

すると、経典は、淀みなく、大声で上げることが出来たのである。

日常経典から、同向文、通夜、葬儀の経典まで、さらには、引導香香語も出来た。

しかし、日常の会話は、無理であった。お説教も、無理であった。

「これならいける。無理に説教をすることはない」

生きる道が拓けたのであった。

(捨てる神あれば、拾う神ありだ)

「葬儀社からの頼まれ仕事は、やらないといっていたが、誇り(プライド)だけでは、食輪は廻らない。知りあいの葬儀社に、売り込みを掛けてくる」

と、お母さんに、やる気を見せて、そういった。

会長の代から親しくしていた「K」社の社長を訪問して、通夜、葬儀の仕事をしたい旨を伝えた。

「K」社の仕事だけでも、やっていけるのであった。

(仏様に、救われた)

と思った。

仕事は順調にいっているように見えた。

しかし、そういうときほど、気を付けなくてはいけない「魔」が入った。

「N」という、乞食坊主を集めて、葬儀に派遣して、マージンを取っている、僧侶もどきに、入り込まれてしまったのである。

彼が「K」社の仕事を喰い荒らしていったのであった。

一難去って、又一難である。

「N」には、去ってもらった。

現在、人の死には、欠かすことのできない、葬儀、墓苑の世界が、戦国時代を迎えている。

「直葬」で焼骨にした「遺骨」を、自動車で、高速道路を走りながら、まき散らしていく。

それを、次から次と走ってくるトラックや、乗用車は、轢き潰してゆくので ある。

焼骨となった骨というのは、脆いものである。

たちまち、粉塵となって、風に舞い散って、跡形もなくなってしまう。

これを「カー葬」と呼んでいる。

少くない数で、現実に行われているのである。

生きている人間が、やっとの思いで、派遣社員で働いている。

いつ雇い止めになるか、判らないのである。

住いは、漫画喫茶店で、辛うじて、雨露をしのいでいる。

しかし、それも、コロナ騒動で、漫画喫茶を閉められてしまった。

路上生活にならざるをえない。

そんなときに、身内に死者が出ても、どうしてやることも出来ない。

駅の待合い室に、壺から、プラスチックの容器に入れかえて、ビニール袋に入れて、忘れものという体で、捨ててくる。

捨てる気なら、どんな方法でもあるだろう。

捨てるのには、しのびないという者は、自宅の押入れに、入れておく他はない。

一説では、この“押入れ墓”が、全国で、七百霊はあるというのである。

「これは、いけない」

と私は思った。

咄嗟に、幼い日に見た、焼け野原に立ち上っていた数十条の、荼毘の煙が、眼前に浮んだのである。

私の原風景の一駒であった。

(日本人は、あんな究極の場面でも、多くの人を弔ってきたではないか)

「それなのに、今、なぜ、人々は、人の死を粗末にするのだ?」

お母さんに、そういった。

「そう思うのだったら、自分がやるしかないでしょ。僧侶なんだから」

そこで、決心をした。

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