第8話 嵐の予感
公爵家の夕食は、貧乏侍だった前世と比較すると信じられないほど豪華で、それは鉄造の人格を有する今のサンドラには罪悪感すら抱かせるものだった。
「どうした、食べないのか? ようやく先生から許しが出た、久しぶりの普通の食事だろう。まだどこか痛むのか?」
公爵が心配そうにサンドラの顔を覗き込む。
「いえ、一度は死を覚悟した身。再び父上と夕餉を共にできる幸せを噛みしめておりました」
その場を取り繕うための言葉だったが、まんざら嘘でもない。悪役令嬢サンドラも、人並みに父親を愛していた。その感情は、今も引き継いでいる。
「おお、サンドラ。大事故を乗り越えて、人間が一回りも二回りも大きくなったようだな。言葉使いから、以前と違って品格が感じられるぞ」
公爵は手放しで褒めるが、マリー夫人は首を傾げた。
「そうですか? 私には何だか騎士様のように思えて……」
やはり繊細な部分に女性は敏感だと思いながら、サンドラは話題を変えようと公爵に話を振った。
「ところで父上、お仕事はいかがでしたか?」
「父上はなんか嫌だな。いつものように、お父さまと呼んでおくれ。ワッハッハッ……」
公爵は、ワインが入ってご機嫌である。
「……それにしても、そんな事にも関心が出てきたか。おしゃれにしか興味がないと思っていたが、親が留守でも子は育つものだ。ハッハッハッ……」
ところが、急に真顔になった。
「……しかしな、ここにきて少々きな臭い話になってきてな。少し病弱で変わり者だが、月のように聡明で才気煥発な第一王子。片や、頭脳では兄に譲るが、質実剛健で太陽のように人を引きつける第二王子。通例であれば、第一王子が次期国王候補となるところだが……」
サンドラの胸中を嫌な予感が走る。
「第二王子を次期国王に担ごうとする輩が出てきた、という訳ですね」
公爵の眼が丸くなった。
「こりゃ驚いた。なぜわかる?」
「古今東西、年の近い兄弟の家督争いは世の常と申します。それも一国の王位ともなりますと、騒ぐのは王子ご本人ではなく、周りの家臣かと」
「あ……ああ、全くその通りだ」
実はサンドラは、前世で似た話を知っていた。
第三代将軍徳川家光と、その実弟忠長の悲劇である。
徳川家においても、兄は病弱だが弟にはカリスマ性が有り、武家政権の二番手、三番手に甘んじていた家臣達は、次男を担いで一気に一番手に昇り上がろうと画策した。
幕府内は二分され、いよいよ統制が取れなくなってきたその時、隠居後も実質的に幕政を施行していた初代将軍家康が、長幼の序を重んじて第三代将軍に家光を指名する事で世継争いは決着する。
しかしそれは、忠長にとっては悲劇への序章に過ぎなかった。
やがて家光は将軍、忠長は駿府藩主となり、丸く収まったかのように見えたが、家光に一度芽生えた忠長への猜疑が消える事はなかった。いつか謀反を起こすのではという気持ちは、やがて確信に近いものになる。
家光は、忠長のやる事全てに難癖を付けた。
家光上洛の際、川を渡りやすいようにと大井川に臨時の浮橋を架ければ、幕府の防衛線を崩すものと責めた。藩内に武家屋敷造成を計画すれば、近くに寺社があった事を理由に、神仏を敬わぬ不届者の烙印を押し付ける。
また、領民の訴えで田畑を荒らす猿を退治すると、山の神獣を虐殺したと吹聴し、その直後に浅間山が噴火して灰や砂による被害が出ると、神獣を殺した祟りだという噂を流す。
小姓が事故死すると、気まぐれで手打ちにしたとされ、腰元の女中が病死すると、無理に酒を飲ませて責め殺したという話にされた。
もはや、家光と直近の家臣達に物申す者は誰もいなかった。
やがて忠長は改易となり、逼塞の処分が出される。そして、自刃の幕命が下るまでに月日は掛からなかった。
忠長はわずか二八年の儚い生涯を、己の喉を短刀で貫くことで終えたのだった。
歴史は勝った者、生き残った者が書き記す。
後の世に忠長は狂人だったと語り継がれるが、忠長最後の瞬間まで仕えた家臣には真実が伝わっている。
前世における乾家は、その家臣の家系だった。
「それで、お父さまはどちらに?」
サンドラの視線が、あまりにも鋭くて公爵はたじろぐ。
「いや、私はどちらでもない。だが、公爵という立場と第一王子がそれなりにご健勝であられるのであれば、第一王子が王位を継ぐよう仕向けるのが私の務めであろう」
「賢明なご判断です。今押さえるべきは、第二王子を担ごうとしている者達。一度揉めごとが起これば、どんな形で決着しようと両王子の間に亀裂が入るのは必至です」
「確かにそうだな……それにしてもサンドラ、まるで見てきたかのような言い草じゃないか」
忠長亡き後、駿府藩は廃藩、幕府直轄領となる。
駿府城は主無城と呼ばれ、そこに仕える者は主無侍と何代にも渡り揶揄された。
しかし、家光もその後、精神を病んで政務を執り行う事ができなくなる。そして長い期間病床に臥したのち、四八歳で病死する。
元から心身共に弱かった家光は、血を分けた弟を殺した罪悪感に耐える事ができなかったのだろう。
「ええ、まあ……とにかく、私はケイン王子のクラスメイトですし、第一王子とも年齢が近い。私にできる事があれば、何なりとお申し付けください」
「ああ、わかった。ぜひ、そうさせてもらうよ。それにしても……」
公爵は夫人を見て言った。
「……サンドラが急に大人になったのは、やはりおまえの育て方のおかげかな?」
夫人は肩をすくめて不満そうに答えた。
「いいえ、落馬して頭を打ったからですよ」
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