23話 ※婚約者視点
アマルダは、最高神の聖女と呼ぶには素朴すぎるくらい素朴な少女だった。
顔立ちは整っていて愛らしいものの、アドラシオンの聖女リディアーヌに比べれば、良くも悪くも迫力が足りない。
どちらかといえば大人しく、少し泣き虫で、人を疑うことを知らない純真さがある。
浮かぶ笑みは人懐っこくて、誰に対しても分け隔てなく優しくて、とびっきりにお人よし。
そんな彼女だから――いつも、下心のある人間に付け入られてしまうのだ。
『また、神官たちが君を訪ねてきたみたいだ』
エレノアとの話し合いを終えた後。
ゆっくりできる場所で、もう少し話をしようということで、場所を移した最高神グランヴェリテの屋敷。
その居間にいる間、エリックは何度その言葉を告げたかわからない。
『今朝、君を訪ねたときも、そういえば神官の姿があったね。こんなにしょっちゅう、何の用事なんだ?』
『ええと……神殿に穢れが出たから、一番の聖女の私にも報告する必要がある――って、いろいろお話をしてくれるんだけど……』
言葉を濁し、かすかに眉尻を下げる彼女の様子に、それだけではないということはすぐに察せられた。
訪ねてくるのは決まって若い神官たちだ。
彼らは一目でもアマルダに会いたがり、予定があると言っても食い下がり、せめて手土産だけでもと、花やら手紙やらを押し付けようとする。
その必死の様子に、彼は呆れずにはいられなかった。
『彼らはみんな君が目当てなんだろう。君の都合も考えず、こんなひっきりなしに来るなんて、仕方ないやつらだな』
穢れなんて国をゆるがす騒動も口実にするとは、神官として見下げ果てた連中だ。
『君も大変だな。もっと強く断ってしまえばいいのに』
そう言って苦々しくアマルダを見やれば、彼女は頬に手を当て、小さく一つため息を吐いた。
『そんなことはできないわ。みんな私を心配してくださっているんだもの。……ええ、でも――ありがとう、エリック』
ゆるりと首を振れば、彼女の亜麻色の髪が揺れる。
それから、エリックを見上げた彼女の顔に浮かぶのは――。
『本当は、ちょっと困っていたから。誰にも言えなかったけど……わかってくれて、嬉しい』
ようやく心を許したような、ふわりとやわらかい笑みだ。
――僕が、アマルダを守らないと。
この、優しいだけの無力な女の子を、自分が守るんだ。
下心だらけの男たちからも、彼女をいじめる女たちからも、利用したがる卑劣な人間たちからも。
だから彼は、今日、二度と会うつもりのなかったエレノアに会いに来た。
アマルダにさんざん悪事を働いた彼女が、簡単にアマルダから離れるとは思えない。
またなにか、アマルダを陥れようとする前に、釘を刺してやるつもりだった。
神の住居へ踏み込むことへの恐れはない。
どうせ相手は、人の言葉もわからない無能神だ。
蔑まれ、石を投げられても罰一つ落とせない下級の神にすぎない。
それに、折よくエレノアが無能神を罵倒する声も聞こえた。
やはりあの女、信仰心のかけらもなく、醜い神をいじめていたのだ。
だからまさか――。
「今すぐ、ここから出て行ってください」
無能神が、エレノアをかばうなんて思わなかった。
低く、威圧感のある声に、エリックは喉の奥をひくつかせる。
体が強張り、足が動かなかった。
ぞくりとするような寒気が背中を走り、呼吸が荒くなる。
――なんだ……?
無能神が言葉を発したから、驚いている――だけではない。
今の彼が感じているのは、明確な恐怖だった。
――どうして……無能神なんかに……!?
彼の目の前にあるのは、噂通りのおぞましい化け物だ。
黒い体は不気味な光沢をもち、絶え間なく揺れている。
転んだエレノアを抱きとめているが――半ば埋もれたその姿は、まるで捕食風景だ。
目の前にあるものを貪り食うだけの、知性のかけらもない、下位の魔物にしか見えなかった。
なのに――。
「エリックさん」
その声の一つに、彼は「ひっ」と悲鳴を上げる。
声に含まれる怒りの色に、体の震えが収まらない。
「な、なんだよ……」
逃げるように足を引きながら、無意識に声が出る。
そうでもなければ、恐怖を誤魔化すこともできなかった。
「ぼ、僕がなにをしたって言うんだ! なんで無能神が、僕に怒っているんだ!?」
裏返った声で無様に叫び、彼は首を振る。
目すら持たないはずなのに、無能神が自分を見据えている気がしてならない。
「怒るならその女にだろう!? そいつがお前を馬鹿にしたんだ!」
そうだ、と彼は自分の言葉に自分で納得する。
悪いのはエレノアだ。
アマルダをいじめ、無能神をいじめ、悪びれもしないエレノアに決まっている。
「そいつは! 神を利用しようとした偽聖女だ! 僕じゃなくてそいつに罰を与えるのが神だろう!」
「誰に罰を与えるかは」
無能神の声に強さが増す。
静かなのに、まるで押しつぶすかのような声音に、もうエリックは言葉を出すこともできなかった。
黒い塊から目が離せない。
目を見開いたまま、噛み合わない歯の根がガチガチと音を立てる。
――怖い。
もう偽り、強がることもできない。
彼の、冷たくもどこか穏やかな言葉が、ただただ怖かった。
この醜い化け物が、役立たずの無能神が――人間よりも、はるか格上の存在なのだと、肌で理解させられる。
「私が決めることです。――エリックさん」
微笑むように、ゆるりと彼の体が揺れた瞬間、エリックは悲鳴を上げていた。
震える足で、よろめきながら部屋を飛び出し、あとは振り返らない。
とにかく――とにかく、あの化け物から逃げ出したかった。
だけど――。
息を切らせ、ひたすらに走り、あの小さな無能神の部屋が遠く見えなくなった後も、背後に感じる恐怖は消えなかった。
振り返る勇気はない。
ただ、彼は本能で理解していた。
どろり。
粘りつくなにかの気配がする。
――なにかが追いかけてきている。
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