21話

 食堂を離れ、アドラシオン様の屋敷も近づいたところで、私はようやく足を止めた。

 なんだか以前もこんなことがあったな――とは思いつつ、違っているのはリディアーヌの様子である。


「……リディアーヌ、どうしたの?」


 夕暮れの風が吹く道半ば。

 静かな木々の囁きだけが聞こえる中、私はリディアーヌに振り返る。


「なんで言い返さなかったの。あなたらしくもない」


 以前――アマルダが神官を連れて現れたときは、どう考えても不利だというのに、胸を張って言い返していた。

 ちょっと無茶すぎるくらいに堂々としたあの態度が、今はすっかりなりを潜めている。


「ロザリーの言うことなんて、全部適当だったじゃない。ルフレ様のことは、あなたの方がよく知っているでしょう?」


 ルフレ様が居候しているのはアドラシオン様の屋敷。

 いつからあそこで暮らしているのかは知らないけれど――彼がロザリーに会おうともしないことは、リディアーヌもよくわかっているはずだ。


 だというのに、リディアーヌは今も口をつぐんだままだ。

 ロザリーが好き勝手に言っていたときも、逃げている最中も、ずっと一言も発しない。

 逃げるときに掴んだ彼女の手も、未だ私が握りしめたまま。

 いつもなら、「いつまで掴んでいるのよ!」と振り払われてもおかしくないのに。


「リディアーヌ、ねえって」

「……」

「……ロザリーの言葉、気にしてるの?」


 私の呼びかけに、リディアーヌがようやくぴくりと反応する。

 だけど、明るい反応でないことは明らかだった。

 ぐっと唇を噛み、表情を隠すようにうつむき――それから、絞り出すような声でこう告げる。


「……気にしてなんかいないわ」


 まるで、言い聞かせるような言葉だ。

 伏せられた視線は持ち上がることはなく、私に向けられることもない。


「わたくしは偽聖女。アドラシオン様が心から求める相手ではない。それは本当のことだもの」


 そこまで言い切ると、彼女は大きく息を吸う。

 心を落ち着かせるように長くゆっくりと吐き出し、もう一度息を吸うと――彼女はおもむろに顔を上げた。


「――だから、どうしたって言うの」


 口から出るのは、ツンとした声。

 顔に浮かぶのは、いつも通りの澄まし顔。

 なんということはないように私を見やり、彼女は笑うように口元を歪める。


「言いたいなら言わせておけばいいわ。わたくしは、わかっていてこの神殿に来たのだもの」

「わかって……って」

「アドラシオン様の求める少女は、彼が人に生まれ変わったときにのみ生まれ、姿の変わった彼を必ず見つけ出すの」


 その話は、私も知っている。

 アドラシオン様は人に関わりが深い神ということもあり、その特殊性も伝説も広く人々に知られていた。


 国に危機があるとき、アドラシオン様は神の座を捨て、人間に生まれ変わる。

 生まれ変わる先は決まって、己の子孫である王家の血筋であるという。

 神としての姿はなく、神としての力もなく、ただ神であった残滓のみを力とし、人として人々を導くのだ。


 少女は、そんな過酷な運命にあるアドラシオン様の、唯一の拠り所である。

 永遠を持たず、誰もが彼を置いて行く中で、彼女だけは何度生まれ変わって見つけ出す。

 誰もが死によって失うはずの記憶を忘れず、アドラシオン様の愛をずっと覚えているのだ――という。


「でも、わたくしに前世の記憶なんてないもの。わたくしは、今のわたくしだけ。あの方の愛の記憶なんて知らないわ」


 顎を持ち上げ、胸をそらした彼女は、もううつむくことはない。

 語る声は滑らかで、いっそ笑うように明るい。


「アドラシオン様の聖女に選ばれることは、名誉であり屈辱である――それを知っていて、わたくしはあの方の誘いに答えたの。愛されようなんて思わないわ」


 私は無言のまま、彼女の顔を見上げた。

 だけど彼女の視線が、私に向かうことはない。

 ただ遠く、一点だけを見つめている。


「知っていて? わたくし、あの方から『ともに神殿を正そう』と言われて聖女になったのよ? 国も神殿の状況は知っていて、けれど今の神殿には国さえも手が出せないから――内側から、どうにか変えられないとわたくしを送り出したの」


「…………」


「でもね。わたくしがここにいるのは、国のためではないわ。ただ、あの方のために神殿に来たのよ」


 気丈な赤い瞳が映すのは、ひとつだけ。

 遠く影の見える、アドラシオン様の屋敷だけだ。


 ――リディアーヌ。


「あの方のお役に立ちたかったの。聖女たちを正して、あるべき神殿に戻して、神々の喜ぶ姿をお見せしたかったわ」


 そう言って、リディアーヌはふふ、と囁くように笑う。

 上げた顔を下げるようなことはしない。

 強い視線が、伏せられることもない。


 ――でも。


「愛されなくても構わない。ただ少しでも、わたくしが重荷を支える手助けをできれば、それで良かった――そう思っていたのに……!」


 リディアーヌの声は震えている。

 振りほどかれなかった手は、今も私と繋がったまま。

 今は彼女の方が、痛いくらいに強く握り返している。


「わたくしは、あの方の期待に応えることもできなかったわ! それしかわたくしにはできないのに! アマルダ・リージュが来てからは、もう誰もわたくしの言葉なんて聞いてくれない……!」


 そこまで吐き出してから、リディアーヌはハッとしたように口をつぐんだ。

 彼女のことだ。きっとこんな弱気な言葉なんて、言うつもりなんてなかったのだろう。

 戸惑うように一度瞬いてから、彼女は苦々しそうに私から顔を逸す。


 その、目の端。


「……愛されないことが悲しいのではないのよ。だってはじめからわかっていたもの」


 かすかに潤んでいるのは、隠しきれない。

 彼女は滲んだものを誤魔化すように――うつむくまいとするように、天を仰ぎ見る。


「……ただ」


 空にあるのは、宝石を散らしたような星々だ。

 よく晴れた、雲ひとつない星空の下。

 春らしくない冷たい風が吹き、彼女の黒髪をさらう。


「ただ、お役に立てないことが悔しいの」


 遠い空に、届かぬ想いを告げるように、リディアーヌは震える声をこぼした。




 満点の星に、白い横顔。

 風に流れる髪は、まるで一枚の絵のように美しい。

 が。


「……ねえ、ちょっと聞きたいのだけど」


 その絵画に、余計なものが割り込んでくる。

 なにを隠そう、私である。


 リディアーヌの横顔を見つめつつ、ついつい私が口にしたのは――。


「リディ、あなたって、友達いたことないでしょう」


 我ながら、あまりにも場違いで、あまりにも空気の読めない発言だった。




 春にしては冷たい夜。

 周囲の空気はさらに冷たく、一瞬凍りついた気さえした。


 涙さえも引っ込んだのか、リディアーヌがものすごい顔でこっちを見ている。

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