祝福

旧コンビナート湾岸地帯 ‐1


  Ⅵ 祝福



 逃走開始より数時間が経過した。

 空には戦略戦闘ヘリ部隊、陸から交通攻略部隊、それぞれが中隊単位で活動を展開した。逃走した特定危険存在コード02の捜索および追跡には公安省の実働部隊たる特別高等作戦群のおよそ一割にせまる大戦力がこれにあてられた。

 空前の脅威が現実となりつつあるのだ。

 最新の脳神経学により実証された見えざる臓器〈神納中枢〉について、それが本来の機能を余すことなく発揮したとき、特殊なエネルギー波によって周辺環境に大きな影響を及ぼすことがわかっている。今日まで俗に超常現象やサイコキネシスと言われてきた不可解な事象は、それが科学で証明されたとき、人為的な誘導や遺伝子操作によって強大な力を引き出すことができる。

 それが、特定危険存在コード02に認定された、とある少女の正体だ。

 彼女は人知れず私設の研究機関で調整されたため、公安省として掴んでいる情報はまだ多くはない。故に、ここで彼女取り逃がすのは脅威であると同時に、人類科学における大きな損失だ。

 公安省の研究機関としても数体の実証実験個体を製造していたが、コード02の持つ力には遠く及ばない。そして、その力が安定領域から外れたコード02は何としてでも手中に収めなければいけない。

 彼女は世界を滅ぼしかねないのだ。

 

 そして、逃亡覚知より数時間が経過した午前一時、対象発見の一報が全部隊に通達された。地点にあっては、伊勢湾を臨む旧コンビナート湾岸地帯。ここから、一体どこへ行こうというのだろうか。

 先行した一機の戦術輸送ヘリは、地上を駆ける二人の女をサーチライトの光に捉えた。

 

「右那様、追いつかれました。ただいま始末するので私から離れないで下さい」

 袴を纏う犬の面の女は、走る足を止めて振り返る。上空のヘリを見据えて腰に備えた太刀に手を添えた。

 使徒、狛ヶ根珀斗は反撃に転じる。

「いいよ珀斗、ボクがやる。下がってくれ」

 対して、共に走っていた金髪の少女は、後ろから彼女の袖を小さく掴んだ。特定危険存在コード02、右那は珀斗を引き留めた。

「できません」

「どうしてだよ。ボクの本当の力をもってすれば、彼らなんて……」

「正気を飛ばして世界を壊したいのですか? ええ、それは貴方にとって些細なことでしょう。しかし、それを行って苦しむのは貴方自身。そして、貴方の苦しみは私の苦しみであり、あの男もきっとそうに違いありません」

「いいんだよ珀斗。もう、いいんだ」

「いけません!」

 ヘリに対峙する珀斗は、一度振り返ると右那の小さな肩を両手で掴んだ。

「どうか留まってください。こんなことは死んでも言いたくないですが、亡きあの男のことを想えばこそでしょう!」

「珀斗……」 

「離れて下さい。あのヘリ、例のアレが乗っています」

 そして珀斗は右那を突き放すと再びヘリと向かい合い、神刀〈サイヒョウミタマノシンガ〉を抜く。その切っ先で正面の敵を睨んだ。

「いい加減しつこいぞ。鉄クズが」

 戦術輸送ヘリの下部ハッチが開かれると何者かがそこを飛び降りた。ヘリの高度は周辺の工場より遥かに高い。その者は風に黒のロングコートをなびかせ、勢いをそのままに、激しい衝撃をともなって地上に降りた。

 モヒカンにサングラスの大男である。着地した両足より、アスファルトには放射状に亀裂が走った。

「特定危険存在コード02を発見。事前命令に従い、対象を確保する」

 公安省、特別高等作戦群の誇る人造使徒。斎場だ。

 斎場は背部より金属製の双腕、腰部下方より同じく金属製の尾を生やし、戦闘態勢に入った。

「また改良版を作ったか。いい加減、鉄クズなどでは敵わんと知れ!」

 戦いの火蓋が切って落とされた。

 珀斗の振り抜く太刀から連続する氷柱の一筋が地面を駆けるが、斎場はその場から一歩たりとも動かず、金属の尻尾で向かい来る氷撃をいとも簡単に薙ぎ払った。そして上空に待機する輸送ヘリは斎場専用の兵器を投下。二本の大剣、二門の対戦車ライフルだ。どちらも人間ひとり分以上の長さがあり、それぞれ大人二人がかりでやっと持ち上がる重量である。斎場は、その四振りを一度に装備、通常の腕に大剣を二本、背部から前に伸びる腕に対戦車ライフルを二門。常人では考えられない怪力である。

 そして斎場は、後部の尾で地面を叩き付けると、その反動によって飛び上がり数十メートルの間合いを一瞬で詰め寄った。

 振り上げられる二振りの大剣は珀斗の頭上より叩き付けられるが、珀斗は後退して回避。続いて発射される対戦車砲、一発はかわし、二発目は太刀で逸らす。外れた弾は海面へと流れ、巨大な水しぶきをあげた。

「相変わらずの馬鹿力めが、そんな攻撃が私に当たると思うな!」

 珀斗の反撃、振り抜いた太刀の軌跡に沿って氷の槍が地面から突き上げ、更に上空にも尖った氷塊を生み出すと、その上下方向から何重にも連ねて斎場を襲った。

 しかし、その全ては脆いガラス細工のように粉砕。金属の尾、大剣、そして対戦車砲によって美しい氷の祭典は徹底的に破壊される。

「くそっ」

 人の領域を超えた二者の戦いは、これで何戦目となろうか。徹底的に叩きのめし、スクラップの数を増やす度に公安省は更なる強力な新型を投入してきた。そして遂には人造使徒斎場の力は限りなく珀斗に迫るものであった。不覚にも戦局はこちらの一方的な殲滅とならず、決して油断の出来ない攻防が続いた。

 この局面で、ここまで進化した人造使徒と巡り合わせるとは不運極まりない。

「珀斗! うしろだ!」 

 次の瞬間、右那の声に気が付き振り返る珀斗。後方には数機の戦闘ヘリが銃火器を構えて二人を狙った。

 急ぎ後退する珀斗は、巨大な氷柱を地面から生成してこれを防壁とした。間一髪、銃弾を防ぐ。

 しかし問題はここからだ。

 遠くにも更に十数機のヘリが見える。気付けば、集結した地上部隊も装甲車両を盾に銃を向けている。敵は全方位を囲い、正面には人造使徒斎場が迫る。

 最も避けるべき状況に嵌まりつつあった。

「……、右那様。私の傍から決して離れませんようお願いします……」

「珀斗、やめにしよう。ボクが手を挙げれば終わるんだ。君がここで傷つくことはない。頼む。もし君まで死んでしまったら……。ボクはもう、どうにもならないよ……」

 珀斗の背中に顔を押しつけ、両手を腰に回して抱きしめた。

「いまさら何を、右那様。私は貴方にお仕えする身。この命、貴方の存在あってこそです。大丈夫です決して死にはしませんよ。ですから、どうか貴方の為に戦うことをお許しください」

「やめろ珀斗!」

「さぁこい! 薄汚い人間共!」

 右那を振り払い、珀斗は太刀を上段に高く構えた。

 同時に、二人の全周を取り囲んだ公安隊は、一斉に射撃の姿勢に入る。

 珀斗の放つ使徒の強大な一撃か、圧倒的物量で畳みかける公安隊か、この一瞬でどちらかが完全に葬り去られる。



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