大学の日々
――ねぇ、のろくん。生きる意味ってなんだと思う?
こんな時に。いいや、こんな時だからこそ思い出すのかもしない、そんな昔の話だ。
出会って間もない頃、彼はそう問いかけた。それに対しての答えは一つ「意味なんてない。考えるだけ無駄、虚しだけ」と。
彼がそのように聞くのは、お互いの考えが似ていたからだろう。
決して、幸せになるためだとか、精神の修行だとか、そういう事は冗談でしか言わなかった。本当は無意味なものに対して道徳観をこじつけて誤魔化すのが一番嫌いだった。
「実際それが事実だよな。でもさ、なんで意味がないのに、真面目に人生やってんだって話じゃん? それとも種の繁栄を掲げて動物らしく生きた方がいいのかな。じゃあそれの意味はなに? 繁栄して何か楽しい」
そう言う彼の目は遥か遠くを見つめる。
昼休み、大学のキャンパス屋上で彼とはそんな話ばかりに興じていた。
「与破音。お前、死にたいとか思ってんの?」
「さぁね、どうだろう。でも意味のない人生なら死ぬことこそ最大の幸せじゃないかな」
「馬鹿なこと言ってんじゃねえって」
「あれ、のろくんなら同意見と思ったんだけど」
「まぁ同じ哲学科の心理専攻で研究室も同じなわけだし、それで言いたいことは理解できる。けど、じゃあ俺が明日死んだらお前はどう思う?」
「別になんとも。いや、きっと祝福するだろう」
「お前らしいな。でも俺は、お前が死んだら嫌だよ」
「ははは、そう思われるのは迷惑だな。もし僕が死んだ時は手を叩いて祝ってくれよな」
そんな言葉を交わして、まさか本当に死ぬとは夢にも思っていなかった。
与破音は不思議な男だった。細身の体で背はすらりと高く、アサガオを反対向きにしたみたいな帽子をよく被っていた。彼を探すのは簡単で、いつも変な場所で詩集を開いてる。屋根の上や木の上、地下室とか。近くまで行けば彼のほうから声を掛けた。
「おはよう、のろくん。ちょっとね、妖精さん達とおしゃべりしていたんだ」
与破音はとても気持ち悪く。
「ああ、不細工な人間どもが僕に話しかけてくる。汚らわしい」
しかしイケメンでとてもモテた。
「のろくん、お弁当を作ったんだ、和風ハンバーグ弁当! もちろん君の分もあるよ」
更に料理が得意で、たまに教わることもあり。
「のろくん、のろくん。うちのノワールが子猫を沢山生んだんだ、全部黒猫だよ、ぜひ君に一匹貰って欲しい」
そして大変な愛猫家だ。
そして……。
「ぐぁああ。ぬわあああぁぁ、あ、あ、がぁあぁぁあああぁぁぁああぁぁぁぁあ」
時にヒステリーを起こす。
落ち着けとばかりに、いつも彼の背中を擦ってやった。
「どうしてこの世界はこんなにも汚れているんだ! う、う、うぐわああ。ああ、あ。はぁ、はぁ。……のろくん。君は優しい。やっぱり君が天使なんだ。君が天使だ」
やっぱり気持ち悪い。
しかしそんな最悪のタイミングでも、彼の事を気に掛ける人は他にもいた。
丁度いいタイミングで女が一人現れた。
「ちょ、ちょと与破音、あんた大丈夫なの? 昨日ちゃんと薬飲んでないでしょ」
彼には一つ下の妹がいて、時々キャンパスで会った。
「いらない! そんなもの! 僕にはのろくんがいればそれで十分なんだ!」
「はい? あ、のろ先輩。おはようございます」
「おはよ。先行ってて、与破音は俺がみとくから。輪音は大事な講義でしょ、ほら有名な、なんとか教授の」
「そうなんですよ、今日はロイ教授の講義で……。いつもすみません、のろ先輩。それじゃ私行きますんで」
そんな日常。少し変かもしれないが、退屈ではない。それが少なくとも四年間は続くと思っていたのだ。
しかし、何を思い立ったのか。与破音は〈ヒトと地球の未来を考える会〉に入会した。それから間もなくして彼は自ら命を絶ったのだった。
入会以後、彼は周囲との摩擦で日に日に消耗していた。ほんの数ヶ月でスラムの廃人のようになってしまったのだ。髪はボサボサ、肌は灰色、虚ろな瞳はじっと空気だけを眺めていた。
「のろくん、死にたい、のろくん、死にたい、のろくん、死にたい……」
「頑張れよ、っていうかもう辞めようぜ、あんな団体さ」
「駄目だ、世界を救わないと。でも、もう無理だ。僕はここまでだ」
結果的には、与破音を死から引き留める行為はただ彼の苦しみを長引かせただけだった。
天使なんかじゃない。まさに悪魔の所業だろう。数少ない親友であった与破音に最大の苦痛を与え、そして某日、彼はマンションの自室で首を吊っていた。
今なお生きて、一体何を見い出せばいいのかわからない。生きる意味、そんなどうしようもない彼の残した命題に対して、死ぬことの他に、未だに答えを見つけられない。
与破音から譲り受けた黒猫はくろすけと名付け、最後の友達になった。与破音の問いに、答えを出せない日々、くろすけだけが支えだった。しかし、逝ってしまった。くろすけも与破音の後を追うようにこの世から消えてしまったのだ。
もはや、死しかあるまい。狭い部屋でひとり、暇を潰しながら。結局、他人の生き死にをとやかく言うのは己のエゴだ。死ぬのはよくない、精一杯生きろだなんて。やっぱり無責任なんだろう。どうせ意味なんてないのだから。
こうして思い出すと彼と過ごした大学生活は楽しかった。そして、残された自分は今、ここにいる。冷たい床に背中を預け、上から差し込む光に手を伸ばした。反対の腕は千切れてしまったが、もうどうでもいい。ライトホープは死を望んでいる。その意思を尊重すべきなのだ。
そうだろ? 与破音。
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