ライトホープ
暗闇に目が慣れると、窓から差し込む月光は想像以上に明るく、灯りがなくとも不自由はない。
ベッドの上で寝ている右那に、彼女が足で蹴飛ばしたタオルケットを肩までそっと掛けてやった。口を開ければ生意気な小娘だが、こうしてみると本物の人形のように愛らしい。
彼女については謎が多い。なぜ狙われるのか、どうしてここに一人で住んでいるのかなど。しかし詮索するのも気が引けるし、そもそも興味がなかった。この社会は、アプリによる自由暗殺市場があるように、恐るべき闇が存在するのだ。わけありな人間の一人や二人、気にしても仕方ない。まして何の義理もない完全な他人なのだから。
あの夢を忘れるまで何をしていようか、すぐに思いついたのは、やはりゲーム。朝食でもと考えがよぎったが、今作れば多分それは夜食だろう。
丁度気になっていたパソコンの前に掛けた。もしかして〈ビオトピア・エーデ・オンライン〉が入ってるかもしれないと思った。確率的には低くはない。ネットゲームとしてはかなり有名な部類だし、ゲーマーならば未経験者の方が少ないだろう。
パソコンを起動した。特にパスワードの設定はなく、すんなりと立ち上がる。
デスクトップにアイコンが並ぶが、……。いいや、特段驚きはしない。彼女もビオトピアのハンターだったようだ。少し覗くくらい罰は当たらないだろう。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ中を覗く程度だ…………。
『ビオトピア・エーデへようこそ〈ライトホープ〉さん』
……。画面に、自分の理解を超えた文字が連なり、一瞬思考がフリーズした。いや、まさか、ただの見間違いだと言い聞かせた。
だが、次にフィールドに現れたプレーヤーは、紛れもなくあの人だったのだ。
白のゴシックドレスに軍用ブーツと指ぬきグローブ。それに背中には等身長の粒子ビーム砲だ。キャラメイクで出来得る限りの長髪で彩色は銀。疑いようのない完全な一致。画面の前で開いた口が開いたまま固まった。
彼女が……、右那がライトホープだったのだ。
慌てて頭のフリーズを解き状況の理解に努めた。彼女こそライトホープ。ベッドで静かに寝ている少女が、その正体である。
「おっさんじゃなかったのかよ。……いや、中身はちょっとおっさんぽいけど」
何という偶然。これも運命の悪戯か、それとも何者かの導きなのか。
いま胸の中では色々な思いが膨らんで弾けた。二度と会えないと思っていたところに、こうして出会えた。もう会わせる顔がないとも思っていた、ずっと申し訳ない気持ちを抱えていた。だが今は、出会えたという事実こそが何よりも強く胸を打ちつけている。
「ライトホープさん……」
それからは眠気など一切飛び、外の廊下を彷徨ったり、もう一度ライトホープのプレーヤー情報を開いたり閉じたりと、落ち着いてられない。
持て余した時間、ライトホープの行動ログを少し遡ってみた。
あの離別の後、ライトホープはずっと東の街の酒場にいた。何時間も無言で椅子に掛け、〈ノロクロ〉ことノロ氏の出現を待っていたのだろう。最終ログインは、一昨日の正午ごろだった。
「すまん」
誰に届くでもない言葉を小さく呟いた。
画面の中、東の酒場でひとり立ち呆けるライトホープの姿を見ていると、やりきれなくなった。この広大な砂塵の世界でひとり。実際はこのゲーム内よりもうんと狭く、暗い場所で、ただ一人待っていたのだ。
その彼女の寝顔は至って穏やかだった。痛みも苦しみもない。けれど、いま彼女が幸せな夢をみているとは到底想像できなかった。
* * *
「ぉおおおぉおお! 凄いな! 朝からとんでもないごちそうじゃないか!」
結局ほとんど眠れずに、まだ暗い早朝からフライパンの上でソーセージを転がした。続いて卵を割り、食パンをトースト、ベーコンを炒めて、盛り付けのことなど一切気にせず、ひたすらジャンクを量産した。
「作りすぎたわ」
「いいじゃないか! 世界最高の朝食だよ!」
相変わらず子供のように目をキラキラ輝かせる右那は、ぐーで握りしめたフォークを早速ソーセージに突き刺し、次々と口へ運んでいった。
「これはいい! 中から肉のスープが弾けるみたいだ!」
カーテンの隙間から差し込む朝日に、彼女の表情が一層明るく映って見えた。
ひとり、長く静かな夜を越えて、心を決めたのだった。
「右那」
「なんだぁ?」
食事を終え、心地よさそうに満タンのお腹をさする右那。彼女と正面から向き合った。
「死ぬな」
「うん。……、ん? はい?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます