4杯目 あの席に座った客
「お待たせしました。ホットコーヒーと緑茶でございます」
先刻からバグを起こしているヨリ子ちゃんにホットドリンクを運ばせるのは大変危険なので、マスターが直々に配膳することにした。なかなか様になって――るということはない。それくらいのことは平時にも行っている。
成る程、これがヨリ子ちゃんの(ばいんばいんの)ハートを射止めた彼かぁ……、と人知れず嫉妬の炎を燃やしたり――なんていうことも一切ないマスターである。
とりあえず、この撮影に関しては本当に場所を提供しているのみなので、マスターの出番はこれで終了である。あとはいつも通りにコーヒーを淹れたり、おっしゃれーなカフェ飯的なものを作ったり、隣にケーキを買いに行くだけである。毎日毎日同じことの繰り返しなので、たまにはこんな一風変わったイベントがあるとちょっと心が(サンバのリズムで)躍りだしちゃうマスターであった。
とはいえ、そろそろ皆さんも物足りなく思っているのではなかろうか。いや、ご安心ください。大丈夫、大丈夫です。例の方々はいます。ちゃんといます。ただ、まだその時じゃないだけです。
さて、ヨリ子ちゃんはというと、カウンターに隠れて足元のみたらしに過剰なサービス(おやつ)を与えつつ、13番テーブルをガン見していた。
「ヤバい、同じ空気吸ってる……」
落ち着くんだヨリ子ちゃん。
密閉空間じゃあるまいし、濃度の差はあれど、いつだってだいたい同じ空気を吸ってるはずだ。
「どうしようみたらし。この空気、ビンとかに詰めて保存した方が良いかな?」
いよいよトチ狂い始めたヨリ子ちゃんである。第一豆(『キリマンジャロの焦燥』)で天神商店街スタンプカードが溜まり、ハグもしてもらっているはずなのだが、いつだって心はピュアッピュアな乙女。ハグはハグ、呼気は呼気なのだ。
「……ヨリちゃん大丈夫? 13番テーブルは刺激が強すぎるけど、他のテーブルの接客とかイケる?」
「も、もちろんですたい」
一体ヨリ子ちゃんは何県民なのか。そう思われた方も多いだろう。もちろんヨリ子ちゃんは地元民なので、生まれも育ちも秋田県は南由利ヶ浜である。しかし、皆さんも経験があるかとは思うが、例えば突っ込みとなると、関西人でもないのに、なぜか「なんでやねん」であるとか「せやかて工藤」と口走ってしまうものなのである。だから、ヨリ子ちゃんが突然四国や九州地方の方言で話し始めたとしてもおかしくはないのである。おかしいのはこの作者の頭だけだ。
「まぁ多少心配ではあるけど、ヨリちゃんが大丈夫っていうなら……」
と、さりげなく彼女が握りしめていたみたらしのお菓子袋を回収し(食べすぎ防止)、鍵付きの引き出しへしまう。鍵付きじゃないとみたらしは案外簡単に開けてしまうのである。可愛い上に賢いとは、この猫という生き物、もしかして神の使いではなかろうか。
とりあえず、いまいるお客の分に関してはお冷も、オーダーも、その品の配膳も済んでいるので、新規客が来るまではこれといってすることはない。どこかのテーブルの客がお冷をがぶ飲みしてお代わりを要求するだとか、あるいはやはりコーヒーをがぶ飲みしてお代わりを要求するだとか、コーヒーの飲み過ぎで甘いものが欲しくなったからケーキをいただこうかしらとか、そんなことでもない限り。
なので、やはりカウンターの下で丸くなっているみたらしをひたすら撫でていたヨリ子ちゃんである。こういう時、みたらしは多少空気を読んでくれるのだ。まぁ、さっきたらふくおやつをもらったのでお腹いっぱいで動くのが億劫なだけかもしれないが。
と、その時である。
カラン、というドアベルの音が聞こえてきた。
反射的に「いらっしゃいませ」と立ち上がる。さすがはヨリ子ちゃん、プロである。しかしそんなプロの彼女(何か『プロの彼女』って言い方がちょっと嫌ですね。何のプロだよ、って)が、来店したその男性客を見るなり、「あっ」と言って固まってしまったのだ。いつもの流れでトレイの上にお冷を乗せたマスターが「どうしたの?」とその顔を覗き込む。まだバグってるの? という言葉はぐっと飲みこんだマスターである。さすがは大人の男。
ヨリ子ちゃんが何やら神妙な顔つきでその男性客を見つめたまま微動だにしないので、仕方なくマスターが動いた。お冷を乗せたトレイを持ち、「お好きな席へどうぞ」と声をかける。すると彼は、「じゃあ……」といって8番テーブルに座った。
え? 8番テーブルって、あれでしょ?
あのカップルが座ると漏れなく破局することで有名なあの席でしょ?
そんで、漏れなく彼女の方は何か名前が独特なんでしょ?
と。
皆さんはそう思ったに違いない。
だってこの席はそういう席ですって書いたの作者自身ですからね。
お?
ということは?
もしかしてこの彼、『彼』とか書いちゃったけど実際は心は女性だったりとか、そこまでいかずとも単に男装趣味のある女性だったりとか、とにかくそういう叙述トリック的なやつで、名前も『
そう推理した名探偵の方々もいらっしゃるのではと思います。ちょっと落ち着いてください。
が、とりあえず彼はもう完全なる男性である。そこだけははっきりさせておきましょう。そしてBのLはこの作者には書けません。
そして、気になるその名前はせっかくなので『
さて、単身乗り込んできた龍である。
単身で乗り込んで、そのいわくつきの8番テーブルに座ったわけだから、それなりのトラブルを起こしてもらおうじゃないかおうおうおう、と作者はややけんか腰であった。いや、これはお前が書いてるんやで。しまった、なぜか関西弁に。
とりあえず、まさかマスターは8番テーブルがそういう席だとは思っていないおめでたい脳の持ち主なので、ごく普通にお冷を置いて「ごゆっくりどうぞ。注文が決まったらお呼びください」と言って、その場を離れようとした。
が。
その龍が。
もう何かしらのトラブルを起こすことを(作者に)運命づけられた男、虎部龍が。
「あの」
と口を開いたのである。
おっと、ここからどうするどうなる『そこそこカフェ』!?
とやや前傾姿勢になった皆さん。
残念ながら、ここから龍が何をどうしたのかは、また次回のお楽しみ!
楽しいかはまた別の話である。
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