3杯目 こんこんころり

「家まで送っただけ、ねーぇ」


 出た。

 ほら、また得意の「ねーぇ」である。


「それで? ?」

「――うっ」


 もう掴んでいるのである。

 その『むーちゃん』なる女性を家まで送り届けた後、そのお宅にお邪魔してコーヒーの一杯でもご馳走になった、という事実をしっかり押さえているのである。


「いや、コーヒーだけ! だってどうしてもって言うしさ? 断るのも何か悪いじゃん!」

 

 突然だが作者の個人的な疑問をここに記しておこうと思う。

 ドラマ等で、夕食後、カップルやら夫婦やらがコーヒーを飲むシーンを見たりするわけだが、その時間からコーヒーなんか飲んじゃって、眠れなくなったりしないのだろうか、という。それが大人ってやつなのだろうか。大人になったいまでもわかりません。大人は大人でもアラフォーとなったいまでは、あまり夜更かしをするとダイレクトに翌朝響くので、休みの前日くらいしか夜にコーヒーなんて飲めませんや。


 それは置いといて、必死に言い訳する文治を睨み、椎菜は本日のメインである白身魚のフライを一口齧った。タルタルソースはマスターの手作り、なかなかの味と評判だ。オープン初日、「あのタルタルって売ってないんですか?」と会計時に言われたのを何度も武勇伝のように語るマスターである。


 丁寧に小骨も取り除かれたフライをサクサクと咀嚼し終えた椎菜は、アイスコーヒーをごくりと飲んでから、忌々し気に舌打ちをし――、


「そのコーヒー、何リットルあんだよ」


 これまでに文治が聞いたこともないくらいの低い声でそう吐き出した。


 およそ天然ものであるわけのない長さと密度を誇る睫毛が、刃のようにまっすぐ文治に向けられる。本来は、真夏のひまわりの如く、太陽に向かって緩いカーブを描いているはずのそれが、真向かいに座る文治の方を向いているということは、それ即ち、目を思いっきり細めて睨んでいることを意味する。


 たまにこうやって良い感じの表現(真夏のひまわり云々のくだり)を出しておくと、あれ、この作者って案外そういう詩的な表現も出来るタイプなのね、ぐだぐだと知能指数13くらいの文章を並べるだけのチンパンジーじゃなかったのね、と読者様を惑わすことが出来る。真夏のひまわり部分が言うほど詩的だったかは別として、まぁ、そういう小手先のテクニックだけはあるのだということをここにひけらかしておく。


 そんなこんなで。


 もうバレているのである。

 そのコーヒーが、少なくとも客用のコーヒーカップではなく、まぁ確実に、マグカップに並々注がれていたとか、そんな量――ではなく、ご馳走になったのは、コーヒーではなかった、ということが。いや、コーヒーご馳走にはなったかもしれないが。


「えっ、いや、その」

 

 ここへ来て、やっと文治は「もしや、これが俗に言う『チェックメイト』ってやつなんじゃないのか」と気付いた。ちなみに、似たような表現で『王手』というのもあるわけだか、これはまだ一手残っている。つまり、王はまだ逃げようと思えば逃げられる(逃げられないこともあるだろうけど)状態らしい。しかし、チェックメイトはもうほんとに逃げ場がないらしい。らしい、らしい、ばっかりなのは、もちろんこれが聞いた話であるからで、作者は将棋もいまだに金と銀の動きがよくわからない上に、チェスに至ってはやったこともない。そういう人間はこういうことを書かない方が無難である。もう書いちゃったけど。この作者、書きたいと思ったら書いちゃうのである。

 このように「書きたい!」というパッションだけで書いてしまうと、大抵の場合は大火傷するので、良い子のWEB作家は真似をしないように。


 さぁ、どうする彼氏。そして、ここからどう追い詰める彼女。

 

 と、ヨリ子ちゃんは完全に野次馬根性丸出しであった。いつもより多めにお冷巡回しつつ、それとなく、会話を盗み聞きしていたのである。


「実は――」


 と、覚悟を決めたのか、男が箸を置いた(ナイフとフォークが苦手な方のため、当カフェではお箸も用意しております)時だった。



「アララ――――――――ッ!?」

  

 そんな絶叫で、彼の声はかき消された。

 もう誰かおわかりですね? 問題は、だ、ということくらいでしょうか。それも察しの良い方はお気づきになられたのではないでしょうか。


 前回、さんざん異音を発しまくってくれた方こと湯部ゆべである。

 まず何かしらトラブルを起こすのはこっちとみて間違いない。


 何だ何だ、今度は何をやらかした、と前章をお読みくださった読者様は思ったに違いない。


 しかし。


 しかし、である。

 時系列が逆なのだ。


 前回のあれやこれや(ミシンとアイロンの持ち込み)は、ここから5年後の話なのだ。ということは、彼女はむしろ今回が『初』なのである。結局、3回も4回も通い詰め、従業員との距離をも詰めてから――ではなく、何ならもう2回目のご来店でやらかしていたのであった。さすがは創作、現代ドラマとはいえ、何でもアリなのだ。彼女らのメンタルはオリハルコンかミスリルか。とまぁさらっと書いたけど、オリハルコンとミスリルって一体何なの? ファンタジーでは割と当たり前に出てくる金属だけれども、これってアレ? 気軽に出して良いやつ? だいたいの場合、ろくに調べもせず、皆当たり前に使ってるから――という理由でそれっぽい単語を出しちゃうと後々厄介なことになったりするので、自分の身の丈に合った言葉を使うべきなのである。特にこの作者の場合は。


 だから、彼女らのメンタルはまぁ良いところアクリル樹脂くらいで良いんじゃないだろうか。アレも結構硬いし。ねぇ。


 いや、いつまでもこの手芸おばさん(いや、まだこの時点では『手芸』の要素はないが)のメンタルの硬さについて言及している場合ではないのだ。このままでは一体何の話だったのかわからなくなってしまうではないか。読者様が、ではなく、もちろん作者が、だ。この作者はすぐに色々と見失ってしまうのである。


 というわけで、湯部の「アララ――!?」に戻る。一体彼女に何が起こったのか!? 続きはWEBで! と言いたいところだが、これもWEB(小説)なので、ここで書くっきゃない。


 彼女のそんな絶叫と共にこんこんころりと転がって来たのは、まん丸にきつく巻かれた毛糸玉だった。色は中々に野暮ったい深緑。イメージとしては、阿寒湖に生息する天然記念物『まりも』である。間違っても股間がもっこりしている方のゆるキャラではない。断じて。断じて(大事なことは2回言うものだ)。


「ちょっともーゆべっちー!」


 と、毛糸玉を転がしていない方こと木更津康美が呆れたような声を上げる。


「いや、だってね、木更津さん。そもそもね、こんなにまん丸なら転がるに決まってるじゃん?」

「だから鞄の中に入れたままにしときゃ良かったじゃん」

「あ、そっか」

「ていうかね、ゆべっちね。何でそんなに穴があくのよ」

「不思議だよね、何でだろうか」


 はて、と編み棒を目の高さに持ち上げて、湯部は首を傾げる。一体何を作っているつもりなのかはわからないが、マフラーにしては細すぎるし、ハチマキにしては太すぎる、絶妙に使い道のなさそうなサイズ感である。それが、ところどころに10円玉くらいの穴があいているのだ。見ようによってはオシャレに――いや、見えるわけがない。


 そんなことよりまずはその毛糸玉を拾えよ、と誰もが思っていた。

 何なら作者すらも思っている。けれど仕方がないのだ。

 ここで拾わせたら、物語がちょっとうまくいかないのだ。

 具体的にどううまくいかないかというと、字数がちょっと中途半端な感じになっちゃうのである。これが大人の事情というやつなのだ。


 

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