2、旅の事件②

迷子、誘拐、奴隷売買。


ジルコンの頭にさまざまな事件が渦巻いた。

アデールの王子をかどわかし、エールの王子に何か譲歩を引き出そうとたくらむものがいるのか。

それとも、彼の美しさに目を付けたものが、特殊な愛玩具として金持ちに売りつけようとしているのか。

それとも、この混乱に巻き込まれ、往来の人にぶつかったりして弾き飛ばされ踏みつけられ、どこかに倒れているのか。


どくどくと心臓がうつ。

こんなにジルコンは不安と恐怖を感じたことがない。


彼をアデールの安全な繭のなかから連れ出した責任からというよりももっと、ジルコンの胸の奥にその不安と恐怖は結び付く。

自分の体の一部をもぎとられたような感覚だった。

自分が狙われても、傷つけられても、このような気持ちを感じたことがない。

自分よりも他人が襲われることの方が恐ろしいなんて、そんなことがあるのだろうか。


「ああ!!子供はここにいるぞ!生きてる!」


どっと歓声が上がる。

そしてさらに大きな声。


「綺麗な金髪のにいちゃんが助けてくれた!!」


ジルコンははっとした。

馬車の間、わらわらと集まる人々たちを押しのけるようにして駆け寄った。

ジルコンがそこで見たものは。


子供は茶色のフードの若者にしっかりと抱きかかえられながら、横倒しに倒れていた。

そのフードは車輪に巻き込まれ、頭がむき出しになり、金髪が波打ち乱れて石畳に広がっていた。

子供は若者の体から這い出し、母親の姿をみつけるのと母親が駆け寄るのと同時だった。

母が泣きながら叱る声、子供がようやくこの混乱を引き起こしたのが自分だとわかって、ぐずりはじめ、そして大きな声で泣き始めた。

子供は擦り傷ぐらいで大丈夫そうである。

ほっと集まった者たちは胸をなでおろした。


「おい、兄ちゃんも大丈夫か?」


子供の無事を確認した者たちが、今度はアンを助け起こそうとしている。

ジルコンは尚も人々をかき分け王子の傍に寄る。

息ができなかった。

子供を助けて、そして助けた方が子供の災難を引き受けるというのは良くある悲劇だった。


かすかに呻き、アデールの王子は上体を起こした。

顔は蒼白ではあったが、子供がどこも怪我をしていないのを確認し、その顔をほっと緩ませる。


ジルコンはそれを見て、足元から力が抜けるような気がした。

全身冷たい汗をかいていてた。

めちゃめちゃに打ち付けている心臓と同じぐらい息が乱れ、しかも浅く、荒かった。


「アンジュ、、、」


震えながら伸ばされたジルコンの手を、照れたようなはにかんだ笑顔で王子は掴んで立ち上がった。

さらに多くの手が差し出されて王子の体を支える。

だからジルコンの手には王子の重さは感じない。

王子がしっかりと握り返す圧と、温かさだけである。


起きるのにつっかえたマントは誰かの手で外された。

どこも怪我をしていない。血は流れていない。

服の腕と膝と擦れているだけのようだった。


浚われたのでもなく。

巻き込まれたのでもなく。

襲われたのでもなく。


この王子は自ら子供を助けに飛び込んだのだった。

自分は、安全に守られるのに任せた。


この差はなんなのだ。

ジルコンは、不安と恐怖、そして安堵。

今はどこか苦しい敗北感?

己の心の目まぐるしく色を変える変化に、ジルコンは吐き気を覚えた。


「怪我は?大丈夫か?」

喉がカラカラで声がかすれた。

「うん。大丈夫みたい。ちょっと焦った」


あははと王子はジルコンの気持ちも知らず笑う。

その笑いにつられて、ほっとした町の者たちもつられて笑う。

この場の緊張の糸が完全に断ち切られた。


「この旅の方が、子供を助けてくださった!命の恩人だ!」

誰かが叫んだのを合図に、一斉に大歓声が沸き起こったのである。


だれかれとも限らず、身体の埃を払われ、払いつくされ、頭を撫でられ、ぐちゃちゃにかき乱され、背中を叩かれた。

当の本人は目を白黒とさせ、照れ笑いをしている。


道路の真ん中から歩道に戻るまでに、拾い上げたリンゴや野菜や、落ちたものでもない炉端の売り物の何かが王子とジルコンに押し付けられていく。

昼ごはんがまだならばうちでごちそうするよ!

とか、何か必要なものがあったら言ってくれ!とか。


「これはジルコンさまではありませんか!ジルコンさまのお連れの方ですか!」

誰かが不意に、子供を助けた若き英雄の体をかばうようにして支えるジルコンに気が付いた。

今度は全員の目がジルコンに向かう。

フードがずれて、黒檀のような黒髪に際立ち整った顔が現れた。


「ジルコンさまだ!我らの王子だ!ありがとうございます!」

うわああ、と今度は地鳴りにも似た大歓声が上がったのである。


三人の騎士たちは慌ててジルコンとアデールの王子を守りに入ろうとするが、幾重にも人の波が遮り、彼らの入り込む隙間はなかった。

このような状況を避けたかったのだったが、こうなってしまったらもう手遅れである。

ジルコンの茶のマントも引きはがされている。

誰かの手がジルコンの手に触れようとする。

事故の検分に町の警察兵が駆け寄り人々を笛を吹いて鎮める。

どさくさに紛れてべたりと張り付いた娘らをジルコンやアデールの王子から引き離して、ようやくジルコン王子一行は落ち着いたのであった。



ジルコンはきわめて不機嫌である。

昼間のあの騒ぎにもみくちゃにされ、なぜかミルクだらけになり、この町で一番立派な旅館に強引に引き込まれ、さらにもう一泊することになってしまった。

先で待つ騎士たちはやきもきしているだろう。


子供を助けていただいた心ばかりのお礼ですから、ご遠慮なさらずゆっくりしていってください。

とのことだが、町中が祭りのように盛り上がっていて、引くに引けなくなってしまったのだった。


「ジルコンさま、わかっておりますから」

年配の女将は、訳知り顔でアデールの王子を横目で見ながらジルコンに囁いた。

何をわかっているのかまったくわからない。

そして、アデールの王子と同じ部屋を用意されていたのである。








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