19、エール国に行くのは誰?②

帰路に就くベルゼ王に、王城から護衛兵たちが思いがけずも早く合流する。

物見の砦の防人は森の道での異常を察し、今度はきちんと仕事を果たしたようだった。

中には白髭の医者が混ざる。

王にすぐさま応急処置が施される。

けが人はほとんどアデール側である。

あれだけ剣を振るっていたエールの騎士たちは返り血をあびながらもひどいけがをしたものは皆無である。

一行は王の手当てが終わるまでその足をとめていた。


ようやく馬から降りた黒髪の男にロゼリアは濡れたタオルを差し出した。

彼は、他の騎士たちと同様に濡れたタオルで顔を拭い、首を拭く。最後に手を肘まで拭った。

返されたタオルは返り血で真っ赤に染まる。

彼らの黒い衣装はどれだけ血を吸っているのかと思うとおぞけが走った。

エールの黒騎士たちは、あたりに油断ならない視線を配る。

アデールの駆け付けた護衛兵たちを全く当てにしていないのがわかった。

彼らは、自分たち以外を全く信用していない。


パジャン国の刺客であったこと。

死ぬ間際にラシャール王子の刺客と自白したことが消えぬさざ波を起し続けていた。

アデールが裏でパジャンと通じているかもしれないという可能性がそこには存在する。

アデールの森でパジャンの刺客に襲われたことが意味することを、ロゼリアはわかっていない。


「あんたがエール国のジルコン王子か」

ロゼリアは抑えきれない怒りがこみ上げる。

傷つけられた父と、その王騎士たち。

目の前で賊だった異国の若者が絶命したのもショックだった。

彼は、命をつなぐ希望をロゼリアに見いだし、とりすがった。

だがそれは永遠に失われてしまったのだ。


「あんたはまるで、この美しい森の国に厄災をつれてきたようだな!」

ロゼリアは言い放った。

アデールの騎士たちも、エールの黒騎士たちも、ロゼリアの言葉に動きが止まる。

空気が緊迫する。

黒髪の男は眉を寄せた。

不快な色を隠さない。

ロゼリアの言葉に怒りに目を吊り上げて言い返そうとしたアンをジルコンは制した。


「戦闘にも加わらず、呑気に後からきて、ちょっとばかし通訳をしたからといって大きな口のきき方だな。あなたはアンジュ王子か?」


ジルコンは顔立ちはこうなっているだろうと想像していたよりもずっと整い、厳しさもあるが秀麗だった。

だが、その目は冷たい光を帯び、憐れみさえも浮かべてロゼリアを見くだした。


「アンジュだ」


顎をつきあげるようにしてロゼリアは言う。

視界の端で、父王がかすかに身じろぐ気配。

だが、そんなことにかまっていられない。

ジルコンは、アンジュの顔を今度は探るように見ていた。

ロゼリアがジルコンの顔に思い出の欠片を見出そうとしたように、彼も同様に二人で過ごした穴蔵の夜の記憶と己の顔を照らし合わせているのがわかる。

ふたりは思い出の中にいた。


だがそれはおぼろな夢のごとくに消え去った。

一晩中ちいさな泣き虫のロゼリアを抱いて温め、慰めてくれた優しい王子さまの面影はどこにもない。


ジルコンも過去の夢から覚めていた。

「厄災を俺が運んだとは、責任転換もはなはだしいな。

凶行を呼び寄せたのは、この王城へ続く道沿いの整備されず放置されている視界を妨げるこの木々だ

これを放置しても平気なのは、危機感の欠落だろう?いわば、防げたことだ。

容易に防げたことを防げなかったのはアデール側の落ち度だとは、頭がお花畑の王子では考えられないのか?」


侮辱の言葉にカアッとロゼリアの頭に血が上った。

これが、穴の中で一晩中温めて慰めてくれたあのジルと同一人物ではありえなかった。

長年の間に初恋を美化し過ぎてしまったのだ。

初恋の人に早く会ってみたい、妻として迎えに来てくれるかもしれないと乙女心に少しでも思ったことを後悔した。


そんなロゼリアの心境を知らず、さらに黒い目に傲慢な光を宿らせてジルコンはいう。

「まあ、安全な自国から一歩も出ず、世間も見えずにぬくぬく真綿に包まれて守られてきた王子さまには、言ってもしょうがなかったかもな。遠慮もなく厳しい言葉で申し訳なかった」

うわべだけ取り繕った謝罪に、ロゼリアは生まれて初めて理性が切れた。


シャン。


ロゼリアは剣を抜く。

目の前の男が強国の王子で、彼がロゼリアの、そしてアデール国の命運を握っていることなど完全に失念した。

美しいこの平和な祖国と自分自身を、この傲慢な男は侮辱したのだ。


ジルコンの胸元に突きつけた剣は、刃が良く研がれ使い込まれたディーンの剣であった。

命の危険さえも覚えさせる殺気だった切っ先から、ジルコンは後で長い金髪を三つ編みに固く結ぶアデールの王子に目をうつした。

怒りに殺気だち、ジルコンを射るように睨む姿は、毛を逆立てて怒る誇り高い野生の生きもののようだった。

姫のロゼリアである、といわれても納得できるような、女だと見紛うほどその容姿は壮絶に美しかった。

その手には、ロゼリア姫であるかもという淡い妄想を打ち砕くのに十分な物騒なものが握られているのだが。


「アンジュ、止めよ!彼の言う通りだ」


王が恫喝する。

セプターが慌てて切っ先に入り、ロゼリアの手に触れた。

世界に色味が戻ってくる。

大丈夫ですか、怒られるのはもっともです、ですがこの場は収めてくださいと、セプターの目が慰めてくれている。

ロゼリアは、その途端、自分が何をしているのか正気に戻った。


「も、申し訳ございません。ご無礼をお赦しください、、、」

怒りが急激に収まるとともに、心臓が異様に打つ音が頭に響く。

ロゼリアは自分の中の怒りの衝動に愕然とする。

この男に馬鹿にされたことが、理性をすべてぶっ飛ばせるぐらいに腹立たしかったのだ。



一行は警戒しながら、森の道を渡る。

ロゼリアは傷ついた王から離れない。

その姿を後ろから、エール国のジルコンたちは眺めていた。


「なんとも美しいアンジュ王子ですね。ロゼリア姫は彼の双子だから、噂通りすごく綺麗でしょうね」

と騎士のなかでも巨体のジムが王子にさややいた。

先ほどの剣をつきつけられたことなど彼らは気にもしていない。

アデール国の王子に、どうこうされるとは思えなかったのだ。


「バカじゃない?姫は女でしょ。彼は男。男女の双子は二卵性よ。そっくりなのは一卵性の双子。彼を見て、期待しているとバカを見るわよ!」


アヤが水を差した。

そもそもアヤは、彼女のジルコン王子がこんな田舎の国の姫を嫁にすることがあり得ないことだと思っている。

王子には豊かで華やかな国の、目のくりっとしたかわいらしい姫が似合うと思っているのだ。


一行はアデールの王城に到着した。

怪我はしないまでも、激しい戦闘を物語る姿のエール国王子一行と蒼白なべリル王の帰還に、王城は天地がひっくり返るかと思われるほど騒然となったのである。



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