2020/07/27:他人に命を絶たたれるひと、自らの命を絶つひと

地球では毎年5500万人が死亡しているという。

1日あたり15万人ほど。

新型コロナによる死者よりもずっとたくさんの人間。

今日は、そのなかの2人について。





「みるからにゾンビとなって生きているので痛々しい。医療行為を続けることもためらわられますが、仏心を出して手を下せば殺人犯」


嘱託殺人の容疑者である大久保医師が、上のようなことばをブログに記したようです。

「ゾンビ」だと思うのなら、大久保容疑者の主観です。

「医療行為を続けることもためらわれる」としたら、それは彼の考えです。

自らが仏の気持ちすなわち「仏心」を持っているというのも彼の勝手でしょう。

けれど、人のものを奪わないように、人の時間を奪わないように、人の可能性を奪わないように、作られたものが法律です。

彼は日本の法律に違反しました。


しかし。

立派なブログを書いていたとはいえない彼に、それでも、ALSだった女性は自分に向けた殺人を依頼したのです。





わたしが形成外科の研修医だった、もうずいぶん昔のことです。

郊外の長期療養病院の病棟へ、教授とふたりきりで手術のために訪れたことがあります。

患者はALS(進行性筋萎縮性側索硬化症)の女性でした。

彼女は自らの身体を1ミリも動かせませんでした。

看護師による頻回の体位変換にもかかわらず、褥瘡(床ずれ)が腰部に生じ、その後悪化してしまいました。

大きな潰瘍を、そのとなりの皮膚および皮下組織で覆って治療する「皮弁形成」を、わたしたちは行いました。


全身麻酔ではなく局所麻酔で、ベッド上で手術をしました。

体位をとるときも、最初の注射をするときも、手術中も、女性に向かって「痛くありませんか?」と声をかけ続けました。

彼女の返事は、眼球の動きで読み取ります。

彼女はまぶたもほとんど動かせない状態までALSが進行していたのです。

幸い「痛いです」の返答は一度もありませんでした。

手術は無事終了し、その後の経過も良好でした。

彼女の病態の根本的な改善にはなり得ない治療が、成功しました。


身体を動かせないだけで、彼女の神経系は他のすべてに問題がありません。

痛覚も、聴覚も、味覚も正常です。

思考は冴えています。


「もしかしたら、痛かったのではないか」

「ほんとうは手術など望んでいなかったのではないか」

「いつまでも病院で生き続けるのはいやだったのではないか」


わたしは答えのない自問をずっと続けました。

いまも続いています。


安楽死が望ましいのか。

手段を選ばず生命を維持するのが正しいのか。

どちらかに考えを振り切ってしまえば、楽になるのでしょう。

医者である自分は正しいことをしている、と。

振り切った先にあるのは、嘱託殺人であり、安楽死であり、あるいは限りない延命です。


では、わたしはどうだったのか。

ただ法律に従って医療行為をしただけです。

一見まん中に立って踏ん張って苦労しているように見えて、いちばん楽な行為でした。


「ALS患者の気持ちは、いったいどんななのだろう」


やはり答えは出ません。

自分は病気を患っていないこともあり。

ALS患者にも様々な人間がいることもあり。





さて、もうひとりは三浦春馬さんです。

圧倒的な実力と、圧倒的な可能性、圧倒的な美しさ。

とくにファンとして注目していたわけではないわたしにとってさえ、うちひしがれる悲しい出来事でした。


途中になっている仕事、まわりの数多くの人びと。

自分が与えるであろう大きな影響。

それが理解できない人物ではなかったはずです。

そのとき、その瞬間さえ、なんとか出来れば。

なんとかしてあげれれば。


わたしは勝手に思いました。

彼の気持ちがどんなだったか、分かるはずもないのに。






15万分の2。

コロナによって奪われる命とはケタが違います。

なのに、2人がこころに大きな場所を占めてしまいます。

他人のこころが分からない。

分からない他人が周りに大勢いる。

15万、5500万、80億。

自分以外は他人。


でも自分も同じ人間なのです。










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