第1話 力の在りか 16

(承前)


 *


「遅刻だ、レイン! 時間を大切に出来ないものはこの時代を勝ち残れはしない。何度言えばわかる?」


 スマイリィの入室早々、叱咤の声をかけてきたのは、レインの長兄、ルッツ家の長男であるブリッツだ。

 そしてそれは奇しくも、レインが今まさに持ち合わせている価値観だった。

 いや、ブリッツのいう「時間」とレインのそれでは、その尺度から価値の意味まで異なるのだが。


「まあまあブリッツお兄様、急な召集なのですし。いつもハイスクールに押し込められたままの窮屈なレインちゃんですもの。少しは羽を伸ばす時間をあげてもいいと思うわ。ねえ、レインちゃん?」


 ブリッツのレインに対する、小言というには仰々しい文句に口を挟んで助け船を出すのは、同じくルッツの長女、ブルーメだ。


「私も都合をつけるのには苦労しましたもの。なにせこの千年祭というまたとない祭事の真っ只中ですからね」


 軽口のつもりなのだろう。ブルーメは手にした扇を口に添え、ころころと笑う。


 スチームで伸ばした上質なシヴィルに身を包み、家長の威厳を放とうとするブリッツとは真逆に、ブルーメの衣装はフィオルの令嬢が纏う気品漂うミュゼのドレスで、高級邸宅ではあるものの実用を旨とする中産階級メディの様式には違いないこの家屋の様からは多分に浮いて見える。


「祭事だからこそだ、ビー」


 幼少からの渾名で妹の名を呼ぶブリッツ。呼ばれた側のブルーメの「あら、この場で子供扱いもどうなのかしらね」という軽い避難は黙殺し、

「レイン、人の上に立つものならば、浮き足立つ時ほど己を律することが求められる」

 そういうと、ブリッツの視線はそのままレインからこの部屋に集まる全員に向き直る。

「そしてこの期にこそ、この国は大きく動き出そうとしている。その事くらいは承知のはずだ。そうだな」


「はい、お兄様」

 短く、簡潔にレインは返事する。

 もとよりこの場で、この面々の前で、今の自分に発言権などありはしない。

 上の兄姉たちの言い分を一方向シンプレックスに聴かされるだけだ。


 だが、自分の向かいで少し前列に座っている次兄は違った。


「兄さんの仰るとおりだ。僕も襟を質さないとね……。ただ、レインだって無為に外を散歩している訳じゃないと思うよ。姉さんが言うとおり、彼はスクールという閉鎖空間、限定的な環境に身をおいたままだ。教育には理想的、相応しい場だとは僕も思う。でも、ときには実社会の見聞を広めるのも必要なことだと思うよ」


 両眼の眼鏡グラスの内に柔和な目付きをたたえて、次兄のブレンはレインを庇うようなことを言う。


「いえ、ブレン兄さん。僕が……」

「見聞の利点と規律の乱れとは話が違うぞ。論点をすり替えるなブレン」

 レインが言いかけるのと、ブリッツの批判とは、ほぼ同時だった。


「もう二度と同じ注意はしないぞ、レイン。次は、もうこの場にお前の席はないと思え。いいな」

「はい。兄上」

 やはりレインの返事は短い。

 

 自分がいかに危うい立場にいるのか、それはレイン、いやスマイリィ自身が嫌というほどわかっている。

 自分をこの立場に追いやっている一員である、目の前の男、長兄ブリッツその人よりもずっとだ。


 この場ではスマイリィにも笑顔はない。


「さて、ルッツの家族が全員集まった場で、私から伝えることはいくつかある」


「我々の国、偉大なる連合国ウィルダムは、この千年祭の開催とともに、新たなる千年期の始まりを宣言した。これは単なる祭りの催しではない。今後の千年をも見据えた具体的な事業の計画と実行を、この国の新たな目的への舵取りを意味している。そのことをまずはこの場で改めて確認しておくぞ」


 ブリッツの演説めいた口調混じりの言葉に、レインも含めた兄姉たちも合わせたようにゆっくりと頷く。


「それでだ。ルッツ家ももちろん、国の動きに呼応して動いていく。飛躍の時だ、諸君。ルッツは新興の中産階級メディ、その数ある一族の一つであるままでは終わらん。筆頭であっても足りん。目指すのはさらに上だ。機工の最先端を行き、世界の覇権を手中にするまであとわずか、文明の頂点を行く今のウィルダム国こそ、我々もその先端であるべきだ」

 ブリッツの口上に、

「それが父上の、いえ、先代からの悲願、ですものね」

 ブルーメがそう応え、

「人の時代は叡知の時代。道はまだ半ば。新たなる千年期こそ、その成就の道程となる、だね」

 ブレンが締めた。

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